須藤晃
この項目は訃報が伝えられた直後の人物について扱っています。 |
| 須藤 晃 | |
|---|---|
| 生誕 | 1952年8月6日 |
| 出身地 |
|
| 死没 |
2026年10月7日(74歳没) |
| 学歴 | 東京大学文学部英米文学科卒業 |
| ジャンル | J-POP |
| 職業 |
音楽プロデューサー 音楽ディレクター 作詞家 作家 |
| 活動期間 | 1977年 - |
| 事務所 | KARINTO FACTORY |
| 公式サイト | AKIRA SUDOH OFFICIAL SITE |
須藤 晃(すどう あきら、1952年〈昭和27年〉8月6日 - 2026年〈令和8年〉10月7日[3])は、日本の音楽プロデューサー、音楽ディレクター、作家[4][1]。 KARINTO FACTORY主宰[4][1]。息子は音楽プロデューサーのTomi Yo[5]。
人物
自ら少年時代は石川啄木や寺山修司に憧れて詩人志望であったと語る通り文学、特に詩の分野に関しての造詣が深く、言葉(歌詞)にこだわったプロデューススタイルでメッセージ性の強い作品を生み出している[4][6]。浜田省吾、尾崎豊、村下孝蔵、玉置浩二、石崎ひゅーいらを手掛け、音楽ディレクター、音楽プロデューサーなど音楽制作のパートナーとして数々の作品を発表[4][7]。
代表的なディレクター作品は、浜田省吾「J-BOY」「悲しみは雪のように」。代表的なプロデュース作品は尾崎豊「15の夜」「I LOVE YOU」「卒業」、村下孝蔵「初恋」「踊り子」、玉置浩二「田園(作詞は玉置・須藤の共作)」など多数[6]。
来歴
富山県射水郡(現・射水市)小杉町で生まれた[8]。兄と妹がいる三兄妹の次男[8]。富山県立富山中部高等学校を卒業し[9]、東京大学文学部英米文学科卒業[10]。
1977年(昭和52年)、CBS・ソニー入社。高久光雄(のちにドリーミュージック代表取締役社長)のもとで制作アシスタントを務める(当時は矢沢永吉担当)。音楽ディレクターとして浜田省吾、音楽プロデューサーとして尾崎豊、村下孝蔵、橘いずみ(現・和)、玉置浩二らを担当。その傍ら、自らも作家として活動する[6]。
1996年(平成8年)、Sony Recordsを退社・独立。同年10月、有限会社KARINTO FACTORY(のちに株式会社化)を設立し、代表取締役に就任する。以後、馬場俊英、石崎ひゅーいなどをプロデュース[1]。
2008年(平成20年)に富山市政策参与に就任(2025年まで務めた[10])。以降、夏のアートイベント「TOYAMA CITY POP WAVE」企画制作(2009年から2014年まで[10])や富山県氷見市を舞台にした映画『ほしのふるまち』のプロデュース(2011年)、富山県ふるさとの歌「ふるさとの空」の補作詞およびプロデュース(2012年)など、富山県に関わるイベントプロデュースを多く手がける。
2009年(平成21年)、尾崎豊の曲から生まれたオリジナル青春群像ミュージカル「MISSING BOYs〜僕が僕であるために」を監修。
2015年(平成27年)、富山市芸術文化ホールの運営などを行う公益財団法人 富山市民文化事業団の芸術監督に就任[11]。
2026年(令和8年)10月7日、富山市内の病院で死去[2][12]。訃報は同月15日公式サイトで公表された[13]。かねてより病気療養中だった[10][14]。74歳没[15]。
2026年(令和8年)10月16日、尾崎裕哉がSNSで須藤を追悼した[16][17]。
故人の生前の意向で、通夜ならびに葬儀は、近親者のみで執り行われた[18]。後日、「お別れの会」開催を予定しているという[18]。開催日時、会場、参加方法等について、今後、発表される[18]。
逸話
- 人と遊ぶことが苦手で、学校が終わると隣接している図書館へ行き、閉館時間まで本を読んでいる少年だった[8]。大人になってから当時の図書館長だった人に会ったときに「図書館にあった本はほとんど全部読んでいたね」と言われたくらい、本ばかり読んでいたという[8]。
