潼川府

ウィキペディアから、無料の百科事典
四川省の潼川府の位置(1820年)

潼川府(とうせんふ)は、中国にかつて存在した府。宋代から民国初年にかけて、現在の四川省中部に設置された。

概要

1118年(重和元年)、北宋により梓州が潼川府に昇格した。南宋のとき、潼川府は潼川府路に属し、郪・中江・涪城・射洪・塩亭・通泉・飛烏・銅山・東関・永泰の10県を管轄した[1]。

元のとき、潼川府は四川等処行中書省に属し、郪・中江・射洪・塩亭の4県と遂寧州に属する小渓・蓬渓の2県と綿州に属する彰明・羅江の2県、合わせて4県2州州領4県を管轄した[2]。

1376年(洪武9年)、明により潼川府は潼川州に降格した。潼川州は四川省に属し、射洪・中江・塩亭・遂寧・蓬渓・安岳・楽至の7県を管轄した[3]。

1734年(雍正12年)、清により潼川州は潼川府に昇格した。潼川府は四川省に属し、三台・射洪・中江・塩亭・遂寧・蓬渓・安岳・楽至の8県を管轄した[4]。

1913年、中華民国により潼川府は廃止された。

脚注

  1. ↑ 『宋史』地理志五
  2. ↑ 『元史』地理志三
  3. ↑ 『明史』地理志四
  4. ↑ 『清史稿』地理志十六