| BEYONDS | |
|---|---|
| ジャンル | ロック |
| 活動期間 | 1990年-1994年, 2005年- |
| レーベル | UKプロジェクト(1993年-) |
| メンバー |
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| 旧メンバー |
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BEYONDS(ビヨンズ)は日本のロックバンド。US直系のメロディック・ハードコア/オルタナティヴ・ロックを根幹に据えて1990年結成。バンド名はフランソワ・ヴィヨンから[1]。
1991年1月に初ライブ。バンドブーム終焉後の「ライブハウス冬の時代」にNUKEY PIKESらとともにUSスタイルのメロディック・ハードコア・パンク・ロックバンドとして人気を集め[2]、1993年デビュー後、全国ツアー・カレッジラジオ誌『CMJ』主催のミュージックフェスCMJ Music Marathon参加を含むアメリカツアーを行う[3]が、メロディック・ハードコアブームを目前にした1994年3月に活動停止。谷口は自分の就職と方向性の違いが原因としている[4]。
谷口は鰰澤亜人と工藤哲也を誘い、2005年12月20日より再結成、活動再開。
ラモーンズのコピーバンドから出発したパペッツがスラッシュ的な方向に向かう中、「もっとポップでキャッチーで、もっとノリノリのアメリカ寄りのロックンロールパンク」[4]をやりたかった谷口と中村が結成したビヨンズは、まもなくテイチクが当時UKメロディックパンクとして売り出したスナッフの1991年来日公演のオープニング・アクトに起用される。ラウド志向でファッション面を含め近寄り難い独特な雰囲気のバンドも多かった東京のハードコアシーンでは、ハスカー・ドゥの影響を公言するスナッフのカジュアルなUSスタイルはまだ異色であった。スナッフはこの来日公演で解散を表明するが、ビヨンズは1992年にはさらにテイチクがプッシュしたレザーフェイス[5]らのUKメロディックバンドとのコンピレーション・アルバムに参加し、引き続きUKプロジェクト内のレーベル、WONDER RELEASE RECORD[6]からのアルバム・デビューとなる。インディー・ギターロックを取り込んだイギリスのクラブブームが一段落した時期である。テイチクを出た栄森陽一[7]が自主レーベルSnuffy Smileを立ち上げてリリースしたスナッフのトリビュート盤には、高杉がNUKEY PIKESのメンバーらとNot Enoughを組んで参加した。このレーベルは引き続き、UKバンドのほか、Hi-STANDARD、HUSKING BEEといった後の「メロコア」の中心となるバンドの作品をリリースする。1993年にはUSスタイルのライブもパンクシーンの一部として定着し、スケーターナイト[8]のようなイベントも開かれるようになった。1994年2月にリリースされたグリーン・デイのメジャー・デビュー・アルバム『ドゥーキー』が世界的な大ヒットとなり、クラブシーンを出たヒップホップとともにメロコアはアメリカ発のストリートカルチャーの象徴として全国の青少年に浸透していった。一方、アンダーグラウンドではアメリカの多様なインディーシーンとの直接の交流が加速する。
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