- 初めて買ったレコードは、ビートルズの4曲入りか、加山雄三の「夜空の星」などが入っている4曲入り[8]。
- 中学の時は富山に住んでいたが、近くにカナダ人の宣教師家族がいる教会があり、彼らから英語を習っていた[8]。教会へ行っているうちに海外のカルチャーに急激に惹かれていき、英語の勉強を一生懸命していた[8]。「早く喋れるようになりたい」「将来は外国に住みたい」などと、中学生の頃から思っていた[8]。
- 成績は良く、特に英語と国語が得意だった(逆に数学などは苦手だった)[8]。国語の試験で「答えが違う」と先生に言われると、「それは正解が間違っている」「これはそれぞれの解釈があって〜」と言い通すタイプだった[8]。昔の先生はそういった発言や見解を受け入れてくれる度量があり、面白がられたという[8]。
- 学生時代は寡黙だったが、女の子に凄くモテたという[8]。女の子から後をつけられたり、手紙を貰うこともあった[8]。
- 須藤がプロデュースした村下孝蔵「初恋」の歌詞について、「それはまさに富山中部高校のイメージですね。校庭でテニスをやったり、陸上で走ったりしている女子生徒を見てね、いいなあと思ってる子の、そういうはつらつとした姿を見たりして、恋心を抱いていましたね」と、KNB北日本放送の番組に出演した際に話した[11]。
- 中学、高校、大学を通して、友達はあまりいなかった[8]。
- 富山から東京までは、各駅停車で24時間くらいかけて上京した[8]。
- 東京大学時代は、先に東京の大学に進学していた兄と同居していた[8]。のちに兄は静岡大学工学部の教授になった[8]。
- 大学3年の時、ロサンゼルスからグレーハウンドに乗ってラスベガス、シカゴ、ニューヨークとアメリカを旅行した。ニューヨークに着いてアパートを借り、大工仕事(ギャラリーの改装)をして日銭を稼ぎ、70年代当時のニューヨークを満喫していたところ、「みんなここに来て帰らなくなった人間ばっかりなんだよ」「また来たけりゃ、学校卒業してから来いよ」と言われて、帰国した[8]。このアメリカ旅行の期間は3ヶ月くらい[8]。帰国後、また行こうと思いながら本気でアメリカの現代詩について勉強しはじめた[8]。
- 学生結婚をした[8]。大学には6年いた[8]。
- NHKや電通も受けて落ちたが、レコード会社に受かった[8]。
- CBSソニーの同期入社は100人以上[8]。妻帯者は須藤だけだったという[8]。
- CBSソニーでの最初の配属は企画制作三部で、高久光雄ディレクターの制作アシスタントを1,2年間した。最初についたのは矢沢永吉の仕事がメインでアルバム『ゴールドラッシュ』の頃[8]。須藤は矢沢を、「凄く魅力的な人」「男が好きになるタイプ」と評し、矢沢からは「お前こんな会社にいないで、うちの息子の家庭教師やれよ。金、倍出してやるよ」と言われるなど凄く可愛がられた[8]。また、矢沢からは物凄く本当に大事な色んなことを教えられたという[8]。
- 高久光雄ディレクターが一緒に仕事をしていたハウスデザイナーが田島照久だった[8]。アシスタントの須藤は高久の連絡係みたいなこともやっており、デザインの仕事にも興味があったので、田島と個人的にも話すようになった[8]。自身がディレクターになって、浜田省吾や尾崎豊をやるようになったときに、田島にデザインを依頼するようになった[8]。須藤は田島を、「寡黙な感じの人」「アートの匂いがもの凄くする人」「偏屈というか頑固な感じ」と評し、その人柄みたいなものに凄く惹かれたという[8]。須藤は、デザインの仕事はデザイナーに全部任せ、音響のことだったらエンジニアに全部任せた[8]。スタジオへ行って、音がどうだとかそういうことを全く言わないタイプで、専門職の人に任せた[8]。田島にも「こういうことをやりたいんだけど、あとお願いします」といった感じで、後々「(須藤の)そのやり方は凄くやりやすかった」と言われたという[8]。田島によると、尾崎のデビューの頃のジャケットに関して、プロデューサーの須藤に全てを任せていたという[19]。
