護命(ごみょう、天平勝宝2年(750年)- 承和元年9月11日(834年10月20日))は、奈良時代末から平安時代前期にかけての法相宗の僧。俗姓は秦氏。小塔院僧正とも呼ばれる。美濃国各務郡の出身。奈良市西新屋町45番地、史跡「元興寺小塔院」に墓が残っている。

日本における法相教学の大成者で、元興寺の法相宗が興福寺の法相宗に上回る原動力となった。著作に天長六本宗書の一つ『大乗法相研神章』5巻などがある。比叡山の最澄による天台戒壇独立運動には僧綱の上首として反対した。一方で真言宗の空海とは親交があり、空海から80歳を祝う詩(『性霊集』巻十所収)を贈られている。

経歴

脚注

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  1. ↑ 『日本後紀』弘仁2年6月6日条の卒伝は名を勝悟と表記するが、勝虞が一般的。
  2. ↑ 『僧綱補任』は同年の律師補任を記す一方、弘仁6年の少僧都補任記事に「律師を経ざるか」と記しており、朱注で矛盾を指摘されている。僧綱への登竜門である維摩会講師を大同3年に務めたとの記事がある点も、朱注で「不審」とされている。『続日本後紀』の卒伝は、律師補任にふれず「擢んじて少僧都に任ず」としているので、律師を経ずに少僧都に抜擢された可能性も十分考えられる。
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