竹腰正映

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竹腰 正映(たけのこし まさてる、元禄2年10月16日(1689年11月27日)[1] - 宝永6年1月18日(1709年2月27日))は、尾張藩の附家老、美濃国今尾藩の第4代当主。初代当主・竹腰正信の三男竹腰正辰の長男。官位は従五位下、山城守。

生涯

正辰は別家を立てていたが、元禄11年(1698年)に正映を本家友正の養子に出した(代わりに正辰家は石河正武を養子に迎えた)。

宝永3年(1706年)4月19日に附家老竹腰家の先代で従兄の友正が死去したため、同年5月25日に正映が3万石の家督を継いだ。9月には将軍の徳川綱吉に初御目見得となり、12月には従五位下山城守に叙任した[2]。

宝永6年(1709年)1月18日、21歳で死去した。跡を養子の正武が継いだ[1]。

墓所は東京都港区虎ノ門の天徳寺。戒名は正映院殿誉徹巌居士[1]。

系譜

父母

養子

脚注

  1. 1 2 3 『平田町史 下巻』臨川書店、1987年、p.1097。
  2. ↑ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X