隋初には、普州は2郡4県を管轄した。605年(大業元年)、普州は廃止され、その管轄区域は資州に移管された。
619年(武徳2年)、唐により資州の安岳・隆康・安居・普慈の4県が分割されて普州が置かれた。742年(天宝元年)、普州は安岳郡と改称された。758年(乾元元年)、安岳郡は普州の称にもどされた。普州は剣南道に属し、安岳・普康・安居・普慈・楽至・崇龕の6県を管轄した[2]。
宋のとき、普州は潼川府路に属し、安岳・石羊・安居・楽至の4県を管轄した。1256年(宝祐4年)、南宋により普州は廃止された[3]。
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