リング禍(リングか)は、主にボクシングやプロレスの試合に起因して競技者が深刻な負傷や障害を負い最悪の場合死亡に至る事故を指す用語である。
リング禍という言葉は、直接的な原因が試合行為にあり、競技者が死亡、または深刻な障害を負った場合に用いられる。
必ずしも負けた側がリング禍に至るとも限らず、試合の勝者がリング禍に至る場合もある。試合以外でも、スパーリングなどが原因で練習中、練習後に死亡する場合などもリング禍の一種と言える。
試合行為において脳出血、脳挫傷など頭部・頸部の受傷に至った場合、アメリカなどでは回復して痕跡が消えれば再び試合に復帰できるが[注釈 1]、日本では予後問題ないとしても引退は免れず事実上の選手生命の終了に等しい。赤井英和の例が広く知られる。通常、スポーツで競技の最中に競技者が引退を余儀なくされるような負傷をした場合は重大な事故であると言えるが、ボクシングでは、脳挫傷など重体患者の発生自体が重大な事故として大きく報道されることは無い。
一般的に、スポーツにおける競技中の事故は、対象の負傷や生存の有無などの結果にかかわらず発生した段階で「事故」と認識、定義されるのに対して、リング禍とは過程ではなく、事後の結果が定義を決定する言葉であると言える。
ボクシングは攻撃が許されるのが頭部と胴体に限定されており、なおかつその多くが頭部を狙っての攻撃という競技の性質上、脚や胴体への蹴りなど頭部以外への打撃や関節技などが許され攻撃が頭部以外にも分散する他の格闘技と比べて、ダメージが頭部へ集中するため、頭部を殴られた衝撃で脳出血を起こして死に至るリング禍が多く発生している。
ダメージにより試合中にリング上で発生する場合もあれば、KO(ノックアウト)、判定如何にかかわらず試合後に発生する例も多い。ほとんどの国や地域のボクシング・コミッションではボクサーへ試合前後の検査を実施しているものの、突発性の高い事例の場合、直接的な予防は困難を極める。アメリカ合衆国の各州のアスレチック・コミッション[注釈 2]でも、幾度と無く安全面での改革が行われているが、現在でも発生が続いている。
ヘッドギアを装着して行うアマチュアボクシングや練習中のスパーリングは安全であると思われがちだが、ヘッドギアはあくまで打撃やバッティングによる直接的な傷や腫れを防ぐためのものであり、脳震盪や脳挫傷を防ぐためのものではないため、マスコミなどで報道される試合での発生以外に、アマチュアボクシングやスパーリングでもリング禍は世界的に起きている。文部科学省が2012年(平成24年)7月にまとめた資料[1]によると、ボクシングは「学校運動部活動中に起きた死亡・重度障害事故」の競技種目別発生頻度(10万人当たりの発生件数)で1位の自転車(29.29件)に次ぎ、2位(18.13件)となっている。これは4位の柔道(4.8件)を大きく上回る発生頻度である。
また、直接的にどの試合が原因か分からなくとも、試合行為を重ねることによるダメージの蓄積の影響で最終的にパンチドランカーになったり、失明など深刻な障害を持つに至った場合などもリング禍の一種であるという見方もできるが、それらが出来事としてのリング禍として社会的に認識されているとは言い難い。
ボクシングは世界的な統括組織がないため、正確な死亡者数の把握は難しいが、1890年から2011年の間に1604人のボクサーがリング禍によって死亡し、年間平均死亡者数は13人との調査結果もある[2][3]。
アメリカの全米の大学のスポーツを統括する全米大学体育協会(NCAA)では、1932年から1960年までボクシング部があったが、1960年4月の試合でウィスコンシン大学マディソン校の学生であるチャーリー・モールが脳出血で倒れ、8日後に死亡したことで、NCAAは1960年末でボクシング部を廃止した。
階級(体格、体重)とパンチの威力は比例関係にある。階級が重くなれば重くなるほどダウン及びKOの割合が高くなり、試合が早いラウンドで終わることになる。逆に階級が軽くなるほど決定力は低下して試合は長引くことが多くなり、結果としてより多くのパンチを浴び続けることになる。
