杭全
杭全 | |
|---|---|
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| 北緯34度37分56.7秒 東経135度32分23.7秒 / 北緯34.632417度 東経135.539917度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 区 | 東住吉区 |
| 面積 | |
| • 合計 | 0.579773281 km2 |
| 人口 | |
| • 合計 | 9,367人 |
| • 密度 | 16,000人/km2 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 |
546-0002[3] |
| 市外局番 | 06(大阪MA)[4] |
| ナンバープレート | なにわ |
杭全(くまた)は、大阪府大阪市東住吉区の町名。東住吉区を構成する19町のうちの1町である。現行行政地名は杭全一丁目から杭全八丁目。本項では、東住吉区杭全が成立する以前の、平野区や東住吉区のあたり(喜連・平野・百済)をいう広域地名としての側面にも述べる。
地名の由来
『北村某の家記』[5]などの伝承によると、皇別氏族の息長氏(大々杼氏)は近接する喜連の楯原神宮を中心に、現在の平野区や東住吉区にあたる地域を大々杼国(をほどのくに、おおどのくに)として支配していた。その後、杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)[6]の子孫である継体天皇の諱が「をほどのおう」であったことから、諱避けとして、当地の高祖に因んだ咋俣(くいまた、久比麻多)に改名し、これがのちに杭全(くまた、久末多)に転訛したと伝わる[8][9][10][11][12][13]。この真偽は定かでないものの、杙俣長日子王本人と娘である息長真若中比売(応神天皇妃)ともども、当地に在住した、または少なくともゆかりはあったものと考えられる[8][9][10][11][12][13]。
杙俣長日子王から地名「クイマタ」が生まれたのか、あるいは地名「クイマタ」から杙俣長日子王が命名されたのかは不明である。しかしいずれにせよ「クイマタ」は、当地が狭山池から北流していた西除川・東除川の灌漑地帯であり、水流が分かれるさま、つまり「川俣(かわまた)」を意味するとされる[11][12][14]。
その後、百済王族の百済王氏など渡来系氏族が杭全に集住するようになり、摂津国に百済郡(のちに廃して闕郡→住吉郡)が設けられた[15]。『東住吉区史』は「このように当区は朝廷の中で重要の地位を占めた豪族や優秀の技術や学問をもっていた帰化人の居住地であったことがうかがわれ、我が国の上代史に極めて重要な地位を占めていた」と述べる。実際に周辺には長原古墳群・加美遺跡・瓜破遺跡などの古代遺跡が集中していて、平野区喜連は「呉人郷」の転訛と伝わるし、加美鞍作は後漢河内郡から伝わる司馬氏(鞍作止利を輩出する)が日本初の尼寺として「鞍作寺」を開基したことに由来する。
杭全は百済郡に次いで住吉郡に属した。平安時代になって坂上広野麻呂が「杭全荘」を拝領したと伝わるとともに、坂上当道が杭全神社を創建するが、定住した坂上氏宗家をいう「広野殿」が「平野殿」に転訛して「平野」が地名として定着し、杭全荘が中世後期から「平野庄」となるなど、優勢になった。平野本郷(平野旧市街)は中世に堺と並ぶ環濠自治都市となり、江戸時代にも最盛期の町方人口1万を擁する商工業都市として発展した。他方、現在の町名としての杭全に当たる地域は、その枝郷である平野散郷にあって「新在家村」と称した。明治時代になって本郷は平野郷町、散郷は北百済村の一部となったが、大阪市編入に際して、かつては広く用いられた「杭全」の古地名を当地に残すよう嘆願し、それが認められ「住吉区杭全町」となったのである。
このような歴史的経緯のため、「杭全」は本来喜連・平野・百済の3地域をいう広域地名であり、観客数では天神祭に次ぐ規模の夏祭である平野郷夏まつり(杭全祭)で有名な杭全神社は、平野旧市街にある。東住吉区杭全は同じく平野散郷であった今林や今川などとともに「育和(いくわ)」として地車を保有しているが、杭全祭には参加していない。
地理
杭全は東住吉区の最北部に位置し、北部は生野区、北東部は東住吉区今林東部、東部は平野区、南部は東住吉区今川、西部は同区桑津、西今川と隣接する。北部には、平野川分水路が流れ、生野区との境界線となっている。又西部には、今川が流れ、桑津、西今川との境界線になっている。
