ブライアン・トロティエ
| ブライアン・トロティエ | |
|---|---|
|
ニューヨーク・アイランダース時代(1985年) | |
| 本名 | ブライアン・ジョン・トロティエ |
| 原語名 | Bryan John Trottier |
| 愛称 | Trots |
| 国籍 |
(二重国籍) |
| 生誕 |
1957年7月17日(69歳) サスカチュワン州バル・マリー |
| 身長 | 5 ft 11 in (1.80 m) |
| 体重 | 195 lb (88 kg; 13 st 13 lb) |
| ポジション | センター |
| シュート | 左打ち |
| 所属歴 |
ニューヨーク・アイランダース (1975 - 1990) ピッツバーグ・ペンギンズ (1990 - 1992、1993-94) |
| 代表 |
|
| NHLドラフト |
22位(1974年) ニューヨーク・アイランダース |
| プロ選手期間 | 1975年 – 1994年 |
| 1997年殿堂入り | |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子アイスホッケー | ||
| カナダカップ | ||
| 優勝 | 1981 カナダ | |
| プレーオフ | 1984 カナダ | |

ブライアン・トロティエ(英語: Bryan Trottier、1956年7月17日 - )は、カナダ連邦サスカチュワン州バル・マリー生まれの元プロアイスホッケー選手、コーチである。ポジションはセンター。
ナショナルホッケーリーグ (NHL) ではニューヨーク・アイランダーズで15シーズン、ピッツバーグ・ペンギンズには3シーズン在籍し、攻守に一貫性のあるバランスの取れたセンターであったと評価される。特に1980年代初頭にアイランダースがスタンレー・カップで4連覇(1980年から1983年まで)を記録したいわゆる「アイランダー王朝」の中核メンバーとして名高い。
経歴
プロ入り前
アメリカ合衆国モンタナ州国境のすぐ北、サスカチュワン州南西部の広大なプレーリーで、冬にビーバーのダムを壊して即席のスケートリンクをこしらえ、そこでスケートとホッケーを覚えたブライアン・トロティエは、WCJHL(ウェスタン・カナダ・ジュニア・ホッケー・リーグ)のスイフト・カレント・ブロンコスで、タイガー・ウィリアムズやブライアン・サターといった選手たちと共にプレーして傑出した活躍を見せ、1974年のNHLドラフト2巡目(全体22位)でニューヨーク・アイランダーズに指名された。
当時の北米ホッケー界は、NHLが1972年に発足したライバルリーグであるWHAに対し様々な対抗策を講じていた時期であるといわれ、NHLによる17、18歳の有望若年選手の囲い込み、青田買いも行われていた。トロティエの獲得もその一例である。このため、トロティエは一旦ジュニアに戻され、レスブリッジに移転したブロンコスの一員として1974-1975シーズンには144ポイントを上げ、リーグ最優秀選手に選ばれた。その後、1975年の世界ジュニア選手権(非公式大会)に出場し、4試合で6ポイントを記録して、カナダの銀メダル獲得に貢献した。
19歳にして初めてNHLのキャンプに参加した。その後のプレシーズン期間中は周囲の選手たちに圧倒され、ポイントを挙げることができなかったものの、気を取り直して氷上にいる間は全力でプレーすることに集中し、「必ず誰かに激しくぶつかる(ヒットする)」ことを信条とした。
アイランダース時代
並外れたホッケーセンスと落ち着きを備えていたトロティエは、やがてアイランダースコーチ陣の目に留まり、1975-1976シーズンからは、アイランダーズに昇格し、メジャー第2戦でハットトリックを記録した。そして、最終的にマーセル・ディオンが保持していたアシスト数、ポイント数の新人記録を更新。オフにはカルダー記念賞(新人王)を受賞した。
1977-1978シーズンにアイランダースは、トロティエ、マイク・ボッシー、クラーク・ギリースの「トリオ・グランデ」と呼ばれるリーグ屈指の強力な1stラインを備え、トロティエは123ポイントを記録して、ギイ・ラフレールに次ぐ得点ランキング2位に入った。特にトロティエとボッシーは驚異的なパートナーシップを築き、利他的なトロティエが、NHL史上最高のスナイパーとも言えるボッシーを完璧にセットアップした。二人は氷上でもオフでも、ほとんど切り離せない関係であった。
トロティエが最高成績を残したのは 翌1978-1979シーズンで、リーグ首位の134ポイント、驚異的なプラス76という数字を叩き出し、アート・ロス記念賞に加えてハート記念賞(リーグMVP)を受賞し、2年連続してファーストNHLオールスターチームに選出された。また、同年のアシスト数87は、前年の77に続く2年連続のリーグ首位記録である。すでに優勝候補の一角に挙げられていたアイランダースであったが、スタンレーカッププレーオフ準決勝でニューヨーク・レンジャースに番狂わせを喫した。
しかし1979-1980シーズンには、アイランダースはスタンレーカップ優勝を果たし、トロティエもプレーオフ21試合に出場し29ポイントを記録して、コーン・スマイス賞(プレイオフ最優秀選手賞)を獲得する。
1981年のカナダカップで7試合に出場し、ラフレール、ボッシーと並ぶ11ポイントを挙げてカナダの優勝に貢献した。[1]
こうして1970年代後半から1980年代前半にかけて、攻撃面で圧倒的な力量を見せたウェイン・グレツキーを除けば、トロティエはゴーディ・ハウ以来、その得点能力と固い守備力によって当時最も優れたオールラウンダーの一人に数え上げられる選手となった。
なお1984年のカナダカップにおいては、トロティエはカナダ人同胞から多くの批判を浴びながら、アメリカ合衆国チームの一員として参戦した。この決断を行ったのは、自らの居住国に報恩するためと、妻がアメリカ人であったためとされている。そして、1984年7月には、父方の祖先にクリー(Cree)族系のメティがいたため、アメリカ合衆国籍を取得している。
