ハサン・ナスララ

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ハサン・ナスララ
生年月日 1960年8月31日
出生地 レバノンの旗 レバノン、ブルジュ・ハンムード(英語版)
没年月日 (2024-09-27) 2024年9月27日(64歳没)
死没地 レバノンの旗 レバノン、ダヒエ(英語版)
所属政党 ヒズボラ
配偶者 既婚
宗教 イスラム教シーア派
サイン
在任期間 1992年 - 2024年9月27日
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ハサン・ナスララ(アラビア語: حسن نصر الله, ラテン文字転写: Ḥasan Naṣr Allāh、英語: Hassan Nasrallah、1960年8月31日 - 2024年9月27日)は、レバノンのシーア派イスラーム主義武装組織ヒズボラの3代目書記長(最高指導者)。アメリカ合衆国から特別指定国際テロリスト(SDGT)の指定を受けている[6]。

名前

アラビア語表記は、حسن نصر الله。一般的な英字表記はHassan Nasrallahである[7]。

日本語表記には揺れがあり、報道機関などではハサン・ナスララ[8][9]、ハッサン・ナスララ[10][11]などの表記が用いられる。また、研究機関や解説記事ではハサン・ナスラッラー[12]、ハサン・ナスルッラー[13]、ハサン・ナスルッラーフ[14]などの表記例もある。

日本語報道では、イスラム教シーア派指導者としての敬称を反映して「ナスララ師」と表記されることもある[15][16]。

生涯

生い立ち

1960年8月31日、ベイルート東郊のブルジュ・ハンムード(英語版)周辺で、アブドゥルカリーム・ナスララの子として生まれた[7][17]。

1975年にレバノン内戦が勃発すると、一家はベイルートを離れ、父方の出身地であるティルス近郊のアル=バーズーリーヤへ移った[18][17][19]。

アマルへの参加

アル=バーズーリーヤへ移った後、ナスララはティルスの公立中等学校で学び、シーア派政治・準軍事組織アマルに加入した[20][7][21]。

1976年にシーア派の聖地であるイラク・ナジャフへ留学し、同地の神学校で学んだ[18][22]。ナジャフでは、後にヒズボラの書記長となるアッバース・アル=ムーサーウィの知遇を得た[18][23]。

1978年、イラクのバアス党政権がレバノン人宗教学生らを追放したため、ナスララはレバノンへ戻った。帰国後は、ムーサーウィが設立した宗教学校で学ぶ一方、同校で教職にも携わった[18]。

アマルでは政治部門で活動し、1979年にはビカー地方の政治担当者および同組織の政治局員となった[20]。

1982年6月、英国駐在イスラエル大使シュロモ・アルゴフがロンドンでパレスチナ系テロリストに銃撃された事件を受け、イスラエル軍はレバノン南部を拠点としていたパレスチナ系テロリスト勢力に対する軍事作戦を開始した[24]。レバノン大統領エリアス・サルキスは、この事態の収拾を図るために国家救済委員会を設置し、主要政治勢力に参加を呼びかけ、アマル指導者ナビー・ベリも同委員会に参加することになった[25]。

同委員会を通じて行動するようになったアマル指導者ベリの穏健路線に反発し、武装闘争を主張するイスラム主義過激派は、ムーサーウィの下に結集しはじめ[26]、アマルを離れて「イスラム・アマル」を形成し、それが母体の一つとなり、テロ組織ヒズボラが形成された[27][28][29]。

ナスララも1982年中にアマルを離れて、支持者とともにヒズボラに参加している[29]。

ヒズボラはアマルの穏健路線に反対して暴力闘争を展開したため[30][31]、1988年にはヒズボラとアマルの対立は本格的な武装抗争へと発展、同年5月にヒズボラはベイルート南郊でアマルに対する武力攻撃を行い、多くの地区をアマルから奪い取っていった[31][32]。

