歩兵第34連隊

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歩兵第34連隊
創設 1896年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 静岡県静岡市(現・葵区)
通称号/略称 幸3703
愛称 静岡連隊
橘連隊
補充担任 静岡連隊区
上級単位 第3師団 - 第15師団 - 第3師団
最終位置 中華民国の国旗 中華民国安徽省蕪湖市
戦歴 日露戦争
[遼陽会戦/奉天会戦]
第一次世界大戦[青島の戦い]
山東出兵
[第二次出兵/済南事件]
支那事変(日中戦争)
[南京戦/湘桂作戦]
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歩兵第34連隊(ほへいだい34れんたい、歩兵第三十四聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつで、1896年に作られ、1945年11月に廃止された[1]。静岡県静岡市を衛戍地として、平時はそこにあった。

静岡連隊[1]、岳南連隊、橘連隊といった異名が付けられた。

歴史

連隊の創設

第34連隊の練兵場跡。静岡県静岡市葵区。

日清戦争が終結した1895年(明治28年)に、陸軍は、ロシアとの戦争を念頭に兵力・師団数を倍増する計画を立てた。歩兵第34連隊の設置もその一環である[2]。

静岡には以前から徴兵事務にたずさわる静岡大隊区司令部がおかれており、静岡市議会は連隊が静岡におかれる可能性が高いとみて、同年12月から誘致の働きかけをおこなった[3]。静岡大隊区司令官から市の熱意が必要だと言われた静岡市は、6年前に1万2千円を払って陸軍省から取得した静岡城址を無償で陸軍に提供し、他の土地取得にも協力した[4]。軍隊の需要が市の商工業を潤すと考えたためだが、陸軍は誘致運動にかかわりなく静岡に連隊を置く案を進めていた[5]。

1896年(明治29年)12月、従来から歩兵第18連隊があった豊橋で、連隊本部と第1大隊のみで発足した[6]。1897年(明治30年)3月に静岡に移った[6]。同年12月に第2大隊、翌1898年(明治31年)に第3大隊が編成され、兵力を充たした[6]。

日露戦争

1904年(明治37年)2月にはじまった日露戦争で、歩兵第34連隊を含む第3師団は開戦からやや遅れて3月6日に動員令を受けた[7]。第34連隊は3月11日に動員を完結して、26日から27日にかけて進発した[7]。広島から海路をとり、5月5日に遼陽半島に上陸した[7]。

連隊は得利寺の戦い、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に参加した[8]。このうち遼陽会戦で関谷銘次郎連隊長、橘周太第1大隊長が戦死した。

戦争中、歩兵第34連隊には補充の将兵を含めて約5000人が従軍し、そのうち1112人が死亡した[9]。

第一次世界大戦

1914年(大正3年)にはじまった第一次世界大戦で、日本は、ドイツが中国で獲得した利権の奪取をねらって参戦した。9月に臨時動員された歩兵第34連隊は、10月に青島の戦いに加わり、青島守備に1個大隊を残して12月までに帰国した[10]。大隊は1915年5月にその任を解かれた[10]。

1921年から1923年の満州派兵

日露戦争で日本はロシアから長春以南の鉄道線を獲得した。その南満洲鉄道沿線に、陸軍は交替で部隊をおいて守備させた。1921年(大正10年)3月から1923年(大正12年)4月にかけて、当時第34連隊が属していた第15師団が派遣された[11]。第34連隊は鉄嶺と寛城子に駐屯した[11]。

関東大震災

1923年(大正12年)の関東大震災では、ほぼ全力が被害地域に出動した。第15師団長の命令で、9月1日の地震発生後、3日に第2大隊が静岡県駿東郡小山町に出動した[12]。5日に第1大隊と第3大隊が神奈川県小田原に向けて出動した[12]。部隊は10月27日にひきあげた[12]。

第二次山東出兵

1928年(昭和3年)の第二次山東出兵で、歩兵第34連隊は5月に動員されて後発の部隊に加わり、占領した膠州鉄道沿線を警備した[13]。翌年の撤収まで続いた戦争で、連隊は死者7人を出した[14]。