- プロデューサーとしてレコードをつくっていくときに、レコーディングでボーカルは一回しか歌わせなかった[8]。それが確信になったのは尾崎豊をやったときだという[8]。
- 尾崎豊の『I LOVE YOU』はレコーディングで本当に一回しか歌ってない[8]。
- 制作に入るまでがすごく長く、その間はとことん話をする[8]。詩に手を加えたり直したりしたことはない[8]。詩を完成させる前はとことん話し合って突き詰めるが、最終的に「じゃあこれでいきます」って出されてきたものを、誰に対しても「そこはこうしようよ」とし新たに提案することはない[8]。
- アーティストと一緒にご飯を食べに行くことは絶対にしないという[8]。
主な音楽ディレクター作品
- 浜田省吾
- 1979年5月21日発売4thアルバム『MIND SCREEN』以降、数多の作品で音楽ディレクターを務めた。
主な音楽プロデュース作品
- 村下孝蔵
- 尾崎豊
- 『十七歳の地図』(1983年)
- 『回帰線』(1985年)
- 『壊れた扉から』(1985年)
- 『LAST TEENAGE APPEARANCE』(1987年)
- 『誕生』(1990年)
- 『約束の日vol.1』(1993年)
- 『約束の日vol.2』(1993年)
- 『TEENBEAT BOX』(1995年)
- 『愛すべきものすべてに YUTAKA OZAKI BEST』(1996年)
- 『MISSING BOY』(1997年)
- 『OSAKA STADIUM on August 25th in 1985 vol.1』(1998年)
- 『OSAKA STADIUM on August 25th in 1985 vol.2』(1998年)
- 『ARTERY & VEIN : THE VERY BEST OF YUTAKA OZAKI』(1999年)
- 『AFTER THE BIRTH』(DVD・2001年)
- 『BLUE〜A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』(2004年)
- 『GREEN〜A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』(2004年)
- 『THE NIGHT〜A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』(DVD・2004年)
- 『もうひとつのリアリティ“LIVE + DOCUMENTARY”』(DVD・2004年)
- 『AFTER THE NIGHT〜A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』(DVD・2004年)
- 『13/71〜THE BEST SELECTION』(2004年)
- 『TEENBEAT BOX〜13th MEMORIAL VERSION〜』(2004年)
- 『真空の中でも嵐は起こる』(2006年)
- 『巨人の輪郭』(2006年)
- 『71/71 YUTAKA OZAKI』(2007年)
- 『WEDNESDAY 〜LOVE SONG BEST OF YUTAKA OZAKI』(2008年)
- 『SATURDAY〜ROCK'N'ROLL BEST OF YUTAKA OZAKI』(2008年)
- 『I LOVE YOU〜BALLADE BEST』(2011年)
- 『LIVEBEAT BOX』(2012年)
- 『集まれOZAKI』(Blu-ray・2013年)
- 『ALL TIME BEST』(2013年)
- 『RECORDS:YUTAKA OZAKI』(アナログ盤・2015年)
- ECHOES
- 『WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB』(1985年)
- 杉真理
- 『SYMPHONY #10』(1985年)
- 橘いずみ
- 玉置浩二