ヒズボラでの昇進

1987年、ナスララはイランのゴムへ渡り、宗教教育を再開していたが、1989年にアマルとヒズボラの戦闘再開を受けてレバノンへ戻った[18]。

1989年、アマルとの戦闘の中で、ナスララは、ヒズボラの軍事部門で昇進していき[7]、南レバノンのイクリーム・アッ=トゥッファーフで、アマルに対するヒズボラの攻撃を指揮し、戦闘中に負傷している。同年に29歳にしてヒズボラ中央軍事委員会に任命されている[33]。

しかし同年後半、ヒズボラ指導部内の路線対立で少数派となり、テヘランのヒズボラ代表として再びイランへ送られた[18]。

しかし1991年にムーサーウィがヒズボラ書記長となったことで、ナスララはレバノンへ呼び戻された[18]。

ヒズボラ最高指導者

イラン最高指導者アリー・ハーメネイー(左)、ヒズボラ指導者ハサン・ナスララ(中央)、革命防衛隊ゴドス軍司令官ガーセム・ソレイマーニー(右)

1992年2月16日、イスラエル兵3名が殺害されたテロ事件(英語版)に対する報復攻撃として行われたイスラエル軍のヘリコプター攻撃により、ヒズボラ最高指導者ムーサーウィーが空爆死すると、ナスララはその後任としてヒズボラ書記長(最高指導者)に選出された[34][29]。

ナスララはヒズボラのレバノン政治制度への統合を重視し[35]、彼の指導下でヒズボラは民兵組織としての性格を超え、社会福祉網と政治プログラムを構築したという[7]。

ナスララが最高指導者を務めた時期、ヒズボラは1992年のアルゼンチン・イスラエル大使館爆破事件[36]、1994年のアルゼンチン・イスラエル相互協会爆破事件[37]、同年のパナマでのアラス・チリカナス航空901便(英語版)爆破事件[38]、1996年のサウジアラビアでのコバール・タワー爆破事件(英語版)[39]、2000年ヒズボラ越境襲撃事件(英語版)[40]、同年のイスラエル予備役将校エルハナン・タンネンバウム(英語版)拉致事件[40]、2005年のラフィーク・ハリーリー元首相の暗殺事件(英語版)[41]、2006年のザルイート事件と[42]、同年のイスラエル北部への無差別ロケット攻撃[43]、2007年のカルバラー州本部襲撃事件(英語版)[44]、2011年の国連レバノン暫定軍イタリア軍車列爆破事件[45]、同年の国連レバノン暫定軍フランス軍車列爆破事件[45]、2012年の2012年ブルガス・バス爆破事件(英語版)[46][45]、2024年の子供・少年少女12人が殺害されたマジュダル・シャムス攻撃(英語版)(サッカー場へのロケット弾攻撃)[47]など、イスラエル人やユダヤ人、米国人、反ヒズボラ派レバノン人、国連平和維持部隊などを標的とするテロ攻撃に多数関与した。

2006年7月12日、ナスララ率いるヒズボラは、イスラエル北部の市街地や軍事拠点にロケット弾と迫撃砲を発射してイスラエル軍の注意を逸らした上で、イスラエル領内に越境侵入し、イスラエル兵3人を殺害、2人を拉致してレバノン領内へ拉致した。さらに、拉致犯を追跡したイスラエル軍戦車を爆破して乗員4人を殺害し、救出活動中の兵士1人も殺害した。これに対しイスラエル軍はレバノン南部の地上作戦を行い、ヒズボラに対する大規模な反撃作戦を開始を開始した[48][49]。

イスラエル軍の大規模な反撃によって、ヒズボラの軍事組織は大打撃を受けた。イスラエル軍はヒズボラ戦闘員530人以上を殺害したと発表し、約80か所の指揮所を攻撃、多数のロケット弾発射装置、武器庫、地下壕、地下トンネル、軍事拠点を破壊した。さらに、通信施設、対戦車ミサイル陣地、迫撃砲陣地、兵器輸送車両なども攻撃し、ヒズボラの指揮通信網、兵器備蓄、ロケット部隊に大きな損害を与えた[50][51]。

ナスララは、2000年のイスラエル兵拉致事件と同様に、イスラエル軍の反撃は限定的な規模にとどまり、捕虜交換交渉に進むと見込んでいた[42]。しかし、戦争終結後の8月27日、レバノンのテレビ局ニューTVのインタビューで、「拉致作戦がこれほど大規模な戦争につながるとは、1%も考えていなかった」「拉致作戦がこのような戦争を引き起こすと知っていたなら、われわれは決して実行しなかった」と漏らした[52]。

