| 仏教用語 阿修羅 | |
|---|---|
| パーリ語 | Asura |
| サンスクリット語 | असुर |
| チベット語 |
ལྷ་མ་ཡིན་ (lha.ma.yin) |
| ベンガル語 | অসুর |
| ビルマ語 | အသုရာနတ် |
| 中国語 |
阿修羅 (拼音: Āxiūluó) |
| 日本語 |
阿修羅 (ローマ字: ashura) |
| 朝鮮語 |
아수라 (RR: asura) |
| クメール語 |
អសុរ (UNGEGN: Asorak) |
| タミル語 | அசுரன் |
| タイ語 | อสูร |
| ベトナム語 | A Tu La |


阿修羅(あしゅら、あすら、梵, 巴: asura)は、八部衆または二十八部衆(中国では二十八天)に属する、仏教の守護神[1][2]。略して修羅(しゅら)ともいう[2][3]。六道の1つである修羅道の主[2]。五道には含まれないが、趣(gati)の一つとするときは「阿修羅道」である。ご利益は武勇を得る事と仏法守護である(「阿修羅窟」の項を参照の事)。
「阿修羅」は梵: asura(アスラ)の音写であり、阿須羅、阿素羅、阿素洛、阿須倫、阿須論[2]、阿蘇羅[3] などとも書く。漢訳は非天、不端正[2]。
阿修羅は、古代インドのアスラが仏教に取り入れられたものである[3]。仏教以前においては位置付けに変遷があり(後述)、仏教内でも位置付けに諸説がある(後述)。阿修羅の住む世界を阿修羅道(修羅道)といい、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界である六道のうちの一つである[4][5](#阿修羅道(修羅道)を参照)。
阿修羅に関する逸話は、仏教の諸経の中に多くあり、帝釈天と戦うことがよく記されている[2]。そこから、修羅場、修羅の巷、修羅の戦などの熟語ができた[2]。
一般的には、サンスクリットのアスラ(asura)は歴史言語学的に正確にアヴェスター語のアフラ(ahura)に対応し、おそらくインド-イラン時代にまでさかのぼる古い神格であると考えられている[6]。
古代インドでは生命生気の善神であった[3]。名称も、本来サンスクリットの asu(息、命)に由来するが、悪者とみなされるようになってからは、「a」が否定の接頭語と解釈され、非天、非類などと訳された[3]。帝釈天とよく戦闘した神である[3][注釈 1]。
仏教に取り込まれた際には仏法の守護者として八部衆に入れられた[1]。
六道のうちの天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)といい、畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)というが、三悪趣に修羅道を加えて四悪趣(四悪道、四趣)とする場合もある[4][7][8]。法華経では阿修羅は悪として書かれることは圧倒的に少なく基本的には三善道の1つもしくは八部衆の1つとして描かれており善趣の存在である[9]。また、五道を立てる際には阿修羅は独立させず、他の道に属させる[2]。
阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されているが、阿修羅はもともと天界の神であった。阿修羅が天界から追われて修羅界を形成したのには次のような逸話がある。
阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる。
阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。また阿修羅には舎脂という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていた。しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。
帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへ蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めた。それを見た阿修羅は驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。
一説では、この話が天部で広まって阿修羅が追われることになったといわれる。また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。
六道のひとつ。妄執によって苦しむ争いの世界。果報が優れていながら悪業も負うものが死後に阿修羅に生る。
