デニス・サヴァード
| デニス・サヴァード | |
|---|---|
|
シカゴ・ブラックホークス時代(1981年) | |
| 本名 | ドゥニ・ジョゼフ・サヴァール |
| 原語名 | Denis Joseph Savard |
| 生誕 |
1961年2月4日(65歳) ガティノー |
| 身長 | 5 ft 10 in (1.78 m) |
| 体重 | 170 lb (77 kg; 12 st 2 lb) |
| ポジション | センター |
| ショット | 左打ち |
| 所属したチーム |
シカゴ・ブラックホークス モントリオール・カナディアンズ タンパベイ・ライトニング |
| NHLドラフト |
1巡目(全体3位)(1980年) シカゴ・ブラックホークス |
| プロ選手期間 | 1980年 – 1997年 |
| 2000年殿堂入り | |

デニス・サヴァード(英語: Denis Savard, 1961年2月4日 - )は、カナダ連邦ケベック州ガティノー生まれの元プロアイスホッケー選手、コーチである。ポジションはセンター。
観客を思わず席から立ち上がらせてしまうような熱狂を生み出すことができる、同時代において最もエキサイティングな選手の1人であった。
経歴
プロ入り前
モントリオール・カナディアンズのジュニアチームで全国的な注目を集めたドゥニ・サヴァールは、全員が同じ日に生まれたドゥニ・シール、ドゥニ・トレンブレイと共に生産的な「トロワ・ドゥニ」ラインを中心に傑出した活躍を見せた。1980年には181ポイントを記録し、QMJHLファーストオールスターチームに選出され、ギイ・ラフレール以来となる最もエキサイティングなフランス語圏出身のジュニアホッケー選手と見なされるようになった。
1980年のNHLドラフトで、全体1位指名権を持っていたカナディアンズは、サヴァールを上回る成績を残していたダグ・ウィッケンハイザーを指名し、サヴァールはシカゴ・ブラックホークスから全体3位で指名された。[1]
NHL入りとブラックホークス時代
ブラックホークス史上最高位のドラフト指名選手となったサヴァードは、すぐにNHLデビューを果たし、1980–81シーズンにホークスのルーキーとして最多となる75ポイントを記録してその実力を証明すると、前シーズンを最後に引退した、サヴァードと共通した動きやビジョン(事前にプレーを見通す状況判断能力)を持つスタン・ミキタの後継者としての期待が高まった。
サヴァードはアル・セコードやスティーブ・ラーマーと組んで、リーグ屈指の危険なラインを形成し、翌1981–82シーズンにはチーム史上最多となる87アシスト、119ポイントを挙げ、1968-69シーズンのボビー・ハル以来初のとなるホークス史上2人目のシーズン100ポイントを達成し、スタンレーカップ・プレーオフ15試合で2位の11ゴール、チームトップの18ポイントを記録して、ホークスを1973年以来初のスタンレーカップ準決勝に導く活躍を見せた。
1982-83シーズンは78試合で35ゴール、86アシスト、121ポイント、プレーオフでは13試合でチームトップの8ゴール、17ポイントを記録して、[2]2年連続してチームをキャンベル・カンファレンス決勝に導いたが、ウェイン・グレツキー率いる王朝時代のエドモントン・オイラーズにスイープ敗けを喫した。
1984–85シーズンを105ポイントで終えると、プレーオフでは15試合でチームトップの20アシスト、29ポイントを記録し、[3]キャリアで3度目となるカンファレンス決勝に進出したが、またしてもオイラーズに2勝4敗で敗れた。
フランチャイズの顔とも言える存在になったサヴァードは、1985-86シーズンには47ゴール、116ポイントを記録し、1986年1月12日のハートフォード・ホエーラーズ戦では、第3ピリオド開始4秒でゴールを挙げ、ピリオド開始後の最速ゴール記録に並んだ。[4]
以降の3シーズンを連続して40ゴール以上を達成し、チームキャプテンに任命された1987-88シーズンには131ポイントを挙げてフランチャイズ記録を更新し、セカンドNHLオールスターチームにも選出されたが、チームはプレーオフで急速に力を失っていった。
1988–89シーズンに「アイアン・マイク」ことマイク・キーナンがブラックホークスのコーチに就任すると、チームはフィジカルを重視したプレースタイルに変わり、サヴァードとの相性は悪化したが、プレーオフ16試合でチームトップの8ゴール、19ポイントを記録して、[5]チームを4度目のカンファレンス決勝に導いたものの、その年の優勝チームであるカルガリー・フレームスに1勝4敗で敗れた。
1989–90シーズンのプレーオフ20試合でラーマーと並ぶチームトップの22ポイントを記録して、[6]5度目のカンファレンス決勝に進出したが、オイラーズ相手に3回目の敗退を喫した。
