銀河鉄道の夜の原稿

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銀河鉄道の夜の原稿(ぎんがてつどうのよるのげんこう)では、宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』の自筆草稿について説明する。

原稿は現状、岩手県花巻市の宮沢賢治記念館に83枚が保存されている[注 1]。『銀河鉄道の夜』は賢治の生前には未発表であったため、没後に出版された内容はすべてこの原稿に基づいている。しかしその複雑な構成や下書きに近い内容も混じった状態から、全集編集などのたびに本文が変更されてきた。『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973年 - 1977年)編集に際して実施された入沢康夫と天沢退二郎の調査により、大きく4段階の改稿を受けていることが知られた[1][2]。

原稿各葉

原稿番号次稿数4つ折り痕綴じ穴自筆原稿番号章題第1稿第2稿第2.5稿

[注 2]

第3稿第4稿
14 1.午後の授業第4稿開始。銀河とはなにかと先生が質問
24先生がもう一度質問
34先生の説明
44先生の説明の続き(『ポラーノの広場』の計画メモが抹消されている。)
54 2.活版所活版所へ行く
64活字拾いのアルバイト
74代金をもらって家へ
84 3.家母と対話
94カムパネルラとは父親同士も友人
104銀河のお祭りを見に行く
1131 4.ケンタウル祭の夜 (第3稿開始)
1232 ザネリが「らっこの上着」とからかう(その意味は第3稿に記載されたが4稿では削除)
1333 時計屋の描写(ジョバンニの心理を4稿は削除)
144ここは第4稿 時計屋の星座図
1534 夜の町(ジョバンニの心理は4稿で削除)
1635 牛乳屋へ行く
1736 ジョバンニの心理は4稿で削除
1837 またザネリがからかう
1938 町の北はずれの描写は4稿で削除
2039 5.天気輪の柱
21310 ジョバンニの心理は4稿で削除
原稿5枚分が削除された。ブルカニロ博士がここで一度登場していたと見られる
22316 夜空が林や野原や牧場に見えてくる
23317 6.銀河ステーション
24318 銀河ステーションと声がし、目の前に景色が広がる。
25320 ジョバンニは小さな列車に乗っていた。
26321 カムパネルラも同乗していた
27322 カムパネルラが持つ地図を見る
28319 天の川の描写 (賢治自筆19番の原稿番号がついているが、第4稿でこの部位にさしかえた。)
29323 この電車は石炭を焚いていない
30324 りんどうの花が咲く
31325 7.北十字とプリオシン海岸
32326 白い十字架が立つ島
33327 白鳥の停車場に止まる
34328 2人は下車。河原に出る
35329 「プリオシン海岸」の標札が立つ
36330 化石発掘の現場
37331 学者らしい人の解説
38332 走って汽車に戻る
39333 8.鳥を捕る人
40334 赤ひげの人は鳥をつかまえる商売
41335 とらえた鷺を見る
42336 雁を食べる。菓子の味
43337 鷺は食べるまでが手間
44338 鳥捕りが鷺をつかまえる
45339 鳥捕りが列車に戻る
46340 ジョバンニたちはどこから来たのか、答えられない
47341 9.ジョバンニの切符
48342 車掌の検札
492+ 現存第2稿開始。第2稿ではジョバンニが2人分切符を持つ。3稿以後は2人別々に所持
502+ 鳥捕りが切符を論評
512+ 鳥捕りは消えた
522+ 青年と姉弟登場(第2稿では計5人登場。第3稿から計3人になる)
532+ 青年「わたしたちはじき神さまのとこへ行きます」
542+ 青年の話。タイタニック号らしい船の沈没。(3稿で青年の躊躇を追記)
552+ 青年の話の続き。ジョバンニの感想
562+ りんごが出る(2稿では姉が所持。3,4稿では灯台看守が所持)
572+ りんごをみんなでいただく
582+ からす?を見つける
592+ 讃美歌を歌う(第2稿では「主よみもとに近づかん」の歌詞あり)
第2稿の続き原稿を一枚?削除 [注 3]
601+ 現存第1稿開始。孔雀がたくさんいた
611+ 赤帽の信号手 (第1,2稿でいるかは魚かと議論。第3稿から削除)
621+ 信号手の指示で鳥が飛ぶ
631+ とうもろこし畑、新世界交響楽
641+ インデアン(第2稿では3人だった姉妹を、3稿以後1人に変えたのを直し忘れている)
651+ 下り坂。工兵の架橋
661+ 発破がかかり、天の川の水がはねあがる
672.5 第2.5稿から追加 ふたご座
681+ さそり座。さそりが燃える火
691+ さそりは無駄に死ぬ事を後悔し、神さまが燃やす
原稿1枚?欠落 [注 4]
701+ サウザンクロス駅に十字架が立つ
712.5 第2.5稿から追加 「そんな神さまうその神さまだい」議論
721+ サウザンクロス駅で姉弟青年は下車
731+ 「ほんとうのさいわいはいったいなんだろう」(裏面は震災見舞いの手紙の下書き)
741+ カムパネルラが消えた(裏面は震災見舞いの手紙の下書き)
(原稿No.74の後半から78まで、第4稿時点では削除する意図だったとみられる)
752.5 第2.5-3稿のみ 黒帽子の人が登場し言う「カムパネルラは遠くへ行った」
762.5 第2.5-3稿のみ 「おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない」
771+ 「あのブルカニロ博士」登場。銀河鉄道は博士の見せた夢だった。(裏面は震災見舞いの手紙の下書き)
781+ 第1,2,3稿共通の終了。 末尾3行のみ
794以後の5葉は4稿のみ。ジョバンニは丘で目覚めた [注 5]
804牛乳を受け取る
814カムパネルラの水死
824「もう駄目です、落ちてから45分たちましたから」と彼の父
834「いいえ」としか答えられずにカムパネルラの父親と別れる

