葛原岡神社

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葛原岡神社
所在地 神奈川県鎌倉市梶原5-9-1
位置 北緯35度19分45秒 東経139度32分33秒 / 北緯35.32917度 東経139.54250度 / 35.32917; 139.54250 (葛原岡神社)座標: 北緯35度19分45秒 東経139度32分33秒 / 北緯35.32917度 東経139.54250度 / 35.32917; 139.54250 (葛原岡神社)
主祭神 贈従三位右中弁日野俊基卿
創建 明治21年(1888年)
例祭 6月3日
地図
葛原岡神社の位置(神奈川県内)
葛原岡神社
葛原岡神社
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葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市の神社。

祭神

祭神の日野俊基は後醍醐天皇の側近で、討幕の決意を固めた後醍醐天皇の下で討幕計画を練っていたが、鎌倉幕府に計画が露見し、1332年(元弘2年)6月3日、鎌倉葛原岡において処刑された[1]。

葛原岡は、当時鎌倉の境界線となっていたため、処刑場ともなっていた[2]。

歴史

明治になり、討幕の先駆者として後醍醐天皇の下に馳せ参じた忠臣たちを顕彰する動きが高まり、日野俊基も建武中興の礎となった忠臣の一人として、終焉の地となった当地に神社を創建することになった[1][2]。

神社は創建されたものの、当社の社格は「無格社」であった。他の忠臣の神社(建武中興十五社)のように別格官幣社に昇格する動きもあったが、実現せずに終わった[2]。

後醍醐天皇の建武中興を成し遂げたことから「開運の神様」として、俊基が優れた文化人だったことから「学問の神様」として、今も崇敬されている[1]。

文化財

  • 日野俊基墓(史跡 昭和2年4月8日指定)[3]

交通アクセス

近隣の史跡・施設

脚注

  1. 1 2 3 御由緒葛原岡神社
  2. 1 2 3 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下(歴史散歩14) 鎌倉・湘南・足柄』山川出版社、2005年、41-42p
  3. ↑ 日野俊基墓文化庁

参考文献

  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下(歴史散歩14) 鎌倉・湘南・足柄』山川出版社、2005年

外部リンク