舛田利雄
目次
舛田利雄
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| ますだ としお 舛田 利雄 | |||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1927年10月5日 | ||||||||||||||
| 没年月日 | 2026年8月26日(98歳没) | ||||||||||||||
| 出生地 |
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| 職業 | 映画監督・脚本家 | ||||||||||||||
| ジャンル | 映画 | ||||||||||||||
| 活動期間 | 1957年 - 2026年 | ||||||||||||||
| 活動内容 | |||||||||||||||
| 配偶者 | あり | ||||||||||||||
| 著名な家族 | |||||||||||||||
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舛田 利雄(ますだ としお、1927年〈昭和2年〉10月5日[1][2] - 2026年〈令和8年〉8月26日[3])は、日本の映画監督、脚本家である。兵庫県神戸市出身[1]。
経歴
[編集]多感な青年期 - 映画界へ
[編集]1944年に兵庫県立第一神戸中学校(現:県立神戸高校)4年修了で、新居浜工業専門学校(現:愛媛大学工学部)に進学するも[1]、1945年7月に同学校が行う軍事教練を嫌って反発し退学処分になる[1][4]。その1ヶ月後に終戦を迎え、大阪外国語大学ロシア語学科(現:大阪大学外国語学部)へ入り直す[5]。当時の舛田は、威張りまくる軍人が大嫌いだったという[6]。
在学中はあまり授業には出ず、アルバイトと映画館通いに時間を費やしたが、1949年に卒業資格を得ることができ、卒業式を待たずに就職のために知人を頼って上京した[4][5]。
会社員勤めは難しいとあきらめ、新聞社の試験を受けたり、中学の代用教師を夏休み中の短期間形式的に務めたりしたが、在学中に名作フランス映画の再上映を観て感動し映画に関心を持ったこともあり、友人の知人のつてを頼り、映画監督を目指して同1949年に新東宝シナリオ塾の研究生の試験に合格し、入塾して学びながらシナリオを書いた[7][4]。その翌年1950年8月に新東宝助監督部に入社し、中川信夫、井上梅次といった監督の下で助監督として働きながら、脚本・シナリオでも協力した[4][1]。
新東宝・日活・助監督時代
[編集]1954年、舛田は新東宝に入社した時、井上梅次について助監督時代を過ごした。その後、同時期に製作活動を再開した日活に移籍[1]。助監督として井上、市川崑、久松静児らに師事する[1]。
1957年、石原裕次郎主演、井上梅次監督の『鷲と鷹』で助監督を務めたのち監督に昇進。翌年1958年に公開した『心と肉体の旅』で監督デビューを飾る[1]。脚本も兼任。監督昇進時、舛田はまだ29歳であり当時の映画界としては異例のスピードであった。
以後、『赤い波止場』、『今日に生きる』など充実した娯楽作を撮り続け、『錆びたナイフ』をはじめとする石原裕次郎主演作品を最も多く(計25作品)演出した監督として日活を支え、日活アクション映画全盛期に数々の作品のメガホンを執り「日活の舛田天皇」とも言われた[8]。
助監督時代には井上梅次の邸宅に1年弱程、下宿していたこともある。井上の邸宅で下宿しながら、何本か映画のシナリオの「下書き」を書く。舛田の映画の脚本は、井上のシナリオの下書きをして身についたものが、後に役に立った。舛田は4歳年上の井上のことを「梅さん」と呼ぶ。[9]
日本映画界のヒットメーカー
[編集]1970年、黒澤明が諸事情で降板した20世紀フォックス制作の日米合作による戦争大作映画『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を深作欣二と共同で務める[1]。当時、ハリウッドから降板した黒澤に代わる日本側監督のオファーを日本映画界の名だたる名匠、巨匠らが断るなか舛田自身にもオファーがあり一度は断っていたが、再び舛田のもとにオファーがあり「面白そうだから」という理由で日本側監督を引き受け話題となる。[10]
以降は、東宝で池田大作原作の映画『人間革命』と『続・人間革命』(脚本家・橋本忍の推薦で参加している)、五島勉原作のパニック特撮『ノストラダムスの大予言』[11]、80年代に入ると東映で『二百三高地』、『大日本帝国』、『日本海大海戦 海ゆかば』の戦争3部作を手がけ[12]、続いて東宝でも戦争映画『零戦燃ゆ』を監督するなど[13]、大作映画を任される機会が増えていく。
1991年には、『動天』、『江戸城大乱』、『必殺』とたて続けに時代劇の大作映画を手がけ、第33回牧野省三賞を受賞[14][15]、1993年秋には紫綬褒章、1999年には勲四等旭日小綬章を受章した[5][16]。
さまざまなジャンルの作品でも常に安定した作風にまとめ上げる確かな演出の腕を買われ、さらに手がけた作品がどれも興行的にも成功したため日本映画界において実力派の映画監督として娯楽作品をコンスタントに手がけ、「万能監督」や「職人監督」とも呼ばれる[5]。
1970年に『花と竜』をテレビドラマ用にリメイクしたのを皮切りにテレビにも進出し[17]、『大都会』などの石原プロ作品をはじめとしたテレビ映画の演出も数多く手掛けた。また、筒井康隆作品の初映画化である『俺の血は他人の血』以後、小松左京の日本SF大賞受賞作『首都消失』の映画化など、SFや特撮映画の演出も多い。
死去
[編集]劇場アニメの監督・監修
[編集]1970年代には既にジャンルを問わず数々の劇場大作映画の仕事を手掛け断固たる立場を築いていた舛田であるが、1974年から放送が開始されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』に監修としてクレジットされている[19]。
本作の企画段階当時、企画・原案・プロデューサーを務めていた西崎義展が従来のアニメーション作品とは一線を画す高年齢層の鑑賞にも耐えうる劇場映画並のリアリティある作品作りを目指し、そういった製作体制の影響と当時の業界においては、アニメーション作品が格下と見られる時代であったため、市場への売り込みを考慮したセールスアップという双方の目的から劇場映画監督である舛田を制作に誘ったことがきっかけである。