人間道の下とされ、天道・人間道と合わせて三善趣(三善道)、あるいは畜生道・餓鬼道・地獄道の三悪趣と合わせて四悪趣に分類される。五趣に修羅道はなく、天道に含まれていた。また「増一阿含経」と「正法念処経」では、神通力を持つ魔羅身餓鬼の阿修羅と、海底地下84000由旬を住処とする畜生道の阿修羅が居るとしている。
「起世経」によれば、阿修羅たちは身長や寿命、三十三天の住人と特徴を同じくする。身長は1由旬で、寿命は一昼夜が人間の100年で1000歳。形色、楽、寿命の3点において人間に勝る。「正法念処経」では寿命は5000歳。
「正法念処経」によれば、衣食は望むままに現れ、天界と変わらぬ上等なものが得られる。「大智度論」によれば人間道に勝る食事ではあるが、竜王の食事が最後の一口がカエルに変わるように、修羅の食事も食べ終わるとき口の中に泥が広がるため、人間道に勝るものではない。
阿修羅王の名前や住処、業因などは経論によって差異がある。パーリ語では、阿修羅王に Rāhu、Vepacitti、Sambara、Pahārāda、Verocana、Bali の5つの名が見られる。ただし大乗仏典では、一般的に阿修羅王は4人の王とされることが多い。 『法華経』序品には、4人の王の名を挙げ、各百千の眷属を有しているとある。
また『十地経』や『正法念処経』巻18〜21には、これら4人の住処・業因・寿命などを説明しており、其の住処は妙高山(須弥山)の北側の海底地下8万4千由旬の間に4層地に分けて住していると説く。以下説明は主に正法念処経による。
その他『起世経』では、須弥山の東西の面を去ること1000由旬の外に毘摩質多羅王の宮があり、縦横8万由旬であるといい、また修羅の中に極めて弱き者は人間山地の中に在りて住す、すなわち今、西方の山中に大きくて深い窟があり、多く非天=阿修羅の宮があるという。
法華経妙法蓮華経序品第一によると4大阿修羅王は霊鷲山へ赴き釈迦の説法を聞いて仏に帰依したと言われている[10]。法隆寺の阿修羅像は、仏教へ帰依したのちに釈尊の涅槃の時に駆け付けたときの姿の像である[11]。

三十三応現身としての阿修羅は観音菩薩が阿修羅の姿をとって衆を救う姿のことを指す。
阿修羅の琴を阿修羅琴(あしゅらきん)という[2]。阿修羅琴は阿修羅の福徳によって、聴こうと思えば誰も琴を弾かないのに自然に音が出るという[2]。ただし、阿修羅像はなぜか阿修羅琴を持っていない[12][注釈 2]。またこの故事をもって「本願力」のたとえにもなった。また『うつほ物語』にも登場する。
修羅車または道具としての「修羅」とは、大石を動かすための橇(そり)のことである。「帝釈(
林業道具としての修羅は滑り台のことである。現在は使われていない。
軍扇のこと。または修羅能で使われる扇のこと。
阿修羅窟、または修羅窟とは修行の場の事を指す。 石井 正稔(大正大学)は「『大正蔵』21No.1224p216a」の「毘沙門天の出現、毘沙門天の功徳徳利」の部分このように説明している。なお現代語訳の方を抜粋する。
その時毘沙門天王が、(持誦者が)この真言を誦持[注釈 3]し如来を供養していることを観して、行者を哀れみ、(行者のために)その身を童子あるいは居士[注釈 4]の姿となって現れる。右手には如意宝を左手には金篋[注釈 5]を持ち、穏やかな顔つきで像前に現れ、仏像を礼拝し行者に告げて申される。「そなたは今、どのような願いを求めるのか、阿修羅の窟に入る(力を得る)ためか、地中に埋まっている宝を求めるためか、姿を隠すことか、王を思いのままにすることを求めるためか、黄色の顔料、目薬(塗り薬)を完成させることか、真言の受持を達成することか、無限の命か、これらの願いをすべてかなえてあげましょう。」持誦者は「毘沙門天に願いが叶うのであればすべての願いをかなえてもらいたいです。金銀が尽きることなく、名を讃えられて福徳となり、寿命は尽きることなく、大空を飛べるようになり、多種類に変化出来るようになり、すべてが自由自在になりたいです。」と述べる。毘沙門天は「そなたの願いをかなえましょう。」と述べる。その時毘沙門天王は重ねて意味(行者のそれらの意義)を明かそうと、偈[注釈 6]を説いて申された。 — 石井 正稔、 「不空訳『毘沙門天王経』について」『佛教文化学会紀要』(25) L87-L105 2016年 pp.95-96
とこのように阿修羅窟に入って力を得ることは不老不死と同等の扱いとなっている。
奥入瀬にある観光名所のこと。
阿修羅の姿は、基本的には三面六臂(三つの顔に六つの腕)で造形または描かれることが多いが[3]、三面四臂(三つの顔に四つの腕)[注釈 7]や三面二臂(三つの顔に二つの腕)の阿修羅像も存在する[注釈 8]。阿修羅像は奈良県・興福寺の八部衆像・阿修羅像(国宝)や[3]などがある。
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