街構造
地域概要
- 用地地域[16]
| 地区 | 区域区分 | 用途地域 | 容積率 | 建ぺい率 |
|---|---|---|---|---|
| 杭全1 - 2丁目、6丁目一部 | 市街化区域 | 準工業地域 | 300% | 80% |
| 杭全3 - 4丁目、6丁目一部(源光寺~ロータリー付近) | 市街化区域 | 準住居地域 | 300% | 80% |
| 杭全3 - 8丁目 | 市街化区域 | 第1種住居地域 | 200% | 80% |
- 防火・準防火地域は、杭全1~8丁目まで全て「準防火地域」である。また杭全5丁目1号のみ生産緑地地区の指定である。
- 地価
- 杭全1丁目13-12(準工業地)- 22.2万円(※国土交通省 平成16年9月21日発表)
世帯数と人口
2024年(令和6年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 杭全一丁目 | 993世帯 | 1,696人 |
| 杭全二丁目 | 788世帯 | 1,394人 |
| 杭全三丁目 | 293世帯 | 536人 |
| 杭全四丁目 | 544世帯 | 1,142人 |
| 杭全五丁目 | 632世帯 | 1,213人 |
| 杭全六丁目 | 455世帯 | 813人 |
| 杭全七丁目 | 713世帯 | 1,375人 |
| 杭全八丁目 | 588世帯 | 1,198人 |
| 計 | 5,006世帯 | 9,367人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 1995年(平成7年) | 8,247人 | [17] | |
| 2000年(平成12年) | 8,569人 | [18] | |
| 2005年(平成17年) | 8,781人 | [19] | |
| 2010年(平成22年) | 8,781人 | [20] | |
| 2015年(平成27年) | 8,551人 | [21] | |
| 2020年(令和2年) | 9,071人 | [22] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 1995年(平成7年) | 3,226世帯 | [17] | |
| 2000年(平成12年) | 3,457世帯 | [18] | |
| 2005年(平成17年) | 3,734世帯 | [19] | |
| 2010年(平成22年) | 3,964世帯 | [20] | |
| 2015年(平成27年) | 3,802世帯 | [21] | |
| 2020年(令和2年) | 4,348世帯 | [22] |
平成17年国勢調査
- 人口 8,784人[23]
- 世帯数 4,070世帯

| 町名 | 人口 | 男性 | 女性 | 世帯数 |
|---|---|---|---|---|
| 杭全1丁目 | 1,305名 | 628名 | 677名 | 684世帯 |
| 杭全2丁目 | 1,216名 | 604名 | 614名 | 570世帯 |
| 杭全3丁目 | 658名 | 298名 | 360名 | 290世帯 |
| 杭全4丁目 | 1,175名 | 563名 | 612名 | 496世帯 |
| 杭全5丁目 | 1,121名 | 531名 | 590名 | 556世帯 |
| 杭全6丁目 | 754名 | 362名 | 392名 | 385世帯 |
| 杭全7丁目 | 1,331名 | 657名 | 674名 | 568世帯 |
| 杭全8丁目 | 1,224名 | 572名 | 652名 | 521世帯 |
| 合計 | 8,784名 | 4,215名 | 4,569名 | 4,070世帯 |
- 東住吉区19町の中で、人口数は第4位、世帯数は第5位である。
- 年代別比率
0 - 14歳 1,174人 13.3% 15 - 64歳 5,844人 66.5% 65 - 79歳 1,354人 15.4% 80歳以上 412人 4.6%
(※65歳以上が占める割合は、全体の20%、5人に1人の割合である)
歴史
「#地名の由来」節で示した通り、杭全は江戸時代まで新在家村(しんざいけむら)あるいは杭全町(くまたちょう)と称した。かつて自治都市であった平野郷(平野、摂州平野)は中心市街地の「平野本郷」と枝郷の「平野散郷」で構成されており、かつての杭全町は平野散郷の一町である。平野散郷ができた理由は、新田開発による枝郷の形成結果であると言われている。
近代以降
