相鉄2000系電車

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相鉄2000系電車(そうてつ2000けいでんしゃ)は、かつて相模鉄道に在籍していた通勤形電車。本項では2000系の機器流用車として1970年(昭和45年)に登場した相鉄2100系電車についても記述する。

2000系

相鉄2000系電車
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流 1,500 V
(架空電車線方式)
最大寸法
(長・幅・高)
17,000 ×2,875×4,200 mm
(モハ2000形)
台車 DT10/DT11
主電動機 直流直巻電動機
MT7/MT10/MT15
主電動機出力 100 kW
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 63:25(2.52)
制御装置 抵抗制御・直並列組合せ
MMC-H200B(1C8M)
PR-200(1C4M)
制動装置 自動空気ブレーキ
(一部は電磁自動空気ブレーキ)
手ブレーキ
保安装置 相鉄型ATS
列車無線
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概要

太平洋戦争末期から戦後の一時期にかけて、経営基盤の脆弱な相模鉄道(相鉄)はその混乱期を切り抜けるために、一時的に同業他社の東京急行電鉄の傘下に入った(いわゆる大東急の結成である)。1947年に東急から独立したものの、復員した乗客数の多さの割に車両が貧弱であったために各地から様々な車両をかき集めていた。この一部が1951年に車両番号を付けた際に2000系とされた。この際譲り受けた車両は車体の大きさで分類され、元小田急モハ1形が1000系電車、20m級の元国電が3000系電車とされ、それぞれ戦災復興の第一線で活躍した。

モハ2000形26両とクハ2500形15両の計41両が存在した。

登場時

1951年(昭和26年)11月の一斉改番実施の際に、中型(車体長17m前後)のものをまとめて電動車モハ2000形と制御車クハ2500形からなる2000系としたもので、そのため実にさまざまな経歴の車両が存在した。以下に各車両の経歴を記述する。

2000形2005(事業用車)
2000形2019(事業用車)
2000形2023(事業用車)
銚子電鉄でレストランとなった2000形2022(右側の車体)
モハ2001 - 2003
元は鉄道省の木造電車モハ1形である小田急電鉄モハ51形で、東京急行電鉄(大東急)発足時にデハ1100形1101 - 1103に改番された。神中線(厚木線)の東急経営委託の際に厚木線に転属し、1947年の委託解除時に相鉄へ譲渡された。1103は戦災で焼損していたが、1949年(昭和24年)に半鋼製車体を新造して復旧された。改番で2001 - 2003となり、1954年(昭和29年)には2001も鋼体化されたが、2002は台枠の劣化で長期使用に耐えないと判断されたため、木造のまま同年に廃車された。
モハ2004 - 2010
2004・2005は1949年に東急が横浜製作所で戦災焼失国電払い下げ車の復旧を進めていたもの(東急3600系にあたる)のうち2両を譲受したモハ1301, 1302で、種車は元モハ30形30093 ・30094。2006 - 2010は同年に戦災焼失国電5両分の払い下げを受け、本田工業所・大和工業・浦田車両の3社で車体を新製して復旧させたモハ1300, 1303 - 1306で、種車は1303がモハ30形、1304, 1305がモハ31形、1300, 1306がモハ50形50013 ・50031。改番で1300が2010となり、他は1301 - 1306の順に2004 - 2009となった。1959年(昭和34年)以降7両とも形態統一工事(下述)により車体を交換され、この時2006, 2007, 2009・2010は中間車化された。
クハ2501 - 2505
元は流線形ガソリンカーキハ1形(2代)を制御車化したクハ1110形1111 - 1115で、改番により2501 - 2505となった。改番を前に1951年10月に流線形の前面は半流線形に改造された。1959年 - 1962年(昭和37年)の間に日立製作所水戸工場(専用線)・日立電鉄・上田丸子電鉄(現・上田電鉄)に譲渡されている。詳しくは東京横浜電鉄キハ1形気動車を参照。
モハ2011 - 2014、クハ2506, 2507
この6両は青梅電気鉄道の買収国電である。
2011 - 2014は元モハ500形501, 502, 506およびモハ100形106を1949年に払い下げを受けたもので、当初は電気機関車代用の電動貨車モワ1形1・2・4・3である。1952年(昭和27年)にED10形が登場したことにより2000系に編入され2011 - 2014となった。
2506は元モハ500形504で、モワ1形と同時に払い下げを受けたがクハとして整備されたのは2011 - 2014の2000系編入時である。1966年(昭和41年)に形態統一工事により車体を交換された。
2507は元クハ700形で、身延線で火災事故を起こして廃車された701を1953年(昭和28年)に日本鉄道自動車で復旧したもので、新造名目である。
モハ2015, 2016、クハ2508
2015, 2016は1955年、2508は1954年に京王帝都電鉄(現・京王電鉄)デハ1400形戦災車の台枠を利用して、東急車輛製造で手持ち機器を組み合わせて新造したもの。
クハ2508については1959年にKH-15台車を使用した1自由度系空気バネ台車性能試験が行われた[1]。
モハ2017 - 2026、クハ2509 - 2515
1959年 - 1961年(昭和36年)に日本国有鉄道からクモハ11形・クハ16形の払い下げを受けた車両に形態統一工事を加えたもの。種車は2017 - 2024と2509 - 2513が順にクモハ11形11002 ・11014 ・11008 ・11052 ・11084 ・11054 ・11103 ・11109およびクハ16形16106 ・16156 ・16121 ・16160 ・16161であり、旧30系30010 ・30032 ・30018 ・30134 ・30202 ・30144 ・30049 ・30145および電装解除された30016 ・30166 ・30129 ・30172 ・30193で、2025, 2026と2514, 2515がクモハ11形11471 ・11467およびクハ16形16431 ・16535であり、旧50系50089 ・50081および65041 ・65185であるが、形態統一工事の関係で種車の痕跡はない。