軽量級や中量級の場合は、重量級に比して明確にパンチの回転力で勝り、パンチが相手に命中する回数が多くなる(例えば、世界戦においてラウンド中500発以上の有効打が記録されているのは全てミドル級(70kg)未満の試合であり、400発以上の有効打が記録されている試合も、20試合中15試合がミドル級(70kg)未満の試合である[4])。
日本では軽量級に競技人口が偏っているため軽量級で行われる試合が多く、そのため結果的に軽量級のリング禍がほとんどを占めているが、世界的に見れば競技人口の多いライト級やウェルター級近辺での発生が多い。
| フライ級以下 | バンタム級 | フェザー級 | ライト級 | ウェルター級 | ミドル級 | ライトヘビー級 | ヘビー級 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 54人(8.0%) | 67人(10.0%) | 102人(15.2%) | 127人(18.9%) | 116人(17%) | 93人(13.8%) | 50人(7.4%) | 53人(7.9%) |
(マニュエル・ベラスケスのボクシング死亡事故集統計より)
パンチを頭部に浴び続けダメージが蓄積した試合中盤や終盤にリング禍が起こりやすいという指摘もあるがこれも統計から特にそのような傾向は見られない。
| 1ラウンド | 2ラウンド | 3ラウンド | 4ラウンド | 5ラウンド | 6ラウンド | 7ラウンド | 8ラウンド | 9ラウンド | 10ラウンド | 11ラウンド | 12ラウンド | 13ラウンド | 14ラウンド | 15ラウンド | 16ラウンド | 16ラウンド以降 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 45人 | 62人 | 54人 | 82人 | 49人 | 95人 | 46人 | 71人 | 44人 | 92人 | 13人 | 35人 | 10人 | 10人 | 13人 | 9人 | 14人 |
パンチによる頭部への影響は、打つ側と打たれる側の要素が複合するため、リング禍の要因を特定するのは難しいとする見方も多い。
また、日本では1995年(平成7年)1月10日以降、健康管理面に配慮する目的で、試合数時間前の当日計量から前日計量へと変更になったが、これ以降にリング禍が急増していることから、前日計量の実施でより無理な減量が可能になったことや、計量から試合までの時間が長くジム側が出場選手を監視できない故、計量後の暴飲暴食(アルコールの摂取も)をコントロールできないことも一因ではないかとの指摘もある。
1962年3月24日、アメリカ・ニューヨークで行われた世界ウェルター級タイトルマッチで、エミール・グリフィスに12ラウンドKO負けとなった王者ベニー・パレットが、4月3日に死亡した。パレットは当時の3本ロープの間から半身を外へ出した格好で、剥き出しの鉄柱でしかなかった当時のコーナーポストとグリフィスのパンチに挟まれるようにして衝撃を受けており、これが直接のダメージを招いた原因とされた。世界王者として最初の死亡事故であった。この後、コーナーポストにはビニールカバーを施すことが義務付けられ、リングの3本ロープを4本ロープに増やすための指導が行われた[5]。
1982年11月13日、アメリカ・ラスベガスで行われたWBA世界ライト級タイトルマッチで王者レイ・マンシーニに挑み、14ラウンドTKO負けを喫した金得九が試合後に倒れて脳死の診断を受け、4日後の11月17日に生命維持装置を外されて死亡した。金得九の死から3か月後には金得九の実母が自殺し、さらに翌年の7月には当該試合を裁いたレフェリーのリチャード・グリーネまで自殺してしまう。それらをマスコミが大々的に報道し一連の事柄が全米で社会的な注目を浴びたことなどが、1983年にWBCが世界戦を15ラウンド制から12ラウンド制へと変更する契機になった[5]。その後、WBCに追随する形で1987年にWBAが変更、以下IBFなどの世界王座認定団体も、世界戦を12ラウンド制に変更した。
