反事実的条件文
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反事実的条件文(はんじじつてきじょうけんぶん、英: Counterfactual conditionals、反実仮想条件文、反実仮想文とも。接続法条件文(subjunctive conditionals)、X-marked条件文(X-marked conditionals))は、もし状況が違っていたら(典型的には、前件が偽であるか、もしくは実際に起こったことと両立しないようなときに)何が真になっていたであろうかを記述する条件文である。「もしピーターが幽霊の存在を信じていたら、彼はここに来ることを怖がっていただろう」("If Peter believed in ghosts, he would be afraid to be here")という文のように、英語では、反事実的条件文はしばしば過去時制ないし非現実相(irrealis)の形態で形成され、現実的で開かれている可能性について議論するために一般に用いられる直説法条件文(indicative conditionals)と通常対比される。
反事実文は、"counterfactual"という語の含意するところに反して、必ずしも「事実に反する」わけではないため、「接続法条件文」(subjunctive conditionals )という名の方がしばしば好まれる。しかし、反事実文は必ずしも文法的な接続法を取らないため、「反事実的条件文」という名前の方が好まれることもある[1]。 このような経緯で、X-marking という術語が妥協案として発展したが、この名前が文献の中で用いられるようになったのは他よりも最近である。用語法を参照のこと。
反事実的条件文は哲学的論理学、 形式意味論、そして言語哲学において中心的なトピックである。とりわけ、いくつかの条件論理はとくに反事実的条件文の研究のために発展させられてきた。初期の研究は、反事実的条件文を、実質条件文(material conditional)による条件文の分析に対する困難と見なした。実質含意は、前件が偽であるすべての反事実的条件文を自明に真としてしまうからである((P → Q) ↔ (¬P ∨ Q))。その後の研究は、さまざまな非真理関数的説明を発展させた。とりわけ、デイヴィッド・ルイスの「可変厳密」分析やロバート・スタルネイカーの「最近接世界」意味論のような可能世界アプローチや、それらに対する代替案となる、厳密条件文、因果モデル、そして信念改訂とラムジーテストなどが後続の研究として挙げられる。
言語学の観点からは、反事実性は叙法、時制、アスペクトの文法標識と強く結びつけられる。多くの言語で、いわゆる偽の時制や偽のアスペクトが反事実的な解釈を示すために用いられており、より一般的なX-markingの例としてしばしば分析されている。X-markingは条件文を直説法条件文やO-marked条件文から区別するものである。心理学と認知科学における研究は、人々がどのように反事実的条件文によって理解や推論を行うのか、どのようにそれらが理解や推論の中で直説法と異なっているのか、そしてどのようにそれらが反事実的思考やメンタル・シミュレーションのより一般的なパターンと関連しているのかを研究している。
概観
例
直説法と反事実的条件文の間の差異の例は、次のような英語のミニマル・ペアである。
- 直説法条件文: If Sally owns a donkey, then she rides it.(もしサリーがロバを所有しているなら、彼女はそれに乗る)
- 単純過去反事実文: If Sally owned a donkey, she would ride it.(もしサリーがロバを所有していたなら、彼女はそれに乗っただろう)[2][3][4][5]
これらの条件文は形式においても意味においても異なっている。その直説法条件文は現在形の"owns"を用いており、それによって話者はサリーが実際にロバを所有しているかどうかについて判断を保留していることを伝達している。反事実文の例の方は、"if"節の中で偽の時制"owned"を用い、"then"節の中で過去形に活用された法助動詞"would"を用いている。結果として、それはサリーが実際にはロバを所有していないということを伝達している。英語は他にも反事実性の傘の下にその意味が含まれることがあるような文法形式を複数有する。そのひとつは過去完了の反事実文であり、これは大過去の形態を使用する点で直説法や単純過去反事実文と対照される[6]。
- 過去完了反事実文: If it had been raining yesterday, then Sally would have been inside(もし昨日雨が降っていたならば、サリーは中にいただろうに)
もうひとつの種類の条件法は、一般に非現実相(irrealis)や接続法(接続法)と呼ばれる形式"were"を用いる。
- 非現実相反事実文: If it were raining right now, then Sally would be inside.(もし今雨が降っていたならば、サリーは中にいただろうなあ)
過去完了反事実文と非現実相反事実文は、条件倒置(conditional inversion、動詞・助動詞を先に置き、ifを省略する倒置)で表されうる[7]。
- Had it rained, Sally would have been inside.
- Were it raining, Sally would be inside.
