フレデリク・セペダ

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フレデリク・セペダ
Frederich Cepeda
ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥス
基本情報
国籍  キューバ
出身地 サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス
生年月日 (1980-04-08) 1980年4月8日(44歳)
身長
体重
178 cm
93 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 左翼手
初出場 NPB / 2014年5月15日
最終出場 NPB / 2015年6月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム キューバの旗 キューバ
五輪 2004年、2008年
WBC 2006年、2009年、2013年、2017年
プレミア12 2019年
オリンピック
男子 野球
 キューバ
金2004野球
銀2008野球
ワールド・ベースボール・クラシック
銀2006野球

フレデリク・セペダ・クルス(Frederich Cepeda Cruz, 1980年4月8日 - )は、キューバ共和国サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス出身の野球選手(外野手)。右投両打。キューバ国内リーグ・セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルのガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスに所属。

経歴

少年時代

1991年、11歳の時に日本で行われた世界少年野球大会に参加。ハンク・アーロン、王貞治と記念写真を撮っている。何がなんだかよくわからず写真をとったものの、キューバに戻ってから写真を見せた家族、友人にうらやましがられ、価値を知り、少年時代の大切な宝物となり、大人になってもずっととっておいているという[1]。キューバ代表であるが、キューバ代表に多いマニュエル・ファハルド国立体育大学卒業ではなく、 ホセ・マルティ大学体育学部を卒業している。

キューバ国外移籍解禁前

1997年からキューバ国内リーグのガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスに所属している。

2002年に、第15回IBAFインターコンチネンタルカップのキューバ代表に選出された。この大会で、キューバは優勝した。

2004年8月に、アテネオリンピックにおける野球競技のキューバ代表に選出された。この大会では、優勝し金メダルを獲得した。

2006年3月に、この年から開催される事となったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のキューバ代表に選出された[2]。この大会では、打率.385、2本塁打、8打点を記録した。

2008年8月に、2008年北京オリンピックの野球競技のキューバ代表に選出され2大会連続2度目の選出となった。この大会では、銀メダルを獲得した。

2009年3月に、第2回WBCのキューバ代表に選出され[3] 2大会連続2度目の選出となった。この大会では、打率5割、3本塁打、10打点でいずれもチームトップ。首位打者、ベストナインに選出された[4]。同年には彼の活躍を祝って政府がサンクティ・スピリトゥスに家を建ててくれたという。その家はキューバ出身のタレントSHEILAによると、「豪邸」[5] とのこと[6]。

2012年11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」のキューバ代表が発表され[7] 代表入りした[8]。同日、台湾で行われたサンダーシリーズのため来台した[9]。サンダーシリーズ終了後の、14日に来日した[10]。

2013年3月に、第3回WBCのキューバ代表に選出され[11] 3大会連続3度目の選出となった。この大会では、四番打者を務めた。

巨人時代

2014年4月19日に読売ジャイアンツがセペダの入団についてキューバ野球連盟およびセペダ本人と合意したと発表した[12]。1年契約で契約金は5000万円、年俸1億5000万円[13]。背番号は「23」。キューバ政府が現役選手にNPB移籍を容認した第1号選手となった。5月12日に来日し入団会見を行った[14]。日本に行く前に受けたインタビューでは、「日本に行くのは金のためではない。最高のプレイヤーになりたい。」「キューバ代表での名誉は金では得られない」「私は金で動く選手ではない」と執拗につづく「金目当てではないか」との質問を一蹴している[15]。5月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)で、いきなり「4番・左翼手」で初出場。初打席は初回2死1塁の場面で二ゴロに終わったが、3回の第2打席で初安打初打点となる適時打を記録した[16]。しかし、これ以降は他のキューバからの日本移籍選手とは違い不振に苦しみ、8月22日の中日戦での打席でスイングをした際に右肘の違和感を感じ翌日出場選手登録を抹消された。レギュラーシーズンで復帰することはなくこの年は52試合で打率.194、6本塁打という成績に終わった。CSファイナルシリーズで復帰を果たしたが、初戦で4点ビハインドの7回に阿部慎之助がソロ本塁打を打ち、それから3連打で無死満塁の好機となり片岡治大の代打で登場するも併殺打に終わり反撃ムードに水を差した。第3戦でも8回2死1.2塁のチャンスに代打で出るもレフトフライに倒れた。第4戦では9回に代打で登場し、抑えの呉昇桓から本塁打を放った。これでCSでは3打数1安打1HRで打率.333を記録したものの、この本塁打は6点リードされた場面であったため試合を動かすまでに至らずチームは敗退した。12月24日、背番号がホセ・ロペスが着用していた「5」に変更された事が発表された[17]。キューバ国内リーグでは、前期はガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥス、後期はカサドレス・デ・アルテミサの一員として活躍した。