谷諭、大橋元一郎、大槻穣治らによる研究では、回転加速度を伴う外力は、そうでない外力と比べて脳震盪を引き起こす傾向が強く、脳により多くのダメージを引き起こすとされている。ヘッドギアの着用は回転加速度の効果を強めるため、この点では脳へのダメージの回避に逆効果とされている[6]。また、国際ボクシング協会 (AIBA) の医療委員会委員長を務めるチャールズ・バトラーによれば、別の研究では精鋭男子 (Elite Men)のアマチュア選手においてヘッドギアを着用しないことによって脳震盪の発生が減ることを示唆するデータがあるという。さらにヘッドギア着用時には横の視界が悪くなることで頭部がより狙われやすくなるという見方もあり、これらのことからAIBAは、2013年6月1日から精鋭男子選手の国際試合でのヘッドギア着用を禁止している。バトラーは、女子や若年選手は相手に脳震盪を起こさせるほどのパワーがない場合が多いため、切り傷防止用として引き続きヘッドギアを着用するべきだとしているが[7]、女子、ジュニア、ユース選手にも非着用のルールが順次適用される見込みである[8]。
女子ボクシングの試合や一部興行の試合で行われているように、1ラウンドの時間を通常の3分間よりも短い、アマチュアボクシングと同じ2分間にすることで試合時間の短縮を図り、頭部への負担を低減する試合形式も、事故の可能性を減少させる方法のひとつである。しかし、世界的には未だラウンド2分間の試合は広く行われているとは言えず、日本ボクシングコミッション(JBC)が統括する日本においても、プロボクシングの公式戦は全てラウンド3分間で行われている。
頭部を強打するようなスパーリングでは、ヘッドギアを付けていても、受傷の可能性は試合と同等に存在する。頭部に打撃を被った後は、頭部に負担をかける行為を控え休息を取ることが望ましい。
1952年(昭和27年)4月21日のJBC発足以降、日本のプロボクサーの試合中のダメージによる死亡事故は37件(2010年2月23日現在)[9]。プロボクシングの公式戦以外では、高校、大学の部活動での練習や試合中に発生したリング禍がしばしば報道される一方で、プロボクサーが脳挫傷などの重篤に至っても死亡しない限りは報告されないことが多く、また外国人招聘選手が帰国後に死亡した場合も同様に報告されない。
1977年には日本での死亡事故が多発、世界的にリングの安全性が見直されることになり、WBAはそれまで中量級で使用していた6オンスグローブを、大きめの8オンスへ変更するようルールを改定した。(6オンスグローブはその後も使用されることがあったが、1990年代始めに安全面への配慮という目的からWBCで廃止され、数年のうちにWBAが追従、JBCは1996年から移行し、2001年8月1日にルールを改定した。)また偶然のバッティング規定を新設し、3R以内に続行不能となった場合は引き分けとし、4R以降はその時点の採点表によるものとした[10]。
この後、1980年代には減少傾向にあったものの1990年代には再び急増し、1977年の試合によるものも含めて10名のプロボクサーが死亡した。1997年10月13日の日本スーパーフライ級王座決定戦での死亡事故を受け、同月末、JBCは緊急の健康管理委員会を開き、事故防止対策を協議した。
この健康管理委員会でまず争点となったのがスタンディングカウント制度で、WBA、WBCのルールではカウント8での試合続行により深刻な事態へ進行することを避けるため、すでに10年以上前に廃止されていた。日本でも試験的に廃止されたことがあったが、レフェリーからはストップのタイミング判断の際、観客の違和感以上に、ストップをかけられた側のボクサー・陣営から不満の訴えがあった場合のトラブルが懸念され、安全という観点からは逆効果との声もあり、スタンディングカウントをとるローカルルールが引き継がれていた。しかしJBCの小島茂事務局長(当時)がレフェリーを説得し、スタンディングカウント制度は1998年2月1日付で廃止されることが決まり、この日以降は選手控室にも告知された。加撃されたボクサーがロープに寄りかかり、攻撃も防御もできない状態にあれば、レフェリーはダウンと裁定してカウントはせず、即座にTKOとして試合を停止することになった。
