西山事件

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最高裁判所判例
事件名 国家公務員法違反被告事件
事件番号 昭和51(あ)1581
昭和53年5月31日
判例集 刑集第32巻3号457頁
裁判要旨
  1. 国家公務員法一〇九条一二号、一〇〇条一項にいう秘密とは、非公知の事実であつて、実質的にもそれを秘密として保護するに値するものをいい、その判定は、司法判断に服する。
  2. 昭和四六年五月二八日に愛知外務大臣とマイヤー駐日米国大使との間でなされた、いわゆる沖縄返還協定に関する会談の概要が記載された本件一〇三四号電信文案は、国家公務員法一〇九条一二号、一〇〇条一項にいう秘密にあたる。
  3. 本件対米請求権問題の財源についてのいわゆる密約は、政府がこれによつて憲法秩序に抵触するとまでいえるような行動をしたものではなく、違法秘密ではない。
  4. 国家公務員法一一一条にいう同法一〇九条一二号、一〇〇条一項所定の行為の「そそのかし」とは、右一〇九条一二号、一〇〇条一項所定の秘密漏示行為を実行させる目的をもつて、公務員に対し、その行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をすることを意味する。
  5. 外務省担当記者であつた被告人が、外務審議官に配付又は回付される文書の授受及び保管の職務を担当していた女性外務事務官に対し、「取材に困つている、助けると思つて安川審議官のところに来る書類を見せてくれ。君や外務省には絶対迷惑をかけない。特に沖縄関係の秘密文書を頼む。」という趣旨の依頼をし、さらに、別の機会に、同女に対し「五月二八日愛知外務大臣とマイヤー大使とが請求権問題で会談するので、その関係書類を持ち出してもらいたい。」旨申し向けた行為は、国家公務員法一一一条、一〇九条一二号、一〇〇条一項の「そそのかし」罪の構成要件にあたる。
  6. 報道機関が公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといつて、直ちに当該行為の違法性が推定されるものではなく、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為である。
  7. 当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為(判文参照)は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである。
第一小法廷
裁判長 岸盛一
陪席裁判官 岸上康夫、団藤重光、藤崎萬里、本山亨
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
国家公務員法100条1項、国家公務員法109条12号、国家公務員法111条、裁判所法3条1項、憲法21条1項、刑法35条
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西山事件(にしやまじけん)は、1971年に外務省の女性事務官が毎日新聞社政治部記者の西山太吉にそそのかされ機密を漏洩した事件[1][2]。事務官は国家公務員法の機密漏洩の罪で有罪が確定し、西山はその教唆の罪で最高裁判所で有罪判決が確定した。

事件から約30年後、アメリカの公文書館から密約を裏付ける文書が発見された。本記事では、密約文書の発見以降の動きに関しても扱う。

新聞記者の名前から西山事件と呼称されるが、沖縄返還協定についての機密が漏洩したので、沖縄返還密約事件[3](おきなわへんかんみつやくじけん)、外務省機密漏洩事件(がいむしょうきみつろうえいじけん)、その他沖縄密約暴露事件(おきなわみつやくばくろじけん)、西山記者事件とも呼ばれる[4][注釈 1]。

概要

秘密電文漏洩と刑事裁判

1969年、佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領間で日米首脳会談が行われ、共同声明で1972年中に沖縄を日本へ返還すると発表した。その後、沖縄返還協定の第4条3項に規定されることになる原状回復補償費[6][注釈 2]400万ドルに関して、日米交渉は難航することとなった。アメリカ側が負担に一切応じようとしなかったため、日本側は原状回復補償費400万ドルを当方で負担するとアメリカ側に提案し、アメリカ側はこれを歓迎した。

1971年5月から6月、この外交交渉を取材していた毎日新聞社政治部記者の西山太吉は、外務省の女性事務官[注釈 3]から複数の秘密電文を入手し、「アメリカ政府が原状回復補償費を支払ったように見せかけて、実は日本政府が肩代わりする」ことを把握した。西山は取材源の保護のため新聞では明確な形で密約を報じなかったが、西山の記事を見て調査を開始した日本社会党の横路孝弘議員に秘密電文を提供した。1972年3月に横路が秘密電文を国会で暴露し、原状回復補償費の肩代わり問題を追及し、佐藤内閣の責任が問われる事態となった[3]。

1972年4月、東京地検特捜部は、秘密電文を漏洩させた女性事務官と西山を国家公務員法違反の疑いで逮捕した[9]。記者が取材活動によって逮捕された事態に対し、報道の自由と知る権利の観点から、「国家機密とは何か」「国家公務員法を記者に適用することの正当性」「取材活動の限界」などが国会や言論界などを通じて大論争となった[10]。

東京地検が出した起訴状に「(女性事務官と)ひそかに情を通じ、これを利用して」と書かれたことから、世論の関心は男女関係のスキャンダルという面に転換した[3]。週刊誌を中心としたスキャンダル報道が過熱して密約自体の追及は色褪せ[11][12]、毎日新聞は世論から厳しい目を向けられた[13][14][15]。

検察側は機密資料漏示のそそのかしの立証に終始し、密約の真相究明は東京地検側からは行われなかった[16]。女性事務官は一審の東京地裁での有罪判決が確定した。西山は一審では無罪となったが、二審の東京高裁で逆転有罪判決となり、最高裁で有罪が確定した[17]。これらの判決はメディアの取材に関する重要判例となっている。

裁判外では、女性事務官の取材で得た情報を自社の報道媒体で報道する前に、国会議員に当該情報を提供し国会における政府追及材料とさせたこと、情報源の秘匿が不完全だったため、情報提供者の逮捕を招いたこともジャーナリズムの報道倫理上の問題として議論された。

密約文書の発見以降の動き

1990年代後半から2000年代前半にかけて、アメリカ国立公文書記録管理局で密約の存在を裏付ける公文書が相次いで見つかった。西山は国家賠償請求訴訟を提起したが、除斥期間を理由に棄却され、控訴審及び上告審でも判決が変わることはなかった。

2006年には、当時の沖縄返還交渉に関わった外務省元アメリカ局長の吉野文六も密約があったことを証言している[18]。

しかし、日本政府は、密約を裏付ける文書の発見や吉野元アメリカ局長の証言を受けてもまだ、密約の存在を否定し続けた。

2009年、西山らは日本政府に密約文書の開示を求め情報公開訴訟を提起した[19]。東京地裁判決では開示を命じたが、控訴審及び上告審では密約文書が存在する証拠が不十分なことを理由に棄却され、不開示が確定した[20]。

民主党への政権交代後、岡田克也外務大臣が外務省に指示し、2009年から2010年にかけて密約に関する調査が行われ、『いわゆる「密約」問題に関する調査報告書』が公表された[21]。いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会は、原状回復補償費の日本側の肩代わりが「広義の密約(文書による合意ではなく、暗黙の裡に存在する合意)」に該当すると判断を示した[22]。

自公政権への政権交代後、特定秘密保護法が国会で審議された際、記者会見で森まさこ国務大臣が処罰対象となる「著しく不当な取材」について質問され、「西山事件の判例に匹敵するような行為だと考えております」と回答するなど[23]、西山事件が再び注目を集めることとなった[24][25]。

経緯

沖縄返還交渉

1969年6月2日から5日にかけて、愛知揆一外相とロジャース国務長官との間で会談が行われた。東郷文彦アメリカ局長によれば、アメリカ側に沖縄返還に伴う財政面の問題が浮上しているようだったと述懐している[26]。同年8月21日には、愛知外相が非公開の場で沖縄の財政や資産問題が出ていると言及している[27]。

同年9月11日、東郷局長とロバート・バーネット国務次官補代理の会合において、「日本に移管されるアメリカ資産の補償」及び「基地移転費用の負担」、「通貨交換によるアメリカの国際収支への影響の最小化」に関して、財政・経済的な取り決めが必要と合意がなされた[28]。

同月27日・28日、バージニア州フェアフィールド・ファームにおいて、福田赳夫大蔵大臣とデヴィット・M・ケネディ財務長官の間で、前述の3点の財政・経済的な取り決めについて話し合われ、その結果、日本側はアメリカ側の要求をすべて飲む形となった[29]。その後、同年10月より柏木雄介とアンソニー・J・ジューリック間で日米交渉が本格化した[30]。同月27日、佐藤首相は財政問題が大きな問題となっているが、日米首脳会談までに事務レベルで解決するだろうとの認識を示している[31]。

1969年11月21日、佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領間で日米首脳会談が行われ、共同声明で1972年中に沖縄を日本へ返還すると発表した。

その後の日米間の返還交渉において、アメリカ側が軍用地として使用した土地に対する原状回復補償費400万ドルの負担[注釈 4]が問題となった[注釈 5]。アメリカ側は当初、原状回復補償費の負担に応じようとしなかったが、愛知揆一外相日本側の粘り強い交渉の結果、アメリカ側は原状回復補償費の負担に応じることとなった[33]。しかし、アメリカ側は議会への説得が困難で財源を確保できないとの立場を示し、原状回復補償費の問題は難航した[34]。

1971年5月11日、愛知外相とアーミン・マイヤー駐日アメリカ大使間の協議において、愛知はアメリカ側が自発的支払いに応じた場合、日本側がその財源を支援する可能性に言及した。翌12日、日本側はアメリカ側に支払う代替基地建設の補償費3億ドルに原状回復補償費を含めると伝え、アメリカ側もこれを了承した[35]。日本側は最終的に、代替基地建設費とVOA移転費として支払う3億1600万ドルに原状回復補償費400万ドルを上乗せした3億2000万ドルをアメリカ側に支払うこととなり、沖縄返還協定第7条に明記された。

1971年6月17日、沖縄返還協定は調印された。

極秘電文の入手

1971年5月22日、毎日新聞政治部記者の西山太吉は男女関係のあった外務省の女性事務官[注釈 6]に文書の持ち出しを依頼した[36]。依頼は複数回に及び、女性事務官から十数通の電文を入手している[37]。