こうして『宇宙戦艦ヤマト』のテレビシリーズへの参加を快諾した舛田は西崎から監督とストーリーの監修を依頼されたが、撮影が早まった映画『ノストラダムスの大予言』の撮影のため、企画会議に3度出席しただけで実際にはテレビシリーズには最終的には直接タッチはせず、西崎の抽象的アイディアを具体化するための助言をする程度だった[19]。
西崎プロデューサーら制作スタッフの熱意とは裏腹に1974年より放送されたテレビシリーズは商業的に失敗に終わったが、放送終了後に日本国外輸出向けにテレビシリーズを再編集し劇場版として公開する話が持ち上がる。西崎は当初これを最後にアニメから手を引き、ファン向けに1週間だけ限定で劇場公開するつもりだったという。
この劇場版の制作にあたり再び舛田に協力を仰ぎ1975年5月、劇場向けの再編集を開始[19]。当初は5時間の長尺だったが、舛田の監督の下、ヤマトの艦長・沖田十三の物語に焦点を当てる方針で必要最低限の部分を除きそれ以外は丸ごと削除するなどして約2時間を短縮して完成。こうして1977年に公開された劇場版『宇宙戦艦ヤマト』は3時間と長尺ながら、周囲の予想を裏切りアニメーション映画の常識を破る大ヒットを記録する。
翌年1978年には完全新作として『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開され、前作を上回る大ヒットとなって「ヤマトブーム」と呼ばれる社会現象が巻き起こる。この作品で舛田は脚本・監督として積極的に制作に参加したため、舛田の意見が随所に反映されており、特にクライマックスの展開は最初は西崎のアイディアであったが、結果的に舛田の日活時代の監督作である『零戦黒雲一家』(1962年)に酷似したものとなった。また、本作に登場する空間騎兵隊の斉藤始は舛田が発案したオリジナルキャラクターである。[20]
その後、1980年には自身が手掛けた戦争大作『二百三高地』と同年同日に公開された「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の劇場版第3作『ヤマトよ永遠に』でも脚本と監督を手掛け、両作品とも大ヒット。実写大作映画とアニメーション大作映画というジャンルの枠を超えた作品を同時に手掛け共にヒットに導くという前例のない偉業を成し遂げ、「明治から未来まで撮る男」として話題となる[21]。
1983年公開の『宇宙戦艦ヤマト 完結編』と2009年公開の『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』では監督から「総監修」という立場に回り(『完結編』では従来通り脚本も手掛けている)、「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」を陰で支え続けた[22][出典無効]。
『宇宙戦艦ヤマト』以降もアニメーション映画に参加し、1979年公開の劇場版『海のトリトン』では監修を、1982年公開のSF戦争アニメーション映画『FUTURE WAR 198X年』で勝間田具治と共に監督。1985年公開のSFアニメーション映画『オーディーン 光子帆船スターライト』を総監督。1992年から1994年にかけて制作された「劇場版 三国志シリーズ」を監修し、1995年から発売されたOVA『YAMATO2520』でも監修を手掛けた。
湯布院映画祭
[編集]2008年、第33回湯布院映画祭にて「何だって面白くしてやる! 特集:舛田利雄のあくなき仕事」として『赤い波止場』『完全な遊戯』『二百三高地』など10本の監督作品が8月28日から8月30日の3日間で、特集上映される[23][24]。本人出席のシンポジウムも開催され元気な姿を見せた。
人物
[編集]神戸一中の4年次には柔道部キャプテンを務め[25]、駆け出しの助監督時代には柔道有段者の威圧で押し通したという[26]。 舛田が手掛けた作品への出演が多い俳優の丹波哲郎は自身の著書[要文献特定詳細情報]で「舛田はとにかく喧嘩が強い」と書いており、いつも出演するのが楽しみな監督の一人として挙げていた。
助監督時代作品
[編集]| 公開年 | 作品名 | 制作(配給) | 脚本 | 監督 | 上映時間ほか | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1955年 | 6月14日 | 春の夜の出来事 | 日活撮影所 (日活) |
西河克己 | ||
| 8月31日 | こころ | 市川崑 |
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| 1956年 | 1月21日 | ビルマの竪琴 第一部 | 和田夏十 |
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| 2月12日 | ビルマの竪琴 第二部・帰郷篇 |
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| 4月4日 | 東京の人 前篇 | 西河克己 |
| |||
| 東京の人 後篇 |
| |||||
| 6月14日 | 火の鳥 |
|
井上梅次 |
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| 9月11日 | ニコヨン物語 | 井上梅次 |
| |||
| 1957年 | 1月3日 | お転婆三人姉妹 踊る太陽 | 井上梅次 |
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| 2月24日 | 危険な関係 |
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| 5月1日 | 勝利者 |
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| 9月29日 | 鷲と鷹 | 日活 | 井上梅次 | |||
監督・監修作品
[編集]映画
[編集]1950年代
[編集]| 公開年月日 | 作品名 | 制作(配給) | 脚本 | 上映時間ほか | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1958年 | 1月9日 | 心と肉体の旅 | 日活撮影所 (日活) |
舛田利雄 | |
| 2月12日 | 夜霧の第二国道 |
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| 5月31日 | 錆びたナイフ |