また、この1997年10月末の健康管理委員会では前日計量を当日計量へ戻すべきとの意見もあったが、再検討の結果、極力、世界と共通のルールとし、また体力回復に時間を長くとれるというメリットを重視して、既定通りの前日計量が続行された。ただし前日に正式な計量を行う他、統計をとるために便宜上行われていた当日計量を恒久的に実施することとなった[11]。
2009年には、1月28日の59.5kg契約8回戦(清水秀人対阪東ヒーロー)で開頭・開腹手術を要する事故、3月21日の日本ミニマム級王座決定戦(辻昌建対金光佑治)で死亡事故が起きたことを受け、4月14日、JBCと日本プロボクシング協会の合同で健康管理委員会が開かれ、再発防止策としてMRI検査の実施など5項目がルール化を検討されることになった[12][13]。また、2010年2月19日の50.0kg契約8回戦での死亡事故を受け、同じく合同の健康管理委員会で再発防止策が協議されている[14]。
1940年代にマニュエル・ベラスケスがボクシングにおける死亡事故のデータを収集し始め、その後も続く The Manuel Velazquez Collection によれば、1950年から2011年にかけて、東京で26件の死亡事故が起きており、世界で最もボクシングでの死亡事故が多い都市となっている[15]。日本関連で起こった事故には次のようなものがある[5]。タイトルマッチの記述においては煩雑になるのを避けるため、勝敗結果にかかわらず、対戦前の王者を「王者」として記載している。
字下げのある行に記載した事故は、JBCが発表する過去の件数に含まれていないもの。アマチュア選手の他、JBCのボクサーライセンスを持たない国外のプロ選手や、プロテスト中の選手の事故、日本のプロ選手のスパーリング中の事故はカウントされていない。

1842年9月13日、ニューヨーク州ウエストチェスター郡のヘイスティングス・オン・ハドソンで[69]約2000人の観衆が見守る中、英国人のクリストファー・リリーとアイルランド人のトマス・マッコイが[70][71]、119ラウンド[72][70][73]、2時間41分にわたって戦った[69][70][71][74]。この試合は1838年に制定されたロンドン・プライズリング・ルールズの下で行われた[70]。ライトヘビー級の試合とされるが[71]、リリーは23歳、140ポンドで、マッコイは20歳2か月、137ポンド(ともにスーパーライト級相当)。身長はリリーの方がマッコイよりも1インチ高かった[72]。自信のあったマッコイは、「勝利、さもなければ死」を意味する黒いハンカチをロープに結び付けていた[70][71]。
試合は13時に開始された。マッコイは初回に左耳から血を流し、5回に口を打たれてダウンした時には、何らかの反則を訴えている。7回には唇と首が血で染まっていた。この回、リリーの左を腹に受けてマッコイはダウンし、立ち上がると何らかの反則を訴え、ジャッジは同意。レフェリーもこれを認めた。各ラウンドの詳細な経過を記した Life and Battles of Yankee Sullivan では「ここで試合は終わるべきだった」とされているが、マッコイ陣営は寛大にもマッコイの反則勝ちを拒否して、試合の続行を要求した。15回にマッコイは鼠径部のあたりを打たれて反則打を訴え、ジャッジは再び同意。この時もマッコイ陣営はアドバンテージは要らないと言って反則勝ちの権利を放棄している[72]。マッコイは15、16回までは優勢だったが[69][70]、その後、形勢は不利になっていく。しかし、リリーが非常に冷静に試合を運ぶ一方で、マッコイはセコンドの制止もないままに入れ込んだ状態で戦い続け、63回を迎えて初めてセコンドから少しセーブするように指示を受けるが、その回もマッコイはラッシングを止めない[72]。70回にはマッコイの両目は黒く腫れ上がって左目は塞がり、唇もひどく腫れ上がり、胸に血が流れ落ち、息も絶え絶えで、構えながらも喉から血の塊を吐き出そうとしていた。76回になると試合はより凄惨なものになり、観客は停止を求めて叫んだが、マッコイは毎回リングに出て行った[72][70]。86回には、リリーがほぼ無傷で入場時とほぼ変わらない状態であったのに対し、マッコイの両目は塞がり、鼻は折れて潰れ、鼻からも口からも夥しい血を流していたにもかかわらず、両者のセコンドは試合を続行させた。リリーは毎回マッコイからダウンを奪い、マッコイは鼻や口のみならず両目からも血が噴き出すようになっていた[69]。