執筆過程

第1稿

  • 現存する原稿はNo.60-66,68-70,72-74,77,78
  • 鉛筆書き、および藍インクによる修正
  • 4つ折りあとがある。
  • 原稿No.73,74,77の裏面に震災見舞いの手紙の下書きがある。したがって1923年9月以降。
  • 画家の菊池武雄は、1924年末に賢治が原稿を読んで披露したと書いている。またこの時の原稿は「ケンタウル祭の夜」からあったと菊池は証言する。

さて話もそろそろ尽きた頃、
「今こんなのも書きかけてるがどういうもんでしょう。子供等にはわかるようだが」
宮澤さんはオーバーのポケットから[注 6]
一握りの原稿を出しかけている。その顔は長時間の倦怠の色もなく、さも楽しそうである。
「どんなのだス」
「銀河旅行ス」
「ワア、銀河旅行すか、おもしろそうだナ」
(中略)
「まんず読んで見ねえすか」
「読んでもええすか、でも少し長いから退屈させるとわるいナ」
「ヤ、かまねえ、かまねえ」

— 菊池武雄「『注文の多い料理店』出版の頃」(西田編著より引用[4])[注 7]。

第2稿

  • 追加した原稿用紙はNo.49-59
  • 上記の原稿用紙には仮綴じあととみられる綴じ穴がある。
  • 青インク書き(原稿用紙への清書)、および鉛筆による修正

第3稿

  • 追加した原稿用紙は、藍インクによるものがNo.11-13,15-48、鉛筆書きがNo.67,71,75,76(上記「原稿各葉」で2.5稿と記したもの)
  • 藍インク(原稿用紙への清書)、および鉛筆
  • 藍インクの原稿には賢治の自筆原稿番号あり
  • 第3稿の創作メモが残っており、その原稿用紙が、森佐一あての1925年9月の手紙と同じ原稿用紙であるため、この頃以後[5]。
  • 原稿用紙に清書した内容には、第2稿と重複する箇所が含まれている。