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| 4月29日 | 羽田発7時50分 | 山崎巌 |
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| 9月23日 | 赤い波止場 |
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| 11月12日 | 完全な遊戯 | 白坂依志夫 |
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| 1959年 | 1月28日 | 女を忘れろ |
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| 3月10日 | 今日に生きる |
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| 4月28日 | 男が爆発する |
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| 11月1日 | 天と地を駈ける男 |
| |||
| 12月27日 | 「黒い落葉」より 青春を吹き鳴らせ | 中西隆三 | カラー
| ||
1960年代
[編集]| 公開年月日 | 作品名 | 制作(配給) | 脚本 | 上映時間ほか | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1960年 | 1月31日 | やくざの詩 | 日活 | 山田信夫 |
|
| 4月29日 | 青年の樹 |
| |||
| 8月10日 | 喧嘩太郎 | 松浦健郎 |
| ||
| 12月27日 | 闘牛に賭ける男 |
|
| ||
| 1961年 | 3月26日 | 生きていた野良犬 | 舛田利雄 |
| |
| 4月23日 | 用心棒稼業 |
|
| ||
| 7月15日 | 太陽、海を染めるとき | 山田信夫 |
| ||
| 7月15日 | 太陽は狂ってる |
| |||
| 10月24日 | 暗黒街の静かな男 |
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| ||
| 1962年 | 1月14日 | 男と男の生きる街 |
|
| |
| 3月4日 | 上を向いて歩こう | 山田信夫 |
| ||
| 8月12日 | 零戦黒雲一家 | 星川清司 |
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| 11月3日 | ひとりぼっちの二人だが |
|
| ||
| 12月26日 | 花と竜 | 井手雅人 |
| ||
| 1963年 | 4月28日 | 太陽への脱出 |
|
| |
| 10月4日 | 狼の王子 |
| |||
| 1964年 | 1月3日 | 赤いハンカチ |
|
| |
| 2月23日 | 人生劇場 | 棚田吾郎 |
| ||
| 5月13日 | 河内ぞろ どけち虫 | 笠原良三 |
| ||
| 9月19日 | 殺人者を消せ | 池田一朗 |
| ||
| 12月6日 | 河内ぞろ 喧嘩軍鶏 | 甲斐久尊 |
| ||
| 1965年 | 3月6日 | 城取り |
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| |
| 7月14日 | 青春とはなんだ |
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| ||
| 12月29日 | 赤い谷間の決斗 |
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| ||
| 1966年 | 4月10日 | 日本仁侠伝 血祭り喧嘩状 | 松浦健郎 |
| |
| 7月9日 | 夜のバラを消せ |
| |||
| 10月8日 | 栄光への挑戦 |
|
| ||
| 12月10日 | 嵐を呼ぶ男 | 池上金男 |
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| 1967年 | 2月25日 | 星よ嘆くな 勝利の男 |
|
| |
| 6月3日 | 嵐来たり去る |
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| ||
| 9月6日 | 対決 | 池上金男 |
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| 10月7日 | 紅の流れ星 |
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| ||
| 11月18日 | 血斗 |
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| 1968年 | 1月13日 | 無頼より 大幹部 |
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| |
| 5月29日 | わが命の唄 艶歌 | 池上金男 |
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| 6月22日 | 昭和のいのち |
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| 9月21日 | あゝひめゆりの塔 |
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| 1969年 | 1月22日 | 地獄の破門状 | 星川清司 |
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| 8月23日 | 大幹部 殴り込み | 棚田吾郎 |
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| 12月31日 | 嵐の勇者たち | 永原秀一 |
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1970年代
[編集]| 公開年月日 | 作品名 | 制作(配給) | 脚本 | 上映時間ほか | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1970年 | 9月25日 | トラ・トラ・トラ! |
