オール巨人(きょじん)
今宮戎神社十日戎宝恵駕行列出発セレモニー
(2020年1月10日)
本名 南出 繁(みなみで しげる)
ニックネーム モンスター
吉本の風紀委員長
全部ジャイアンツ
巨人師匠
生年月日 (1951-11-16) 1951年11月16日(73歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府大阪市天王寺区
血液型 B型
身長 184cm
言語 日本語
方言 大阪弁
最終学歴 大阪商業高等学校
(現・大商学園高等学校)
師匠 岡八朗
コンビ名 オール阪神・巨人
相方 オール阪神
芸風 漫才
立ち位置 左
事務所 吉本興業
有限会社コケコッコー(個人事務所)
活動時期 1975年 -
同期 明石家さんま
島田紳助
桂小枝
関根勤など
他の活動 歌手
配偶者 青木みき
親族 南出仁寛(長男)
南出一葉(長女)
弟子 きどゆういち
コラアゲンはいごうまん
有吉弘行
角田龍平など
公式サイト プロフィール
テンプレートを表示

オール巨人(おーるきょじん、1951年(昭和26年)11月16日 - )は、日本の漫才師、歌手[1]。漫才コンビオール阪神・巨人のメンバーで、主にボケ担当。相方はオール阪神。吉本興業所属。本名は南出 繁(みなみで しげる)。

来歴・人物

1951年、大阪市天王寺区にて出生後、家業の都合で転居を繰り返す。その後豊中市の北条に落ち着き、結婚までの時期をこの地で暮らす[2]。中学3年生の頃には身長が180cmほどになっていた[3]。特に暴れん坊だった、不良だったと言うわけではないが、いつしかケンカが強いと言う「設定」になっており、学校では一目置かれる存在となり、いつのまにかたくさんの子分がいたという[4]。

私立大阪商業高等学校(現・大商学園高等学校)卒業後は学生の頃から手伝っていた[5]実家の鶏卵卸売り業に勤務する[6]。その傍ら『素人名人会』など素人出演演芸番組で形態模写や漫談を披露する[7]。この頃に老人ホームや刑務所などでの慰問を行うために素人の手伝いを探していた時、まだ高校生であり、同じく演芸番組の常連であった6歳年下の高田昭徳、後のオール阪神と出会う[8]。

臨時的に高田と組んで漫才を行ったことがあったが、これが受け、高田と共に吉本興業に所属することを勧められる[9]。

当時の吉本には吉本総合芸能学院といった養成所が無かった故に誰かの弟子となるのが習慣であったが、意中の島田洋之介・今喜多代は既に島田一の介や今いくよ・くるよ、島田紳助など多くの弟子をかかえており[10]、ちょうど付き人を探していた吉本新喜劇の岡八朗の弟子となり、岡の一番弟子と認められていた[11][12]。当時島田紳助と仲が良く、今喜多代からコンビ結成を勧められたが、もともと吉本入りは高田とのコンビ結成が前提であり、また南出は年下の高田が高校を卒業するのを待っていたため、これを断った[13]。

1975年2月には高校を卒業した高田も岡の弟子となり、南出はオール巨人、高田はオール阪神を名乗る。その後1975年4月までの約9ヵ月間、岡八朗の弟子として過ごす[14]。岡は新喜劇俳優(とは言え漫才師としての経験もある[15])、巨人は漫才師志望のため、直接的に芸を学ぶ事は無かったが[16]、アドバイスを受けることはあった[17]。

一時期はせっかく夢を持って吉本に来たのだから、と、弟子入り志願者が10人居れば7~8人を弟子としていたが、2019年現在は、弟子を取ってはいない[18]。弟子の数は合計30人程度にのぼるが(うち一人は女性だが、他は男性)、ほとんどは芸人を辞めていった[19]。常識の無い弟子に困らされることもしばしばであったと言う[20]。

なお、巨人は厳しい師匠だと言われる事があるが、勿論弟子が失敗すれば怒ったり謹慎を命じたりしたりする事はあるにせよ[21]、巨人自身は、そうではないと思っているとのこと[22]。巨人は「師匠である自身が弟子と真剣に向き合っているからこそ、怒鳴ったり怒ったりすることもある」としており[23]、また自身は理由も無く手を挙げるような乱暴者では無いとも語っている(後述)。

だが謹慎を切っ掛けに弟子が辞めてしまうこともあり、そういった時は非常に寂しいもので、あの時許していればと自省をしてみたりと言ったこともあり、師匠をやるのも難しいものなのだと語っている[24]。なお、巨人によれば、巨人が弟子に手を上げたのはただの一度だけであると言い、その弟子はあろうことか阪神の財布から現金を盗んでいたのだという[25]。

