| ザフォニック | |
|---|---|
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ハーリド・ビン・アブドゥッラーの勝負服 | |
| 欧字表記 | Zafonic |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 青毛 |
| 生誕 | 1990年 |
| 死没 | 2002年9月7日 |
| 父 | Gone West |
| 母 | Zaizafon |
| 母の父 | The Minstrel |
| 生国 |
|
| 生産者 | Juddmonte Farms |
| 馬主 | Khalid Abdullah |
| 調教師 | André Fabre(フランス) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 7戦5勝 |
| 獲得賞金 |
663,984ドル (アメリカドル換算) |
ザフォニック(Zafonic、1990年 - 2002年)は、フランスのサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。1993年の2000ギニーステークス優勝馬で、種牡馬としても活躍した。
アメリカ合衆国のジュドモントファームで生産された馬で、フランスの調教師アンドレ・ファーブルのもとで競走馬となった。
2歳になった1992年、8月13日にドーヴィル競馬場で行われたタンカルヴィユ賞がデビュー戦となり、2馬身半差でこれに勝利した。翌戦はモルニ賞に出走して優勝、ロンシャン競馬場のサラマンドル賞も制して3連勝を決めた。10月にはイギリスのニューマーケット競馬場へと遠征し、ここでデューハーストステークスに勝利した。G1を含む4戦4勝と大きな結果を残し、この年の末にカルティエ賞最優秀2歳牡馬として選出された。
3歳シーズンに入っての初戦は4月のメゾンラフィット競馬場のジェベル賞(準重賞)で、ザフォニックはキングマンボにアタマ差で敗れて2着となり、初めての敗戦を経験した。5月に入るとふたたびイギリスへ渡り、イギリスクラシック三冠競走のひとつ2000ギニーステークスに出走した。ここでザフォニックは2着バラシアに3馬身半差、さらに45年ぶりのコースレコードで優勝を手にした。
その後はマイル路線に向かうものと思われたが、その翌戦サセックスステークスで競走中に鼻出血が出て7着に敗退、それがもととなって引退に至った。
馬主ハーリド・ビン・アブドゥッラーの所有するバンステッドマナースタッドに繋養され、種牡馬となった。初年度からザールを出すなど好調な出だしを切った。
2002年、シャトル種牡馬としてオーストラリアのアロースタッドへと移送された。しかし、検疫から間もなくの9月7日に牧場内で事故に巻き込まれ、11歳で死亡した[1]。
| ザフォニックの血統(ミスタープロスペクター系 / Native Dancer 4x5=9.38%、 Nasrullah 父内5x5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Gone West 1984 鹿毛 アメリカ |
父の父 Mr. Prospector1970 鹿毛 アメリカ |
Raise a Native | Native Dancer | |
| Raise You | ||||
| Gold Digger | Nashua | |||
| Sequence | ||||
父の母 Secrettame1978 栗毛 アメリカ |
Secretariat | Bold Ruler | ||
| Somethingroyal | ||||
| Tamerett | Tim Tam | |||
| Mixed Marriage | ||||
母 Zaizafon 1982 栗毛 アメリカ |
The Minstrel 1974 栗毛 カナダ |
Northern Dancer | Nearctic | |
| Natalma | ||||
| Fleur | Victoria Park | |||
| Flaming Page | ||||
母の母 Mofida1974 栗毛 イギリス |
Right Tack | Hard Tack | ||
| Polly Macaw | ||||
| Wold Lass | Vilmorin | |||
| Cheb F-No.9-e | ||||
母ザイザフォンはイギリスの競走馬で、イギリスの重賞競走 (G3) での優勝経験のある馬であった。全弟に種牡馬として成功したザミンダーがいる。
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PQS B71