年表

  • 1896年(明治29年)12月、愛知県豊橋市で発足。連隊本部と第1大隊のみ[6]。
  • 1897年(明治30年)3月15日、静岡に移転[6]。
  •   5月、連隊射撃場を有度山に仮設置[15]。
  •   12月、第2大隊発足[6]。
  • 1898年(明治31年)3月24日、軍旗拝受
  •   12月、第3大隊発足[6]。
  • 1901年、大谷村(現在は静岡市の一部)に連隊射撃場を設ける[15]。
  • 1904年(明治37年)3月11日、日露戦争により動員される。
  • 1905年(明治38年)、第3師団から第15師団に所属変更
  • 1914年(大正3年)10月、青島の戦いに従軍
  • 1925年(大正14年)、宇垣軍縮により第15師団から第3師団に所属変更
  • 1928年(昭和2年)、山東出兵に出動
  • 1937年(昭和12年)
    • 9月5日上海北部の呉淞鎮北方の黄浦江岸に第三師団の後続部隊として上陸、上海での戦い(第二次上海事変)に参加。楊行鎮攻略戦-劉家行攻略戦-大場鎮攻略戦-蘇州河敵前渡河。上海郊外のクリーク地帯での戦闘は激しい消耗戦となり連隊は多大な犠牲を出した。
    • 12月、南京攻略戦に参加

歴代連隊長

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐)
代氏名在任期間備考
1高木作蔵1896.9.25 - 1898.5.19
2竹内正策1898.5.19 - 1900.4.25
3小畑蕃1900.4.25 - 1903.5.14
4関谷銘次郎1903.5.14 - 1904.8.31中佐、戦死し大佐に特進
5川上才次郎1906.1.27 - 1909.12.26中佐、大佐昇進
6白川義則1909.12.26 - 1911.6.19
7柴豊彦1911.6.19 - 1912.4.1
8大島虎毅1912.4.1 - 1914.6.19
9大内義一1914.6.19 - 1915.8.10
10南正吾1915.8.10 - 11.6
11竹内儀平1915.11.6 - 1916.11.15
12磯塚駿一1916.11.15 - 1918.7.24[16]
13木村益三1918.7.24 - 1920.4.1[17]
14菅沼来1920.4.1 - 1921.7.20[18]
15菅原佐賀衛1921.7.20 -
16兒玉友雄1923.8.6 -
17蜂須賀喜信1925.5.1 -
18竹下範国1926.12.22 -
19遠藤五郎1929.8.1 -
20佐枝義重1931.8.1 -
21村上啓作1933.8.1 - 1934.3.5[19]
22横山臣平1934.3.5 -
23田辺盛武1936.3.7 -
24加藤守雄1937.8.2 -
25田上八郎1937.8.14 -
26鈴木貞次1938.7.15 -
27井出節1939.8.1 -
28木原義雄1940.8.1 -
29坂本弥平1941.7.18 -
30簗瀬真琴1941.12.18 -
31二神力1944.3.10 -
末井上金士1944.12.8 -

遺構

将校集会所
駿府城跡に設置され、戦後、静岡県護国神社隣接地に移築されていたが、2021年3月までに解体された[1]。
陸軍静岡練兵場訓練講堂
練兵場(現静岡市葵区)にあり、戦後、民間の個人所有者が払い下げを受けて倉庫や住宅として使用していたが、老朽化のため2023年に解体された[1]。

参考文献

  • 歩兵第三十四聯隊史 岳南聯隊五十年の歩み
  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 荒川章二『軍隊と地域』、青木書店、2001年。
  • 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 『官報』
  • つわもの : 静岡歩兵第三十四聯隊第六中隊誌

関連項目

脚注

  1. 1 2 3 4 “老朽化 消えゆく「戦争遺跡」静岡・歩兵第34連隊 最後の施設解体”. 静岡新聞. 2023年8月16日閲覧。
  2. ↑ 荒川章二『軍隊と地域』、青木書店、2001年、55頁。
  3. ↑ 荒川章二『軍隊と地域』、青木書店、2001年、56 - 57頁。
  4. ↑ 荒川章二『軍隊と地域』、56 - 57頁。
  5. ↑ 荒川章二『軍隊と地域』、55 - 56頁。
  6. 1 2 3 4 5 6 7 荒川章二『軍隊と地域』、57頁。
  7. 1 2 3 荒川章二『軍隊と地域』、70頁。
  8. ↑ 荒川章二『地域と戦争』、74頁表。
  9. ↑ 荒川章二『地域と戦争』、72頁。
  10. 1 2 荒川章二『地域と戦争』、138頁。
  11. 1 2 荒川章二『地域と戦争』、193頁
  12. 1 2 3 荒川章二『地域と戦争』、195頁。
  13. ↑ 荒川章二『地域と戦争』、195 - 196頁
  14. ↑ 荒川章二『地域と戦争』、196頁
  15. 1 2 荒川章二『軍隊と地域』、58頁。
  16. ↑ 『官報』第1794号、大正7年7月25日。
  17. ↑ 『官報』第2298号、大正9年4月2日。
  18. ↑ 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
  19. ↑ 『官報』第2151号、昭和9年3月6日。
  20. ↑ “孫には銃をかつぐことのない人生を 三國連太郎氏(俳優)”. あやめ池学園南 九条の会 - 奈良から憲法九条を守ろう (2012年12月1日). 2013年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月1日閲覧。

外部リンク