竹腰正辰

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竹腰 正辰(たけのこし まさたつ、寛永20年10月16日(1643年11月27日) - 宝永6年6月19日(1709年7月25日)[1])は、江戸時代前期の人物。尾張藩士。

美濃国今尾藩の初代当主(幕藩体制下では藩主として認められていない)竹腰正信の三男。正室は樋口信康の娘の立。長男に竹腰正映。徳川義直の甥。官位は阿波守、美濃守、信濃守。隠居後は帯刀と称した。

生涯

正保2年(1645年)、父の没後、次兄の正晴が跡を継ぎ、6000石を分与された。

寛文4年(1664年)、尾張藩主の徳川光友より采地を賜り、老職を務めた。

宝永3年(1706年)、隠居し、宝永6年(1709年)10月16日に67歳で死去。戒名は正辰院殿然誉恵廓居士[1]。

長男の正映は、宝永3年4月19日に先代の友正が死去すると、同年5月25日に家督を継ぎ、宗家4代目となった。

脚注

  1. 1 2 『平田町史 下巻』臨川書店、1987年、p.1096。