ラモーンズ
USA.ニューヨーク公演 (1976年9月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル パンク・ロック[1][2][3]
活動期間 1974年 - 1996年
レーベル
  • アメリカ合衆国の旗イギリスの旗 サイアー
  • 欧州連合の旗 フィリップス
公式サイト ワーナーミュージック・ジャパン - ラモーンズ
旧メンバー
バンド ロゴ

ラモーンズ(英語: Ramones)は、アメリカ合衆国のパンク・ロック・バンド。ニューヨーク州ニューヨーク市で1974年に結成された。ニューヨーク・パンクの重要バンドの一つで、後のパンク・ムーブメントに大きな影響を及ぼした。

2002年『ロックの殿堂』入り[4]。ローリング・ストーン誌が選ぶ「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第26位[5]。

概要

ノルウェー・オスロ公演 (1980年8月)

1976年以降のロンドン・パンク・ムーブメントに大きな影響を与え、アメリカ合衆国よりイギリスで評価が高いバンドである[要出典]。南米でも人気があり、アメリカでは主にライヴハウスばかりだが、アルゼンチンでは6万人弱を収容するエル・モヌメンタルでライブした。また、今まで誰も公演を行ったことの無かった地域にも積極的に出向き、以降そこにバンドが生まれるということもあったという[6]。

デビュー作から3作目までのアルバムは、ロック史上に残る重要なアルバムと評価されている。1979年に発表した5作目のスタジオ・アルバム『エンド・オブ・ザ・センチュリー』(フィル・スペクターがプロデュースを担当した)はバンド史上最大のヒットアルバムとなり、2012年に至っても大リーグの試合でこのアルバムの曲が演奏されるなど、アメリカ人に深く浸透している。

メンバー全員ラモーン (Ramone) の姓を名乗っているが、メンバー間に血縁関係はない。これは、ポール・マッカートニーがビートルズの前身シルヴァー・ビートルズ時代に使っていた芸名「Paul Ramon」にちなみ、ディー・ディー・ラモーンが名付けた[7]。

デビューから解散まで基本的なスタイルは変わらず、ビートルズやビーチ・ボーイズの影響を強く受けた音楽性、単純明快でストレート、キャッチーなメロディで、歌詞の内容も挑発的内容からラブソングまでバラエティに富み、コードは3〜4つのみ、ダウンストローク一辺倒のハードなディストーションを利かせたギター、リズムは8ビートが中心、スピーディーな2分前後の曲がほとんどだが、中期以降になると、ギターソロ・パートの導入、エレクトーンやシンセサイザーなどのキーボードや、アコースティック・ギター、クリーントーンのギター・サウンドを活用してみたり、コーラスワークを多用する等、サウンドにバリエーションが加わり、曲の長さも3分や4分を超える楽曲が出てくるようになった。ビジュアル的にはライダースジャケットと破けたジーンズ、ジョニーの愛用ギターのモズライト、ディー・ディーとC・Jが使用したフェンダー・プレシジョン・ベースというトレードマークも最後まで変わらなかった。

影響

2001年のMTVミュージック・アウォーズの壇上で、U2のボノはマーキー・ラモーンに「もしラモーンズが存在しなかったら、U2も存在しなかっただろう」と発言して敬意を表した。その後ボノとマーキーは何度もステージで共演している。マーキー・ラモーンはほかにエルヴィス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーとも親しい。ラモーンズのリスペクトパーティにはショーン・レノンも出席した。

歴代メンバー

来歴

ディスコグラフィー

アルバム

スタジオ・アルバム

ベスト・アルバム

  • 1988年 - ラモーンズ・マニア
  • 2001年 - ラモーンズ・アンソロジー
  • 2002年 - ラウド&ファスト:ザ・ベスト・オブ・ラモーンズ
  • 2006年 - グレイテスト・ヒッツ

ライブ・アルバム

  • 1979年 - イッツ・アライヴ
  • 1991年 - ロコ・ライヴ
  • 1996年 - グレイテスト・ヒッツ・ライブ
  • 1997年 - ラスト・ショウ(ウィ・アー・アウタ・ヒア)
  • 2003年 - NYC 1978

サウンドトラック

DVD

映画出演

来日

1980年

初来日。NHKホールおよび西武劇場(現在はPARCO劇場)、京都会館別館でライブを行い、NHK『レッツゴーヤング』にも出演した。競演したシーナ&ザ・ロケッツは彼らのサウンドに惚れこみ、同じアンプを買い求めるほど影響を受ける。その後も鮎川誠の自宅にジョーイが招かれたり、シーナ&ザ・ロケッツとしてマーキーと共演したりするなど、親交を続けている。のちに芥川賞作家となるミュージシャンの町田康も、同じ年に共演している。

1988年
1990年
1991年

川崎クラブチッタ(現在はCLUB CITTA')とMZA有明(現在はディファ有明)での公演であったがMZA有明が経営不振により閉店してしまったため「浅草常盤座(現在は浅草ROX)」で代替公演が行われた。

1993年
1994年
1995年

ラストツアー。

ドキュメンタリー映画

2003年に公開された映画『END OF THE CENTURY』はラモーンズの初めてのドキュメンタリー映画であり、バンドに関った多くの人々の証言をもとに、ラモーンズの光と陰を記録している[11]。ジョニー・ラモーンはこの映画について「ぼくたちの重くて暗い側面を表現している」と語った。

この映画は2003年のスラムダンス映画祭で約2,800作品の中からコンペ部門の28本に選出され、『ザ・デクライン』の監督ペネロープ・スフィーリスの紹介によって上映され、ベスト・ドキュメンタリー賞にノミネートされた。同年5月のロサンゼルス・プレミア上映では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやグリーン・デイなどの有名アーティストが多数出演した。トロント国際映画祭、ベルリン国際映画祭の上映は、メディアで大絶賛された。日本では2004年11月、シネセゾン渋谷で夜間のみの上映を行ったが、昼間の上映も追加するヒットとなった。

DVD化されたパッケージでは、メンバーおよび、ロブ・ゾンビ、エディ・ヴェダー、デボラ・ハリー、メタリカ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ランシドのインタビューが収録されている。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ↑ Erlewine, Stephen Thomas. "Ramones Biography". AllMusic. Netaktion. 2020年12月8日閲覧。
  2. ↑ Kerwin, Bryan (23 September 2016). "The best punk bands of all time". Time Out. Time Out Group Plc. 2024年5月31日閲覧。
  3. ↑ Patton, Alli (11 July 2023). "4 Live Moments in Memory of Tommy Ramone". American Songwriter. Savage Ventures. 2024年5月31日閲覧。Trailbrazing punk rock outfit The Ramones were a fast and loud force in rock and roll...
  4. ↑ ラモーンズがロックの殿堂入り。ジョーイの親族は冷たい待遇受ける BARKS 2002.3.19
  5. ↑ “100 Greatest Artists”. Rolling Stone. 2019年4月6日閲覧。
  6. ↑ 映画『END OF THE CENTURY』より。
  7. ↑ “Stay Tuned By Stan Cornyn: Punk's Papas - The Ramones”. Rhino Entertainment. 2017年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月25日閲覧。
  8. ↑ ラモーンズの初代ドラマー、トミー・ラモーンが死去 amass 2014年7月12日
  9. ↑ トミーはその後も裏方としてバンドに関わる。
  10. ↑ 来日中のCJラモーン ベースが盗難に
  11. ↑ 映画『END OF THE CENTURY』(2003) - allcinema. 2016年5月11日閲覧。

外部リンク

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