西山が入手した電信文のうち、以下の3通においてアメリカ側が日本側に支払うべき費用を日本側が肩代わりすることや秘密書簡の発出を示唆する内容が含まれていた。

  • 1971年5月28日付第1034号電信案(愛知外相とマイヤー駐日アメリカ大使との会談内容が記載)
  • 1971年6月9日付第559号電信案(井川外務省条約局長とスナイダー在日アメリカ公使との会談内容が記載)
  • 1971年6月9日付第877号電信文(愛知外相とロジャーズ米国国務長官との会談内容が記載)

第1034号電信文には、以下の文章が記載されていた[38]。

大使より米側として(中略)財源の心配までしてもらったことは多としている(中略)「ス」公使より第4条3項の日本案の文言では必ず議会に対し財源に関する公開の説明を要求され、かえって日本側が困るのではないか、問題は実質ではなくAPPEARANCE[注釈 7]であると補足した。(中略)なおせっかくの320がうまくいかず316という端数になっては対外説明が難しくなる旨付言しておいた[注釈 8]。

第559電信文には以下の文章が記載されていた[42]。

(1) 冒頭米側より、鋭意検討の結果1896年2月制定された「Disprstion of trust funds seceived from foreign governments for citizens of us [注釈 9]」に基づき請求权〔ママ〕に関する日本側の提案を受諾することが可能となった(後略)。

(イ) 日本側第4条第3項案に次のとうり〔ママ〕追加する。「Provided, however, that the total contribution to be made under provisions of this paragraph shall not exceed U.S. dollars 4 million.[注釈 10]」

(ロ) 前記 Trust Fund 設立のために、(中略)日本政府は米政府による見舞金支払のため信託基金設立のため4百万米ドルを米側に支払うものである」旨の不公表書簡の発出を必要とする[注釈 11]。

第887号電信文には以下の文章が記載されていた[44]。

2。次に、「ロ」長官より、65の使途につき日本政府のリベラルな解釈を期待するとの発言があり[注釈 12]、これに対し、本大臣よりできる限りのリベラルな解釈をASSUREする旨述べた。
3。請求権問題に関連して、「ロ」長官は、本大臣書簡を必要とする旨述べたので、本大臣より、本書簡は公表されざるものと了解してよろしきや、と念を押したところ、「ロ」長官は、行政府としては、できるだけ不公表にしておくよう努力する所存なるも、議会との関係で、これを発表せざるをえない場合も、絶無ではないと答えた。(後略)

西山は、1971年6月11日付の毎日新聞朝刊1面と同月18日付朝刊3面にて、原状回復補償費の肩代わりを暗に示す記事を書いているが[46]、当該記事では外務省極秘電文や具体的な密約の中身に関する言及はなかった。

国会での追及

日本社会党の横路孝弘は西山の記事に注目し、密約疑惑の調査を開始した[47]。日本社会党は西山が密約の証拠を持っていると睨み、西山の元を連日訪ねてきたが、西山はいつも帰れ帰れと断っていたと語っている[48]。横路自身も西山と1度面会したが、証拠については何も話してくれなかったと語っている[49]。1971年12月7日の衆議院連合審査会にて、横路は密約疑惑を追及したが、政府は極秘電文の存在を含め否定した[50]。横路の秘書だった北岡和義によれば、なんとなく尻切れトンボの質疑に終わったと述懐している[51]。

その後、女性事務官に迷惑をかけないという配慮の下に、同僚の記者を通じて横路に極秘文書が提供された[52]。後年、文書を提供した理由を問われると、沖縄返還が沖縄の人々のためになっているのかという疑念と政権末期の佐藤栄作への怒りがあったと答えている[53]。原状回復補償費400万ドルは「氷山の一角」だとした上で、国会で審議することで多くの密約が明るみになり、佐藤内閣の崩壊へ繋がることを期待していたと西山は語っている[54]。秘密電文の提供の時期に関して、横路は後述の予算委員会の質問の直前(1972年3月27日)としている[55]。しかし、安井吉典は秘密電文の入手の一報を横路から聞いたのは1972年3月26日の午後3時頃と語っており[56]、楢崎弥之助は前述の衆議院連合審査会(1971年12月7日)の前の時点で秘密電文のコピーを入手していたかのように述懐している[57]。

1972年3月27日の午後の衆議院予算委員会にて、横路と楢崎は極秘電文のコピーを手に密約疑惑を追及した[58]。政府は、横路が入手した極秘電文のコピーと外務省内の電文を照合し[59]、極秘文書のコピーは本物と認めたが[60]、密約の存在は否定した[61]。野党側は政府の虚偽答弁を問題視し、政府を激しく追及した[62]。

逮捕と起訴

横路の国会質問直後、西山は資料提供を否定していたが、1972年3月29日に横路への資料提供を認めた[63]。同日、西山が機密文書をコピーする際に取材源を秘匿しなかったこと[64]、さらにこれを提供された横路が電文のコピーをそのまま政府へ渡したため[65][66]、決裁欄の印影から漏洩元が女性事務官であることはすぐに露呈した[67]。翌30日、女性事務官は西山に極秘電文のコピーを渡した事実を告白した[68]。

同年4月4日、西山と女性事務官は外務省の機密文書を漏らしたとして、国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕された[注釈 13]。翌5日、外務省は女性事務官を懲戒免職とする決定をした[70][71]。なお、毎日新聞政治部と社会部では、西山と女性事務官の逮捕以前に、2人の男女関係が公然と囁かれていたという[72]。

毎日新聞司法担当記者の田中浩は「検察が西山太吉記者と女性事務官との関係を切りこんでくるのは目に見えていた。低俗な倫理観で揺さぶられてはたまったものではない」として、起訴までは事実報道に徹して裁判段階で反撃に転じる方針を主張した[73][74]。しかし、西山の逮捕を受けた社会部会は「西山記者の逮捕は言論の自由に対する国家権力の不当な介入だ。断固として反権力キャンペーンを展開すべきだ」とする意見が大勢を占め、慎重論は押し切られた[73][75]。毎日新聞は西山逮捕後から大規模な「知る権利キャンペーン」を展開した[76][77][78]。

他紙も当初は、西山の逮捕は言論弾圧だとして日本政府を非難して西山を擁護した[68][79][注釈 14]が、どこか及び腰だったと指摘する声もある[81][82]。当時朝日新聞社会部記者だった岩垂弘によれば、朝日新聞社会部は西山の逮捕後に毎日新聞を応援する記事を書いたが、デスクから「あんまり拳を高く振りかざすなよ」と釘を刺されたという[81]。新聞各社は西山と女性事務官との関係を察知していたのではないかと岩垂は推察している。

同月6日、西山は取り調べに対して女性事務官との男女関係を認める供述を行い、当時毎日新聞社長だった山本光春は、弁護士を通じて事実を知り、「知る権利キャンペーン」に慎重な配慮を求めた[14]。

同日、佐藤首相は総理番の記者との議論で社会党に極秘電文が渡ったことを疑問視し、社会党に渡ったことについて我々にも知る権利があると語り[注釈 15]、「そういうこと(言論の自由)でくるならオレは戦うよ」と述べた[86][87]。さらに、番記者から「逮捕ではなく任意で調べられたのではないか」と問われると、佐藤首相は「買収とかいう問題が出てきたらどうするか。料理屋で女性と会っているというが、都合悪くないかね」と答えた[87]。同月8日の参議院予算委員会において、佐藤首相は「国家の秘密はあるのであり、機密保護法制定はぜひ必要だ。この事件の関連でいうのではないが、かねての持論である」と主張した[88]。

同月9日、東京地裁は西山の拘置取り消しを決定し、西山は釈放された。西山の釈放前には、西山側から女性事務官側に拘置取り消しの準抗告を共同で行うことを提案したが、そのような意思はないと断られてしまい[89]、最終的に女性事務官側からは拘置取り消しの準抗告を行わなかった[90]。なお、西山の釈放を機にして、女性事務官の供述に西山への恨みや憎しみが現れるようになったという[90]。

同月14日、佐藤首相は福田赳夫外相に注意処分を言い渡し、外務省は女性事務官の上司である安川壮外務審議官を官房付とする懲戒処分を発表した[91]。同月15日、女性事務官は釈放された。女性事務官は、後の刑事裁判で弁護人を務める坂田治吉[注釈 16]の法律事務所でアルバイトすることとなる[92][93]。

同日、東京地検は女性事務官と西山をそれぞれ国家公務員法100条違反(守秘義務違反)と同法111条違反(秘密漏洩をそそのかした罪)で起訴した。起訴状には、「ひそかに情を通じ、これを利用して」と2人の男女関係を暴露する文言が記された。「情に通じ」という文言を加えたのは、本事件の担当検事佐藤道夫とされ、「知る権利」から「男女問題」に報道をすり替える意図があった[12]。起訴状が公表されると、世間の耳目は西山の取材方法に集まり、毎日新聞には世論から厳しい目を向けられた[15][14][13]。

同日、毎日新聞は「本社見解とおわび」として、「両者の関係をもって、知る権利の基本であるニュース取材に制限を加えたり新聞の自由を束縛するような意図があるとすればこれは問題のすりかえと考えざるを得ません。われわれは西山記者の私行についておわびするとともに、同時に、問題の本質を見失うことなく主張すべきは主張する態度にかわりのないことを重ねて申述べます」と夕刊に掲載し、専務取締役の編集主幹を東京本社編集局事務取扱いに、東京本社編集局長を社長室担当に、西山本人を休職とする措置を発表した[94][95]。西山逮捕直後から展開された毎日新聞の「知る権利キャンペーン」は中止を余儀なくされ[96]、他紙の日本政府への非難も終焉していった[11][12][97]。

