| 神大寺 | |
|---|---|
| 町丁 | |
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北部から南方を望む | |
北緯35度29分07秒 東経139度36分43秒 / 北緯35.485369度 東経139.611833度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 | 神奈川区 |
| 人口情報(2024年(令和6年)6月30日現在[1]) | |
| 人口 | 13,159 人 |
| 世帯数 | 7,113 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.936 km² | |
| 人口密度 | 14058.76 人/km² |
| 設置日 | 1927年(昭和2年)4月1日 |
| 郵便番号 | 221-0801[3] |
| 市外局番 | 045(横浜MA)[4] |
| ナンバープレート | 横浜 |
神大寺町 | |
|---|---|
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 区 | 神奈川区 |
| 町名制定 | 1927年(昭和2年)4月1日 |
| 町名廃止 | 1984年(昭和49年)7月23日 |
神大寺(かんだいじ)は、古くは「神大寺村」といい、神奈川県横浜市神奈川区の町名である。神大寺一丁目から神大寺四丁目まであり、住居表示実施済み[2]。横浜市において古くからある町名の一つである。郵便番号は221-0801[3]。1984年(昭和59年)7月23日に廃止された神大寺町(かんだいじちょう)[5]についてもこの項で述べる。
神奈川区の中央部、六角橋と片倉の間に位置し、住宅と農地が混在する。戦前は「神臺地」(神台地)、「神代寺」、「神太寺」とも書いた。
最寄駅は横浜市営地下鉄ブルーライン片倉町駅、三ツ沢上町駅、三ツ沢下町駅、東急東横線白楽駅、反町駅である。また横浜市営バスの35・50系統や36・82・326系統を利用し、横浜駅などへ出ることができる。
昭和30年代までは横浜の純農村地域で30戸ほどの農家が里山の根などに集散し、江戸時代から稲作や畑作が盛んに行われていた。しかし、水田の大半は「谷戸田」と呼ばれる湿田で稲作をするには条件が悪かったため、米麦の栽培は 「つみ田」と呼ばれる直播の方法で行われた。したがって、米の収量はそれほど多くなかった。大正期~昭和30年代にかけては、北・南・西の丘陵に広がる畑で黒葉大根が多く栽培され、特産であった。
現在の片倉~六角橋間の道(市道片倉六角橋線)は、菅田、羽沢方面から二ッ谷の市場に向かう野菜を積んだ牛車が見られるくらいで、自動車などはほとんど見られなかった。その道に沿うように、湧水と水田の絞れ水からなる「滝の川」が流れていた。現在の神大寺小学校や「コープかながわ 神大寺店」・「クリエイトSD 横浜神大寺店」のある平坦な土地には水田が一面に広がり、夏には蛙の鳴き声がうるさいほど響き、ホタルやノウサギなども見かけられた。

2006年現在も、町内には「農業振興地域」・「生産緑地地区」と線引きされた区域があり、都市農業が意欲的に行われている。
町の急速な住宅化は、終戦後、それまで市街地に居住していた人たちが移り住んで来たことに始まった。以後、横浜駅に近いことなどから、昭和40年代には町の南部に大型の団地が多く建てられた。これによって、街の景観は一変した。
隣の片倉・六角橋と同様、坂が非常に多い地域である。
六角橋とは地域的な繋がりが大きい。六角橋中学校(六角橋五丁目33番1号)のある街区が神大寺四丁目の区域に食い込んでいるが、これは1965年に六角橋における住居表示の実施によって、神大寺町字東谷20番地だった住所が、六角橋五丁目に編入されたためである。さらに神大寺から離れた、六角橋二丁目にある「神橋小学校」は、神大寺町と六角橋の間にあるので「神橋」と名付けられた。
地区内の商業施設は、「ユーコープ 神大寺店」「クリエイトSD 横浜神大寺店」「Big-A 横浜南神大寺団地店」「ローソンストア100 六角橋店」などがあるが、近隣には「六角橋商店街」、片倉町駅近傍の「ユーコープ 片倉店」、岸根公園駅近傍の「トップ フレッシュマーケット岸根店」、東神奈川駅西口の「イオン 東神奈川店」「マルエツ 東神奈川店」などがある。なお、「横浜松坂屋ストア(旧イリクストア) 片倉町店」は2011年8月21日をもって閉店した。
住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、神大寺3-21-7の地点で30万円/m²となっている[6]。
最も古い記録は「小田原記」に、「天文6年上杉朝定が北条氏綱を攻めんとした時に、片倉・神太寺に、要害を取り立て、出城(神大寺城)を置いた由」とある[7][8]。
『新編武蔵風土記稿』には「民家スベテ26軒。所々ニ散住ス。…当村ハ、平地ナレドモ少ク高低アリ。天水場ニシテ常ニ旱損ノ患アリ。」と記録されている[7]。
町名の由来は戦国時代に、小机城主の笠原越前守信為(かさはらえちぜんのかみのぶため)が亡父、笠原能登守信隆(-のとのかみのぶたか)の追善供養のため、龍が潜むという言い伝えのある「龍池」があったとされるこの地に、寺を建てたことに由来する。寺は二代目住職の天叟順孝(てんそうじゅんこう)の代に火災に遭ったため小机に移り、これが現在の「雲松院」となった。その後、当地に寺は無くなったが、その寺号が地名として残ったと言い伝えられている。[7]

