朝の純愛
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『朝の純愛』(あさのじゅんあい)は、三島由紀夫の短編小説[1][出典無効]。三島が提唱した「純愛小説」の一編であり[要出典]、朝の光の中で交わされる男女の清冽な感情を描いている[2][出典無効]。
概説
本作は1965年(昭和40年)6月発表[2][出典無効]。同時期の三島は『音楽』や『絹と明察』の執筆、さらには1964年東京オリンピックの取材準備に追われていた時期にあたる[3][要ページ番号]。
作品は、中年夫婦と若者という二者の対立によって物語が構築される。戦前から戦後にかけて生きる人物である中年夫婦と戦後の社会を体現させる山脇の登場により、過去と現在という時間のありようをテーマに据えながら、戦前から戦後にかけての時間を扱うことで、三島自身の戦後の意味を問うことのできる作品と評される[4]。
三島は本作のような短編について、「都市的な洗練と、伝統的な美意識を融合させた掌編」として位置づけていたとされる[5][出典無効]。
あらすじ
主人公は50歳の夫、佐伯良輔とその妻、玲子45歳。
倦怠期を迎え、かつての情熱を失った二人は、かつて出会った頃の純粋で感動的な接吻を再現しようと、ある奇妙な計画を立てる。彼らは、自分たちの寝室に見知らぬ若者山脇を忍び込ませ、その他者の視線や介在という異常な状況を利用することで、麻痺してしまった感覚を刺激しようと試みる。若者にナイフで脅されるという危機的な状況の中で、夫婦は再び「すがすがしい接吻」を交わすことに成功する[4]。
特色と評価
本作は、同時期の三島の硬派な作品群とは対照的に、抒情的で軽快な文体が特徴である[1]。文学評論家の田中美代子は、三島がこの時期に追求していた「肉体と精神の均衡」が、日常的な風景の中に結晶化した作品であると評している[6][出典無効][要ページ番号]。
江藤淳は「戦後批判」の試みの小説であると論じた。磯田光一は、若かりし頃の感動を再現しようとする二人の姿と死に、戦前の時代に回帰していく作者三島の意識を見た。未来の到来すら期待できず、死の予感が立ち込めた状況での愛こそが「至福」として描かれ、戦時下での二人が出会った時を理想形として求めており、三島が抱いた終末観を物語化したものと評した[4]。
三島は戦時下とは、個人の運命が世界の運命にに包括され、ぴったりと重なりあった時代と位置づけ、そのような意識が戦後にも自身を支配し続けていることを明らかにしている[4]。
収録書籍
脚注
参考文献
- 『決定版 三島由紀夫全集第32巻・短編8』(新潮社、2003年)ISBN 9784106425721
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)ISBN 9784106425820
- 三島由紀夫研究会編『三島由紀夫事典』(勉誠社、2000年)