2015年2月に行われた、カリビアンシリーズではベゲーロス・デ・ピナール・デル・リオの助っ人として参加し、MVPを受賞した[18]。このため2月19日になって来日したが[19]、3月25日に、開幕を1軍で迎える事となった[20]。しかし、開幕から25打席無安打と打撃不振で[21] 4月20日に登録抹消された[22]。その後、6月12日に昇格するも、千葉ロッテマリーンズ戦で内野ゴロで何とか初打点をマークしただけで、その後再び抹消された[22]。7月にはパンアメリカン競技大会にキューバ代表で出場。NPBレギュラーシーズンでは最終的に巨人史上初の打率0割でシーズンを終え、12月2日に自由契約となったことが公示された[23]。

巨人退団後

巨人退団後はフレディ・アルバレスやミゲル・ラエラと共に2015年-2016年のコロンビア・ウィンターリーグに派遣されることが発表された[24]。しかし右膝の半月板故障が判明して手術を受け[25]、さらに右肘の靱帯断裂も判明しトミー・ジョン手術も受け[26]、コロンビアでは2試合の出場に終わった。

2016年-2017年シーズンから国内リーグに復帰。2018年8月からメキシカンリーグのティフアナ・ブルズに派遣された。

2019年-2020年シーズンには、国内リーグ史上10人目となる通算300本塁打を達成[27]。

プレースタイル

特有の柔らかさとパワーを兼ね備えたスイッチヒッター[28]。2009年の第2回WBCでの打撃は大リーグのスカウトの注目を集め、誕生日が近いマーク・テシェイラと同等との評価を与えるスカウトもいた[29]。

選球眼に定評があり非常に四球が多く、来日直前のシーズンではシーズン80安打に対し100四球を記録。打率は.292に対し出塁率はリーグトップの.484を記録した。来日後の2014年もシーズン打率は.194と低調であったが、出塁率は.333とチームメイトの村田修一や片岡治大を上回った。翌2015年シーズンも21打数ノーヒットながら出塁率は.250を残している。

キューバ時代は通算5054打席で531三振と三振が少ない打者であったが、日本では変化球攻めに苦しみ、160打席で44三振を記録した。

キューバ国内リーグでは指名打者としての出場が多かった[30] が、巨人では左翼手として起用する構想となった[31]。真面目な姿勢はあるが守備力は高くない[32]。

本来は右利きだが、6歳のときに父親の指導で両打ちの練習を始めた[33]。

2014年オフに母国に帰国した際に、巨人の選手から野球道具を母国の選手にプレゼントしている[34]。

日本球界時代は二軍落ちを喫した後も真面目に練習をこなし、私生活も庶民的で自炊を好んだことから、人間性は高く評価された[35]。

詳細情報

年度別打撃成績 (2000-01年以降)

[36]

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
2000-2001 SSP 903872915587152161545432048696537.299.463.529.992
2001-2002 9038931557119244101815475226862377.378.488.5751.063
2002-2003 904113117510818120188620307901534211.347.489.6051.094
2003-2004 713132514980136161536000015566374.319.450.6101.060
2004-2005 90412310761091831317255350393665314.352.505.5551.060
2005-2006 84379272768719214152581100101116344.320.512.5591.071
2006-2007 833632734892104512541020186233278.337.499.458.956
2007-2008 82374276629215216159596502931534210.333.503.5761.079
2008-2009 87388296791002141116257100284664011.338.490.5471.037
2009-2010 8337629074100231241978201037885426.345.487.6791.166
2010-2011 83388305841212532823681010377933610.397.518.7741.292
2011-2012 642962325270103101165411005975226.302.453.500.953
2012-2013 4420015230559479332000246-0224.362.505.6121.117
2013-2014 85378274498026113147402001100-34412.292.484.5361.021
2014 巨人 521321081121306421800012300384.194.333.389.722
2015 2028211000001000070061.000.250.000.250
CNS:14年  106250543848866130024640203223578924262311116-57531114.338.490.5811.071
NPB:2年 721601291221306421900013000445.163.319.326.644
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • キューバで通常用いられる個人通算成績は、プレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない。

背番号

日本球界

  • 23 (2014年)
  • 5 (2015年)