翌16日に作家の川端康成が自殺して各紙の注目は遷移した[98][99]。その後、『週刊新潮』が「“機密漏洩事件…美しい日本の美しくない日本人”」[注釈 17]と新聞批判の論調で大きく扱った[100]。週刊誌は「情を通じ」に着目し、センセーショナルに書き立てた[11][101]。

影響

報道倫理

西山が女性事務官との男女関係を通じて秘密電文を手に入れたことは世論から大きな批判を浴びた。世の女性が西山の浮気に対して怒りの声を上げたため、本来であれば起訴するほどのものではなかったが、検察は驚いて起訴してしまったという[102]。西山は取材方法だけでなく、ニュースソースを守れなかった点と取材物の目的外の使用に関しても批判を浴びた。

取材源の秘匿

本件では電信文の決済印から漏洩元が特定されたことから、西山の取材源の秘匿が不十分だった。日本弁護士連合会もまた、西山記者事件調査報告書[注釈 18]の中で取材源の秘匿に対する西山への批判は甘受しなければならないと指摘している[105]。後年、西山は決済印から取材源が特定されるとは考えていなかったと語っている[106]。釈放直後の記者会見で西山は、女性事務官に迷惑をかけたことを残念だったと述べ[107]、一審の第1回公判では、罪状認否の冒頭でニュースソースを秘匿できなかったことについて女性事務官に謝罪している[108]。また、事件から約50年が過ぎても、ジャーナリストとして取り返しのつかないことをしたと語り、女性事務官に頭を下げたいと述べている[109]。

西山から提供された電文を用いて政府を追及した横路孝弘も情報源の秘匿が不十分だったとして批判された[110][111]。横路は秘密電文の取り扱いに不備があった点を指摘されると、「佐藤内閣が倒れるという判断があり、政権が交代すれば刑事事件にならなかった」と答えている[112]。後年になって、取材源の秘匿を問われた際には、「これは別に何の条件もなしに、ともかく使って下さいといって渡された話なんです。だから、外務省に認めさせて佐藤内閣打倒のために、これは全部ともかく公表しなきゃいけないんだということと、誰がその本当の取材源なのかというのが全然想像もつきませんでしたから」と釈明している[55]。また、楢崎弥之助は西山と女性事務官について名前も顔も一切知らず、信義則違反は全然なかったと述べている[113]。

1972年3月27日の衆議院予算委員会後、吉野文六から表紙を見せてほしいと言われたが、横路はそれを断ったという[114]。外務省と電文を照合する際に、電信文全てを見せたことに関しては、電信文の決済印を伏せてしまうと、外務省のものと同一ではないと否定される可能性があったため、やむを得なかったとしている[115][51]。

取材物の目的外の使用

西山は入手した電文を基に、1971年6月11日付朝刊1面及び同年6月18日朝刊3面に肩代わりを匂わせるような記事を書いたが、正面から書いておらず、さらに秘密電文を記事に載せることもしなかった。

西山が密約をスクープしなかった理由は、「沖縄返還自体はベストではないが、ベターな状況で進んでいるので、今後のことや取材源への配慮から電信文をナマな形で記事にはしたくない」ためだったとしている[116][117]。西川は安川壮と毎日会談しており、取材源が安川外務審議官筋だと容易に推測され、取材源を守れなくなる可能性があったとも語っている[118]。

西山や毎日新聞に対して、正面から記事にしなかったことを疑問視する声が上がった[119][120][116][121]一方で、電文を横路に提供したことを擁護する声もある[122][123][124]。正面から記事にしなかったことに対して、西山は新聞には書けないが、問題にしなければならない事案で、国権の最高機関である国会で審議させるべきという認識だったと述べている[125][126][48]。

滝鼻卓雄は、記事にしなかったこと並びにニュースを他の目的に使用したことを西山の不適切な行為とした上で、西山の弁護人を務めた伊達秋雄と大野正男に自身の意見を伝えたが、「われわれは知る権利というスローガンで戦うんだ。だから滝鼻くん、あまりそれを言い立てないでくれ」と返されたという[127]。

政界

西山は政治部に在籍している間、宏池会を担当しており、宏池会と非常に近い新聞記者であった。後年、西山は「私の政治部12年は宏池会と共にあった」と語っている[128]。さらに西山は大平正芳とは遠縁でもあった[129]。事件がなければ、西山は将来的に衆議院選挙に立候補しようとしており、大平にその旨を伝えると「立ったなら立ったと俺に言えよ」と返されたという[130]。

西山が宏池会と近かったことから、秘密電文の漏洩は大平派の意向を受け佐藤内閣の倒閣を目的としたのではないかとの観測が広がった[83]。さらに、この事件の筋書きは九州出身の大平派代議士が書いたとの噂もあった[84]。西山は毎月50万の田中六助名義の小切手を落としており、捜査当局がその事実を掴んでいた[131]。なお、田中六助は九州出身で大平派に属する国会議員である。

大平は「身に覚えのないこと」と否定し[83]、西山も秘密電文の漏洩は大平派の意向でなかったと否定している[132][133]。ただし、釈放後の記者会見で西山は、「もともとつっこんだ政治記事というものは派閥に利用される。それが自民党の体質だ」と述べており、取材資料の横流しが派閥に利用される可能性を予見していた[134]。

吉野文六によると、横路らによる秘密電文の暴露後、竹下登と二階堂進に相談した際には、「君は世間知らずだね。外務省の電報なんぞは、前からこんなに来てるよ」と返されたという[135]。当時、佐藤内閣の倒閣運動があり、背景に政治問題が絡まっていたことは間違いないと述懐している[135]。

報道機関

毎日新聞は、1966年(昭和41年)に東京本社を有楽町から北の丸濠端(竹橋)に新築したパレスサイドビルディングに移転し[136]、それに歩調を併せ、無理な拡販作戦をとり販売部数500万部を達成していた。だが、借入金が急増し自転車操業に陥り、その中で起きた西山事件によって朝日新聞、読売新聞から読者の切り崩しを受けた。「ひそかに情を通じ」の起訴状が発表された以降、毎日新聞の部数ははっきりと下りカーブを描きはじめ[137]、中でも佐藤栄作首相の地元である山口県での落ち込みぶりは際立っていた。社長を務めていた山本光春によれば、最終的に6万とも7万ともいう部数を失ったという[137]。だが、販売当局は必ずしも事態の成り行きを深刻には受け止めていなかった[138]。事件直後開かれた役員会の席上、山本が「部数に響かないか」と不安を示しても、販売担当役員は「いや、大丈夫です。部数への影響はまったくありません」と楽観的な見通しを伝えていた[137]。

ニクソン・ショックから立ち直った日本経済が再び上昇気流にのりはじめた1972年(昭和47年)から翌年にかけての2年間の間、朝日新聞、読売新聞がともに50万部近い伸びを記録したのに対して、西山事件の後遺症に苦しむ毎日新聞の伸びは、朝読の6分の1程度にとどまっていた[138]。そして毎日新聞は復調を果たせぬまま、オイルショックの混乱の中にもつれ込んでいく[137]。当時新聞各社では購読料の値上げが必要になった際、独占禁止法を避けるため大手紙のどこかが輪番で先行値上げする不文律があり、オイルショック翌年の1974年(昭和49年)の値上げの折に毎日新聞は50%超の大幅値上げを強いられ、さらに部数が急減。経営が悪化に拍車が掛かった[139]。結局、1977年(昭和52年)に毎日新聞は、債務超過に陥って新旧分離を余儀なくされる。

当時週刊新潮編集部員だった亀井淳は、西山事件はあらゆる意味で「週刊誌的」だったと述べている[140]。また、亀井によると新潮社のキャンペーンは極めて好評で、一般読者から無数の激励があったばかりか、毎日新聞の内情を知らせる情報が次々にもたらされたという。亀井は「この経験で、週刊新潮は言論によるテロリズムの効果と、その商業的な骨法を会得したのだと思う」と振り返っている[141]。

刑事裁判

裁判では、次の2点が争点とされた。1点目は3通の電信文が秘密に当たるのか、2点目は西山の行為がそそのかしに当たるのかであった。今回のケースでは報道の自由がどの程度まで許されるのか司法判断が下されるとして注目を集めた。

一審

西山側の弁護人は、伊達秋雄、高木一、大野正男、山川洋一郎及び西垣道夫が担当し、女性事務官側の弁護人は坂田治吉が担当した。なお、女性事務官は社会党や市川房枝らによる無実を争う支援を断っている[注釈 19][143]。

西山は、男女関係に踏み込むことを基本的に避け[144]、入手した電信文は秘密に該当ぜず、取材行為は強引且つ執拗なものではなかったとし、自身の行為は新聞記者として正当な行為であったと主張した[145]。

女性事務官は、起訴事実を全面的に認め、「早く裁判を終えて、世間が私を忘れてくれることを望む」と述べた[108]。女性事務官側は検察側の主張を認め、無罪獲得のための反論は一切行わなかったことから、女性事務官側が検察側に協力するような形となり、西山側は検察側と女性事務官側から挟撃されたとする声もある[146][147][148]。

沖縄返還交渉

検察側証人として、佐藤嘉恭、松永信雄、吉野文六及び井川克一が出廷した[149]。

交渉経過を秘密にしたことについて、第3回公判において佐藤嘉恭は、外交交渉がその都度経過に明らかにされると、その後の外交交渉に悪影響を及ぼすため、電信文に極秘の指定を行ったことは当然と主張した[145]。また、第4回公判において吉野は、交渉相手国の同意がない限り、交渉内容を公表しないことは万国共通の慣行と主張した[150]。さらに、第11回公判において松永は、民主主義下の外交交渉は公開に徹しなければならないものの、自国の利益並びに相手国及び第三国への影響を考えれば交渉経過を秘密にするのは当然で、交渉経過を明らかにしないことで信頼関係が成り立つと述べた[151]。