神大寺のあった場所は現在も定かでなく、資料も発見されていないが、町の中央付近にある「塩嘗地蔵」(塩を供えるいぼ取り地蔵)のある辺りの畑から太平洋戦争中に「骨壷」と「六文銭」が地元農家によって発見された。戦時中の混乱の中でこの骨壷の行方が解らなくなったが、もし笠原氏のものであったとすれば、その辺りに存在したと推測できる。また、塩嘗地蔵は神大寺の門前にあたるという説もある。
近くに神奈川大学横浜キャンパスがあり、同大学が「神大(じんだい)」と略称されるため、また東京都調布市の「深大寺(じんだいじ)」からの類推により、土地に馴染みのない人から「じんだいじ」と誤読されることが多いが、関連は全くない。
笠原信為(-1557)は、戦国時代の武将で北条氏綱に仕えた人物。小机城代となり、神大寺(曹洞宗臥龍山雲松院)の開基となる。死後、菅田の道慶谷戸において荼毘(火葬)に付され、神大寺に葬られた。
古くから地元の旧家には五穀豊穣を願う行事、豊作を祝う各種行事が現在でも行われている。
2024年(令和6年)6月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 神大寺一丁目 | 1,729世帯 | 3,230人 |
| 神大寺二丁目 | 2,839世帯 | 4,789人 |
| 神大寺三丁目 | 1,366世帯 | 2,751人 |
| 神大寺四丁目 | 1,179世帯 | 2,389人 |
| 計 | 7,113世帯 | 13,159人 |
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[12] | 14,373 |
| 2000年(平成12年)[13] | 14,160 |
| 2005年(平成17年)[14] | 14,241 |
| 2010年(平成22年)[15] | 14,088 |
| 2015年(平成27年)[16] | 13,926 |
| 2020年(令和2年)[17] | 13,816 |
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[12] | 5,822 |
| 2000年(平成12年)[13] | 6,003 |
| 2005年(平成17年)[14] | 6,337 |
| 2010年(平成22年)[15] | 6,644 |
| 2015年(平成27年)[16] | 6,687 |
| 2020年(令和2年)[17] | 6,945 |
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[18]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 神大寺一丁目 | 1〜40番 | 横浜市立南神大寺小学校 | 横浜市立松本中学校 |
| 41〜42番 | 横浜市立神大寺小学校 | 横浜市立六角橋中学校 | |
| 神大寺二丁目 | 10番 12番1〜32号 13番〜14番23号 14番25号〜21番 23番7〜8号 24〜31番 32番1〜2号 34〜37番 41番 | ||
| 1〜9番 11番 12番33号 14番24号 22番 23番1〜6号 32番3号〜33番 38〜40番 | 横浜市立南神大寺小学校 | 横浜市立松本中学校 | |
| 神大寺三丁目 | 1〜25番 | 横浜市立中丸小学校 | 横浜市立六角橋中学校 |
| 26〜35番 | 横浜市立神大寺小学校 | ||
| 神大寺四丁目 | 全域 |
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[19]。
| 丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 神大寺一丁目 | 33事業所 | 199人 |
| 神大寺二丁目 | 69事業所 | 615人 |
| 神大寺三丁目 | 68事業所 | 843人 |
| 神大寺四丁目 | 48事業所 | 327人 |
| 計 | 218事業所 | 1,984人 |
経済センサスによる事業所数の推移。
| 年 | 事業者数 |
|---|---|
| 2016年(平成28年)[20] | 204 |
| 2021年(令和3年)[19] | 218 |
経済センサスによる従業員数の推移。
| 年 | 従業員数 |
|---|---|
| 2016年(平成28年)[20] | 1,708 |
| 2021年(令和3年)[19] | 1,984 |

いずれにも住宅化と人口増加の中で姿を消したものがあるが、かつての農村時代に付けられていた区画の字名や太田道灌と関わりの深い旧跡も多い。
谷あいの地域だったので、「谷戸」など地形を表すものが多い。
以下は住居表示実施直前まで存在した字である。
町内の警察の管轄区域は以下の通りである[23]。
| 丁目 | 番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
|---|---|---|---|
| 神大寺一丁目 | 全域 | 神奈川警察署 | 神大寺交番 |
| 神大寺二丁目 | 全域 | ||
| 神大寺三丁目 | 全域 | ||
| 神大寺四丁目 | 全域 |
| 港北区岸根町 | ||||
| 片倉 | 六角橋 | |||
| 三ツ沢上町 三ツ沢中町 三ツ沢下町 | 栗田谷 |
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