藤原超子

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藤原 超子
第67代天皇母
皇太后 (追贈)寛弘8年12月27日
(1012年1月23日)

誕生 天暦8年(954年)頃
死去 天元5年1月28日
(982年2月24日)
陵所 宇治陵
諱 超子(ちょうし/とおこ)
氏族 藤原氏(北家・九条流)
父親 藤原兼家
母親 藤原時姫
配偶者 冷泉天皇
入内 安和元年10月14日
(968年11月7日)
子女 光子内親王
三条天皇
為尊親王
敦道親王
女御宣下 安和元年12月7日
(968年12月28日)
身位 御匣殿別当 → 女御 → 皇太后(追贈)
立后前位階 従四位上
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藤原 超子(ふじわら の ちょうし/とおこ、954年〈天暦8年〉頃 - 982年2月24日〈天元5年1月28日〉)は、第63代冷泉天皇女御、第67代三条天皇生母。贈皇太后。藤原兼家の長女で、母は藤原中正の女・時姫。同母兄弟に道隆・道兼・道長・円融天皇の女御で一条天皇の母・詮子(東三条院)がいる。

生涯

安和元年(968年)御匣殿別当として冷泉天皇の後宮に入内。同年女御の宣旨を受け、従四位下に叙される。超子の入内時、父兼家はまだ蔵人頭であり、これが公卿ではない人物の娘が女御宣下を受けた初例となった[1]。翌安和2年(969年)冷泉天皇譲位。その後、光子内親王・居貞親王(三条天皇)・為尊親王・敦道親王の三男一女を産む。

のち従四位上に進むが、天元5年(982年)急死。庚申待の明け方、脇息に寄りかかったまま眠るようにしていつの間にか息絶えていたという[2]。超子の卒去後、兼家一門では庚申の催しを行うことはなかったという[3]。

宇治木幡(現在の京都府宇治市木幡)の宇治陵に葬られる。寛弘8年(1011年)所生の三条天皇即位により皇太后を追贈された。

出典

  1. ↑ 『一代要記』による。
  2. ↑ 『栄花物語』巻第二,花山たづぬる中納言
  3. ↑ 『富家語談』『古事談』