同世代のセンター達、例えばマーク・メシエやスティーブ・アイザーマンと比較すると、第一線で長く活躍できた期間はやや物足りないとする評価もある。特に現役生活14年目以降は、その力が急激に衰えたように見え、1988年に82ポイントを上げていたのが、翌年は45ポイント、翌々年は24ポイントと落ちていき、キャリア後期は主にリーダーシップと守備能力に頼っていた。1989年には数多くの慈善活動が評価され、キング・クランシー記念賞を受賞した。
ペンギンズ時代
1990年7月20日にはフリー・エージェント (FA) で15年在籍したアイランダーズを後にして、ピッツバーグ・ペンギンズに移籍した。同僚にはマリオ・ルミュー、ヤロミール・ヤーガーらがおり、エドモントン・オイラーズから移籍したポール・コフィーとともにかつての王朝チームのベテランとして関わり、チームを移籍後の3年間のうち、1991年、1992年とスタンレー・カップ連覇を経験した。
一旦アイランダーズのフロント入りするが飽き足らず、1993年6月22日にペンギンズとFA契約を締結した。ペンギンズの選手兼アシスタントコーチとして37歳で復帰し、41試合に出場して、その年限りで現役を引退した。また1993年から1994年にかけて、RHI(ローラーホッケー・インターナショナル)のピッツバーグ・ファントムズで9試合プレーした(9ゴール、13アシスト、22ポイント、ペナルティ2分)。引退時点でのポイント数は NHL 歴代6位であった。
現役引退後
1997年にホッケーの殿堂入りを果たし、2001年10月20日にアイランダースは、トロティエの背番号19を永久欠番とした。
引退後は、アメリカン・ホッケー・リーグ (AHL) のポートランド・パイレーツのコーチを務めた。
NHLではコロラド・アバランチのアシスタントコーチを務め、2001年には通算7回目となるスタンレーカップを獲得している。ニューヨーク・レンジャースではヘッドコーチを1シーズン、育成責任者を2006-2007から4シーズン務め、2014-2015シーズンにバッファロー・セイバーズのアシスタントコーチを1シーズン務めた。
2017年、最高のNHLプレーヤー100人の1人に選出された。
プレーと人物
(体重は90キロ前後あったが)決して大柄な選手ではなく、ずば抜けた技術を持っていたわけでも、誰よりも強烈なシュートを放てたわけでもない。しかしトロティエは、個々の才能をすべて足し合わせたものよりも、はるかに大きな影響力をチームにもたらす選手であり、極めてタフで優れた万能型のセンターであった。アイランダーズの黄金時代を支えた「勤勉で泥臭い努力を厭わない」という精神を体現する存在だった。
6度の100ポイントシーズンを達成し、通算524ゴールと通算1425ポイントを記録したが、トロティエは優れたオフェンス成績で記憶されているわけではなく、粘り強い守備とフィジカルプレーは同様に、むしろそれ以上に印象的であった。優れたフェイスオフマンであり、容赦ないボディチェッカーでもあり、相手チームのトップラインをも無力化できる才能を持っていた。
弟のロッキー・トロティエもNHLのニュージャージー・デビルスでプレーした元プロアイスホッケー選手である。
詳細情報
通算成績
| レギュラーシーズン | プレイオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1975–1976 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 80 | 32 | 63 | 95 | 21 | 13 | 1 | 7 | 8 | 8 | ||
| 1976–1977 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 76 | 30 | 42 | 72 | 34 | 12 | 2 | 8 | 10 | 2 | ||
| 1977–1978 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 77 | 46 | 77 | 123 | 46 | 7 | 0 | 3 | 3 | 4 | ||
| 1978–1979 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 76 | 47 | 87 | 134 | 50 | 10 | 2 | 4 | 6 | 13 | ||
| 1979–1980 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 78 | 42 | 62 | 104 | 68 | 21 | 12 | 17 | 29 | 16 | ||
| 1980–1981 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 73 | 31 | 72 | 103 | 74 | 18 | 11 | 18 | 29 | 34 | ||
| 1981–1982 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 80 | 50 | 79 | 129 | 88 | 19 | 6 | 23 | 29 | 40 | ||
| 1982–1983 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 80 | 34 | 55 | 89 | 68 | 17 | 8 | 12 | 20 | 18 | ||
| 1983–1984 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 68 | 40 | 71 | 111 | 59 | 21 | 8 | 6 | 14 | 49 | ||