- 『カリント工場の煙突の上に』(1993年)
- 『LOVE SONG BLUE』(1994年)
- 『CAFE JAPAN』(1996年)
- 『JUNK LAND』(1997年)
- 『ニセモノ』(2000年)
- トータス松本
- 『マイウェイ ハイウェイ』(2010年)
- 馬場俊英
- EP1『平凡』(2012年)
- EP2『犬はライオンになりたくない』(2012年)
- EP3『弱い虫』(2012年)
- 石崎ひゅーい
- 富山県ふるさとの歌『ふるさとの空』(2012年、公募された歌詞に補作詞も担当)
- 北陸新幹線富山駅発車メロディ(2015年)[20]
など、他多数
作詞
- 玉置浩二「コール」(1993年)『あこがれ』(1993年)「カリント工場の煙突の上に(single version)」(1993年)『カリント工場の煙突の上に』(1993年)「働こうよ」(1996年)「SPECIAL」(1996年)「フラッグ」(1996年)「風にさらわれて」(1997年)「ターンテーブル」(2000年)「御伽噺」(2000年)「純情」(2013年)「次男坊」(2013年)
- 安全地帯 シングル『ひとりぼっちのエール』(1993年2月10日)
- 小山卓治「Crying Bee」(1995年)
- 森進一「ライラライ」「見上げれば光る星」(1997年)
- カン・ダヒョン「小さな花」(2002年)作曲・編曲も
- ワカバ「ふたりのり」(2006年)作曲も
- 富山県ふるさとの歌「ふるさとの空」(2012年)公募された歌詞に補作詞
- ジェロ「セレナーデ」(2013年)
- 石崎ひゅーい「沈黙」(2016年)
- 槇原敬之「わさび」(2021年)
- オーバード・ホール 劇場歌「夜明けの詩」(2023年)
編曲
- 村下孝蔵「同窓会(シングルバージョン)」(1998年10月31日 8cmCDシングル「同窓会」品番:SRDL-4574 に収録)
- 村下孝蔵「素直」(1998年10月31日 8cmCDシングル「同窓会」品番:SRDL-4574 に収録)
- 鈴木崇 アルバム『Sugar free』(1999年)
映画・舞台
- 映画『しあわせになろうね』(1998年、主演:渡瀬恒彦)音楽プロデュース
- 映画『LOVE SONG』(2001年4月28日、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント、監督:佐藤信介、主演:仲間由紀恵・伊藤英明)音楽監修
- 舞台『MISSING BOYs』(2009年、演出:鈴木勝秀、出演:藤本涼、早乙女太一、やべきょうすけ、松本まりか、中村あゆみ)監修
- ドキュメンタリー映画『Myway Highway』(2010年、出演:トータス松本)監督
- 映画『ほしのふるまち』(2011年、原作:原秀則、主演:中村蒼)プロデュース
- ドキュメンタリーライブ映画『復活 尾崎豊 YOKOHAMA ARENA 1991.5.20』(2012年)総合プロデュース
- 映画『尾崎豊を探して』(2019年)プロデュース
著書
- 小説『僕とアスファルトの夜』(1990年11月1日、角川書店)ISBN 978-4048726092
- 小説『地上の虹』(1990年11月30日、CBS・ソニー出版(現・ソニー・マガジンズ))ISBN 978-4789705721
- 小説『クォーター』(1991年6月、角川書店)ISBN 978-4048726436
- 小説『クォーター』(1993年、角川文庫)文庫化 ISBN 978-4041872017
- 小説『真夏の魔術』(1991年10月、CBS・ソニー出版(現・ソニー・マガジンズ))ISBN 978-4789707015
- T.コラゲッサン ボイル『ごちゃまぜ』(1992年、角川書店)翻訳:須藤晃 ISBN 978-4047912052
- NO TIME NO LICENSE(1994年4月、ソニー・マガジンズ)ISBN 978-4789707497