89回には試合をプロモートしたリリー陣営のヤンキー・サリバンらが、「死ぬまでやらせてどうする? マッコイはもう勝てない」と試合を止めようとしたが、マッコイのセコンドについていたヘンリー・シャンフロイドは「まだ始まったばかりだ」と拒否[72][70]。マッコイは自分の血で喉を詰まらせ、塊を吐き出しながら、続行を求めた[70]。107回には、マッコイは窒息感に苦しむように腫れた舌を突き出して口を開いていた[72]。しかし、80度以上もダウンを奪われながらも、118回が終わるとマッコイはセコンドに「手当てしてくれ。そうすればまだやれる」と言い、次の119回を戦った[72][70]。120回が始まろうとする時、マッコイは動くことができず、15分足らずのうちに死亡した[69][75]。この結果、リリーが勝利[72][75]。検視結果では、血が肺に流れ込んだことによる溺死(窒息死)であった[70]。
1791年の デラウエア・ガゼット(Delaware Gazette) 紙などでは、トマス・ダニエルがジェームズ・スミスとのベアナックル・ファイトで命を落としたことが簡単に記されているが[76]、一般的にはこのリリー対マッコイ戦が、米国における死亡事故の最初の記録とされている[70][73][71][74]。18人の関係者が騒乱罪や過失致死罪で逮捕・起訴され[70]、その後ベアナックル・ファイト、懸賞試合への批判が高まることになった[74]。
プロレスにおけるリング禍は、その競技の特性上などからマット禍という表現が用いられることも多い。
プロレスの場合、それぞれ投げ技・打撃技・関節技などお互いの技の攻防が中心であり、プロレスラーは身体を徹底的に鍛え抜き、「受身」の技術も含めて、技による打撃・衝撃に耐えうる様に訓練していることや、試合中の選手相互の間合い、そして相手選手の身体に過剰な負担が掛かる危険な技は頻用しないという暗黙の了解によって、1980年代後半までは、試合中において選手生命に影響する深刻な受傷があったとしても、死亡に至る事故は非常に少なかった。
古くは、外国人でキラー・バディ・オースチンやオックス・ベーカーがリング禍を「起こした」側として有名であるが(オースチンの場合はフィクション[79])、こと昭和期の外国人レスラーに関する限り、オースチンやベーカーのほか、スタン・ハンセンによる「ブルーノ・サンマルチノ首折り事件」やキラー・コワルスキーによる「ユーコン・エリック耳そぎ事件」など、死亡事故に至らずとも、(たとえ不測の事故であったとしても)起こした側の武勇伝という形で興行団体に商業的に利用されていたのが、プロレス特有の業界事情ではある。
しかし、1990年代以降、全日本プロレスを中心としてより過激なパフォーマンスを求める方針として、受け身の取りにくい非常に危険な技が数多く考案され、多用される風潮が強くなってきた。これらの過激な技の応酬によって身体へのダメージが着実に蓄積され、深刻な後遺症を与えることも少なくない。また、本来ならばリングに上がることは到底無理な健康状態であったにもかかわらず、団体の運営・興行上の都合や選手自身の経済面の問題などから、リングに上がり技を受け続け、致命的な事故に繋がった可能性を考えなければならない事故例も見られる様になった。後述する三沢光晴の死亡事故についても、「過激な技を長年受け続け、身体(特に首)へのダメージが深刻なまでに蓄積されていたにもかかわらず、ノア社長兼同団体のトップ選手としてリングに上がり続け、大きな負担の掛かる技を受けなければならなかった」ことを遠因の1つとして見る向きもある。