| 1984–1985 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 68 | 28 | 31 | 59 | 47 | 10 | 4 | 2 | 6 | 8 | ||
| 1985–1986 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 78 | 37 | 59 | 96 | 72 | 3 | 1 | 1 | 2 | 2 | ||
| 1986–1987 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 80 | 23 | 64 | 87 | 50 | 14 | 8 | 5 | 13 | 12 | ||
| 1987–1988 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 77 | 30 | 52 | 82 | 48 | 6 | 0 | 0 | 0 | 10 | ||
| 1988–1989 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 73 | 17 | 28 | 45 | 44 | - | - | - | - | - | ||
| 1989–1990 | ニューヨーク・アイランダーズ | NHL | 59 | 13 | 11 | 24 | 29 | 4 | 1 | 0 | 1 | 4 | ||
| 1990–1991 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 52 | 9 | 19 | 28 | 24 | 23 | 3 | 4 | 7 | 49 | ||
| 1991–1992 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 63 | 11 | 18 | 29 | 54 | 21 | 4 | 3 | 7 | 8 | ||
| 1993–1994 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 41 | 4 | 11 | 15 | 36 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| NHL合計 | 1279 | 524 | 901 | 1425 | 912 | 221 | 71 | 113 | 184 | 277 | ||||
国際大会
| 年度 | チーム | 大会 | GP | G | A | Pts | PIM | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1975 | カナダU20 | 世界ジュニア | 7 | 5 | 2 | 7 | — | |
| 1981 | カナダ | カナダカップ | 7 | 3 | 8 | 11 | 6 | |
| 1984 | アメリカ合衆国 | カナダカップ | 6 | 2 | 3 | 5 | 8 | |
| ジュニア 合計 | 7 | 5 | 2 | 7 | — | |||
| シニア 合計 | 13 | 5 | 11 | 16 | 14 | |||
NHLヘッドコーチ歴
| チーム | 年度 | レギュラーシーズン | ポストシーズン | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 勝 | 敗 | 引分 | 延長敗 | ポイント | 順位 | 勝 | 敗 | 勝率 | 結果 | ||
| NYR | 2002–03 | 54 | 21 | 26 | 6 | 1 | (49) | (解任) | — | — | — | — |
| 合計 | 54 | 21 | 26 | 6 | 1 | — | — | — | ||||
表彰
- WCJHL ファーストオールスターチーム選抜、最優秀選手(1975年)
- カルダー記念賞(NHL 最優秀新人賞、1976年)
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:2回(1978年、1979年)
- 2ndチーム:2回(1982年、1984年)
- アート・ロス記念賞(NHL レギュラーシーズン得点王、1979年)
- ハート記念賞(1979年)
- コーン・スマイス賞(1980年)
- キング・クランシー記念賞(1989年)
- ホッケーの殿堂(1997年)
- カナダのスポーツ殿堂(2016年)
- 最高のNHLプレーヤー100人(2017年)
記録
- NHLオールスターゲーム出場(1976年、1978年、1980年、1982年、1983年、1985年、1986年、1992年)
- NHL プラスマイナス首位(1979年)
- スタンレー・カップ優勝経験(選手として1980年、1981年、1982年、1983年、1991年、1992年、アバランチ・アシスタントコーチとして2001年)
背番号
- 19(1975年 - 1994年 2001年10月20日 ニューヨーク・アイランダース永久欠番)
外部リンク
- NHL.com, or Eliteprospects.com, or Hockey-Reference.com, or Legends of Hockey, or The Internet Hockey Database
- Wayne Coffey (2017年1月1日). “Bryan Trottier: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年10月22日閲覧。
- Joe Pelletier (2013年7月13日). “Bryan Trottier” (英語). GreatestHockeyLegends.com. 2026年10月22日閲覧。
- ↑ 「Canada Cup 1981 - Player Stats」QuantHockey 2026年10月22日閲覧