- 尾崎豊 覚え書き(1998年、小学館文庫)ISBN 978-4094021011
- 『NO TIME NO LICENSE』に加筆修正の上、文庫化したもの
- 尾崎豊 覚え書き(1998年、小学館文庫)ISBN 978-4094021011
- 小説『アイスクリーム・エンペラー』(1994年11月、幻冬舎)ISBN 978-4877280284
- 尾崎豊が伝えたかったこと(1995年、主婦と生活社 JUNON BOOKS)ISBN 978-4391117417
- みんなノイズを聴きたがる(1999年11月、TBSブリタニカ)ISBN 978-4484992143
- 地球音楽ライブラリー 尾崎豊(1999年12月、東京FM出版)監修:須藤晃 ISBN 978-4887450417
- 小説『キャットフード』(2000年、リトルモア)「リトルモア」連載を単行本化 ISBN 978-4898150245
寄稿
ラジオ出演
- おかしな惑星(2003年 - 2006年、北日本放送)
- 続★おかしな惑星(2003年 - 2005年)
- 新★おかしな惑星(2005年 - 2006年)
- ARTIST CAFE(2003年 - 2004年、FM PORT)
- ここはふるさと 旅するラジオ(2012年、NHKラジオ第1)
- 『Thanks a lot Yutaka Ozaki〜音楽プロデューサー須藤晃13年目の告白〜』(北日本放送)
- 「2004年度 放送文化基金ラジオ番組賞」受賞
講座
脚注
出典
- 1 2 3 4 “(公財)富山市民文化事業団 芸術監督 須藤 晃”. ホールオーバード・ホール(富山市芸術文化ホール). 2019年6月26日閲覧。
- 1 2 「須藤晃さん死去 音楽プロデューサー」『時事ドットコムニュース』2026年10月15日。2026年10月15日閲覧。
- ↑ 「音楽プロデューサーの須藤晃さん死去 尾崎豊さんらの作品を手がける」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2026年10月15日。2026年10月15日閲覧。
- 1 2 3 4 “PROFILE”. KARINT FACTORY. 2019年6月26日閲覧。
- ↑ “故・尾崎豊さんの長男・尾崎裕也さん、新宿ルイードK4でライブ”. 新宿経済新聞 (2016年2月18日). 2019年6月26日閲覧。
- 1 2 3 “須藤 晃(すどう あきら)氏 プロフィール”. 経済同友会. 2019年6月26日閲覧。
- ↑ “須藤晃インタビュー「初恋」は自分のなかでもベスト3に入るくらい良い仕事だった (『A面に恋をして』より)”. リットーミュージック (2018年3月29日). 2019年6月26日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 屋代卓也・山浦正彦 (2016年7月12日). “第139回 須藤 晃 氏 音楽プロデューサー”. 音楽業界総合情報サイト Musicman. エフ・ビー・コミュニケーションズ株式会社. 2026年10月15日閲覧。
- ↑ “【訃報】射水市出身の音楽プロデューサー・須藤晃さん死去 74歳”. KNB NEWS NNN. 北日本放送 (2026年10月15日). 2026年10月15日閲覧。
- 1 2 3 4 “【訃報】公益財団法人富山市民文化事業団 須藤 晃 芸術監督 逝去のお知らせ”. AUBADE HALL(オーバード・ホール). 公益財団法人富山市民文化事業団 (2026年10月15日). 2026年10月15日閲覧。
- 1 2 “射水市出身・音楽プロデューサー須藤晃さん死去 74歳 人気曲「初恋」の舞台は母校だった”. KNB NEWS NNN. 北日本放送 (2026年10月15日). 2026年10月15日閲覧。
- ↑ 「音楽プロデューサー・須藤晃さん死去 74歳 尾崎豊、浜田省吾、玉置浩二らの名曲手掛ける」『スポニチ』スポーツニッポン新聞社、2026年10月15日。2026年10月15日閲覧。