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リチャード・フライシャー、深作欣二らと共同監督 | ||
| 1971年 | 5月22日 | 暁の挑戦 |
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| 8月12日 | スパルタ教育くたばれ親父 | 日活 |
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| 9月15日 | さらば掟 | 松竹 | 鴨井達比古 |
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原案・出演 | |
| 1972年 | 2月23日 | 追いつめる | 野上龍雄 |
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| 4月15日 | 剣と花 | 池上金男 |
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| 6月10日 | 影狩り |
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| 10月10日 | 影狩り ほえろ大砲 |
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| 1973年 | 10月6日 | 人間革命 | 橋本忍 |
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| 1974年 | 8月3日 | ノストラダムスの大予言[2] |
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受話器の声として出演 |
| 10月12日 | 俺の血は他人の血 | 松竹 | 舛田利雄 |
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| 1976年 | 6月19日 | 続・人間革命 |
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橋本忍 |
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| 1977年 | 8月6日 | 宇宙戦艦ヤマト |
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| 1978年 | 8月5日 | さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち |
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松本零士と共同監督 |
| 11月3日 | テイクオフ | 日本ヘラルド映画 | 100分 | 総監督 | ||
| 1979年 | 7月1日 | 海のトリトン | 東映 | 松岡清治(構成) |
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監修 |
1980年代
[編集]| 公開年月日 | 作品名 | 制作(配給) | 脚本 | 上映時間ほか | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1980年 | 8月2日 | ヤマトよ永遠に |
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|
|
松本零士と共同監督 |
| 二百三高地 |
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笠原和夫 |
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| 1981年 | 3月14日 | 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち |
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山本英明 |
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監修 |
| 1982年 | 8月7日 | 大日本帝国 |
|
笠原和夫 |
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|
| ハイティーン・ブギ | 東宝映画 (東宝) |
永原秀一 舛田利雄 |
カラー ビスタビジョン 130分 |
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| 10月30日 | FUTURE WAR 198X年 | 東映 | 高田宏治 |
|
勝間田具治と共同監督 | |
| 1983年 | 3月19日 | 宇宙戦艦ヤマト 完結編 (35mm版) |
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総監修 | |
| 6月4日 | 日本海大海戦 海ゆかば | 東映 | 笠原和夫 |
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| 11月5日 | 宇宙戦艦ヤマト 完結編 (70mm版) |
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総監修 | |
| 12月24日 | エル・オー・ヴィ・愛・N・G |
|
高田宏治 |
|
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| 1984年 | 8月11日 | 零戦燃ゆ |
|
笠原和夫 |
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零戦の飛行テストを見守る海軍将校役で出演 |
| 1985年 | 1月25日 | 愛・旅立ち | 東宝 |
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| 8月10日 | オーディーン 光子帆船スターライト |