形態統一工事

1959年 - 1967年(昭和42年)にかけて、東急車輛と東横車輛工業で2004 - 2010と2506に「形態統一工事」(新製の全金属製車体に乗せ換え、必要に応じて車体台枠も延長)が施工されており、また日本国有鉄道から払い下げられた2017 - 2026・2509 - 2515は、入線時から形態統一工事が施工されていた。

車体

鋼製の片側3ドアの車両である。

車内設備

走行設備

動力の伝達機構は、全ての車両が吊り掛け駆動方式を採用した。台車は大正時代に設計されたDT10形を採用。

その後

6000系電車が登場し大量に導入されると、本系列にも余剰な車両が目立つようになった。本系列は出自が様々であったように、その後の経歴も様々であった。

2100系への機器流用

モハ2000形は2002・2005・2008・2019・2022・2023の6両を除いた20両、クハ2500形は2501 - 2506・2511を除いた10両が2100系の種車となった。

地方私鉄へ

一部の車両・もしくは車体は三岐鉄道(クハ2512・2513 → モハ150形155・156、西武所沢工場経由)、伊予鉄道(西武所沢工場経由=形態統一工事未施工車)、伊豆箱根鉄道へ転出、および譲渡された。このうち伊豆箱根鉄道大雄山線で使用されていたモハ151形・クハ181形は、1996年(平成8年)に営業運転を終了したが、その後も1両が事業用車コデ165として残存している。この車両は形態統一工事施工車(非公式番号ではあるが、元モハ2024→伊豆箱根鉄道モハ165)である。

1955年(昭和30年)から導入した5000系電車以降、相鉄の車両は20世紀中までは、ブレーキシステムや駆動方式といった走行設備が特殊なものを採用し続けたために、本系列以後の譲渡車は出ていない。

荷物電車へ

2000系の旅客営業は、2100系への機器流用の進捗により1973年(昭和48年)頃に終了し、残ったモハ2005, 2008, 2019, 2022, 2023、クハ2506, 2511の7両は2008を除いて1975年(昭和50年)から番号はそのままで荷物電車モニ2000形・クニ2500形となったが、1977年(昭和52年)の荷物扱い廃止により、クニ2両は再旅客車化の上で日立電鉄へ譲渡されている。

事業用車両へ

荷物電車の廃車により、余った車両の2022を除く4両は事業用車となった。この時に2019, 2023が両運転台化された。また2023の屋根中央には架線検測用ドームが設置されている。2022はこの時に休車となり、1992年(平成4年)の廃車後は銚子電気鉄道に譲渡され、犬吠駅前で保存された。当初は台車も付いた形で設置されていたが、車体のみの姿となってレストランとして利用された後に、2012年(平成24年)7月をもって解体となった[2]。なお、モハ2008は未改造のまま職員研修用の扱いで休車となった後、1998年(平成10年)に廃車解体されている。