- ↑ “KARINTO FACTORY トップページ”. KARINTO FACTORY. カリントファクトリー (2026年10月). 2026年10月15日閲覧。
- ↑ “訃報) 尾崎豊や玉置浩二らをプロデュース須藤晃さん(74)死去 富山でも市民文化事業団の芸術監督”. TBS NEWS DIG Powerd by JNN チューリップテレビ. TBS・JNN NEWS DIG (2026年10月15日). 2026年10月15日閲覧。
- ↑ “音楽プロデューサー・須藤晃さん、死去 74歳「かねてより病気療養中…」 浜田省吾&尾崎豊&玉置浩二ら手掛ける 地域の文化振興にも貢献”. オリコンニュース(ORICON NEWS) (2026年10月15日). 2026年10月15日閲覧。
- ↑ “【音楽プロデューサー・須藤晃さん死去】尾崎豊さんの長男・尾崎裕哉さんが追悼「『尾崎豊の息子』としてだけでなく『尾崎裕哉』として生きる僕の背中を押してくれた」”. TBS NEWS DIG Powerd by JNN. TBS・JNN NEWS DIG合同会社 (2026年10月16日). 2026年10月16日閲覧。
- ↑ 尾崎裕哉│Hiroya Ozaki Instagram(2026年10月16日). 2026年10月16日閲覧。
- 1 2 3 「音楽プロデューサー・須藤晃さん、死去 74歳「かねてより病気療養中…」 浜田省吾&尾崎豊&玉置浩二ら手掛ける 地域の文化振興にも貢献」『産経新聞』産経新聞社、2026年10月15日。2026年10月15日閲覧。
- ↑ 屋代卓也・山浦正彦 (2016年6月9日). “第138回 田島 照久 氏 グラフィック・デザイナー”. 音楽業界総合情報サイト Musicman. エフ・ビー・コミュニケーションズ株式会社. 2026年10月15日閲覧。
- ↑ 北陸新幹線 発車メロディの決定について、JR西日本、2014年12月9日発表、2014年12月11日閲覧。
- ↑ 須藤晃 (2012年). “『NOTES 僕を知らない僕 1981-1992』刊行記念特別寄稿 「卒業」の輪郭――尾崎豊について 尾崎 豊『NOTES 僕を知らない僕 1981-1992』須藤晃”. 波. 新潮社. 2026年10月15日閲覧。
- ↑ 須藤晃. “Special 須藤晃(音楽プロデューサー)特別寄稿 ないものねだり”. ビルボードジャパン. 株式会社阪神コンテンツリンク. 2026年10月15日閲覧。
- ↑ 立命館大学産業社会学部 (2004年). “4月17日 須藤 晃 「プロデューサーとは何か?-音楽製作における役割の変容について-」”. JASRAC寄付講座 コンテンツ産業論. 立命館大学産業社会学部. 2026年10月15日閲覧。
- ↑ 立命館大学産業社会学部 (2024年). “JASRAC寄附講座 コンテンツ産業論 2005年度前期”. JASRAC寄附講座 コンテンツ産業論 2005年度前期Ⅰ. 立命館大学産業社会学部. 2026年10月15日閲覧。
- ↑ 須藤晃 (2024年). “JASRAC寄付講座 コンテンツ産業論Ⅰ 須藤晃「音楽ビジネスの明るい未来について」”. JASRAC寄付講座 コンテンツ産業論. 立命館大学産業社会学部. 2026年10月15日閲覧。
- ↑ 立命館大学産業社会学部 (2006年). “5月27日 須藤 晃氏”. JASRAC寄付講座 コンテンツ産業論. 立命館大学産業社会学部. 2026年10月15日閲覧。
- ↑ 立命館大学産業社会学部 (2008年). “JASRAC寄附講座 「音楽文化・産業論 2008 Ⅰ」”. JASRAC寄付講座 音楽文化・産業論2008Ⅰ. 立命館大学産業社会学部. 2026年10月15日閲覧。
外部リンク
- 須藤晃オフィシャルサイト
- KARINTO FACTORY オフィシャルサイト
- KARINTOFACTORY (@karintofactory) - X(旧Twitter)