第4回公判において吉野は、密約の存在について問われると「絶対にない」と答えた[150]。電信文の存在を否定した理由については、「ある」と言えばさらなる追求を受ける可能性があり、「ない」と主張したと述べた[注釈 20][150]。

吉野によると、原状回復補償費400万ドルに関しては、アメリカ側は議会対策として日本側が肩代わりしたように見せかける必要があり、その趣旨を盛り込んだ秘密書簡を出すよう日本側に提案してきた[150]。日本側は、アメリカ側が議会の説明として体裁を整える必要があるのであれば協力もやむを得ないと言うスタンスであったが、結果的に秘密書簡は出さず、アメリカは内的に解決したはずと吉野は述べた[150]。第5回公判の反対尋問において西山側は、日本側が400万ドルを肩代わりしたのは明らかと追及したが、肩代わりはアメリカ側の議会対策として形だけのことで、実際には400万ドルを肩代わりしていないと吉野は主張した[150]。

第12回公判において検察側が、アメリカ側に支払った3億2000万ドルの内訳を井川に問うと、沖縄にあるアメリカの資産の引き継ぎが1億7500万ドル、基地労働者の退職金が7500万ドル、高度の政治判断による支払いが7000万ドルであると述べた[151]。なお、7000万ドルに関しては、はっきりとした計算上の根拠はないと述べた[152]。

出廷した外務省幹部はいずれも、対米交渉について具体的に問われると失念や守秘義務を理由に一切答えなかった[153][154]。しかし、検察側は外務省幹部の証言が信頼できるものと判断し、西山側が主張する密約の存在を否定した[155]。

西山側の主張

弁護側証人は、報道関係者として冨森叡児[注釈 21]、渡邉恒雄及び新実慎八[注釈 22]、学者として斎藤孝、石村善治、伊藤正己及び吉川経夫、首長として美濃部亮吉が出廷した[149]。

冨森は、沖縄返還前に電信文の内容が具体的に報道されていた事実を証言した[156]。また渡邉は外務省の公式発表や省幹部のオフレコ会見の情報だけでは世論操作を狙って新聞が利用される可能性があり、国民に知らされるべき交渉内容が伝わらず、交渉当事者イデオロギーで交渉の方向が決められる危険性があるため、公式発表やオフレコ会見以外の独自取材の必要性を証言した[156]。新実は、交渉の実態を国民に明らかにし、交渉が日本にとってプラスになるようにまとまることを願って報道していると証言した[157]。

斉藤は外交交渉の歴史的な変化を述べた上で、秘密外交ではなく公開外交の必要性を強調した[158]。石村、伊藤及び吉川は、それぞれ西ドイツ、アメリカ及びイギリス並びにフランスにおける秘密保護法制並びに報道の自由及び国民の知る権利について述べ、起訴は不当と証言した[159]。美濃部は東京都における秘密文書の取り扱いと考え方について証言した[160]。

論告求刑及び判決

第15回公判の論告求刑において、検察側は女性事務官の供述をもとに、秘密文書を入手するため、西山は女性事務官との肉体関係を継続したと述べた[161]。さらに、女性事務官の背信行為が西山によって自身の夫に暴露される不安が相まって、秘密文書持ち出しを決意させる決定的な動機になったと指摘した[162]。なお、西山は男女関係を積極的に争わなかったため、女性事務官の供述の信憑性は争われなかった[163]。その一方で、女性事務官側に関しては、秘密文書の持ち出しは国家・国民に対する背信行為と指摘したが、社会党の支援を辞退したこと及び罪状を争わない姿勢を改悛の表れと認めるにやぶさかでないと主張した[164]。検察側は西山に懲役1年、女性事務官に懲役10月を求刑した。

西山は男女関係を積極的に争わなかったが、1973年10月23日の最終弁論において高木一弁護人は、「女性事務官とは対等の男女の関係であり、西山が一方的に利用したものではない」と主張した[165]。最終弁論から3か月余り経った頃、女性事務官夫妻が「夫がいかにも私のヒモであるかのような表現を繰り返した。夫は激怒した。そして、男のメンツにかけても離婚の決意をせざるを得なくなった」[注釈 23]と週刊誌上で高木の発言に反論したが[166]、実際は「ヒモ」やそれに類する発言はなかった[167]。

1973年の暮れ、女性事務官は毎日新聞社に対して示談金として3000万円を要求し、毎日新聞社は12月に1000万円を支払った[168]。なお、毎日新聞社の社長であった山本光春は、女性事務官の弁護士に首をかしげざるを得ないような常識では考えられないような話があったと述べている[169]。

一審の東京地裁判決で西山は無罪となり、女性事務官は懲役6か月・執行猶予1年となった[170]。東京地裁は、西村の入手した電信文がいずれも実質秘[注釈 24]性を有することを認めたが、実質秘性はあまり高度ではなかったと判断した[171]。西山の「そそのかし行為」については、反倫理的な取材活動で報道記者の品位や社会的信用を失墜させるものとの非難を免れないと指摘している。しかし、そそのかしによる取材から生じる利益と秘密保護の利益との比較衡量[注釈 25]を行い、漏洩した電信文の実質秘性が高度ではなく、外交交渉に悪影響を与えていないことから、西山の取材行為は正当なものと判断した[172][173]。一方、女性事務官に関しては、政治や外交問題に関心がなく、報道機関の公共的使命に奉仕して公益を図る積極的な意図はなかったと判断され、秘密文書の持ち出しは正当行為とは言えないと有罪判決の理由を述べた[174][175]。

女性事務官が無罪を争わずに一審で有罪確定すると同情され、西山へ反感が高まった[176][177]。一審判決後、西山は「ニュースソースを守れなかった法廷外での責任を取りたい」として毎日新聞に辞表を提出し退職した[178][177]。その後、西山は親族の経営する青果会社で働くこととなった[170][179]。

亀井淳によれば、週刊新潮は一審判決後に女性事務官の取り込みに成功しており、その結果、手記「判決と離婚を期して、私の告白」を書かせていただいたと語っている[180]。

控訴審

検察側は、比較衡量によって西山を無罪としたことを不服とし、西山の取材行為に強度な違法性があること、漏洩した3通の電信文の実質秘性はきわめて高度なものであったとして控訴した[181]。

控訴審では、弁護側証人として読売新聞広告局長の氏家齋一郎、共同通信解説委員長の内田健三、著述家・元毎日新聞記者の松岡英夫、東京大学教授の坂本義和、河野洋平、上田哲が証人となった(職名はいずれも当時)[182]。

被告人質問において西山は、1971年6月11日の夜、外務省高官に「肩代わりすることになったことを国民に公表すべき」と迫ったが、外務省高官は「黙っていてくれ」と答えたと証言した[183][184]。女性事務官が有罪になったことについては、入手した書類に実質秘性がないことから承服できないとも述べた[183][184]。

東京高裁は西山に懲役4月・執行猶予1年の判決を下した[185]。西山の取材行為に関して東京高裁は、西山は女性事務官との肉体関係を継続しており、女性事務官は文書持ち出しの指示のたびにその指示に従うか否か意思決定するための心のゆとりが全くない状態[注釈 26]にあったとした[注釈 27]。西山は女性事務官の状態を知りつつ、文書の持ち出しを慫慂したと推認できるため、そそのかしに該当すると認めた[187]。

次に秘密に関して、指定秘は「真正秘密[注釈 28]」及び「疑似秘密[注釈 29]」に分けられ、疑似秘密の中には「違法秘密[注釈 30]」が含まれるとした。「真正秘密」及び「疑似秘密」を明確に分けることは困難で、秘密情報に精通する公務員であれば両者を見分けることが可能としている。報道機関の最重要の公共的使命は、疑似秘密を国民に知らしめることと認めつつも、最良の判断者にはなり得ないとし、「疑似秘密」かもしれないと言う未必的認識の状態だと、慫慂行為が国家公務員法111条違反に該当するとした[188]。ただし、報道機関が「疑似秘密」を主観的に判断したとしても、確実な根拠に照らし相当の理由があると客観的に認められる場合、その限りではないとした。さらに、「違法秘密」であって、緊急に取材して報道しないと、国家機関が崩壊しかねないほどに重大なものであると信じて行動した場合は、国家公務員法違反に該当したとしても、個別に違法性が阻却され刑事免責がなされる余地があるとした[188]。

交渉内容が漏洩すると、利害関係を持つ団体から妨害が加えらたり、交渉の当事者の対立が高まり信頼関係が損なわれたりし、条約の締結が不可能になる可能性があるため、秘密に指定するに相応しいものした。さらに交渉内容が一般に知られていなかったことから、1971年5月28日付第1034号電信案(愛知外相とマイヤー駐日アメリカ大使との会談内容が記載)並びに1971年6月3日付第877号電信文(愛知外相とロジャーズ米国国務長官との会談内容が記載)に関しては、秘密に該当すると判断した[189]。なお、電信文に疑似秘密が含まれていたとしても、真正秘密の記載事項が含まれていれば秘密に該当するとしている[189]。

第一審において、第1034号電信案を女性事務官に要求した際の心境について、西山本人が「ごまかしをやるという断定まではいきません。しかし、この実態というものをやはり究明したいということです」と証言しており、西山本人には第1034号電信文を疑似秘密と信ずる理由を有していないと東京高裁は判断した[注釈 31][190]。その一方で、第877号電信文に関しては、西山の供述内容並びに西山の書いた1971年6月18日付毎日新聞紙面上の記事から、交渉内容が疑似秘密として秘匿されるに違いないと認識し、電文の漏示をそそのかしていることから罪とならないと判断した[191]。

判決に対して、取材の実情からかけ離れているという批判があった[192][193]。また、本判決では実質秘説に立っているが、真正秘密と疑似秘密の判断は公務員に委ねられており、機能的には形式秘説を採用した判決と指摘する声もある[194]。