2008年5月6日、レバノン政府はヒズボラが独自に構築した私設通信網を違法と認定して解体を決定し、さらにヒズボラによるベイルート国際空港の監視を黙認していた疑いのある空港保安責任者ワフィーク・シュカイルの更迭を決定した。これに対し、ナスララは5月8日、政府の決定をヒズボラに対する「宣戦布告」と断定し、「我々に向けられた手は切り落とす」「我々を逮捕しようとする者は、我々が逮捕する」と威嚇した[18][53]。

ナスララ率いるヒズボラは、同盟武装組織とともにベイルートの主要道路や国際空港へのアクセスを封鎖し、機関銃やロケット弾を使用して政府支持勢力を攻撃した。5月9日には西ベイルートの大部分を武力制圧し、反ヒズボラ派の政治家サアド・ハリーリーやワリード・ジュンブラートの自宅を包囲した。さらに、ハリーリーが率いる未来運動の施設を襲撃し、テレビ局「フューチャーTV」の放送を武力で停止させ、新聞『アル=ムスタクバル』の社屋を放火した[54][55]。

ヒズボラ側の武装勢力は人口密集地でも銃撃やロケット弾攻撃を行い、逃走中の民間人を含む住民を殺害した。武力衝突はレバノン各地へ拡大し、少なくとも81人が死亡した。ヒズボラのテロに屈したレバノン政府は5月14日、私設通信網の解体と空港保安責任者の更迭を撤回した。さらに、5月21日のドーハ合意によってヒズボラを中心とする反政府勢力は内閣での拒否権を獲得し、ナスララは武力行使を通じてレバノン政府から大幅な政治的譲歩を引き出した[56][57][58]。

2013年、ナスララはヒズボラ戦闘員がシリア内戦で同国のアサド政権(当時)側として戦闘を継続すると表明した。ヒズボラは同年、アサド政権のクサイル奪還に参加し、ダマスカス南方およびアレッポでも同政権軍とともに戦闘を行っている[59]。

2018年、アメリカ合衆国財務省外国資産管理局(OFAC)は、ナスララをヒズボラ書記長として、イランのイスラム革命防衛隊ゴドス軍の指揮下で、シリアにおける人的被害を長期化させ、イラクおよびイエメンで暴力を煽り、レバノン国家とレバノン国民を危険にさらし、地域全体を不安定化させている人物として、大統領令13224に基づき特別指定国際テロリスト(SDGT)に指定した[60]。

2023年10月7日のパレスチナのテロ組織ハマースによるイスラエルへのテロ攻撃後、ナスララ率いるヒズボラも、イスラエルへのテロ攻撃を開始し、イスラエル領内に対して、ロケット弾、自爆型無人機、対戦車ミサイル、弾道ミサイルによる攻撃を続け、イスラエル北部から約6万人の民間人が避難を余儀なくされた[61]。

最期

2024年9月27日、ナスララは、ベイルート南郊ダーヒヤ地区の住宅地下に置かれたヒズボラ中央司令部の作戦室で、イスラエルに対するさらなるテロ作戦について幹部らと話し合っていた際、イスラエル空軍の空爆を受け、ヒズボラ南部戦線司令官アリー・カラキ(英語版)らヒズボラ幹部、イスラム革命防衛隊作戦担当副司令官アッバス・ニルフォルーシャンらとともに死亡した[62][63]。

ナスララの死についての各国の反応

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、ナスララについて、無数のイスラエル人、多数の外国人、数百人のアメリカ人、数十人のフランス人の殺害に責任を負う人物だったと述べた。また、ナスララは単なる一テロリストではなく、イランの「悪の枢軸」の中核かつ主要な推進役で、イスラエル破壊計画の設計者だったと指摘する。また、ナスララはイランに動かされていただけでなく、しばしばイランを動かしていたとも述べた。ナスララの排除はイスラエル北部住民の安全な帰還、地域の力の均衡の長期的変化、ガザ地区の人質帰還を進めるために必要だったと論じた[64]。

