| JIRO | |
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『MTV VMAJ 2014』にて | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | 和山 義仁 |
| 生誕 | 1972年10月17日(52歳) |
| 出身地 |
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| ジャンル | |
| 職業 | |
| 担当楽器 | |
| 活動期間 | 1988年 - |
| レーベル | LSG |
| 共同作業者 | |
JIRO(ジロウ、1972年10月17日 - )は、日本のミュージシャンで、GLAY兼THE PREDATORSのベーシストとして知られる。本名、和山 義仁(わやま よしひと)。
GLAYメンバーで唯一、芸名が本名に由来していない(TAKUROとHISASHIは下の名前(琢郎・尚)をそのまま、TERUは本名の「照彦(てるひこ)」の略称である)。由来は、GLAY加入前に所属していたバンド「ピエロ[1]」のボーカリストに名前を聞かれ、とっさに「JIRO」と答えたため[2]。本人も、何故自分が「JIRO」と言ったのかまったく分からないらしい。
その端正な顔立ちから、女性に非常に人気があり、芸能人でも武井咲や佐々木希がファンを公言している。メンバー曰く、実際にGLAYの中で一番モテるのはJIROで、TAKUROは女の子からJIROのことについての相談も多々あったという。加えて、優れたファッションセンスの持ち主で、衣服にあまりこだわらないTAKUROから相談されるほど。代官山で本人とは気付かれず「雑誌のオシャレ選手権に出ないか」とスカウトされたこともある。デビュー当初はローラーブレードを履いてスタジオ入りした事があり、事務所側から叱責された。
趣味はカメラとスノーボード。特にカメラは、空や風景などを撮るのが好きで、GLAYの会報内でコーナーも設けられている。このコーナーでは、ファンからの投稿も採用し、その時々の季節感やテーマにそっている。また、シングル「Precious」では、撮影した写真がCDのジャケットに用いられている。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
ギターのように大きく腕を振って弾く、独特な奏法でベースを弾いている。ベースはギターと違い、和音ではなく単音を的確に弾く必要があるため、弾かない弦をミュートしている。セカンドシングルである『真夏の扉』では、プロデューサーであった土屋昌巳から、「ピックで(ベース)弾いてるの?駄目だよ、それじゃあ。」と言われたところ、その場でピックを外したと言う。土屋は「ピックと指とで弾けるようにしろ、という意味でのアドバイスだった」と語っている。影響を受けたベーシストに、元ガンズ・アンド・ローゼズのダフ・マッケイガンとZIGGYの戸城憲夫を挙げている[4]。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レディオヘッド、ニルヴァーナ、チャットモンチーのファン。GLAYではTERUに次いでメインボーカルを担当することがあり、「SHUTTER SPEEDSのテーマ」「ストロベリーシェイク」「THE BIRTHDAY GIRL」などで自ら歌っている。なお、2005年からは、THE PREDATORSのベーシストとしても活躍。the pillowsのトリビュート・アルバムにも参加経験がある。また、GLAYでもTHE PREDATORSでも、稀に作曲をする。自身が作曲したGLAYの楽曲「SHUTTER SPEEDSのテーマ」は、特にライブでも盛り上がる楽曲となっている。
GLAYの副リーダー的存在、かつ、最年少メンバー[5]。TAKUROと同じ幼稚園に通っており、小学校もTAKUROが転校するまでは一緒だった。
TAKUROから新曲を聴かされた際、彼に対し「古いよ」と意見した事がある。彼はこれまでにない自信作としてメンバーに新曲を聴かせたが、JIROだけが頭を抱えていた。TAKUROが歩み寄り「この歌は俺自身なんだよね」と言いかける寸前に「TAKUROくん、こういうのって古いんだよね」とJIROに言われ、TAKUROは「俺は古いのか〜」と気付かされたとのこと。このエピソードは、彼自身が「音楽活動をしていて一番辛かったこと」として語っている。ただし、JIRO本人は「そんな事言ってないよ」と否定している。[6][より良い情報源が必要]
父、母、姉1人、妹2人の6人家族。