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総監督 | |
| 1986年 | 11月11日 | 侠女十三妹 |
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日本・中国合作映画、監修 |
| 5月24日 | 片翼だけの天使 | 田村孟 |
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| 1987年 | 1月17日 | 首都消失 |
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| 9月12日 | この愛の物語 | つかこうへい |
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| 1989年 | 6月10日 | 社葬 |
|
松田寛夫 |
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1990年代以降
[編集]| 公開年月日 | 作品名 | 制作(配給) | 脚本 | 上映時間ほか | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1991年 | 1月26日 | 動天 |
|
|
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| 12月14日 | 江戸城大乱 |
|
高田宏治 |
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| 12月23日 | 必殺!5 黄金の血 | 吉田剛 |
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| 1992年 | 10月3日 | 天国の大罪 |
|
松田寛夫 |
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| 1月25日 | 三国志 第一部 英雄たちの夜明け |
|
笠原和夫 |
|
監修 | |
| 1993年 | 3月20日 | 三国志 第二部 長江燃ゆ! |
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| 1994年 | 4月9日 | 三国志 完結編 遥かなる大地 |
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| 2009年 | 12月12日 | 宇宙戦艦ヤマト 復活篇 | 「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」製作委員会 (東宝) |
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総監修 | |
| 2012年 | 1月28日 | 宇宙戦艦ヤマト 復活篇 ディレクターズカット版 | 「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」製作委員会 (クロックワークス) |
| ||
テレビドラマ
[編集]- 水滸伝(NTV)
- 子連れ狼(NTV)
- 暗黒流砂 [27](MBS)
- 大都会 闘いの日々(NTV)
- 大都会 PARTII(NTV)
- 土曜ワイド劇場(ANB)
- 大空港(CX)
- 大激闘マッドポリス'80(NTV)
- 二百三高地 愛は死にますか(TBS) - 監督・監修(監修は舛田が演出をしていない第3・4・5・6話のみ)
- ただいま絶好調!(ANB)
- 源義経 (TBS)
- 名奉行 遠山の金さん(ANB)
- 戦国最後の勝利者!徳川家康(ANB) - 西垣吉春と共同演出。また、舛田本人も武田信玄役で一部出演。
- 新春大型時代劇スペシャル 大忠臣蔵(TBS)
- 御家人斬九郎(CX)
- 刑事追う!(TX)
- 京都埋蔵金殺人事件 [30](TBS)
テレビアニメ
[編集]- 宇宙戦艦ヤマト(YTV)- 監修
- 宇宙戦艦ヤマト2(YTV)- 原案
- 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち(CX)- 監修
テレビドキュメンタリー
[編集]- 木曜スペシャル ペンタゴン 米ソ軍事戦略の全貌(NTV) - 構成・演出
教育ビデオ
[編集]- 実録、管理職。Do your best(1991年、社員教育研究所) - 監修
ビデオアニメ
[編集]- YAMATO2520(1995年) - 監修
コマーシャルフィルム
[編集]脚本
[編集]本節では舛田が監督等を兼任していないもののみを挙げる。
| 公開年月日 | 作品名 | 制作(配給) | 脚本 | 監督 | 上映時間ほか | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1955年 | 8月9日 | 三つの顔 | 日活 |
|
井上梅次 |
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| 1956年 | 1月8日 | 悪の報酬 |
|
野口博志 |
| |
| 12月19日 | 月蝕 |
|
井上梅次 |
| ||
| 1975年 | 7月12日 | 東京湾炎上 |
|
|
石田勝心 |
|
脚注
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 東宝特撮映画全史 1983, p. 540, 「特撮映画スタッフ名鑑」
- 1 2 野村宏平、冬門稔弐「10月5日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、287頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- 1 2 3 「舛田利雄さん死去 98歳 石原裕次郎作品を監督 「錆びたナイフ」「赤いハンカチ」など」『産経ニュース』産業経済新聞社、2026年9月24日。2026年9月24日閲覧。
- 1 2 3 4 猪俣勝人、田山力哉『日本映画作家全史』 下、社会思想社、1978年6月、195-197頁。
- 1 2 3 4 内閣府(編)「現場でスタッフと一緒にいるのが何より楽しい 映画監督 舛田 利雄氏」『時の動き』第38巻第6号、国立印刷局、1994年3月、74-77頁。
- ↑ 舛田 2007, pp. 24–27.
