東宮二将

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東宮二将(とうぐうにしょう)は、中国の南北朝時代の南朝の梁(502年 - 557年)で、皇太子に仕えた二つの同格の武官、太子旅賁中郎将と太子冗従僕射をあわせた呼び方である[1]。18を最高とする18班の官制で、5班に位置した[1]。

梁の前の宋と斉、梁の後の陳にもこの二つ、あるいは太子冗従僕射の代わりに太子常従虎賁督があった。陳では官品第七品・官秩六百石で同格だったが[2](宋・斉は不明)、二将という呼び方があったかは定かでない。

梁では別に、より地位が高い太子歩兵校尉・太子屯騎校尉・太子翊軍校尉を東宮三校(太子三校)と呼んでいた[1]。

脚注

  1. 1 2 3 『隋書』巻26、志第21、百官上、梁。
  2. ↑ 『隋書』巻26、志第21、百官上、陳。

参考文献