アメリカ合衆国のジョー・バイデン大統領は、ナスララとヒズボラが、40年にわたる恐怖政治の中で多数のアメリカ人の殺害に責任を負っているとし、ナスララの死はアメリカ人、イスラエル人、レバノン民間人を含む犠牲者にとって「正義の一つの措置」であると述べた。また、アメリカ政府はヒズボラ、ハマース、フーシ派など、イランに支援されたテロ組織に対するイスラエルの自衛権を全面的に支持するとした[65]。

ドイツ外務省は、ヒズボラはテロ組織であり、ナスララらがいた会合はヒズボラ指導部の会合で、さらなる作戦を計画していたとみられるため、イスラエルの自衛権行使とみる根拠があると述べた。一方で、攻撃の比例性や民間人犠牲者数を含めて国際法上の評価が必要であり、民間人保護がすべての当事者にとって最優先であるとも述べた[66]。

カナダのジャスティン・トルドー首相は、ナスララについて、罪のない民間人を攻撃・殺害し、地域に甚大な苦痛をもたらしたテロ組織の指導者だったと述べた[67]。

オーストラリアのアンソニー・アルバニージー首相は、ナスララの死について、オーストラリア国内でナスララの死を悼む者はいないと述べた[68]。

イランの最高指導者アリー・ハーメネイーは全国で5日間の服喪期間を設けることとイスラエルへ打撃を行うことを表明した[69]。

思想

イラン最高指導者への忠誠

2005年8月1日、イラン最高指導者アリー・ハーメネイーとナスララ

ナスララは、ルーホッラー・ホメイニーのホメイニズムとウィラーヤト・アル=ファキーフ(英語版)(ولاية الفقيه)を信奉していた。この教義では、シーア派の第12代イマームが姿を隠している間[注釈 1]、最高位のイスラム法学者がその代理として宗教的・政治的権威を行使するとされる。ホメイニーは、この教義に基づいてイスラム法学者に国家の政治、法律、社会制度を統治する権限を認め、最高指導者への服従を宗教的義務とする思想を確立した[72]。

1987年、ナスララはヒズボラの機関誌『アル=アフド』のインタビューで、「法学者の統治権を否定する者は、アッラーと預言者ムハンマドの子孫を否定する者である」と主張し、イスラム法学者の宗教的権威を否定することを神への反逆と同一視した[73]。

2008年5月、ナスララは「私はウィラーヤト・アル=ファキーフの党の一員であることを誇りに思う」と公言し、イスラム法学者による統治とイラン最高指導者への忠誠を改めて表明した。ナスララは、最高位のイスラム法学者を公正、博識、賢明、勇敢、誠実で忠実な人物として称賛した[74]。

2018年3月、ナスララはイラン最高指導者アリー・ハーメネイーへの服従について、「法学者の統治者に従うことは、無謬のイマームに従うことと同じである」と述べ、その権威はレバノン憲法よりも上位にあるとし、命令のみならず単なる意見や助言にも従うことが宗教的義務であると主張した[75]。

また、ナスララは、イラン・イスラム共和国を終末に再臨する第12代イマームの国家と呼び、ハーメネイーとイラン・イスラム共和国の兵士として、その宗教的体制のために犠牲になる覚悟があると述べた。さらに、イラン革命は第12代イマームの再臨の準備を進めており、イラン人はアッラーによって選ばれ、再臨への道を築いていると主張した[75]。

2019年2月6日、ナスララはイラン革命40周年の記念演説で、ハーメネイーについて「アッラーが私の残りの寿命を取り、この偉大で特別な指導者の寿命に加えてくださるよう、昼も夜も祈っている」と述べた[76]。

同年に公開されたインタビューでも、ナスララはハーメネイーについて、アッラーの加護を受けた人物であり、その発言には通常の人間とは異なる神的な源泉があると信じていると述べた。ナスララは、ハーメネイーによるイスラエルの消滅予言を神聖なものと位置づけ、その実現を確信していると語った[77]。