また、テレビ番組『EXテレビ』の企画で巨人の弟子となった有吉弘行が兄弟弟子の堀之内裕史を歯が折れるほど殴ってしまい、暴力を振るうような奴は弟子には不要と謹慎を言い渡したところ、いつの間にか上京して「猿岩石」を結成しブレイクしていたといったことがあった[26]。その後巨人と再会した有吉は土下座して謝罪し[26]、巨人は何故連絡の一つも寄越さなかったんだと言いながらも、お前も辛かったんだろうと、正式に破門と言う形式にした[27][28]。

有吉以外にも巨人のもとを離れてから成功した例がいくつかあり、一時期は巨人の弟子を辞めたら売れると言う話が生まれたという[27]。なおあくまでテレビのバラエティ番組内でのトークではあるが、有吉がMCを務める番組に巨人がゲストとして出演した際、有吉は巨人師匠の弟子につかせてもらって良かった、としながらも、猿岩石がブレイクしたきっかけの6ヵ月のヒッチハイクと巨人のもとでの8ヵ月の弟子生活を比較し、もう一度どちらかをやれと言われたらヒッチハイクの方を選ぶ、と思うほど(18歳当時の)自身には厳しいものだったと語っている[29]。

弟子・元弟子には有吉のほか、きどゆういち[* 1][30][31]、角田龍平[27]、コラアゲンはいごうまん[* 2][21]などがいる。

また弟子を取る時には履歴書と、心構えなどを書いた書面を提出させ、それは全て保管しているという[24]。

弟子については#ガチンコ!でも詳述する。

自身の持ち歌「男の子守唄」で第67回NHK紅白歌合戦に内定したが、ピコ太郎に先をやられたと漫才でも語っている。

現在は大阪府吹田市在住。

エピソード

とろサーモン久保田との確執

自身の書籍「漫才論 - 僕が出会った素晴らしき芸人たち - 」の中で、お笑いコンビとろサーモンに対して以下の文言を記述している。

「実際にとろサーモンが王者になった2017年は、僕は和牛が優勝だと思っています。だから、最終決戦で和牛に投票した」 「僕を含めて当時のメンバーが5人で1人1人の票が重いと、審査員を増やしてくれと訴えたんです。それで2017年は7人に増えたと。このとき新しく入った2人がとろサーモンに入れたんですよね。そして、レギュラー審査員を務めていたうちの3人、つまり、僕と上沼さんと松本君は和牛を選んだ。故に、彼らは名誉ある敗退とも言われていました」

この文面をとろサーモン久保田氏が読み、自身は「恥辱の勝者」になるのかと、YouTubeチャンネルを通じて反論をしたのがきっかけ。 そもそも2017年に審査員を7人に増やしたのはオール巨人本人であり、後出しジャンケンのように、記録に残る「書籍」という形で無許可で記載したことに対しても、「前までちょっと好きだったんですけど、今回読んでちょっと…。そうですね。嫌いになりましたね」と久保田は大きな落胆にも近い憤りを見せている。

その数週間後、お笑い賞レースで審査員として共演することになった際に直接対面し、お互いが謝罪して和解している[32]。

ガチンコ!

『ガチンコ!』と言うテレビ番組の企画で、巨人に漫才師を育てる企画、「漫才道」の講師の依頼があった[33]。「生まれてこの方やらせと嘘は大嫌い」[34]と言う巨人は、やらせをしない、「演出」も極力控える条件でこれを承諾[33]。

1週目収録がはじまると、20-30人集まった候補者の中にとんでもなく態度の悪い人物がおり、巨人はその人物を怒鳴りつけたが、その人物はしらばっくれたような態度を取るだけだった[35]。巨人は、「何を言うてんねん。お前な、漫才師になりたくてここに来たんなら、俺の言うことを聞け、嫌やったら帰れ! お前が俺の弟子やったらパンパンやな、お前」[36]と叱りつけた。巨人によればこの「パンパンやな!!」は後で評判になった台詞だが、本当はそんな風に言うつもりでななく、パンパンとはバチバチっと殴るぞ、ちゃんとやらないと手が出てるぞ、程度の意味合いであり、恐らく自身が怒りで興奮していたんだろう、としている[37]。ともあれ1週目の収録は終わったが、巨人はその態度の悪い人物を、番組側が仕込んだやらせなのではないかと怪しみ、スタッフを問い詰めた[38]。この時スタッフはやらせを否定したものの、2度目の収録の前の週に巨人がテレビを見ていると、なんと他の番組にその人物が出演しており、真面目な好青年であったという[34]。巨人は「やっぱりやらせか!」と激怒し、2度目の収録の時にスタッフを叱りつけ、収録は中止となった[39]。巨人は本音ではこの企画をもう降りたかったが、1週目を収録してしまった都合上そういう訳にもいかず、今後は自分の好きにさせて貰う、やらせは行わない、と言う条件でやむなく続けることにした[40]。以後は1回目のようなあからさまな仕込みはなかったものの、スタッフが弟子へのビンタを要求するなどやらせを要求され、腹を立てることがあったという[40]。