シカゴでは素晴らしい時間を過ごしたものの、スタンレーカップを勝ち取ることは叶わなかった。「ミスター・ホークス」として10シーズンを過ごしたサヴァードは1990年、ホークス次世代のスターセンターとなるジェレミー・ローニックに後を託し、カナディアンズへと移籍することになった。
カナディアンズ時代
1990年6月29日、クリス・チェリオスおよび1991年NHLドラフト指名権(2巡目、マイケル・ポミクター)との交換で、シカゴからモントリオール・カナディアンズへトレードされた。
1991年にシカゴ・スタジアムで行われたNHLオールスターゲームに、ウェールズ・カンファレンスの怪我の代役として出場し、ウォーミングアップのために氷上に姿を現すと、長いスタンディングオベーションが送られた。
カナディアンズ(ハブス)での3シーズン210試合で179ポイントを記録し、生産性は落ちたものの堅実なプレーを続け、時にはチームの攻撃に不可欠な起爆剤となり、1993年にはオルタネイト・キャプテンとして、キャリア唯一となるスタンレーカップ優勝を果たした。決定戦ではユニフォーム姿ではなかったが、キャプテンのギイ・カルボノーと共に、熱狂するモントリオール・フォーラムの観衆の前で氷上でカップを掲げた。
ライトニングと2度目のブラックホークス時代
1993年7月29日、フリーエージェントとして2年目のシーズンとなるタンパベイ・ライトニングと契約し、チームのオルタネイト・キャプテンとして2シーズン在籍した。
1995年4月6日、1996年のNHLドラフト指名権(6巡目、グザビエ・ドリル)との交換で、タンパベイから再びシカゴ・ブラックホークスへトレードされた。1995年のプレーオフでは7ゴール、11アシスト、18ポイントを挙げて、チームをキャリア6度目となるカンファレンス決勝進出へと導いた。
1997年6月26日にプロホッケーから引退した。 ブラックホークスではシーズン377ゴールで歴代5位、719アシストで3位、1,096ポイントで歴代4位に位置し、[7]プレーオフのゴール数、アシスト数、ポイント数で歴代2位に位置している。[8]キャリア中に5回100ポイント以上、7年連続で30ゴール以上を記録した。
引退後
1997年12月3日にブラックホークスのアシスタントコーチに任命され、1998年3月19日には、サヴァードの背番号18番がシカゴ・ブラックホークス5番目の永久欠番として認定された。

2006年11月27日にヘッドコーチに昇格した。2007-08シーズンにはホークスを6シーズンぶりの40勝に導き、新人のジョナサン・テイヴズとパトリック・ケインを指導した。翌シーズンの4試合目にサヴァードは後任のジョエル・クウェンビルと交代し、クウェンビルとテイヴズ、ケインは2010年、2013年、2015年にブラックホークスをスタンレーカップ優勝へと導いた。
2010年にハル、ミキタ、トニー・エスポジトといった他の殿堂入り選手たちと共に、ブラックホークスのアンバサダーに任命されたサヴァードは、ブラックホークスの地域支援プログラムと密接に連携して、クラブおよびシカゴ地域全体で働き続けている。また、同年にデニス・サヴァード・エンタープライズ株式会社を設立し、ジュエル・オスコ店舗で購入できる冷凍ピザ「Savy's Pizza」などを発売している。
2014年にはアイスホッケーシステムズ (Icehockeysystems.com) との提携を発表し、世界中のホッケーコーチが利用するオンライン教育用のプラットフォームを立ち上げ、600以上のアニメーションドリルやシステム、コーチング動画、あらゆるレベルのコーチ向けのアドバイスのためのブログを提供するポータルサイトを共同開発した。
2017年には、100人の偉大なNHLプレーヤーの1人に選出された。
プレーと人物
デニス・サヴァードは、驚異的な一歩目の加速力を持つリーグ屈指の俊足の持ち主であり、危険なエリアへ果敢に飛び込んでは目まぐるしく方向転換しながら抜け出すという目の離せない魅力的なプレーを見せ、中でもパックをキープしたまま360度回転し、相手のチェックからパックを守り抜く「サヴァーディアン・スピン・オー・ラマ」と称する動きを完璧にこなすことができた。
卓越したスケーティングに加え、極めて繊細なスティックハンドリング技術を備え、相手チームを次から次へとかわすようなスティックさばきを見せることもあった。プレイメーカーとして優れたパスを出し、レーザーのように鋭いリストショットで、角度のない位置からでも果敢にシュートを放つことでも知られていた。小柄な体格であっても重心が安定していたため、サヴァードからパックを奪うのは容易ではなかった。