- ↑ 舛田 2007, pp. 29–31.
- ↑ 瀬戸本 淳. “連載 神戸秘話 ⑪ シネマのために生まれた男 映画監督・舛田利雄”. Kobecco. 2026年8月22日閲覧。
- ↑ 舛田 2007, pp. 35–38.
- ↑ 舛田 2007, pp. 242–248.
- ↑ 東宝特撮映画全史 1983, pp. 386–389, 549.
- ↑ 東映 1992, p. 300-301.
- ↑ 「特集・「零戦燃ゆ」 舛田監督を中心にスタッフ座談会」『映画撮影』第85号、日本映画撮影監督協会、1984年7月、20-26頁。
- ↑ “牧野省三賞”. 京都映画賞. 2026年8月22日閲覧。
- ↑ 東映 1992, p. 360.
- ↑ 舛田 2007, p. 22.
- ↑ 舛田 2007, p. 230.
- ↑ “映画監督の舛田利雄さん死去、98歳…「錆びたナイフ」など石原裕次郎主演の日活映画を手がける”. 読売新聞 (2026年9月24日). 2026年9月24日閲覧。
- 1 2 3 舛田 2007, pp. 289–292.
- ↑ 舛田 2007, pp. 293–295.
- ↑
- 「1980年代」『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年6月5日、272頁。ISBN 4-7669-2706-0。
- 「1980年代」『日本特撮・幻想映画全集』朝日ソノラマ、2005年12月30日、280頁。ISBN 4-257-03720-2。
- ↑ 『いま語るべき宇宙戦艦ヤマト』 牧村康正、山田哲久著 講談社刊 2014年9月9日発行
- ↑ “第33回 湯布院映画祭”. 湯布院映画祭. 2016年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月12日閲覧。
- ↑ “第33回湯布院映画祭の記録”. 湯布院映画祭. 湯布院映画祭実行委員会. 2026年8月22日閲覧。
- ↑ 兵庫県立第一神戸中学校四十八回同窓会記念誌編集委員会 編『上野が丘青春 : 神戸一中48回生の想い出』兵庫県立第一神戸中学校四十八回同窓会記念誌編集委員会、1992年10月、110頁。
- ↑ 舛田利雄 著「映画と柔道」、神戸一中柔道部史編集委員会 編『常盤に青き六甲の : 神戸一中柔道部史』神戸一中柔道部史編集委員会、1990年7月、63頁。
- ↑ 暗黒流砂 - allcinema
- ↑ 新幹線殺人事件 - テレビドラマデータベース
- ↑ 夜の大捜査網脱出 - テレビドラマデータベース
- ↑ 京都埋蔵金殺人事件 - テレビドラマデータベース
- ↑ 『醸造年鑑』 昭和51年度版、週刊醸造新聞社、1977年3月、96頁。「CM初演出」
参考文献
[編集]- M.TAKEHARA『いま語るべき宇宙戦艦ヤマト-ロマン宇宙戦記40年の軌跡-』竹書房、2014年12月4日。ISBN 978-4801900752。
- 牧村康正、山田哲久『宇宙戦艦ヤマトをつくった男 西崎義展の狂気』講談社、2015年9月9日。ISBN 978-4062196741。
- 舛田利雄 著、佐藤利明、高護 編『Hotwax ~日本の映画とロックと歌謡曲~ 責任編集 映画監督 舛田利雄 〜アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて〜』株式会社ウルトラ・ヴァイヴ、2007年10月25日。ISBN 978-4-401-75117-4。
- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 東映株式会社『クロニクル東映 : 1947-1991』東映、1992年10月。
外部リンク
[編集]- 舛田利雄 - allcinema
- 舛田利雄 - KINENOTE
- 舛田利雄 東宝WEBSITE - ウェイバックマシン(2021年7月30日アーカイブ分)
- 舛田利雄 - MOVIE WALKER PRESS
- 舛田利雄 - テレビドラマデータベース
- 舛田利雄 - 日本映画データベース
- Toshio Masuda - IMDb
- 舛田利雄 - 日本映画製作者連盟
- 舛田利雄 - 日本映画監督協会
- 映画監督 舛田利雄〜アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて〜 - ウェイバックマシン(2007年12月12日アーカイブ分)