"モニ"の"ニ"は荷物電車を表す頭文字だが、荷物電車廃止後も一般にモニ2000形と呼ばれていた。

モニ2023は1994年6月に相鉄で初めてシングルアーム形パンタグラフを試用した[3]。

晩年

月に一回架線の検測で相鉄の全線を走り、かしわ台の構内入換機として使用されていた。2023には前述のように検測ドームが設けられ、ライトで照らしながら職員が目視で架線を観測した。検測ドームにはワイパーに相当するものがなかったために、雨天の日は検測を見合わせることもあった。後継車両のモヤ700形では検測ドームがビデオカメラに代わり、ワイパーが装備されているため雨天でも検測可能である。

2100系が2004年春に運用を終了した後も、モニ2000形の2005・2019・2023の3両は在籍していたが、経年劣化が進行したため[注 1]、2005年(平成17年)に余剰となった7000系の2両がモヤ700形として架線検査用に改造された。その後、ED10形電気機関車置き換え用の2両が改造される1年半ほど運用を続けたのち、2006年7月分の架線検査をもって運用を離脱した。これに先立つ同年3月には引退記念のさよならイベントが行われ、相模大塚駅構内でED10形とともに展示された。

2007年2月に3両とも除籍・廃車され、2019・2023の2両はほどなく解体処分された。それまでの厚木での重機による解体ではなく、7000系の解体時と同様に主要部品撤去後、トレーラーで解体業者へ陸送された。

最後まで残った2005がかしわ台車両センターで静態保存されている。2008年(平成20年)2月から3月にかけて車体・機器等の補修と再塗装が行われた。

2100系

相鉄2100系電車
相模鉄道2100系
基本情報
製造所 東急車輛製造
製造年 1970年 - 1971年
1973年 - 1974年
製造数 30両
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 1,500 V
(架空電車線方式)
最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 100 km/h
最大寸法
(長・幅・高)
20,000 ×2,889×4,150 mm
(モハ2100形)
台車 TS-817(電動車)※
TS-816(付随車)※
主電動機 直流直巻電動機
TDK-8850A※
主電動機出力 130 kW※
駆動方式 直角カルダン駆動方式※
歯車比 49:9(5.44)※
制御装置 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁※
ACF-H8130-774B※
制動装置 電磁直通ブレーキ(HSC)
保安装置 相鉄型ATS、デッドマン装置
ATS-P、EB装置
備考 ※印は走行装置改良後(以前は2000系と同一)
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概要

1970年(昭和45年)から1974年(昭和49年)にかけて、東急車輌製造により全30両(うち2両は完全新造車)が製造された。

旧6000系電車のモハ6021(1967年7月に登場)にて軽量アルミニウム車体を試作して鋼製車体との比較実験を行った際、塗装の簡略化や、軽量化による省エネルギーの点で好成績であったことが背景にあり、初めてアルミ車体を本格導入した車両となっている。これはその後5100系や、7000系の大量導入に繋がった。一方で足回りは2000系由来の旧性能車である。アルミ車体の採用により性能を落とさずに車体の大型化に成功した格好であるが、老朽化は避けられなかった。

30両の内訳は奇数Mc車と奇数M車が各5両、偶数M車10両、Tc車が奇数偶数各5両で、具体的な番号は以下の通りである。大きく2度に分けて5100系と交互に製造されたため、前期車と後期車とで相違点が多く、後期車は基本的に車内外とも5100系に準じた構造となっている。

[4] モハ2100
(Mc)
モハ2100
(M)
クハ2100
(Tc)
竣工年月
横浜向中間中間中間海老名向横浜向
1次車 2101
(2001)
2102
(2003)
2103
(2012)
2104
(2014)
2601
(2507)
2602
(2508)
1970.05
2次車 2105
(2011)
2106
(2013)
2107
(2015)
2108
(2016)
2603
(2509)
2604
(2510)
1971.10
3次車 2109
(2017)
2110
(2018)
2111
(2020)
2112
(2004)
2605
(2514)
2606
(2515)
1973.07
4次車 2113
(2006)
2114
(2009)
2115
(2025)
2116
(2026)
2607
(2512)
2608
(2513)
1974.01
5次車 2117
(2007)
2118
(2010)
2119
(2021)
2120
(2024)
2609
(新製)
2610
(新製)
1974.11