巨人はこの件に関し自著で、口で言っても解らない子には殴るしかない時もあろうが、自分は誰にでも手を出すような乱暴者ではない。またテレビの企画とは言え塾生を弟子のように思っているから無闇に怒るようなこともできない、と著している[40]。

なお巨人は前述の通り、弟子に対して師匠として真剣に向き合うから怒鳴る時もあれば怒る時もあるとしており、テレビ番組の企画とは言え、自身が塾生たちにも真剣に向き合った結果、テレビの視聴者に「巨人は怖い」との印象を与えるに至ったのではないかとしており、出演しなければ良かった、と思う時もあるという[41]。この企画で怖いと言う印象がついてしまい、寿司屋を訪れると茶髪の店員を奥に隠したり、「ウニください」と普通に寿司を注文したら、「あれ、怖くないんですね」などと驚かれたこともあったと言う[* 3][40]。

巨人によれば、ガチンコの出演は残念な結果に終わったが、芸人として残っている数少ない弟子は「巨人師匠は優しい」と言ってくれるし、また、一部のファンは当時「巨人さんは本当は優しいと知らしめたい」と言ってくれており、その気持ちは嬉しかったとしている[42]。

C型肝炎

巨人は以前、C型肝炎を患っていた。初期は自覚症状がない病気であるが、これが発覚したのは1997年ごろ、虫垂炎の手術をしたときである[43]。ひとくちにC型肝炎と言っても色々なタイプがあるが、最も治りにくいウイルスに冒されていた[44]。自覚症状が無い為になかなか治療を開始する踏ん切りがつかず、治療を開始したのは還暦を前にした2010年2月のこと[45]。

巨人が受けたインターフェロン治療は注射を行うと体温が39度を超え激しい頭痛と関節痛が伴い、また副作用が20も30もあるようなものであったという(巨人の場合、一番ひどかったのは、耳鳴りであった。その他立ちくらみや味覚障害による食欲不振など。)[46]。またこのような症状は当日だけではなく、日常生活にも支障を来すものであった[47]。しかし不思議と、舞台上では時折目の前が真っ白になりながらも、しっかり漫才を行えていたという[47]。

その辛さから家族に八つ当たりすることもあったが、巨人は同年2月15日から19日に入院したものの、仕事を休まずこの注射を毎週、1年半続け[48]、また更に半年後の検査でもウイルスは検出されず、2012年現在は完治ということになっている[49]。治療費は1年間につきおおよそ100万円程度かかったが、2012年現在は助成金が有り安価に治療できるとのこと[50]。

なお巨人が治療を開始する4-5年前に、巨人の妻も同じくC型肝炎でインターフェロン治療を行っている[44]。妻も注射後3-4日はずっとしんどいとへたりこんでいたという[44]。

また巨人は、治療中は禁酒し、ゴルフにも行かなかったという。そして、治療終了後に「飲酒再開の会」を興したところ、20人ほどが集まってくれたと言う[49]。

師匠・岡八朗

巨人は師匠である岡八朗を非常に尊敬・敬愛していると語る。弟子として専属したのは9ヵ月程度であったが、離れても一生師匠は師匠、弟子は弟子と言い[51]、酒に溺れ身を崩す岡を諫め続けるなど、師弟関係は岡が死去するまで31年間続いたものであった。巨人曰く、たまたまの縁で岡と師弟関係となったが、師匠である岡の深い愛情と大きな度量があったから今の自分があり、後年酒と怪我で身を崩した岡を諫めるようなことになっても、その尊敬心や信頼関係にはいささかの揺るぎもないという[52]。また、本当に優しくて、大きな師匠であり、岡八朗師匠に出会えて良かったと心から感じている、としている[53]。なお岡の葬儀の後、岡の日記を読む機会があったが、死去する2日前に書かれた、数日前に行われ岡最後の舞台となった芸能生活45周年公演について記した日記で岡も舞台を非常に楽しんだことなどが記されていたが、巨人の名前(本名)が「南出」であるところ「南田」と誤記されており、ここでそれはないだろう、と、ガックリきたと冗談めかしながら著している[54]。