弁護側は判決を不服とし即日上告した。一方で、滝川幹雄東京高検次席検事は、「大筋において検察側の主張が認められており、おおむね満足すべきものと考える」との談話を発表した[195]。

上告審

1978年5月31日、最高裁は弁護側の上告を棄却し、西山の有罪が確定した。

最高裁は控訴審判決を支持し、第1034号電信案は秘密に該当するとした[196]。次に、「そそのかし」行為に関しては、報道の自由は尊重すべきとしつつも、取材対象者の尊厳を蹂躙するなど社会観念上是認できない場合は、報道の手段及び方法が法令違反に触れていなかったとしても、取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びると判断した[197]。

最高裁は、1971年5月18日頃、西山はそれまで親交がなく愛情を寄せていなかった女性事務官とかなり強引に肉体関係を持った上で、秘密文書の持ち出しを依頼し、同年6月17日の沖縄返還協定締結後、取材の利用価値がなくなり、同年8月上旬から女性事務官への態度を急変させ他人行儀となったと認定した[198]。最高裁は、西山の取材行為を社会観念上是認することができず、正当な取材活動の範囲を逸脱していると判断した[36]。

女性事務官の証言

最高裁は、西山の女性事務官への取材に関しては、社会観念上是認できず、正当な取材活動から逸脱していると判断しているが、西山は、秘密電文提供を目的として女性事務官に強要や要請は行っておらず、女性事務官から渡してくれたと語っている[199]。

最高裁の判決文によると、1971年5月18日頃、西山はそれまで親交がなかった女性事務官とかなり強引に肉体関係を持ったとしているが、同年5月22日の2回目の逢瀬の際、その場所を決定したのは女性事務官であった[200]。さらに、西山が秘密書類の持ち出しを女性事務官に告げた際、女性事務官は書類の持ち出しのために関係を持ったと自覚したと語っているが、その後も関係を続けている[200]。

最高裁の判決文によれば、沖縄返還締結後、西山は取材の必要がなくなり、8月上旬に女性事務官との関係を解消したとしている。女性事務官は、西山と最後に逢ったのは8月7日で、「利用価値がなくなったので、捨てられたものだろう」供述している[201]。しかし、一審の第11回公判の被告人質問において西山は、女性事務官との個人的関係が切れたのは1971年9月14日か15日のどちらかと答えている[202]。それに対して、女性事務官は「もっと早い時期ではなかったかと記憶しているんですけれども、私の記憶違いかもしれません」と答えている[203]。さらに、西山側の弁護人から9月頃にも秘密文書を提供していたことを質問された際には、記憶にないと答えている[204]。

西山側は、情報源を守れなかった責任を取るために、西山側が女性事務官の供述内容の信憑性を争うのを避けた[205]ことによって、女性事務官の供述・証言が裁判の判決及び決定に大きな影響を及ぼすこととなった。

ジャーナリストの江川紹子は、2023年(令和5年)2月現在、インターネット上では西山が強姦犯であるかのような説が流布されているが、これらはデマで名誉毀損にもあたるため、発信・拡散者に速やかな削除を促している[206]。池田信夫、石井孝明及び宮崎岳志もまた西山が強姦犯であるかのような説を否定している[207][208][209]。

密約文書の発見と2つの訴訟

密約文書の発見と関係者の証言

アメリカ合衆国では、作成から25年が経過すると機密解除される仕組みとなっていた。1998年、柏木雄介とアンソニー・J・ジューリック間で交わされた「SECRET Memo Noted by D. M. K. 」と題された文書[210][211]が発見された。文書には、日本側が負担する沖縄返還に伴う費用のリストが記載されており、総額6億8500万ドルに及び[212][213]、沖縄返還協定に記載された3億2000万ドルと大きく食い違っていた。さらに、当該文書には手書きで「AJJ」と「YK」のイニシャルが署名されている。

1999年7月26日[注釈 32]、吉野文六はオーラル・ヒストリーにおいて、沖縄県にあったアメリカの施設の撤去費用について、アメリカ側と交渉していたと証言した。撤去費用の問題に関しては、ある日大蔵省の方から数字を出してきたという[214]。

2000年5月29日、我部政明と朝日新聞はアメリカの公文書館から密約に関する文書を発見した[注釈 33]。発見した文書において、「CONFIDENTIAL SUMMATION OF DISCUSSION Of Article IV, Para 3」と題された文書(以下、4条3に関する議論の要約)には、3億2000万ドルから400万ドルを確保することが記載され、手書きで「B Y」と記載されていた[217][218]。さらに、「SECRET Memo」と題された文書には、VOAの移転費用1600万ドルは施設移転改善費用6500万ドルから差し引くと記載されていた[219][220]。

さらに、ドルから円への沖縄通貨交換で生じる6000万ドルを連邦準備銀行に無利子で25年間預けることで、アメリカ側に1億1200万ドルの利益を与え、基地改善移転費用6500万ドルと基地従業員の労務管理費1000万ドルを日本側が提供する密約も明らかになっている[221]。1億1200万ドルの利益も含めると、アメリカ側が得られる利益は合計1億8700万ドルにも上る。

2002年6月に明らかになった文書[注釈 34]によれば、「400万ドルという数字と日米間の取り決めが公にならないようにすることに日本政府は神経を尖らせている」とし、日本政府はアメリカ政府に対し、報道機関の追及を受けた場合、同じように対応するように求めていた[222]。同年7月の参議院外交防衛委員会で川口順子外務大臣は、一昨年に当時外務大臣だった河野洋平が吉野文六に聞き取りを行い、密約がないことと確認したと答弁した[223]。

2006年2月、吉野文六は北海道新聞の取材を受け、原状回復費400万ドルは日本が肩代わりしたものとし、密約の存在を認めた。さらに、2000年に当時外務大臣だった河野から「とにかく否定してくれ」と口裏合わせを依頼されたことも明かした[224]。吉野が証言した後の予算委員会において、麻生太郎外務大臣は密約の存在と河野による口裏合わせの依頼を否定した[225]。

国家賠償請求訴訟

密約を示す文書の発見を受けて、西山は国家賠償請求訴訟の検討を開始した。刑事裁判で西山側の弁護人を務めた大野正男に相談したが、除斥期間を理由にして提訴に反対する意向が伝えられた[226]。その後、静岡県内の弁護士が西山の弁護人を務めることとなった[227]。

2005年4月25日に西山は「密約の存在を知りながら違法に起訴され、名誉を侵害された」として国に謝罪と約3300万の賠償を求めて東京地裁に提訴したが、2007年3月27日、東京地裁(加藤謙一裁判長)は、「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」とし訴えを棄却した[228]。判決において、密約の存在には全く触れられなかった[229]。西山は「想像していたものの中で、一番グレードの低いものが出てきた」と判決を批判した[230]。西山は判決に不満を募らせるあまり、公衆の面前で担当弁護士を批判してしまったという[231]。

2007年4月9日、西山側は東京地裁判決を不服として控訴した。密約の存在を認めた当時の外務省アメリカ局長・吉野文六を証人申請したが、東京高等裁判所は「必要なし」と却下した[232]。2008年2月20日、東京高裁(大坪丘裁判長)は、20年の除斥期間で請求権は消滅したとして控訴を棄却した。ここでも密約の有無について言及はなかった。判決後の会見で西山は、「司法が完全に行政の中に組み込まれてしまっている。日本が法治国家の基礎的要件を喪失している」と語った。

原告側は上告したが、2008年9月2日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は上告を棄却し、一審・二審の判決が確定した[233]。3日後の朝日新聞の社説は、「政府が国民にうそをつき続ける」と書いた。

情報公開訴訟

西山は情報公開訴訟の検討を開始し、2008年7月頃に小町谷育子弁護士のもとを訪れたが、小町谷弁護士は西山が自身の名誉を回復するために情報公開訴訟を利用する印象を受け、協力は難しいと考えていた[234]。その後、西山の刑事裁判の資料を読み、「国民が十分な情報を得られているのか。裁判がそうした問いを投げかける器になれば」と考え、情報公開訴訟に協力することとなった[235]。

2008年9月2日、沖縄返還公開請求の会[注釈 35]は外務省と財務省に外交文書の情報公開を求めた[236]が、同年10月2日、外務省と財務省は対象文書の不存在を理由に不開示の決定を下した[237]。

2009年3月16日、桂敬一と柴田鉄治が共同代表を務める原告側[注釈 36]は、不開示の決定の取り消しと慰謝料1人10万円の支払いを求め提訴した[238]。なお、小町谷弁護士によれば、今回の情報公開訴訟は国民の知る権利が保障されているのか問いかける訴訟との位置づけであり[239]、西山はあくまでも原告の一人となっている[240]。

開示請求された文書は、「4条3に関する議論の要約」及び「VOAの移転費用が記載された『SECRET Memo』と題する文書」、「柏木とジューリック間で交わされた『SECRET Memo Noted by D. M. K. 』と題する文書」であった[241][242]。

同年12月1日、証人として出廷した吉野文六は、文書に記載された「B Y」を自身の署名と認めた[47][243]。証言後の記者会見では「密約の存在を認めるべき」と語った[244]。

2010年4月9日、東京地裁(杉原則彦裁判長)は文書開示と慰謝料の支払いを命じた。判決では行政機関が文書を保有していたことの立証責任は請求者側に義務があるとしたが[245]、過去のある時点において文書が保有されたことを立証できれば、特段の事情がない限り不開示決定の時点でも文書を保有していると判断できるとした[246]。同日、岡田克也外務大臣は判決に納得できず控訴の可能性を示唆し[247]、同月22日、国側は判決を不服として控訴した。