車体

アルミ車体はやや特殊なもので、側面の骨格がむき出しになっていて、その部分は外板を張らない構造となっている。また、アルミ鋳物の特質を生かし、各部を一体構造化するなどした結果、構体重量を4.1トンに抑えることに成功した。その後登場した5100系(東急車輛製)、7000系(日立製作所製)にもこのコンセプトは受け継がれた。

前期車は側窓が田の字型の2段窓で、ドア窓もHゴム支持の旧態依然とした構造であったが、後期車は5100系に準じた1段窓になり、ドア窓は新たに押え金方式となった[4]。車体断面も両者で異なっており、併結時にはその差が明らかであった。

車内

前期車は寒色系の色使いで、座席モケットは紺色であった(のちに緑色に張替え、最後まで残った2603、2604は晩年、オレンジに張り替えられた)。またステンレス製のドアの吹き寄せ柱部分の面積が広く(約20cm幅)、広告掲示スペースに干渉する形になっていた。後期車の車内は5100系に準じたもので、色使いは暖色系となり、座席はオレンジ色、また押ボタン式の自動窓を備え、当初より冷房装置を搭載している。

その他、1990年代にはドアステッカーが既存の丸型の物から2015年頃まで使用していた「ドアーにご注意ください」の物に変更[注 2]。

走行設備

当初は2000系の機器類を流用した吊り掛け駆動の4M2T編成であったが、一部の機器は改められている。ブレーキ装置はHSC電磁直通ブレーキを初めて採用、6000系などの電磁直通弁式とは異なるものであるが発電ブレーキは非装備であった。補助電源装置は非冷房の1・2次車で一部にSIVが取り入れられ、3次車以降では冷房装置搭載のため大容量のBLMGとなった[4]。

各電動車に1C4Mの制御装置を備え、空気圧縮機はMc車と偶数Tc車に、補助電源装置は偶数M車に搭載していた[4]。

台車は電動台車が4次車までDT10で5次車はDT13、付随台車はTR10を基本に3次車がTR11、4次車がDT10である。完全新製車となる5次車のクハについては、2609が流用品のTR11である一方、2610はウィングばね式空気ばね台車のTS-325を新製している[5]。

改造工事

足回りの老朽化が著しく進んでいるだけではなく、合理性に乏しいとして、1976年から1979年にかけて7000系に近い構成の機器類に更新されるとともに、10両での組成を見据えて一部で車種変更と改番が行われている。あわせて1次車・2次車の冷房化改造も行われた。

6両ずつ5回に分けて行われ、1976年5月に4次車の6両、1977年5月に1・2次車からモハ2102・2103・2106・2107、クハ2601・2602の6両、1978年1月に3次車の6両、1979年1月に5次車の6両、そして1979年6月に1・2次車からモハ2108・2121、クハ2603・2604・2612・2614の6両(太字は改番)が竣工した[4]。

改造後、1981年(昭和56年)4月から開始された急行列車10両編成運転(当時の中小私鉄では初)に新6000系とともに使われた。

主要機器

電動車はMM’ユニット方式に改められ、奇数車に1C8Mの制御装置を、偶数車に補助電源装置と空気圧縮機を搭載している。主回路機器と補助電源装置は東洋電機製造製とされた。

主制御器はACF-H8130-774B、補助電源装置は140 kVAの静止形インバータTDK3341A(モハ2112はTDK3340A)で、空気圧縮機は容量2,130 l/minのHB2000である[6]。

台車は東急車輛製のTS-816(付随台車)・TS-817(電動台車)に統一され、上ゆれ枕式空気ばねの電動台車は相鉄初であった。主電動機は130 kWのTDK8850-A、駆動装置は歯車比49:9の直角カルダン方式である[6]。この台車は後の2代目5000系にも枝番のものが採用されている。なおクハ2610のTS-325については保管され、後年に3010系のサハ3652が使用することとなった。