第4稿

  • 追加した原稿用紙はNo.1-10,14,79-83
  • 黒インク(『ポラーノの広場』や『風の又三郎』の原稿に使われていたものと同じ)
  • 原稿No.4に『ポラーノの広場』の作製メモがあり、『ポラーノの広場』はほぼ完成していたため『銀河鉄道』原稿に使われたとみられる。1931年 - 1932年かと入沢・天沢は推定[3]。
  • 『銀河鉄道の夜』というタイトルが確認できるのはこの稿からである。

『銀河鉄道の夜』編集史

1933年

賢治の死。 枕元に『銀河鉄道の夜』の原稿があった。

1935年

最初の賢治の全集、文圃堂版全集第3巻に『銀河鉄道の夜』を収録。

岩田豊蔵(賢治の妹・シゲの夫)の意見で、原稿No.79-83はNo.21と22の間に入れて編集出版[注 8]。

この編集形式での出版物は以下の通り(ただし全く同一ではない)。

1951年時点で、原稿No.79-83の位置はおかしいと宮沢清六が谷川徹三に手紙を送っていた。(岩波文庫の谷川の解説による。)

1965年

岩崎書店『宮沢賢治童話全集』第6巻に収録(途中の版からの変更)。

原稿No.79-83は最後に置き換えて出版。

そこでこの秋の賢治祭で花巻へいったとき徹底的に調査をすることにし、清六さんと森荘已池さんと三人で原稿・筑摩版・岩波版を一字一句読みあわせた。(中略)そしてこの三人の責任において、これまでの版の大改訂をおこなった、決定稿を作成したのである。 — 堀尾青史「決定稿『銀河鉄道の夜』」『日本児童文学』1964年12月[6]

同じ編集形式なのが以下のものである(ただし全く同一ではない)。

  • 1966年岩波文庫(改版、谷川徹三編)[注 9]
  • 1967年筑摩書房版全集第10巻
  • 1969年角川文庫(改版、小倉豊文編)
  • 1969年新潮文庫(改版、巽聖歌編)
  • 1970年旺文社文庫(山本太郎編)
  • 1971年講談社文庫(天沢退二郎編)

1974年

筑摩書房『校本宮澤賢治全集』第9・10巻に、第3稿と第4稿を収録(第9巻が第3稿、第10巻が第4稿)

入沢と天沢が原稿を検討。主に4段階の原稿があり、No.74の後半からNo.78までの原稿は賢治は第4稿では削除するつもりでいたと結論。

つまり、後期形の黒インク手入れの段階でいまいった部分がすっかり取り替えられてしまったのだ、と言える。そう言うことができる論拠が、(結局これは賢治が黒インクで、第74葉のところで、ここから切り替えるということを指定してくれていないので、今までの編集者も非常に悩んだところだと思うけども)今度の調査によっていくつも出てきた。 — 入沢康夫[7]

この第4稿準拠の出版は以下の通り。

  • 1980年筑摩書房『新修宮沢賢治全集』第12巻[注 10]
  • 1981年旺文社文庫(改版、山本太郎編)
  • 1985年ちくま文庫版全集第7巻
  • 1989年新潮文庫(改版、天沢退二郎編)
  • 1990年集英社文庫(中村文昭編)
  • 1996年角川文庫(改版)

1985年

ちくま文庫版『宮沢賢治全集』第7巻 に収録。

第1稿 - 4稿それぞれを通読可能にした。 [注 11]

1996年

筑摩書房 『新校本宮澤賢治全集』第10・11巻

第1、2、3、4稿の修正過程を詳記。

登場人物・物品の変化

切符のゆくえ

第1-3稿
No.77で「その切符を決しておまえはなくしてはいけない」と、ブルカニロ博士登場前の声が言う。
第2,3稿ではジョバンニが覚醒後も切符を持つ。
第4稿
ジョバンニが覚醒後、切符はない。