2011年9月29日、東京高裁(青栁馨裁判長) は原判決を取り消す判決を下した。東京高裁は、文書不存在を理由とする不開示決定の取り消しを求める場合、文書を保有していることの立証責任に関しては、開示請求者が負うものとした[248]。外務省と財務省が網羅的な調査を徹底したが、文書が発見されなかったことを考慮すると、文書が廃棄された可能性も否定できないとした上で、不開示を決定した時点で文書の存在を認める証拠が足りないと判断した[249]。

2014年7月14日、最高裁判所第二小法廷(千葉勝美裁判長)は上告を棄却し、密約文書を不開示とした政府の決定を妥当だとする判断を下した。控訴審判決と同様に最高裁は、不存在を理由とした不開示決定の取り消しを求める場合、取り消しを求めるものが立証責任を負うものとした[250]。不開示決定時点で行政機関が文書を保有していたか推認する場合、保有文書の内容や性質、作成経緯、保管体制などに応じて個別具体的に検討すべきとした[250]。その上で密約文書については、過去に作成されたとしても、不開示決定時点まで保有されていたことまでは推認できないと結論づけた[251]。西山は「これでは都合の悪い情報は廃棄してしまえば公開しなくてもいいということになる。ひどい判決だ」と語り、同判決を批判した[252]。

民主党政権下での動き

いわゆる「密約」問題に関する調査

2009年9月16日、自公連立政権から代わった民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣が成立した。外務大臣に就任した岡田克也は、かねて計画していた情報公開の一環として、密約関連文書を全て調査した上、報告するよう外務省に命令した[253]。9月16日付外務大臣命令では、1972年の沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」も調査対象とされた。同月25日、外務省は北野充大臣官房審議官をヘッドとする調査チームを立ち上げた[254]。

2009年11月24日、いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会[注釈 37]が設置され、2010年1月中旬を目途に報告書を提出することとした[255]。2009年12月4日には、藤井裕久財務大臣が財務省でも密約の裏付けとなる文書の調査を行うと表明した[256]。2010年1月、有識者員会の北岡座長は、検証文書が膨大な上に機微な文書を取り扱うため、報告書提出まで1か月を要すると岡田外務大臣に報告し、岡田外務大臣はこれを了承した[257]。

2010年3月9日、有識者委員会は密約問題に関する報告書を提出した。有識者委員会は報告書の冒頭で、国家間の合意または了解の内、国民に非公開の合意内容を有する者を密約とし、合意内容を記した文書が存在する場合を「狭義の密約」とし、文書が存在せず暗黙の裡に存在する場合を「広義の密約」定義した[258]。

有識者委員会は、アメリカ議会の議員を説得するための材料として、イニシャル署名入りの「4条3に関する議論の要約」が用意されたと結論付けた[259]。なお、「4条3に関する議論の要約」は外務省内を調査したが、発見されなかったとしている[260]。

有識者委員会の結論として、原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」は明確に文書化されていないが、両政府の財政処理を制約するものとなるため、「広義の密約」に該当すると判断した[261]。なお、実際に支払われた原状回復補償費は150万ドル程度であったと有識者委員会は推察している[262][注釈 38]。

小野寺五典は、有識者報告書に対して奥歯に物が挟まった印象を抱いたとし、狭義・広義の使い分けなく密約を表に出してほしかったと述べている[264]。また、岩屋毅は、「狭義の密約」と「広義の密約」との新定義を正しいものと定着させることに疑問を呈し、新定義が独り歩きすることを懸念した[265]。

2010年3月12日、菅直人財務大臣は、財務省での調査結果が公表し、通貨交換で日本側が得た6000万ドルを連邦準備銀行に無利子で預金したことは「広義の密約」当たるとした[266]。

2010年5月25日、岡田外務大臣は、「外交記録公開に関する規則」を制定し、作成から30年経過した外交文書については、プライバシー情報や外交上不利益を被る場合を除き、全て自動的に開示することとした[267][268]。

原状回復補償費に関する証言

森田一は沖縄タイムスの取材に対し、自身が原状回復補償費の見積もりを実施したと明らかにした[269]。沖縄返還に伴う大蔵省と外務省の協議があり、大蔵省からは主計局法規課長の戸塚岩夫と同課長補佐の森田、外務省からは中島敏次郎条約課長と栗山尚一法規課長が参加した。その会議の席上で戸塚がアメリカへの原状回復補償費の要求を主張したと語った[270][271]。さらに、裁判からの呼び出しがあれば、西山さんは正しいと証言する覚悟があると語っている[272]。

1970年12月かその翌月に、戸塚から指示を受け、森田は原状回復補償費の算定のために隠密で沖縄を訪れ、大雑把に300数十万ドルという金額を出した[273]。その後、原状回復補償費が400万ドルになった経緯については分からないと語っている[274]。なお、原状回復補償費の要求は、柏木雄介とアンソニー・J・ジューリック間の交渉とは別ルートで行っていたという[275]。

外務省は原状回復補償費の請求に後ろ向きではあったものの、アメリカ側に要求したところ、アメリカ側は議会を通すのは困難と主張した[注釈 39]。その後、外務省から400万ドルの支払いは日本が肩代わりする案を提示されたと証言した[271]。

森田は西山と2回食事しており、その席上で原状回復補償費の問題を細かく聞かれて不思議に思ったという[277]。また、横路の秘密電文暴露の際に、森田は予算委員会に出席しており、自分たちでやった話でびっくりしたと語っている[278]。

自公政権下での動きと関係者のその後

自公政権下での動き

2013年10月22日、森雅子国務大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画担当相)は10月22日の記者会見で、特定秘密保護法案で処罰の対象となる「著しく不当な取材」について質問され、「西山事件の判例に匹敵するような行為だと考えております」と答えた[279]。これに対し西山は、「森担当相の発言は全体的な捉え方をしておらず、的外れだ」と指摘した[280]。同月25日、第2次安倍内閣は同法案を提出し、同年12月6日に成立した。

アメリカのナショナル・パブリック・ラジオは、特定秘密保護法の論評で本事件にも触れ、「日本の裁判所は、報道の自由についての裁判で、報道機関側に有利な判決を下したことはない。唯一の判例である1978年の最高裁判決は、国家安全保障を理由にジャーナリスト(=西山太吉)の有罪判決が確定された。彼(西山)が公開した情報は、アメリカ合衆国では機密指定を解除されていたのだが」と論評している[281]。

2014年2月28日の予算委員会において、岡田克也から密約の見解を問われた際、安倍晋三首相と岸田文雄外務大臣は「長期間にわたり国民に明らかにされなかったことについて遺憾である」と述べた[282][283][284]。いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書で「ある期間、ある程度の秘密性はつきも のである。ある外交が適切なものであったかどうかは、当時の国際環境や日本 国民全体の利益(国益)に照らして判断を下すべきもの[285]」と言及されており、岸田外務大臣はこの考え方を踏襲すると答えた[286]。

2019年2月12日の予算委員会において安倍首相は、日米の密約問題について「あのときああいう約束をしていなかったら沖縄が返還できたかといえば、そうではないんだろう」と述べ[287]、やむを得なかった認識を示した[288]。

関係者のその後

『FRIDAY』が2013年12月13日号において「「西山事件で人生壊れた」〈外務省機密漏えい〉女性事務官の夫がスクープ告白」という記事を掲載[289]。この中で、女性事務官の現在を報道した。それによると、(取材当時)離婚後に再婚し現在は83歳。77歳の再婚相手によると3年前に脳梗塞で倒れ、時どき意識が混濁することがあるとのことである。

2015年3月29日、肩代わりの密約の存在を認めた吉野文六は肺炎のため死去した[290]。96歳だった。

2023年2月2日、外務省の機密電文を国会で暴露した横路孝弘が肝内胆管がんのため死去した[291]。82歳だった。

2023年2月24日、当事者であった西山太吉が心不全のため、福岡県北九州市の介護施設で死去した[292]。91歳没。

時系列

佐藤=ニクソン共同声明から最高裁判決まで

  • 1969年11月21日 - 佐藤=ニクソン共同声明で「核抜き、本土並み」の沖縄返還を約束
  • 1971年5月18日頃 - 西山は、従前それほど親交のあつたわけでもなく、また愛情を寄せていたものでもない女性事務官をはじめて誘って酒食を共にしたうえ、かなり強引に同女と肉体関係を持った[198]。
  • 1971年5月22日以後 - 再び肉体関係をもつた直後に、前記のように秘密文書の持出しを依頼して懇願し、同女の一応の承諾を得、さらに、電話でその決断を促し、その後も同女との関係を継続して、同女が被告人との右関係のため、その依頼を拒み難い心理状態になつたのに乗じ、以後十数回にわたり秘密文書の持出しをさせていた[36]。
  • 1971年6月11日 - 西山が疑惑をにおわせる署名入り記事(ただし、核心は紙面化せず)
  • 1971年6月 - 福田赳夫外務大臣が「裏取引は全然ありません」と国会で答弁。
  • 1971年6月17日 - 日米間で沖縄返還協定調印。
  • 1971年6月28日 - 西山が渡米。沖縄返還協定が締結され、もはや取材の必要がなくなり、同月二八日被告人が渡米して八月上旬帰国した後は、同女に対する態度を急変して他人行儀となり、同女との関係も立消えとなった(最高裁判決原文より)[36]
  • 1971年11月17日 - 衆議院沖縄返還協定特別委員会で強行採決。
  • 1972年3月27日 - 衆議院予算委員会で社会党議員の横路孝弘と楢崎弥之助が政府説明と正反対の内容の外務省極秘電文を公開。密約の存在を追及。
  • 1972年3月30日 - 外務省の内部調査で、女性事務官が「私は騙された」と泣き崩れて西山に機密電信を手渡したことを自白。
  • 1972年4月4日 - 国家公務員法111条(秘密漏洩をそそのかす罪)違反で西山が女性事務官とともに逮捕される。
  • 1972年4月5日 - 毎日新聞は朝刊紙上で取材活動の正当性を主張。他紙も同調。
  • 1972年4月15日 - 東京地方検察庁検察官佐藤道夫が起訴状に「ひそかに情を通じ…」と記載。同日夕、毎日新聞夕刊が「本社見解とおわび」を掲載。
  • 1972年5月15日 - 26年ぶりに沖縄復帰。
  • 1972年6月 - 佐藤栄作首相が退陣会見で内閣記者団と衝突。「テレビ、前に出て下さい。新聞記者とは話したくない」発言が出る。7月総辞職。
  • 1974年1月30日 - 一審判決。女性元事務官に懲役6月・執行猶予1年、西山には無罪判決。毎日新聞退職。
  • 1974年12月 - 佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞
  • 1976年7月20日 - 二審判決。西山に懲役4月・執行猶予1年の有罪判決。西山側が上告。
  • 1978年5月30日 - 最高裁判所が上告棄却。西山の有罪が確定。