殉教思想

ナスララは、ジハードによる死を神聖視し、殉教を宗教的栄誉とする過激な思想を繰り返し説いた。特に、自らの命を犠牲にして敵を殺害する自爆テロを「殉教作戦」と呼んで賛美し、イスラエルに対する有効な兵器として積極的に支持した[78]。

1997年9月、18歳の長男ハーディーがイスラエル軍との戦闘で死亡すると、ナスララは約2,000人の支持者を前に、息子が殺害されたことを誇りに思うと表明し、「神が私の家族から殉教者を選ぶという最大の恩恵を授けてくださったことに感謝し、神を賛美する」と述べた。ナスララは息子の死を悲劇ではなく、神から与えられた恩恵として賛美した[79]。

2002年5月、ナスララはベイルートで行われた演説で、パレスチナのテロ組織に自爆テロを継続するよう呼びかけ、「死を愛する者は死を恐れる者に勝つ」と主張した。さらに、自爆テロはイスラエルが防ぐことのできない独自の兵器であるとし、「殉教文化は最強の武器である」と称賛した[78]。

2003年9月にも、ナスララは自爆テロの軍事的効果を正当化し、「イスラエルには400発の核兵器があるが、祖国の尊厳を取り戻すために自爆する者に、彼らは何ができるというのか」と発言した。ナスララは核兵器を含む通常の軍事力では、自爆テロを決意した者を阻止できないと主張した[80]。

2005年2月18日から19日にかけて放送されたヒズボラ系テレビ局アル=マナールでの演説では、ナスララはフサイン・イブン・アリーの甥である少年カースィム・イブン・ハサン(英語版)が死について「蜂蜜よりも甘い」と答えたという宗教的逸話を引用した。ナスララは「どうすれば死が喜びとなるのか。どうすれば死が幸福となるのか」と問いかけ、それは信念、思想、信仰、献身によって可能になると主張した。さらに、「われわれ一人ひとりは、アッラーのために殺されることを何よりも願いながら、昼も夜も過ごしている」と述べ、神のために死ぬことを人生の最大の願望として賛美した[81]。

2006年5月、ナスララは、イスラム教徒が血、生命、子供、父親、家族を犠牲にする覚悟を持っていることを、生命を守ろうとするユダヤ人に対する優位性として主張した。ナスララは自らの息子の死をアッラーの恩恵として賛美しただけでなく、他者にも家族や生命を犠牲にすることを宗教的・軍事的な強さとして説いた[81]。

反ユダヤ主義とホロコースト否認

ナスララは、演説でユダヤ人に対する宗教的な差別表現や反ユダヤ主義的な主張を繰り返した。1998年のシーア派の宗教行事アーシューラーでは、イスラエルを「猿と豚の子孫[注釈 2]であるシオニストのユダヤ人が建てた国家」と呼び、ユダヤ人を「預言者を殺した者たち[注釈 3]」と非難した[86]。

2000年4月9日には、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺であるホロコーストを「ユダヤ人が作り上げた伝説」と称した。ナスララは、第二次世界大戦中のユダヤ人虐殺は捏造または誇張されたものであると主張し、ホロコーストを公然と否認した[87][88]。

2002年10月22日、ナスララはベイルートで行った演説で、世界各地のユダヤ人がイスラエルに集結することを、イスラム教の終末論的な予言と結び付けた。ナスララは、イスラエル国家の成立と世界中のユダヤ人の集結は、宗教的な予言に示されているとしつつ、これはユダヤ人の救世主(メシア)が世界を支配するためではなく、神がイスラム教徒に世界中のユダヤ人を探し回る手間を省かせるためだと述べた。そして、ユダヤ人が一か所に集まることで、そこで「最終的かつ決定的な戦い」が行われるなどと述べた[89][90]。

2004年にナスララは「われわれはユダヤ人の最も弱い部分を攻撃する方法を発見した。ユダヤ人は生を愛している。だからこそ、われわれは彼らから命を奪う。彼らは生を愛し、われわれは死を愛しているため、われわれが勝利する」と述べ、ユダヤ人の殺害とイスラムの殉教思想を奨励した。この発言は同年5月24日の『ナショナル・レビュー』で紹介され、2006年にはCNNでも引用された[91][92][93]。