- 1875年(明治8年)5月:摂津国住吉郡新在家村に、第三中学区住吉郡第一区第八番小学校(現:大阪市立育和小学校)開校。
- 1879年(明治12年)2月22日:郡区町村編制法の制定により、大阪府住吉郡新在家村となる。
- 1889年(明治22年)4月1日:大阪府住吉郡の今在家村、新在家村、今林村、桑津村が合併し、北百済村となる。新在家村は、北百済村大字新在家となる。
- 1896年(明治29年)4月1日:住吉郡の廃止、東成郡への併合により、東成郡北百済村になる。
- 1909年(明治42年)4月1日:日本国有鉄道関西本線・百済駅が開業する(現在の東部市場前駅とほぼ同位置にあった)。
- 1925年(大正14年)4月1日:大阪市第2次市域拡張にて大阪府東成郡と田辺町が大阪市に編入し、大阪市住吉区となる。編入に伴い、「杭全町」への改称嘆願がされ、大阪府東成郡北百済村大字新在家は、大阪市住吉区杭全町と改称される。杭全(くまた)という行政地名が誕生する。
- 1943年(昭和18年)4月1日:東住吉区が住吉区から分区し、大阪市東住吉区杭全町となる(1978年廃止、今林1 - 4丁目・杭全1 - 8丁目・今川1 - 8丁目となる)。
- 1960年(昭和35年)7月:杭全交差点に交通信号機が設置され、ロータリーが廃止になる。
- 1962年(昭和37年)7月10日:大阪市営トロリーバス3号線 田島町四丁目-杭全町間が開業。
- 1963年(昭和38年)9月10日:1945年(昭和20年)頃から休止状態だった国鉄関西本線百済駅が正式廃止になる。
- 1968年(昭和43年):杭全交差点に歩道橋が設置される。
- 1968年(昭和43年):国鉄関西本線天王寺駅 - 平野駅間の高架工事が完了する。「杭全開かずの踏切」がなくなる。
- 1970年(昭和45年)6月15日:大阪市営トロリーバス3号線が廃止になる。
- 1971年(昭和46年)6月19日:大阪市立育和小学校で校舎火災が発生。火災により6教室を焼失。
- 1978年(昭和53年)7月1日:住居表示が実施され、大阪市東住吉区平野大通と杭全町・今川町・平野西之町・矢田外沼町・平野区平野馬場町と平野西脇町の各一部より、東住吉区杭全1 - 8丁目成立。旧平野区平野馬場町と平野西脇町は1974年の分区によって一旦平野区になるも後年に古巣の東住吉区へ回帰した地域。こういうケースは極めて稀である。
- 1982年(昭和57年)1月24日:育和社会福祉会館が開館する。
- 1982年(昭和57年)8月3日:台風10号の集中豪雨により育和地区を中心に床上浸水720戸、床下浸水5800戸の被害が生じる(育和水害)。
- 1989年(平成元年)11月11日:JR西日本関西本線(大和路線)東部市場前駅が開業する。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[24]。なお、小学校・中学校入学時に学校選択制度を導入しており、通学区域以外に東住吉区の小学校・中学校から選択することも可能[25]。
| 町名 | 番 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 杭全一丁目 | 全域 | 大阪市立育和小学校 | 大阪市立白鷺中学校 |
| 杭全二丁目 | 全域 | ||
| 杭全三丁目 | 全域 | ||
| 杭全四丁目 | 全域 | ||
| 杭全五丁目 | 全域 | ||
| 杭全六丁目 | 全域 | ||
| 杭全七丁目 | 全域 | ||
| 杭全八丁目 | 全域 |
警察・消防
- 東住吉警察署杭全交番
- 大阪市東住吉消防署杭全出張所
公共・財団
(杭全1丁目)
- 大阪市中部環境事業センター
- 大阪市土木部技術試験所今川水門
- 公益財団法人大遊協国際交流・援助・研究協会
- 一般社団法人大阪府配合飼料価格安定基金協会
- 大阪府アイスホッケー協会
- 大阪市アイスホッケー協会
産業
| 卸売・小売業 | 30.4% | |
| 製造業 | 20.0% | |
| サービス業、その他 | 14.4% | |
| 医療・福祉 | 13.3% | |
| 飲食店・宿泊業 | 6.7% | |
| 建設業 | 5.7% | |
| 運輸業 | 4.1% | |
| 不動産業 | 2.6% | |
| 教育・学習支援業 | 2.2% | |
| 複合サービス事業 | 0.3% | |
| 金融・保険業 | 0.2% | |
| 情報通信業 | 0.1% |
- 商業施設
- ライフ 杭全店(杭全5丁目)
- マルゼン 杭全店(杭全5丁目)