門下時代

その他

M-1グランプリ審査員

  • M-1グランプリでは第7回で初めて審査員となったが、寸評を求められた時にはできるだけのアドバイスを行い、言葉が足りなかったと思ったコンビには、後で楽屋に赴きフォローを行ったりと、真剣に取り組んだという[66]。また2007年に敗者復活から優勝したサンドウィッチマンが、非常に面白いのに何故準決勝で落ちたのかがわからず、そのことを率直にコメントするなどもしている[66]。
  • 2012年の若手は「腕がある」と評価しており、M-1で準決勝に残る腕を持った若手を自分達が若手だった時代に連れて行ったら、あっと言う間にスターになる、としている[66]。
  • 2007年から3年間、M-1グランプリの審査員を務めた。さらに2016年から2021年まで審査員を務めていた。自らのブログで視聴者に対して自身の採点基準をより明確にしている。2010年大会では自身の体調との兼ね合いで審査員を辞退したことも明らかにしている。2021年大会をもって上沼恵美子とともに審査員を引退。理由について「引退は2、3年前から決めてた。(審査は)めっちゃ疲れる。僕らに理解できひんような漫才に、理解したような顔してよう審査できん」と取材に答えている[67]。

単独出演

テレビバラエティ

テレビドラマ

ディスコグラフィ

シングル

#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
EPIC・ソニー
1 1982年
5月21日
A面あんじょうやりや 喜多条忠 BORO 船山基紀 075H-120
B面土佐堀川
2 1983年
8月25日
A面墨絵色の街 秋元康 ガンジー 大谷和夫 075H-168
B面ブランコ・ララバイ
ビクター
3 1987年
10月21日
A面瞳の中で愛せたら[68] 荒木とよひさ 馬飼野康二 田中公平 SV-9280
B面夢だったね
よしもとミュージック
4 2011年
2月14日
01桜の手紙 荒木とよひさ吉幾三 竜崎孝路 YRCN-90135
02夢叶わずも春遠からじ弦哲也
5 2015年
4月22日
01天国への手紙杉本眞人佐藤和豊 YRCN-90246
02通天閣も笑てるわ岡千秋伊戸のりお
03あんじょうやりや2015喜多条忠BORO林有三
6 2016年
5月18日
01男の子守唄 オオガタミヅオ若草恵 YRCN-90255
02大阪ロンリー・トゥナイト石倉重信
7 2021年
2月10日
01夢浪漫十川ともじ YRCN-90321
02誠!!浪速の晴れ姿 中村泰士 かせだあきひろ
03Last my way

アルバム

ベスト・アルバム

書籍

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ↑ 巨人の実質的な一番弟子。実際は巨人の弟子としては2番目なのだが、1人目はしばらくして辞めたため、「正式に卒業した最初の弟子」という意味である。
  2. ↑ 大失敗をして頭を丸めてもが生えてくる前にまた失敗をやらかすので3回くらい坊主の貸しがあると言う。都合10回ほど頭を丸めているほど失敗を繰り返して居るが、巨人の元を去るでもなく、毎回、また弟子をやらせて下さいと謝りに来る熱意を持った弟子であり、巨人にとっては可愛い弟子であるという。
  3. ↑ 巨人曰く、「ウニ握れ!」とでも言うと思ったのだろうか・・・とのことである。因みにタレントの児玉清は巨人の教育法を評価していたそうである。