2006年2月3日、ナスララはアルジャジーラで、フランスでホロコースト否認によって有罪判決を受けたロジェ・ガロディを「偉大なフランスの哲学者」と称賛した。ナスララは、ガロディがホロコーストを虚構と証明したと主張し、同人が裁判にかけられ、攻撃や屈辱を受けたと非難した。同月23日には、ナチスの強制収容所にガス室は存在しなかったと主張してオーストリアで禁錮3年の判決を受けたイギリスのホロコースト否認論者デイヴィッド・アーヴィングについても擁護した。ナスララは、アーヴィングがガス室の存在を否定する結論に達したことを処罰の理由として挙げ、その有罪判決を非難した[94]。

2012年2月24日、ナスララはレバノンのナビー・シートで行った演説で、アフガニスタンの米軍基地で発生したクルアーン焼却事件について言及し、アメリカの行為には悪魔的な性質があると主張した。さらに、宗教的な書物や預言者を冒涜する行為は「イスラエル的、あるいはユダヤ人的な行為」とし、「これは反ユダヤ主義だと言われるだろう」と自ら言及したうえで、クルアーンにはユダヤ人が預言者を攻撃・殺害し、イエス、マルヤム(マリア)、ムハンマドを侮辱してきたことが記されていると主張した。このような宗教的冒涜は「ユダヤ人に特有の考え方」とし、世界規模の宗教戦争へ事態を発展させようとしている可能性があるなどと述べた[95]

2023年7月18日、ナスララはアーシューラーを記念する演説で、クルアーンではアッラーがイスラム教徒に「イスラエルの子ら」(بنو إسرائيل、ユダヤ人)について警告しており、ユダヤ人は現在もイスラム教徒のみならず全人類にとって重大な脅威であると主張した。ナスララは、アッラーはクルアーンを通じてユダヤ人の心理や恐怖心について教えており、ヒズボラもそこからユダヤ人の性質について学んだと述べた[96]。

さらにナスララは、クルアーンには、ユダヤ人が現世の生命を愛する快楽主義者[注釈 4]であり、城壁や防壁の背後に隠れていなければ戦うことのできない臆病者[注釈 5]であることが記されていると主張した[96]。

また、ユダヤ人は「選ばれた民」ではなく、預言者たちを殺害してアッラーの啓示を歪曲してきたと非難した。その一方で、アッラーはイスラム教徒に現世の生命へ執着しないよう教えており、ヒズボラの戦闘員は殉教によって来世の報酬を得られるという思想から力を得ていると説いた[96]。

テロリスト指定・制裁

アメリカ合衆国財務省外国資産管理局(OFAC)は、1995年1月23日、中東和平を妨害するテロリストとの取引を禁じる大統領令12947号に基づき、ナスララを特別指定国際テロリスト(SDGT)に指定した[60]。また、2012年9月13日には、シリア内戦においてバッシャール・アル=アサド政権を支援したとして、大統領令13582号に基づく制裁対象にも指定された[99]。OFACの制裁リストでは、ナスララは特別指定国際テロリスト(SDGT)プログラムの対象者とされ、ヒズボラ金融制裁規則に基づく二次制裁対象にも指定されている[6]。

2018年5月16日、テロ資金供与標的化センター(TFTC)(アメリカ合衆国と、2016年3月2日にヒズボラをテロ組織に指定した湾岸協力会議(GCC)の加盟国サウジアラビア、バーレーン、クウェート、オマーン、カタール、アラブ首長国連邦の計7か国で構成される)は、加盟国の共同措置として、ヒズボラの最高意思決定機関であるシューラ評議会の構成員を対象とするテロ関連制裁を発表し、ナスララをヒズボラのために行動した者として制裁対象に指定した[100][60]。

なお、ナスララ個人ではなく、ナスララが率いたヒズボラまたはその軍事部門を組織としてテロ指定・制裁対象としている国・機関としては、アメリカ合衆国の他、カナダ、イギリス、ニュージーランド、欧州連合、ドイツなどがある[101][102]。日本においてもヒズボラは、外為法のテロリスト等に対する資産凍結等の措置に基づく制裁対象となっている[103][104]。