カムパネルラとの別れ

原稿No.74でカムパネルラは消えてしまう。

第1,2稿
カムパネルラはどこへ消えたのかわからない。第1稿とそれ以降ではカムパネルラが消えた時のジョバンニの反応が異なる。
第3稿
黒い帽子の人から、「カムパネルラは遠くへ行った。もうさがしてもむだだ」と言われる。
第4稿
夢からさめたジョバンニが、現実に水死したと知る。

ブルカニロ博士

第3稿まで
No.77で登場。ジョバンニに銀河鉄道の夢を見せて導く、この物語の立役者だった。
第4稿
抹消された。このことが1974年の筑摩書房全集で広く知られ、議論を呼んだ。
初期形にこそ「銀河鉄道の夜」の醍醐味があり、賢治の宗教的世界が表れているという意見も少なくない。[注 12] — 大澤千恵子、『児童文学ファンタジーの星図』東京学芸大学出版会 2019 p.170
(第4稿作成時点で、第1-3稿No.74-78の)あとのほうの5枚を破棄せず、抹消のしるしさえつけなかったことは、そこになお迷いがあったからだと言わざるをえないのではないか。 — 磯貝英夫、「銀河鉄道の夜 賢治童話の<解析>改稿の周辺」『国文学 解釈と教材の研究』1982年2月[6]

出版物

入沢康夫の解説・監修により、1997年に宮沢賢治記念館から、現存する全原稿を収録した図録『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて』が刊行されている[8]。

脚注

注釈

  1. ↑ 1982年の記念館開館を前に、賢治の実弟である宮沢清六から他の作品の原稿とともに花巻市に寄贈された。それ以前は清六が原稿を保管していた。
  2. ↑ 筑摩書房の全集[1][2]では2.5稿という用語はなく、第3稿に含まれる。しかしそのうち鉛筆書き部分を、藍インク書き部分と区別するため、ここでは2.5稿と記載する。
  3. ↑ No.59の第2稿は「広い銀」で終わっており、No.60にはつながらない。第3稿以後はこの文が削除されておりつながる。
  4. ↑ 原稿No.70は「ボール投げなら」という言葉で始まり、No.69とつながらないため。
  5. ↑ ジョバンニは大声で泣「きながらはね起き」以下を消し、泣「いていました」にし、また「ジョバンニは目をひらきました」と書き直している。
  6. ↑ オーバーのポケットに入る大きさだったことから、これは4つ折り原稿だったかと入沢と天沢は推理する[3]。
  7. ↑ 初出は1956年筑摩書房版全集別巻『宮澤賢治研究』( 1958年、掲載箇所はpp.259 - 261)である。
  8. ↑ 文圃堂版全集では、難破船の姉弟が登場したあとに鳥捕りの男が登場していた。十字屋書店版全集以後は修正された。
  9. ↑ 他の諸本では本文から抜かれた末尾1葉とされる内容を採用している。
  10. ↑ 『校本全集』ではあえて草稿のままとしていた記述不整合のいくつかを校訂している。以後の文庫版は基本的にこれがベースである。
  11. ↑ なお4つの原稿を比較して読みたい場合は、西田良子の編著が、見開き2ページ中に4つの稿を比較できるよう収録しているので便利である。
  12. ↑ 続いて小沢俊郎、中野新治、佐藤通雅、山内修、蒲生芳郎、斎藤文一の意見を引用紹介している。

出典

  1. 1 2 校本全集9巻 1974, p. [要ページ番号].
  2. 1 2 校本全集10巻 1974, p. [要ページ番号].
  3. 1 2 入沢康夫 & 天沢退二郎 1990, p. [要ページ番号].
  4. ↑ 西田良子 2003, p. 16.
  5. ↑ 西田良子 2003, p. 215.
  6. 1 2 石内徹 編『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」作品論集』クレス出版〈近代文学作品論集成 9〉、2001年4月、[要ページ番号]頁。ISBN 4-87733-112-3。
  7. ↑ 入沢康夫 & 天沢退二郎 1990, p. 141.
  8. ↑ 宮沢賢治、入沢康夫 監修・解説『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて』宮沢賢治記念館、1997年3月。NDLJP:13076169。

参考文献