車種変更

Mc車のうちモハ2101・2105がそれぞれクハ2612・2614となり、これに伴ってM車のうちモハ2104は奇数車としてモハ2121に改められた。これによって10両3編成を組成した際の編成構成が概ね統一される。

形式詳細

5000系までの付番を引き継いでおり、モハとクハの2形式のみで番台区分もない。

  • モハ2100形 … 電動車。横浜向きの制御電動車(奇数番号)を含む。機器更新後は横浜方の奇数車と海老名方の偶数とでユニットを組む。
  • クハ2600形 … 制御車。電動車とは逆に、奇数車が海老名向き、偶数車が横浜向きである。

編成表

晩年は以下の10両3編成で運用された。基本構成は統一されているが、2117×10の6号車は運転台の向きが異なる。

(斜字:前期車 その他は後期車)

1号車2号車3号車4号車5号車6号車7号車8号車9号車10号車
<モハ2109
(2017)
モハ2110
(2018)
<クハ2606
(2515)
モハ2111
(2020)
モハ2112
(2004)
クハ2605>
(2514)
<クハ2610
(新造)
モハ2119
(2021)
モハ2120
(2024)
クハ2609>
(新造)
<モハ2113
(2006)
モハ2114
(2009)
<クハ2608
(2513)
モハ2115
(2025)
モハ2116
(2026)
クハ2607>
(2512)
<クハ2604
(2510)
モハ2121
(2014)
モハ2108
(2016)
クハ2603>
(2509)
<モハ2117
(2007)
モハ2118
(2010)
<クハ2614
(2011)
モハ2107
(2015)
モハ2106
(2013)
<クハ2612
(2001)
<クハ2602
(2508)
モハ2103
(2012)
モハ2102
(2003)
クハ2601>
(2507)

その後

横浜市内で保存されている2113号車

車体や機器の老朽化、10000系電車導入による直接置き換えや、同8両編成導入により、8両編成だった7000系を10両編成に戻すことによって置き換えられる形で、2004年(平成16年)2月5日をもって運用を終了した。さよなら運転などは行われなかった。

なお、8000系導入頃に、5100系に続いてVVVF化改造や、初期車の二段窓の自動窓化改造[注 3]等も検討されたが、結局、新系列車両の導入に切り替えられて実現しなかった。

その後、同時期に廃車になった新6000系ともども無償譲渡先を公募し、2113号車の運転台部分カットボディが横浜市港北区の大乗寺に引き取られ保存された[7]。この他、2004年夏頃に2117号車が相鉄の関連会社のマンションのモデルルームの広告展示物として利用されたが、現在は所在不明となっている。なお、新6000系は引き取り先が見つからず、全車が解体された。

脚注

注釈

  1. ↑ 末期は出庫点検中に起動不能が判明し、急遽運転中止になったこともある。
  2. ↑ 「ドアーにご注意ください」のドアステッカーは2015年に現存編成が新たなもの(そうにゃんバージョン)に更新され、一部保留車に残るのみとなっている。
  3. ↑ 後年、二段窓車は経年の為か冬季はすきま風により暖房の効きが悪く、旅客に不評であった。

出典

  1. ↑ 別府忠,小橋正人,樋口正雄「空気バネ台車 -1自由度系空気バネ台車の現車試験」『日立論評』1959年10月、70-78頁。
  2. ↑ “デハ501、元相模鉄道モニ2022 解体”. 鉄道ホビダス. RMニュース. 2012年7月26日.
  3. ↑ 『鉄道ピクトリアル』1999年7月臨時増刊号(通巻672号)「私鉄車両めぐり(163) 相模鉄道」うちpp.165,178
  4. 1 2 3 4 5 『鉄道ピクトリアル』1999年7月臨時増刊号(通巻672号)「私鉄車両めぐり(163) 相模鉄道」うちpp.168-170
  5. ↑ 『私鉄の車両20 相模鉄道』
  6. 1 2 『鉄道ピクトリアル』1999年7月臨時増刊号(通巻672号)「相模鉄道 現有車両主要諸元表」うちpp.180 - 181
  7. ↑ “相鉄線の廃車車両「2100系」の運転台が港北区の大乗寺にあるって本当? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト”. はまれぽ.com. 2021年6月13日閲覧。

関連項目

他社の戦災国電復旧車