- 西松屋 杭全店(杭全3丁目)
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[27]。
| 丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 杭全一丁目 | 82事業所 | 1,188人 |
| 杭全二丁目 | 53事業所 | 547人 |
| 杭全三丁目 | 51事業所 | 251人 |
| 杭全四丁目 | 44事業所 | 256人 |
| 杭全五丁目 | 73事業所 | 648人 |
| 杭全六丁目 | 45事業所 | 227人 |
| 杭全七丁目 | 55事業所 | 667人 |
| 杭全八丁目 | 55事業所 | 283人 |
| 計 | 458事業所 | 4,067人 |
教育
- 小学校
- 幼稚園
- 社会福祉法人育和白鷺学園
- 学校法人すみれ学園第二すみれ幼稚園
施設
- 公園・児童遊園
- 育和公園
- 杭全西公園
- 杭一児童遊園
- 育和児童遊園
- 新和会児童遊園
- 今川緑道[28]
- 文化・交流施設
- 杭全会館
- 育和社会福祉会館
- 親和会館
- 郵便局
- 東住吉杭全郵便局
- 医療機関
- 特別・特定医療法人仁真会白鷺病院
- 医療法人青洲会診療所
- その他
- 大阪市営杭全霊園
- 今川水門
- 東住吉杭全郵便局
(杭全2丁目) - 白鷺病院(杭全7丁目)
- 今川水門(杭全2丁目)
祭事・催事
- 祭事・催事

- 桜の花見
- 時期:毎年3月下旬~4月上旬
- 場所:今川緑道(杭全2~5丁目最西端)
- 育和地車夏祭り
- 時期:毎年7月上旬
- 場所:杭全町、今川町
- 育和盆踊り大会
- 時期:毎年8月
- 場所:大阪市立育和小学校
- 主催:育和社会福祉協議会、育和連合町会
寺社
- 源光寺
- 杭全法界地蔵
- 光玉地蔵尊
- 今川緑道の杭全2丁目(杭全1号橋付近)にある地蔵菩薩である。
- 源光寺(杭全3丁目)
- 杭全法界地蔵(杭全6丁目)
- 光玉地蔵尊(杭全2丁目)
公共交通機関
鉄道路線
バス
(太字は杭全町内にあるバス停)
- 1号系統:あべの橋 - 杭全 - 育和公園前 - JR平野駅筋 - 平野宮町二丁目 - 出戸バスターミナル
- 5号系統:あべの橋 - 杭全 - 育和小学校前 - 中野中学校前 - 平野区役所前 - 地下鉄喜連瓜破 - 三宅中
- 6号系統:あべの橋 - 美章園 - 杭全 - 育和小学校前 - 中野中学校前 - 住道矢田
- 30号系統:あべの橋 - 南河堀町(往路)/大道2丁目(復路) - 寺田町 - 杭全 - 地下鉄南巽 - JR平野駅 - 地下鉄平野 - 平野区役所前
- 35号系統:守口車庫前 - 高殿 - 地下鉄蒲生四丁目 - 地下鉄緑橋 - 地下鉄今里 - 大池橋 - 杭全
- 35A号系統:地下鉄今里 - 猪飼野橋 - 大池橋 - 今林東部市場前 - 杭全
- 73号系統:なんば - 上本町六丁目 - 桃谷駅前 - 生野区役所 - 杭全 - 育和小学校前 - 中野中学校前 - 地下鉄平野 - 出戸バスターミナル
- 85号系統:杭全 - 大池橋 - 地下鉄今里 - 玉造 - 心斎橋 - なんば
過去には近鉄バスが、あべの橋から美章園・杭全(杭全交差点以東は国道25号経由)を経て八尾市・柏原市方面へ路線バスを運行していた。
杭全交差点
南東角のビル8階で撮影。左上-右下方向は国道25号、右上-左下方向は今里筋、左方向は大阪市道津守阿倍野線。


杭全交差点(くまたこうさてん)は、杭全六丁目にあり、幹線道路である国道25号と今里筋が交差するので渋滞の名所としても知られる。
約1.2キロメートル南東方向にある平野警察署西交差点では北方面への行き来ができない[29]ので、国道25号とその北側の地域との連絡に当交差点は重要な役割を担っている。
かつてはロータリー交差点だったが、1960年7月に交差点内に信号機が設置され、ロータリーが廃止となる。横断歩道は無く、1968年に歩道橋が設置された。しかし、歩道橋の老朽化、スロープがない等の問題から、歩道橋の取替について2006年より国と地元で協議中であったが、2013年5月より架替工事が開始された。
合流道路
- 国道25号(重複=国道165号、旧平野街道・天王寺街道・奈良街道)
- 今里筋(大阪市道森小路大和川線)
- 大阪市道美章園杭全線(旧美章園街道)
その他
郵便番号
関連項目
脚注
- ↑ “大阪府大阪市東住吉区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月20日閲覧。