米国の公文書公開以降

  • 2000年5月 - 我部政明・琉球大学教授と朝日新聞が、アメリカ国立公文書記録管理局で、25年間の秘密指定が解かれたアメリカ公文書類の中に、密約を裏付ける文書を発見。西山がスクープした400万ドル以外に日本が1億8700万ドルをアメリカ合衆国に提供する密約が記されていた[293]。
  • 2002年6月 - 1972年6月のアメリカ国家安全保障会議が作成した応答資料が公開され、「日本国政府が、400万ドルという数字と日米間の密約が公にならないように神経をとがらせていて、メディアの追及に対して米国側に同一歩調をとるように要求してきている」と記載されていた[294]。
    • 同月、福田康夫官房長官は記者会見で「密約は一切ない。肩代わりをしていないので密約をする必要もないというのが論理的帰結だ」と答えた[295]。
    • 川口順子外務大臣は記者会見で「事実関係として密約はない」と答え[296]、翌月の国会では「かつて〔2000年〕河野洋平外務大臣が吉野(文六)元アメリカ局長に密約の有無を確認したところ、吉野氏は、密約は無いと回答したと聞いている」と答弁した[297]。
  • 2005年4月 - 西山が「国家による情報隠蔽・操作が容易にできることを裁判を通じて国民の前に明らかにする」として国家賠償請求を東京地方裁判所に提訴。
  • 2006年2月8日 - 北海道新聞の取材に対して、吉野が日本側当事者として密約の存在を初めて認めた。一方、安倍晋三官房長官は同月の記者会見で「まったくそうした密約はなかった」と主張した[295]。
  • 2007年3月27日 - 東京地方裁判所で加藤謙一裁判長は「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」として西山の訴えを棄却した。なお、密約の存在には全く触れなかった[298]。原告は控訴。
  • 2007年5月 - 沖縄タイムスが、米公文書から日本国政府が米国に支払った400万ドルのうち300万ドル以上が権利者に支払われず、その一部がアメリカ陸軍経費に流用されていた事実を発見[299]。
  • 2007年12月 - 高村正彦外務大臣が「歴代外務大臣が答弁しているように密約はございません」と国会で答弁[300]。
  • 2008年2月20日 - 二審東京高等裁判所の大坪丘裁判長は「20年の除斥期間で請求権は消滅」として原告敗訴とした。密約の有無についての言及はなかった[301]。
  • 2008年9月2日 - 最高裁判所第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は、原告の上告を棄却し、一審・二審の判決が確定[302]。同日、作家や研究者、ジャーナリストら63人は連名で、行政機関の保有する情報の公開に関する法律に基づき、外務省と財務省に対して「沖縄返還をめぐり日米両政府間で交わされた密約文書3通(米公文書では開示されている)」の開示を請求した[303]。
  • 2008年10月2日 - 外務省と財務省は、対象文書の「不存在」を理由に不開示を決定した[237]。
  • 2009年3月14日 - 岡田克也・民主党副代表、「やりたいのは情報公開。政権交代が成ったら隠している物を全部出す、日本国政府がどれだけ嘘を言ってきたか解る」と発言[304]。
  • 2009年3月18日 - 西山ら25人が、国に不開示処分取り消しと文書開示、慰謝料を請求する「沖縄密約情報公開訴訟」(以下「密約訴訟」)を提起。8月、吉野を12月に証人として呼び、尋問することが決定[305]。
  • 2009年7月11日 - 2001年4月1日の行政機関の保有する情報の公開に関する法律施行に先立ち、2000年に中央省庁各所で書類処分が行なわれたが、量は外務省が頭抜けて多く、しかも、廃棄された書類のなかには密約関係のものも含まれていた疑いがあることを『朝日新聞』がスクープ[306][注釈 40]。

民主党による政権交代後の動き

  • 2009年8月30日 - 第45回衆議院議員総選挙。自民党が下野、民主党中心の民社国連立政権となる。
  • 2009年9月17日 - 鳩山由紀夫内閣で外務大臣に就任した岡田克也、非核三原則の裏で結ばれた日米核持ち込み密約問題 と、朝鮮半島有事における作戦行動に関する密約に加えて、沖縄返還協定の密約も調査公表するよう外務省・藪中三十二事務次官に指示。期限は11月末まで[308][309]。20日、『サンデープロジェクト』内で、外部の有識者による調査(関係者からの聞き取り、アメリカでの調査)を10月下旬から開始、また外交文書の公開についても、外務省内のみで決めていたのを見直し、きちんと定めたい旨言明。
  • 2009年11月27日 - 岡田外相の委嘱により、いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会が発足。座長は北岡伸一・東京大学教授[310]。
  • 2009年12月1日 - 密約訴訟に原告側証人として出廷した吉野が、これまでの発言を撤回。「過去の歴史を歪曲するのは、国民のためにならない」と証言し、密約が存在する事実[311]、密約文書に「BY」(=Bunroku Yoshino)、交渉相手だったアメリカのリチャード・スナイダー公使が「RS」(=Richard Snyder)と署名した事を認める[312][313]。
  • 2009年12月22日 - 佐藤榮作元内閣総理大臣私邸から、佐藤=ニクソン共同声明における、核密約と繊維問題に係る覚書文書(秘密合意議事録)が発見され、佐藤家が保管していることが判明した[314]。若泉敬は、ウエストウイングのオーバル・オフィス隣接の小部屋で、佐藤とニクソンの二人きりで署名したと証言している[315]。
  • 2010年2月16日 - 密約訴訟、結審。判決は4月9日に言い渡し予定[316]。岡田外相、平岡秀夫の質問に対して、密約調査結果の公表について「3月中には」と衆議院予算委員会で答弁[317]。
  • 2010年2月27日 - 西山、訴訟支援集会で「最大の密約は6500万ドルの米軍施設改良工事費だ」「1ドル分も返還協定書に記載されていない。外務省の予算項目を変えて潜り込ませて、国会の審議ではフリーパスだった」と発言。我部も「日米の共犯で米軍基地が残った。密約がその共犯関係を押し隠している」[318]。
  • 2010年3月9日 - 「密約」問題に関する有識者委員会、原状回復費の肩代わりほか4つの密約について岡田外相に報告書提出。原状回復費の肩代わりの合意及び出費について、文書化はされていないものの、両政府の財政処理を制約するものとなるため、「広義の密約」に該当すると判断した[261]。
  • 2010年4月9日 - 密約訴訟判決。東京地裁(杉原則彦裁判長)は「国民の知る権利を蔑ろにする外務省の対応は、不誠実と言わざるを得ない」[319] として外務省の非開示処分を取り消し、文書開示(本当に存在しないなら“いつ” “誰の指示で” “どの様に”処分されたのかも)と、原告一人当たり10万円の損害賠償を国に命令[320]。
    • 西山は文京区民センターでの講演『知る権利は守られたか』でこの判決を「歴史に残る判決」と評価し、「われわれが裁判を起こして今回の判決を導き出していなければ、外務省の外部有識者委員会による報告書が密約問題に関する唯一の解明文書となり、国民の知る権利は封殺されていただろう」と述べた[321]。行政訴訟では一審で勝訴したものの、西山自身の刑事事件には関係ないため、有罪判決は変わらない。再審請求について問われると「全く考えていません」と述べた[322]。
  • 2010年4月22日 - 外務省、「保有していない文書についての開示決定を行うことはできない」として、密約訴訟の開示命令判決に対し控訴[323]。
  • 2010年5月 - 外務省、2009年9月の外務大臣発言に基づき、公文書公開に関する規則を決定。作成後30年経過したものは開示する旨定める[267]。
  • 2010年12月7日 - 外務省、沖縄返還や60年安保関連の外交文書を、12月22日に公開することを決定[324]。公開された文書により『アメリカ合衆国連邦政府が負担すべき米軍基地の施設改良費6500万ドルの肩代わり密約』が存在していたことが判明[325]。
  • 2011年1月30日 - 沖縄密約情報開示訴訟原告団、「市民による沖縄密約調査チーム」を結成。日本側に残っている文書とアメリカ国立公文書記録管理局保管の文書を突き合わせて、欠落・廃棄部分は何か究明を目指す。
  • 2011年2月18日 - 西山と事務官が逮捕された直後の1972年4月5日、駐米大使・牛場信彦が外務大臣・福田赳夫に宛てた公電で、アメリカ側の反応を報告していた事が判明。国務次官ウラル・アレクシス・ジョンソンに電話を入れ“事件でアメリカ側が気分を害したとすればまことに遺憾、再発防止に努める”と謝罪、ジョンソンからは謝罪を了とし「極めて手際良く処理された」と評価されたという[326]。
  • 2011年5月17日 - 密約情報開示訴訟控訴審結審、9月29日判決。「政府が文書はあったが廃棄済みで存在しないと言っているからそれを信じるしかない」との趣旨で原告逆転敗訴。原告側は上告。外務省に対し公開質問状を提出、回答を要求[327]。