家族

父はベイルートで食料品店を営んでいたアブドゥルカリーム・ナスララである[105]。ナスララ一家は1975年のレバノン内戦勃発後、スール近郊の先祖の村バーズーリーヤへ移った[17]。

妻はファーティマ・ヤースィーンで、子供はムハンマド・ハーディー、ムハンマド・ジャワード、ザイナブ、ムハンマド・アリー、ムハンマド・マフディーの5人である[105]。

1997年、長男のムハンマド・ハーディーはイスラエル軍との戦闘で戦死した[106]。

この件でナスララは、息子を「殉教者」として捧げた指導者として宣伝され、その個人的な犠牲が、一般のヒズボラ戦闘員やその家族にも自らの子供を犠牲にすることを正当化させる模範として利用された。ヒズボラはナスララの息子の死を繰り返し宣伝に用い、2016年には戦死した戦闘員の母親が「私たちの犠牲はナスララの犠牲に比べれば小さい」と述べ、2017年には別の母親が息子の棺の傍らで、ナスララもまた殉教者を捧げたと訴えた。こうした宣伝は、ナスララの犠牲を引き合いに出すことで、戦闘員の遺族にも殉教を宗教的栄誉として受け入れさせ、さらなる犠牲を促すために利用された[107]。

脚注

注釈

  1. ↑ シーア派の十二イマーム派では、第12代イマームのムハンマド・アル=マフディーが874年に姿を隠したものの、死亡せず神の力によって現在も生存し、終末に救世主として再出現すると信じられている。874年から941年までは4人の代理人を通じて信徒と連絡を取っていたとされるが、941年以降は代理人との連絡も途絶え、現在まで「大ガイバ(大隠遁)」と呼ばれる状態が続いているとされている[70][71]。
  2. ↑ クルアーン第2章65節には、安息日の戒律を破ったイスラエル人に対し、神が「卑しめられた猿になれ」と命じたと記されている[82]。また、第5章60節には、神の怒りを受けた者の一部が「猿や豚」に変えられたと記されている[83]。同節では誰が猿や豚に変えられたのか明記されていないが、イスラム教の伝統的な解釈ではイスラエル人とされる[84]。
  3. ↑ クルアーン第5章70節には、神がイスラエル人と契約を結び、使徒を遣わしたが、彼らは使徒の一部を偽者とし、一部を殺害したと記されている[85]。
  4. ↑ クルアーン第2章96節には、神に背く者たちが現世の生命に強く執着し、千年の寿命を望んでも神罰を免れることはできないと記されている。同節は前後の文脈でイスラエル人に言及している[97]。
  5. ↑ クルアーン第59章14節には、敵対する集団は要塞化された町や城壁の背後からでなければ集団で戦わず、互いに不和を抱えていると記されている[98]。

出典

  1. ↑ ““最高指導者のナスララ師が死亡”と発表 ヒズボラ”. NHK. 2024年9月28日. 2024年9月29日閲覧.
  2. ↑ “ネタニヤフ首相が国連総会で演説、イスラエル国防軍のヒズボラ空爆でナスララ師が死亡”. JETRO. 2024年10月12日閲覧。
  3. ↑ “緊急ワークショップ「中東戦争の新展開:ガザからレバノン、イランへ(?)」”. 千葉大学. 2024年10月12日閲覧。
  4. ↑ “ロシアと米国の新冷戦?:ユーラシアの今を読む”. 北海道大学. 2024年10月12日閲覧。
  5. ↑ “世界「テロリスト長者番付」第1位。そのビジネスモデルと、世界に広がる隠し金”. ForbesJapan. 2024年10月12日閲覧。
  6. 1 2 “Sanctions List Search: NASRALLAH, Hasan” (英語). Office of Foreign Assets Control. U.S. Department of the Treasury. 2026年6月11日閲覧。
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関連項目

外部リンク

党職
先代
アッバース・アル=ムーサーウィ
ヒズボラの書記長
第3代:1992 - 2024年
次代
ナイーム・カーセム