- 1 2 “住民基本台帳人口・外国人人口”. 大阪市 (2024年10月17日). 2025年1月6日閲覧。
- 1 2 “杭全の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ↑ この家記について述べた『大阪府全志』は、「其の記事の真なるかは無論疑なき能はざれども、亦漫然口碑を記するに優れるものあらん。故に今其の要を摘みて之を掲記すべし。」と評し、内容に疑義はあるが、ただの口碑に比べて断然優れているとした。
- ↑ 『古事記』に見る名。『日本書紀』での河派仲彦(カワマタナカツヒコ)と同一視される。
- 1 2 3 4 5 6 大阪市立中央図書館「「杭全(くまた)」という地名の由来はなにか。」『レファレンス協同データベース』2025年9月24日。2026年8月17日閲覧。
- 1 2 「杭全郷」『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年10月、435頁。[7]
- 1 2 「杭全郷」『日本歴史地名大系 28』平凡社、2001年7月、92頁。[7]
- 1 2 大阪市市民局(編)「杭全町」『大阪の町名 下巻 その歴史』1992年3月、291–292頁。[7]
- 1 2 3 堀田暁生「杭全」『大阪の地名由来辞典』東京堂出版、2010年8月、130–131頁。[7]
- 1 2 3 三善貞司「杭全」『大阪史蹟辞典』清文堂出版、1986年7月、164頁。[7]
- 1 2 川端直正『東住吉区史』1961年、164頁。[7]
- ↑ 『日本書紀』における杙俣長日子は、河派仲彦(かわまたなかつひこ)とされている
- ↑ このため、百済(くだら)との関係から「くだら→くまた」説や、洪水対策で打った杭から「杭を全て打った→杭全」説などもあるが、いずれも民間伝承で史料の裏付けが弱い。
- ↑ 大阪市都市計画情報インターネット提供サービス
- 1 2 “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- 1 2 “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- 1 2 “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- 1 2 “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- 1 2 “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 小地域集計(主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- 1 2 “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年7月13日閲覧。
- ↑ 町名別人口・世帯数(平成17年国勢調査確定値) 大阪市東住吉区 まちの統計
- ↑ “通学区域一覧” (PDF). 大阪市東住吉区 (2019年8月27日). 2019年12月24日閲覧。 “(ファイル元のページ)”
- ↑ “「東住吉区学校案内(令和2年4月入学者対象)」を作成しました”. 大阪市東住吉区 (2019年8月27日). 2019年12月24日閲覧。
- ↑ 平成19年商業統計調査 町丁目別集計結果 大阪市
- ↑ “令和3年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2024年12月21日閲覧。
- ↑ 大坂夏の陣で負傷し、逃げ帰った兵士達が櫨の樹の堤を漸く這い上ったという歴史が残っている。(今川堤の這い上り)
- ↑ すぐ北側がJR大和路線に遮られ、国道479号(大阪内環状線)が国道25号をアンダーパスする構造になっている。
- ↑ “郵便番号簿 2019年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年11月4日閲覧。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年10月。ISBN 4-04-001270-4。
外部リンク
- 028 杭全交差点(東住吉100物語 * 道路・街道・交通)
| 生野区林寺 | 生野区田島※ | |||
| 桑津 | 今林 | |||
| 西今川 | 今川 | 平野区平野馬場・平野区西脇 |
※田島とは今里筋上で僅かに接する。