自民党政権復帰後

  • 2012年12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙が実施され、自民党が第一党奪還。
  • 同年12月26日 - 第2次安倍内閣が発足。
  • 2013年12月13日 - 日本国政府が特定機密指定した事項について最長60年の開示保護を行い、内容を探知し公表した者を処罰する「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)が制定される。
  • 2014年7月14日、密約情報開示訴訟上告審判決で、最高裁第二小法廷は上告を棄却し、密約文書を不開示とした日本国政府の決定を妥当だとする判断を下した。9月1日、渡邉恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆は「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」で『甘言を弄して女性に国家機密を盗ませたのは事実である。言論の自由ということとはいささか違うという気がする』と西山太吉を事実上批判した[328]。
  • 2023年2月24日、西山太吉が心不全のため亡くなる(満91歳没)。

映画・テレビ・ルポなど

創作作品

脚注

注釈

  1. ↑ 一部では、「西山事件」「外務省機密漏洩事件」という呼称を、権力側から見た不適当な呼称とする主張もある[5]
  2. ↑ 原状回復補償費は、アメリカが軍用地として使用した土地を地権者に返還する際に、元の状態に戻すために、アメリカ側が支払うべき費用のことを指す。
  3. ↑ 1974年当時、新潮社は女性事務官を実名で報道していたが、2023年時点ではプライバシーの観点から匿名としており[7]、事件から30年以上経った時点での女性事務官の実名報道を疑問視する声もある[8]。澤地久枝の著書『密約 外務省機密漏洩事件』においては女性事務官を実名で記している。
  4. ↑ 沖縄返還協定第4条3項に記載されている内容
  5. ↑ 森田一によると、原状回復補償費の要求は戸塚岩夫の主張だったとし、柏木雄介とジューリック間の交渉とは別ルートだったと証言している[32]。
  6. ↑ 安川壮外務審議官付事務官として秘書業務に従事していた
  7. ↑ 「みせかけ」と訳する文献[39][40]もあれば、「外観」と訳する文献[41]もある。
  8. ↑ 「320」は、沖縄返還協定第7条に記載されたアメリカに支払う3億2000万ドルのことを指し、原状回復補償費400万ドルを差し引くと3憶1600万ドルとなる。
  9. ↑ ここで言及されている法律は、合衆国法典第22編第2668a条(Disposition of trust funds received from foreign governments for citizens of United States)のことであり、海外から引き出したお金を基金とし、国務長官の権限で支出するという法律。 [43]。
  10. ↑ ただし、本項の規定に基づき行われる拠出金額は、400万米ドルを超えないものとする。
  11. ↑ 第559電信文には続きがあり、書簡はアメリカ政府内での説明上必要なものとされ、提示する場合は極秘資料として取り扱い、日本側に迷惑となるようなことではないとしている。日本側は、(イ)に関してはアメリカ内部の問題であって協定へ記載する必要がないとし、(ロ)に関しては資金源を文書化することは受け入れがたいとした。
  12. ↑ 「65」とは施設整備用の6500万ドルのことを指し、アメリカ側が日本側に対して自由に使わせてほしいというような趣旨を述べている[45]。
  13. ↑ 首相佐藤榮作は西山と女性事務官の不倫関係を掴むと、「ガーンと一発やってやるか」と呟き逮捕に踏み切ったという[69]。
  14. ↑ マスコミ自らが「密約問題」を「漏洩問題」にすり替えたと言う指摘もある[80]。
  15. ↑ 西山は大平正芳と親しかったため、大平派による倒閣運動とする観測が永田町内で広がった[83][84]。佐藤は自民党内のポスト佐藤を巡る争いと極秘電文の漏洩の関係性を知りたがっているようだと新村正史は推察している[85]。
  16. ↑ 警察官僚から弁護士に転身した経歴を持つ。
  17. ↑ 前述の川端の自殺と絡めたもの。
  18. ↑ 日本民主法律家協会の要請を受け、日弁連が特別員会を設置し調査することとなった[103]。1年余の調査を経て1973年8月に報告書は公表された[104]
  19. ↑ 日本社会党の安井吉典は女性事務官と面会した際に、見舞金を手渡し、支援を申し出たが、女性事務官は終始無言で話すのは弁護人だったと語っている[142]。
  20. ↑ 追及を避ける意図に加え、そもそも電信文の存在をあまり記憶していなかったとも述べている。
  21. ↑ 沖縄返還交渉大詰めの1971年5月当時、朝日新聞政治部次長で、1973年1月当時、朝日新聞編集委員
  22. ↑ 1973年2月当時、毎日新聞経済部副部長
  23. ↑ 『週刊新潮』1974年2月7日号、女性事務官「私の告白」。他、『週刊ポスト』2月15日号、『女性セブン』2月20日号、『女性自身』3月22日号でも女性事務官の夫が同様の主張をした。
  24. ↑ 世間一般に知られておらず、実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるもの。行政機関等が指定した秘密は形式秘と呼ばれる。
  25. ↑ 西山の取材行為が国民の利益(沖縄返還交渉や将来の外交交渉)に悪影響を及ぼすか否かを検討する。
  26. ↑ 女性事務官は「どうにも逃げられないという気持ち」であった証言している。
  27. ↑ ただし、西山によると女性事務官は好意的に取材に協力していたと答えている[186]。
  28. ↑ 国家の利益に反するとの判断により秘匿される秘密。
  29. ↑ 時の政府の政治的利益のために秘匿される秘密。
  30. ↑ 政府が憲法上授権されていない事項に関して行動したために秘匿される秘密。
  31. ↑ さらに、当該文書が「違法秘密」には該当しないとも判断している。
  32. ↑ インタビューは1999年に実施されたが、報告書は2003年7月に発行されており、発言から公表まで間隔が空いている。
  33. ↑ 入手した文書はマイヤー駐日大使が国務省に提出した「沖縄返還書類つづり」と国防総省と陸軍省が作成した「想定問答集」であった[215][216]。
  34. ↑ 発見されたのはアメリカの国家安全保障会議が作成した応答資料であった。
  35. ↑ 学者やジャーナリストら計63名から成り、共同代表は原寿雄と筑紫哲也、奥平康弘で、西山太吉と我部政明も名を連ねた。
  36. ↑ この他に西山太吉や奥平康弘、我部政明、山口次郎、澤地久枝らが名を連ね、総勢25人からなる。
  37. ↑ 委員会は北岡伸一を座長とし、河野康子 及び坂元一哉、佐々木卓也、波多野澄雄 、春名幹男から構成される。
  38. ↑ 沖縄タイムスの報道によれば、実際に支払われた原状回復補償費は100万ドルを下回ったとしている[263]。
  39. ↑ 日本では内閣が作成した予算案を国会に提出するが、アメリカでは議会が予算案を作成し、大統領が署名し成立する[276]。
  40. ↑ 2010年12月には、外交文書公開により、原本か写しかは不明だが密約関係の機密扱い訓電3通が焼却処分されていた事が判明した[307]。

出典

  1. ↑ “西山事件の用語解説・ニュース:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2024年3月29日). 2024年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月18日閲覧。
  2. ↑ “外務省幹部が証言を拒んだワケ 「西山事件」の書簡を本人と読んだ:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年10月12日). 2024年8月18日閲覧。
  3. 1 2 3 土江真樹子 著「沖縄返還密約事件を追って 封印を解く歴史ドキュメンタリー」、筑紫哲也、佐野眞一、野中章弘、徳山喜雄 編『職業としてのジャーナリスト』岩波書店、2005年、58-67頁。ISBN 4-00-026397-8。
  4. ↑ 高須正郎「沖縄密約暴露事件」『日本大百科全書』小学館。コトバンクより2024年8月14日閲覧。
  5. ↑ 諸永裕司 (2022年5月13日). “「民主主義よりコンチクショウ」の覚悟 密約事件、半世紀の宿題:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2024年8月18日閲覧。 “長い間、「外務省機密漏洩(ろうえい)事件」あるいは「西山事件」と呼ばれてきた。いずれも、秘匿しておきたい情報を暴かれた権力側が論点をすり替え、記者の取材手法を問う視点からの名称といえる。しかし、本質は違う。政府が国民への説明を避けて密約を結び、国会で噓をつき通したことにある。だから、私は「沖縄密約事件」と呼び直すことから始めた。”
  6. ↑ 「第3部  I 資料 4. 沖繩返還協定及び関係資料 1. 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」『わが外交の近況 昭和47年版』16号、外務省、1972年7月。オリジナルの2011年8月4日時点におけるアーカイブ。2026年10月18日閲覧。
  7. ↑ “「西山事件」外務省女性事務官「悔恨の手記」に綴られていた悲痛な叫び 「西山記者と毎日新聞は私の最後のトリデである家庭までも破壊した」”. デイリー新潮. 新潮社 (2023年3月9日). 2026年10月14日閲覧。
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  208. ↑ 石井孝明 (ishiitakaaki) "西山記者が女性事務官を暴行という言説が飛び交っているけど、澤地久枝「密約」では、女性の方から持ちかけ、それを西山氏が認めたという話と書いてあった。前者の出典教えて。" 2023年2月27日午前10:06. Tweet.
  209. ↑ 宮崎岳志 (MIYAZAKI_Takesh) "西山太吉氏の口説きは強引だが、強姦・脅迫とはいえまい ↓ 最高裁判決『Bをはじめて誘つて一夕の酒食を共にしたうえ、かなり強引に同女と肉体関係をもち、(中略)再び肉体関係をもつた直後に、前記のように秘密文書の持出しを依頼して懇願し、同女の一応の受諾を得、さらに、電話でその決断を促し』"2023年2月27日午後5:13. Tweet.
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参考文献

裁判に関する文献

刑事裁判

情報公開訴訟

関連項目

外部リンク