近衛位子

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近衛位子
続柄 亀山天皇女御

称号 新陽明門院
身位 女御、従三位・准三宮、女院
出生 弘長2年(1262年)
死去 永仁4年正月22日(1296年2月26日)(享年35)
配偶者 亀山天皇
子女 啓仁親王、継仁親王
父親 近衛基平
母親 久我通能女
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近衞 位子(このえ いし、弘長2年(1262年) - 永仁4年正月22日(1296年2月26日))は、鎌倉時代後期の女性。亀山上皇の女御。女院。院号は新陽明門院。関白・近衛基平の娘。

生涯

文永11年(1274年)6月28日に亀山上皇の後宮に入る[1]。その後文永12年(1275年)2月22日に女御となり従三位、准三宮となる[1]。同年3月28日に院号を定め、新陽明門院と為す。建治2年(1276年)に懐妊し、著帯や安産祈願[2]が為され、11月17日に啓仁親王を出産。さらに弘安2年(1279年)に継仁親王を産むがどちらも夭折した。

正応3年(1290年)に落飾[1]。永仁4年(1296年)正月22日に35歳で薨去した。

脚注

  1. 1 2 3 『歴代皇紀』
  2. ↑ 『続史愚抄』建治2年10月13日条など