| TERU | |
|---|---|
| 出生名 | 小橋 照彦 |
| 生誕 | 1971年6月8日(53歳) |
| 出身地 |
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| 学歴 | 北海道函館商業高等学校卒業 |
| ジャンル | |
| 職業 | |
| 担当楽器 | |
| 活動期間 | 1988年 - |
| レーベル | LSG |
| 配偶者 |
大貫亜美(結婚 2002年) |
| 共同作業者 | |
TERU(テル、1971年〈昭和46年〉6月8日 - )は、日本のミュージシャン・歌手。ロックバンド・GLAYのボーカリスト。本名、小橋 照彦(こばし てるひこ)。愛称は、テッコ。
北海道函館市出身。函館市立桔梗小学校卒業。函館市立桔梗中学校卒業。北海道函館商業高等学校卒業。身長169cm。妻はPUFFYの大貫亜美。
1987年
夏頃、小・中学校と一緒である同じサッカー部の先輩に「ちょっとドラムをやってみないか?」と勧誘され、聖飢魔IIのコピーバンドに加入。ドラムを担当し、文化祭で披露した。しかし、加入当初TERUの家にはドラムセットなどなく、親戚の叔母が営むスナック(TERUがよく手伝って料理をしていた)の椅子などを使って練習していたという。ドラムセットは後に購入し、本格的に熱中していく。TAKUROと共にGLAYの活動を始めた頃には、TERUの部屋は防音処置が施されていたとTAKUROは語っている[1]。
1988年
3月、小・中学校の同級生であるTAKUROに誘われ、GLAYを結成。当初はドラマーとしての加入であった。しかし、TAKUROがTERUの家にまだ歌の入っていないデモテープを置き忘れ、歌があったほうが何かとやりやすいだろうと考えたTERUが歌を入れてみたところ、それを聴いたTAKUROが「神がかった声」と感じて腰を抜かした。TAKUROが人生において腰を抜かすほど驚いたのは、この時以外にはBOØWYの「B・BLUE」を初めて聴いた時だけだという[2]。これがボーカリストへ転向するきっかけとなり、新しいドラマーが見つかるまでマイクを天井からぶら下げてドラムを叩きながら歌っていた。しかし、TERU本人はTAKUROが受けた衝撃をあまり理解できていなかったらしく、先輩を新しいボーカルとして連れて来て自分はドラマーに戻ろうとしたが、TAKUROにより却下されボーカルに戻されたという。また、TAKUROは「TERUは自分がボーカルではなく、ドラマーでありたかった」と語っている[2]。同年7月には、GLAYとしての初ライブを行う。
1989年
同じ学校の同学年の友達と「花とゆめ」というバンドを結成[注 1]。GLAYがライヴハウス等での活動がメインだったのに対して、こちらは主に学校内でのイベントや文化祭でのライブが中心のいわゆる「学園祭バンド」だった。TERUが姉の結婚式でTAKUROと「ずっと2人で…」の原曲を演奏・披露したのも、この頃の話である。
1990年〜1993年
高校卒業と同時にGLAYの成功を夢見て上京。赤羽西にあったトッパングラビア東京に勤めるかたわらバンド活動を続けていたが、両立できずに試用期間明けで辞めてしまった。以降、居所を埼玉県所沢市や飯能市等に移し、その後は様々な仕事をしながらバンド活動を行う。
1994年
1999年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2019年
2020年
2023年
2024年
2025年
ライブでは「HOWEVER」、「空が青空であるために」、「BE WITH YOU」、「I'm in Love」、「南東風」、「とまどい」、「誰もが特別だった頃」などでギターボーカルを担うことが多い。
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PQS A90