サヴァード本人は、自身のプレーのほとんどは直感を頼りにした「閃き」によるものであり、その独特なプレーが生まれる理由が、自分でもよく分かっていないことを認めている。同世代のリーグ最高の選手であったウェイン・グレツキーとの比較も、サヴァードが持ち前の優れたスピード、敏捷性、瞬発力をベースにしてプレーする一方、グレツキーはあらゆる状況を先読みし、理解し、即座に対応する能力をベースにプレーした。グレツキー以上に「個」の力でプレーするサヴァードは、リーグの誰よりも左右への動きが鋭く、ゴール裏に回り込んだ時には、相手ゴーリーはサヴァードが何をするか全く読めなかったと言われる。
かつては異国の地のように感じられたシカゴだったが、現役時代には温かく迎え入れられ、家族はシカゴ郊外に定住するようになった。「デニス・サヴァード財団」は、シカゴランドのコミュニティに恩返しをする唯一の目的で設立され、様々な資金調達やイベントを通じて、慈善活動団体のシカゴランド・チャリティーズに寄付を行い、地域社会をより良くする手助けをしている。
詳細情報
レギュラーシーズンとプレーオフの成績
| レギュラーシーズン | プレーオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1977–78 | Montreal Juniors | QMJHL | 72 | 37 | 79 | 116 | 22 | 13 | 3 | 17 | 20 | 0 | ||
| 1978–79 | Montreal Juniors | QMJHL | 70 | 46 | 112 | 158 | 88 | 11 | 5 | 6 | 11 | 46 | ||
| 1979–80 | Montreal Juniors | QMJHL | 72 | 63 | 118 | 181 | 93 | 10 | 7 | 16 | 23 | 8 | ||
| 1980–81 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 76 | 28 | 47 | 75 | 47 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 1981–82 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 80 | 32 | 87 | 119 | 82 | 15 | 11 | 7 | 18 | 52 | ||
| 1982–83 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 78 | 35 | 86 | 121 | 99 | 13 | 8 | 9 | 17 | 22 | ||
| 1983–84 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 75 | 37 | 57 | 94 | 71 | 5 | 1 | 3 | 4 | 9 | ||
| 1984–85 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 79 | 38 | 67 | 105 | 56 | 15 | 9 | 20 | 29 | 20 | ||
| 1985–86 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 80 | 47 | 69 | 116 | 111 | 3 | 4 | 1 | 5 | 6 | ||
| 1986–87 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 70 | 40 | 50 | 90 | 108 | 4 | 1 | 0 | 1 | 12 | ||
| 1987–88 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 80 | 44 | 87 | 131 | 95 | 5 | 4 | 3 | 7 | 17 | ||
| 1988–89 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 58 | 23 | 59 | 82 | 110 | 16 | 8 | 11 | 19 | 10 | ||
| 1989–90 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 60 | 23 | 57 | 80 | 56 | 20 | 7 | 15 | 22 | 41 | ||
| 1990–91 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 70 | 28 | 31 | 59 | 52 | 13 | 2 | 11 | 13 | 35 | ||
| 1991–92 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 77 | 28 | 42 | 70 | 73 | 11 | 3 | 9 | 12 | 8 | ||