出典

  1. ↑ “人の思いを背負い、オール巨人さんが歌う「夢浪漫」(1/2ページ)”. 産経ニュース (2021年6月3日). 2021年6月4日閲覧。
  2. ↑ オール巨人 2012, p. 64.
  3. ↑ オール巨人 2012, p. 67.
  4. ↑ オール巨人 2012, p. 65-69.
  5. ↑ オール巨人 2012, p. 70-.
  6. ↑ オール巨人 2012, p. 表紙裏プロフィール.
  7. ↑ オール巨人 2012, p. 81.
  8. ↑ オール巨人 2012, p. 81-82.
  9. ↑ オール巨人 2012, p. 12, 84.
  10. ↑ オール巨人 2012, p. 13.
  11. ↑ オール巨人 2012, p. 14, 169.
  12. ↑ “オール巨人、弟弟子おかゆうたさん死去に「胸が痛くてつらい」復帰漫才見れず無念の思いも”. 日刊スポーツ (2023年8月25日). 2022年8月25日閲覧。
  13. ↑ オール巨人 2012, p. 97-98.
  14. ↑ オール巨人 2012, p. 7, 14, 98.
  15. ↑ オール巨人 2012, p. 108.
  16. ↑ オール巨人 2012, p. 55.
  17. ↑ オール巨人 2012, p. 96.
  18. ↑ オール巨人 2012, p. 133.
  19. ↑ オール巨人 2012, p. 133, 136.
  20. ↑ オール巨人 2012, p. 132「師匠として弟子をみる。大切なのはやっぱり愛情」.
  21. 1 2 オール巨人 2012, p. 138-139.
  22. ↑ オール巨人 2012, p. 134.
  23. ↑ オール巨人 2012, p. 151.
  24. 1 2 オール巨人 2012, p. 140.
  25. ↑ オール巨人 2012, p. 141.
  26. 1 2 オール巨人 2012, p. 143.
  27. 1 2 3 オール巨人 2012, p. 144.
  28. ↑ NEWSポストセブン オール巨人 兄弟子殴った有吉弘行を謹慎させた出来事を語る
  29. ↑ “有吉、元師匠・オール巨人に感謝「弟子につかせてもらってよかった」”. オリコンスタイル (2013年11月19日). 2014年9月26日閲覧。
  30. ↑ 『オール巨人の一笑懸命・フルスイング!』「一番弟子と!」、Yahoo!ブログ、2014年7月1日。
  31. ↑ 『オール巨人の一笑懸命・フルスイング!』「暇潰しに弟子の話を!」、Yahoo!ブログ、2014年7月5日。
  32. ↑ "とろサーモン久保田 あの大御所芸人との騒動で和解も「僕は嫌いな先輩って聞かれたら言います」". Sponichi Annex. 8 November 2023. 2025年3月4日閲覧。
  33. 1 2 オール巨人 2012, p. 147.
  34. 1 2 オール巨人 2012, p. 149.
  35. ↑ オール巨人 2012, p. 147-148.
  36. ↑ (オール巨人『師弟』p.148より引用)
  37. ↑ オール巨人 2012, p. 148.
  38. ↑ オール巨人 2012, p. 148-149.
  39. ↑ オール巨人 2012, p. 149-150.
  40. 1 2 3 4 オール巨人 2012, p. 150.
  41. ↑ オール巨人 2012, p. 151-152.
  42. ↑ オール巨人 2012, p. 153.
  43. ↑ オール巨人 2012, p. 207.
  44. 1 2 3 オール巨人 2012, p. 208.
  45. ↑ オール巨人 2012, p. 209.
  46. ↑ オール巨人 2012, p. 209, 212-213.
  47. 1 2 オール巨人 2012, p. 210.
  48. ↑ オール巨人 2012, p. 209, 212.
  49. 1 2 オール巨人 2012, p. 214.
  50. ↑ オール巨人 2012, p. 215.
  51. ↑ オール巨人 2012, p. 200.
  52. ↑ オール巨人 2012, p. 201.
  53. ↑ オール巨人 2012, p. 201-202.
  54. ↑ オール巨人 2012, p. 199.
  55. ↑ オール巨人 2012, p. 46-51.
  56. ↑ オール巨人 2012, p. 41.
  57. ↑ オール巨人 2012, p. 23,29,40.
  58. ↑ オール巨人 2012, p. 48.
  59. ↑ オール巨人 2012, p. 76-79.
  60. ↑ オール巨人 2012, p. 59-61.
  61. ↑ オール巨人 2012, p. 118-124.
  62. ↑ オール巨人 2012, p. 120.
  63. ↑ オール巨人 2012, p. 69.
  64. ↑ オール巨人 2012, p. 127.
  65. ↑ “オール巨人がコロナ感染、14日に3度目接種も微熱が続き オール阪神は「体調に異常なし」”. 日刊スポーツ (2022年3月20日). 2022年3月20日閲覧。
  66. 1 2 3 オール巨人 2012, p. 155.
  67. ↑ “オール巨人 M-1審査員引退「めっちゃ疲れる」「理解できた顔してよう審査できん」慰留も決意変わらず”. デイリースポーツ (2022年12月11日). 2023年9月28日閲覧。
  68. ↑ '87公共広告機構・キャンペーンソング。

参考文献

関連人物・項目

外部リンク

⌬ Phoenix Mesh CID: 未登録 IPFS未登録 📡 0ピア N=1 CRITICAL PQS A90