中学校でバスケットボール部に入部するが1年程で退部する。時間的に余裕があったため音楽に興味を持ち、エレキギターをもっている友人にギターを借りる。しかし、母親に「そんな高価なものはすぐに返しなさい」と叱られ、渋々ギターは返した。だがこのことが「何が何でもギターを買う」という決心をもたせ、新聞配達のアルバイトで金を貯め、やがてギターを買った。その後、友人と「ネクストビート」というバンドを結成。さらに高校入学後には「セラヴィ」というバンドにギターとして加入した。高3の頃にベースに転向、「ピエロ」に加入した。理由は「ピエロに入れるならベースでもいい。」ということから。友人の持っているベースと自分の持っているギターを交換した。その後、1年早く上京していたGLAYが帰郷した際に対バンする。その打ち上げでTAKUROに東京へ行くことを薦められ、高校卒業後はピエロのメンバーと上京することになった。しかし上京したものの、「ピエロ」は解散。その後はいくつかのバンドを渡り歩くこととなった。そして1992年8月、TAKUROに誘われ、GLAYに加入。
1994年5月、GLAYのベーシストとしてシングル「RAIN」でメジャーデビュー。デビュー時のJIROはバンド内で唯一短髪で髪も逆立てない普通の格好をしていたが、90年代後半は奇抜なヘアメイクと派手な衣装を着るようになる。特に1998年辺りの「アロエヘア」(当時出されたアルバム『pure soul』と掛けて“pure soulヘア”とも呼ばれる)はとても特徴的なものとなった。1999年2月、音楽雑誌『WHAT's IN?』で連載していたものをまとめた、初の単行本『キャラメルブックス』を発売。2000年のGLAY ARENA TOUR 2000 “HEAVY GAUGE”の頃、精神的に参っていた時期があった。ライブ中もずっと下を向くなどの行為が目立ち、ファンからも心配の声が上がった。TAKUROも「解散してもいいからJIROを休ませてあげたい」と発言するほどであったが、その時期を乗り越え現在に至る。その時期を支えてくれた、JIROが毎月連載していた音楽雑誌『WHAT's IN?』の編集者と同年12月に結婚。翌2001年7月には『キャラメルブックス』の続編、『キャラメルパビリオン』を発売した。
2月4日『LIVE DVD-SHOOT THE MOON TOUR 2008.11.4 Zepp Zokyo』を発売
| 発売日 | タイトル | アーティスト名 | 備考 | 規格 |
|---|---|---|---|---|
| 1996年3月15日 | SPEED BALL | D.I.E. | 「CLOCKWORK LOVE #1」「CLOCKWORK LOVE #2」にベースで参加。 | CD |
| 1996年11月30日 | Mind Drum | TOSHI NAGAI | 「Inguz」にTERUがドラム、HISASHIがギター、JIROがベースで参加している。 | CD |
| 1998年4月1日 | FRAGILE | D.I.E. | 「ANGEL'S BACK」にベースで参加。 | CD |
| 1999年7月21日 | D.O.S.Drum | TOSHI NAGAI | 「Laissez-moi Tranquille!」にTAKURO、HISASHIがギターで、JIROがベースで参加。 | CD |
| 1999年7月31日 | 明日に架ける橋 | JUNKO | 「明日に架ける橋」にTAKUROがギター、オルガンで、HISASHIがギター、サウンドプロデュース、ミックス、JIROがベース、TOSHI NAGAIがドラム、D.I.Eがピアノ、キーボードで参加。 | VHS |
| 2004年9月16日 | SYNCHRONIZED ROCKERS | V.A. | 「Sad Sad Kiddie」にYUTA.TOSHI.CHIHO and JIRO'S SESSION名義で参加。ベースを担当。 | CD |
| 2006年10月20日 | IN THE MOOD | 氷室京介 | 「SAY SOMETHING」にTAKURO、JIRO、Toshi Nagaiと共に演奏で参加。TERUもコーラスで参加している。 | CD |
| 2016年4月6日 | STROLL AND ROLL | the pillows | 「カッコーの巣の下で」「STROLL AND ROLL」にベースで参加。 | CD |
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GLAYのプロデューサー佐久間正英が立ち上げたブランド、TopDog(SGCraftsのベースでのブランド名)のベースを主に使用している。
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PQS B78