代表歴

出典

  1. ↑ 「王さんと写真撮りたいです」キューバのセペダ 読売新聞 2013年1月28日
  2. ↑ 2006 Tournament Roster[リンク切れ] WBC公式サイト 英語 2015年4月15日閲覧
  3. ↑ 2009 Tournament Roster[リンク切れ] WBC公式サイト英語 2015年4月15日閲覧
  4. ↑ https://www.youtube.com/watch?v=4nrVuLEq-ro
  5. ↑ https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/04/21/1p_0006881178.shtml
  6. ↑ http://news-labo.net/baseball/wp-content/uploads/2014/06/45gt43g423.jpg
  7. ↑ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧
  8. ↑ キューバ代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧
  9. ↑ Cuba arrives for Thunder Series in Taichung and Taoyuan[リンク切れ] IBAF公式サイト 英語 (2012年11月7日) 2015年4月19日閲覧
  10. ↑ キューバ代表来日 MLB関係者も熱視線 スポニチアネックス (2012年11月15日) 2015年4月19日閲覧
  11. ↑ 2013 Tournament Roster[リンク切れ] WBC公式サイト 英語 2015年4月15日閲覧
  12. ↑ キューバ選手の入団合意とキューバ野球連盟との友好協定締結について Yomiuri Giants Official Web Site 2014年4月19日
  13. ↑ 巨人 年俸1・5億円でセペダ獲得を発表 WBCキューバ代表「夢が現実に」 Sponichi Annex 2014年4月19日
  14. ↑ セペダ選手来日「自分の持てる全てを出しチームに尽くしたい」 Yomiuri Giants Official Website 2014年5月12日
  15. ↑ http://cubasports.impela.net/2014/05/cuba-fastballs-for-frederich-cepeda-in-online-interview/
  16. ↑ 巨人セペダ 初安打初打点も勝利に結びつかず 登録即4番デビュー スポーツニッポン2014年5月15日配信
  17. ↑ 新背番号のお知らせ 読売ジャイアンツ公式サイト (2014年12月24日) 2014年12月24日閲覧
  18. ↑ 巨人・セペダがMVP獲得 キューバの55年ぶりVに「とても嬉しい」 Full-Count (2015年2月9日) 2015年4月15日閲覧
  19. ↑ セペダ、カリビアン・シリーズMVP引っ提げ沖縄入り スポーツ報知(2015年2月2日)
  20. ↑ 開幕一軍メンバー27人が公示 読売ジャイアンツ公式サイト (2015年3月20日) 2015年4月15日閲覧
  21. ↑ 貧打のGセペダ、出場選手登録を抹消 25打席連続無安打 zakzak (2015年4月21日) 2015年4月24日閲覧
  22. 1 2 一軍登録情報 読売巨人軍公式サイト
  23. ↑ 2015年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト
  24. ↑ Frederich Cepeda, Other Cubans To Play Winter Ball In Colombia Baseball America、2015年11月10日
  25. ↑ Frederich Cepeda: De Japón a Colombia y de Colombia al quirófano Escambray、2016年1月29日
  26. ↑ Frederich Cepeda se recupera tras cirugía de Tommy John Escambray、2016年4月6日
  27. ↑ Los 300 jonrones de Cepeda (+fotos) Escambray、2019年8月25日
  28. ↑ 巨人セペダ獲り、キューバの両打ち強打者 日刊スポーツ 2014年4月19日
  29. ↑ キューバの打はセペダ注意 日刊スポーツ 2009年3月19日
  30. ↑ 巨人 キューバと友好協定締結 セペダ獲得はその第1弾 Sponichi Annex 2014年4月20日
  31. ↑ 巨人セペダが来日 起用法はレフト1本 日刊スポーツ 2014年5月12日
  32. ↑ セペダ、飛球ポロリで先制打帳消し 日刊スポーツ 2014年6月4日
  33. ↑ セペダ、巨人に感謝 独占インタビュー 日刊スポーツ 2014年5月10日
  34. ↑ 巨人セペダ 逆襲へ休日返上!昨季は不本意も今年は違う スポニチアネックス (2015年2月24日) 2015年4月15日閲覧
  35. ↑ 巨人セペダ人間性も至宝級 野球への姿勢 料理振る舞う家族愛 Sponichi Annex 2015年9月2日 08:00 (2021年8月16日閲覧)
  36. ↑ 「“アーカイブされたコピー”. 2013年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月11日閲覧。」

関連項目

外部リンク