| 1992–93 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 63 | 16 | 34 | 50 | 90 | 14 | 0 | 5 | 5 | 4 | ||
| 1993–94 | タンパベイ・ライトニング | NHL | 74 | 18 | 28 | 46 | 106 | — | — | — | — | — | ||
| 1994–95 | タンパベイ・ライトニング | NHL | 31 | 6 | 11 | 17 | 10 | — | — | — | — | — | ||
| 1994–95 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 12 | 4 | 4 | 8 | 8 | 16 | 7 | 11 | 18 | 10 | ||
| 1995–96 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 69 | 13 | 35 | 48 | 102 | 10 | 1 | 2 | 3 | 8 | ||
| 1996–97 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 64 | 9 | 18 | 27 | 60 | 6 | 0 | 2 | 2 | 2 | ||
| NHL 合計 | 1,196 | 473 | 865 | 1,338 | 1,336 | 169 | 66 | 109 | 175 | 256 | ||||
NHLヘッドコーチ
| チーム | 年度 | レギュラーシーズン | ポストシーズン | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 勝 | 敗 | 延長敗 | ポイント | ディビジョン順位 | 結果 | ||
| シカゴ・ブラックホークス | 2006–07 | 61 | 24 | 30 | 7 | 55 | セントラル5位 | プレーオフ進出ならず |
| シカゴ・ブラックホークス | 2007–08 | 82 | 40 | 34 | 8 | 88 | セントラル3位 | プレーオフ進出ならず |
| シカゴ・ブラックホークス | 2008–09 | 4 | 1 | 2 | 1 | 3 | セントラル2位 | 解雇 |
| NHL 合計 | 147 | 65 | 66 | 16 | – | |||
賞歴
- QMJHL 年間新人賞:1978年 (Normand Rochefortと共同受賞)
- QMJHL ファーストオールスターチーム:1980年
- QMJHL 最優秀選手:1980年
- NHLオールスターゲーム出場:7回(1982, 1983, 1984, 1986, 1988, 1991, 1996年)
- スタンレーカップ優勝:1993年
- セカンドNHLオールスターチーム:1983年
- ホッケーの殿堂:2007年
- 最高のNHLプレーヤー100人選出:2017年
背番号
- 18(1998年3月19日 シカゴ・ブラックホークスの永久欠番)
出典
- ↑ 「1980 NHL Entry Draft」hockeyDB.com 2026年10月10日閲覧
- ↑ 「Statistics」NHL.com 2026年10月10日閲覧
- ↑ 「Statistics」NHL.com 2026年10月10日閲覧
- ↑ 「Final 1/12/1986」NHL.com 2026年10月10日閲覧
- ↑ 「Statistics」NHL.com 2026年10月10日閲覧
- ↑ 「Statistics」NHL.com 2026年10月10日閲覧
- ↑ 「Chicago Blackhawks ‑ All‑Time NHL Leaders」QuantHockey 2026年10月10日閲覧
- ↑ 「Chicago Blackhawks ‑ All‑Time NHL Playoff Leaders」QuantHockey 2026年10月10日閲覧
外部リンク
- NHL.com, or Eliteprospects.com, or Hockey-Reference.com, or Legends of Hockey, or The Internet Hockey Database
- デニス・サヴァード 公式サイト https://www.savard18.com/
- Bob Verdi (2017年1月1日). “Denis Savard: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年10月10日閲覧。
- Joe Pelletier. “Denis Savard” (英語). GreatestHockeyLegends.com. 2026年10月10日閲覧。