また、日本においては、小規模会場などで比較的容易に興行を行える様になり、道場やトレーニング機材を持たないなど充実した練習環境を持たないインディペンデント団体やプロモーションが乱立する様になった。練習に専念できる機会に乏しいために絶対的な練習量が足らず、受け身が取れない様な素人同然のレスラーが安易にリングに上がることも多々見られる。
インディペンデント系以外の団体においても演出上、芸能人など本職のレスラー以外がリングに上がり戦う(ハッスルなど)などプロレスラーのボーダーレス化が進んだことで、予期せぬ事故が発生することもあり得る様になった[注釈 3]。迅速な救命・救急措置に欠かせないリングドクターについても、資金面の問題などを理由に一部の大手団体以外は常駐しておらず、一部のレスラーやレフェリーなど関係者が救命術など講習する動きなどはあるものの、リング禍防止への取り組みは未だ鈍いのが現状である。
日本国内のプロレス興行において、日本人選手が試合中の事故(試合後の容体急変も含む)により死亡した事例は6例発生している。
また、日本プロレス草創期の1954年12月22日、蔵前国技館での前座試合で市川登(全日本プロレス協会所属)が、芳の里淳三の強烈な数十発の張り手を受けて昏倒し[84]、その後、市川は脳に重い障害が残り1967年末に死去した事例がある[注釈 4]。
道場などでの練習中に死亡した事例も何例か発生している[86]。
また、試合中・練習中の事故で死亡には至らなかったものの、重度の後遺症を伴う深刻な受傷となり、引退表明こそしていないものの実質的にリタイア状態となっている事例もある。SWSにおける片山明(第4頸椎脱臼骨折)、FMWにおけるハヤブサ(頸椎損傷、復帰できず2016年3月死去)、ZERO-ONEにおける星川尚浩(急性硬膜下血腫)、大谷晋二郎(頸髄損傷)、新日本プロレスおよびDDTにおける高山善廣(フリーランス、新日本では脳梗塞、DDTでは頸椎損傷)の事故例などが相当する。
その一方で、全日本女子プロレスにおける北斗晶(首の骨折)、大日本プロレスにおける山川竜司(頭蓋骨骨折)、新日本プロレスにおけるザ・グレート・サスケ(頭蓋骨亀裂骨折、所属はみちのくプロレス)や高橋ヒロム(頸椎骨折)の事故例の様に、選手生命に影響しかねない傷病を負いながらも、休養とリハビリを挟んで復帰を果たした事例も見受けられる。
ボクシングと同様に頭部を殴打したり、ボクシングにはない頭部を蹴ることが認められている競技に、ムエタイ、空手、総合格闘技他、多数が存在するが、ボクシングと比較するとリング禍は発生し難い。ルールの差異による頭部への殴打の頻度の違い、ラウンド数や試合時間の違い等、様々な発生差異の理由が存在するが、脳に衝撃を与える競技行為が行われる以上は、リング禍の可能性は常に存在する。
日本国内では、アマチュア修斗で1件確認されている。
海外では、2021年5月時点で、プロの試合で7例、アマチュアの試合で9例のリング禍が確認されている[100]。死因は、脳出血や脳挫傷によるものが9例、心筋梗塞や心不全によるものが4例[注釈 5]、減量の影響とみられる腎不全や横紋筋融解症が2例、不明が1例となっている。
日本国内では、1件のリング禍が確認されている。正道会館の植田修が1994年に行われた試合でKO負けを喫し死亡した。
相撲では投げの打ち合いで頭から落ちていくことがよくあるが(親方も「投げの打ち合いは手をつかずに顔から落ちろ」と教えることが多い)、髷によって頭が保護されており、少なくとも本場所中に頭部強打が直接の原因となって死亡した事例はこれまでなかった[注釈 6]。しかし、2021年3月場所の取り組みで頭から土俵に落下した三段目力士の響龍光稀が救急搬送され、入院中に寝たきりの状態が続いたことで肺血栓を発症し、同年4月に急性呼吸不全で死亡した[101]。取組中の事故が原因で死亡した初の事例となった。
格闘技(特にボクシング)を主題としたフィクションにおいて、リング禍の描写も少なからず存在する。主なものを挙げる。
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