用語法
「反事実的条件文」という語は、以上で見たような種々の文を包摂するアンブレラタームとして広く使われている。しかし、この種の条件文のすべてが、事実に反する意味を表現するわけではない。例えば、「アンダーソン事例」("Anderson Case")として知られている古典的事例は、反事実的条件文の特徴的な文法形式を持ちながらも、前件が偽であるかあるいは起きそうもないということを伝達しない[8][9]。
- アンダーソン事例: If Jones had taken arsenic, he would have shown just exactly those symptoms which he does in fact show.(もしジョーンズがヒ素を摂っていたとしたら、彼は、実際に彼がいま示しているのとまさに同じ症状を呈したことだろう)[10]
そのような条件文は「接続法条件文」(subjunctive conditionals)としても広く言及されるが、この語も同様に、この名前を使う人によってさえも間違った名前だと認められている。多くの言語は形態論的な接続法(subjunctive)を持っておらず(例、デンマーク語とオランダ語)、持つ言語の多くも、この種の条件法のために用いることはない(例、フランス語、スワヒリ語、接続法を持つすべてのインド語群の言語)。さらに、接続法をそのような条件文のために用いる言語も、特定の過去時制の接続法形式を持つ限りでそのように用いる。したがって、接続法の標示は、この条件文のクラスのメンバーシップとして必要でもなければ十分でもない[11][12][9]。
「反事実的」(counterfactual)という語と「接続法的」(subjunctive)という語はもっと特定の用途のために再利用されてきた。例えば、「反事実的」は、文法的構造に関係なく、事実に反する意味を表現する条件文へと適用されることがある[13][8]。似たような仕方で、「接続法的」はしばしば、伝達される意味に関係なく、偽の過去時制や非現実相の標識を持つ条件文を指示するために用いられる[13][14]。
最近は「X-Marked」という語が代替物として提案されている。この語はこれらの条件文が持つ追加の標識(extra marking)を呼び出す。この用語法を採用する人は、直説法条件文を、それらが通常の標識(ordinary marking)を持つことを反映して、O-marked条件文と呼ぶ[4]。
条件文の前件はしばしば「if節」や「プロターシス」(protasis、条件節のこと)と呼ばれる。条件文の後件はしばしば「then節」や「アポドーシス」(apodosis、帰結節のこと)と呼ばれる。
論理学と意味論
反事実文は、ネルソン・グッドマンによってはじめて、古典論理において用いられる実質条件文(material conditional)に対する問題として議論された。これらの問題によって、W・V・クワインのもののような初期の研究は、反事実文は厳密に論理的ではなく、世界について真か偽であるような主張をしていないとみなした。しかし、1960年代から1970年代にかけて、ロバート・スタルネイカーとデイヴィッド・ルイスによる著作は、適切な内包的論理の枠組みが与えられればこれらの問題は乗り越えることができるものであるということを示した。以来、形式意味論、哲学的論理学、言語哲学、そして認知科学における研究が、この知見に基づき、さまざまな異なる方向性でそれを取り込みながら進められてきた[1]。
古典的なパズル
反事実文の問題
実質含意による分析によれば、自然言語の条件文、すなわち「もしPならQ」という形式の言明は、その前件であるところのPが偽であるときはつねに真である。反事実的条件文はその前件が偽であるような文であるがゆえに、この分析は、すべての反事実文が空虚に真であると誤って述べてしまうことになる。グッドマンはこの点を以下のペアを用いて描写している。次のペアは、ここで議論されているバターの一片は実際には熱されていなかったということが理解されているという文脈に置かれる。
- If that piece of butter had been heated to 150°F, it would have melted. (もしもバターのそのかけらが華氏150度まで熱されていたとしたら、それは溶けていただろうなあ)
- If that piece of butter had been heated to 150°F, it would not have melted. (もしもバターのそのかけらが華氏150度まで熱されていたとしたら、それは溶けていなかっただろうなあ)
より一般的に言えば、そのような例は、反事実文が真理関数的でないということを示している。別の言葉でいえば、前件と後件が実際に真であるかどうかを知っていることは、その反事実文自体が真であるかどうかを決定するのに十分ではない[1](前件・後件がともに偽でも、真にはならないような条件文が日常的理解では存在する)。
文脈依存性と曖昧性
反事実文は文脈依存的であり、かつ曖昧である。たとえば、次のふたつの言明のいずれか一方は真であると理に適った仕方で見なされうるが、両方が同時に真であると見なされることはできない[15]。
非単調性
反事実文は、前件に内容が追加されるとその真理値が変わりうるという意味で、非単調的(non-monotonic)である。この事実は次のようなソベル列(Sobel Sequences)によって描写される[16][13]。
- If Hannah had drunk coffee, she would be happy. (もしハンナがコーヒーを飲んでいたら、彼女はいま幸せだっただろう)
- If Hannah had drunk coffee and the coffee had gasoline in it, she would be sad. (もしハンナがコーヒーを飲んでいて、かつそのコーヒーにガソリンが混ざっていたとしたら、彼女はいま悲しんでいただろう)
- If Hannah had drunk coffee and the coffee had gasoline in it and Hannah were a gasoline-drinking robot, she would be happy. (もしハンナがコーヒーを飲んでいて、かつそのコーヒーにはガソリンが混ざっていて、かつハンナがガソリンを飲むロボットだったのだとしたら、彼女はいま幸せだっただろう)
この事実を形式化する一つの方法は、自然言語の条件文の形式化として意図されたいかなる結合子 > についても、前件強化の原理(principle of antecedent strengthening )は成立すべきでないと述べることである。
- 前件強化:
可能世界による説明
反事実文についてのもっとも一般的な論理学的説明は、可能世界意味論を用いた条件論理によって表現される。大まかに言えば、これらのアプローチは共通して、もしAが真であるような可能世界の集合を通じてBが成立するならば、反事実文A > Bを真と見なす。それらの可能世界アプローチは主にどのように関連するA-世界(前件が真である世界)の集合を同定するかにおいて異なっている。
デイヴィッド・ルイスの「可変的厳密条件文」(variably strict conditional )は哲学におけるその古典的分析とされている。これに密接に関連する「前提意味論」( premise semantics)はアンゲリカ・クラッツァーによって提唱され、言語学における標準的分析であるとしばしば受け取られている。しかし、非常に多くの可能世界アプローチが提案されてきており、そこにはもともとルイスによって退けられていた厳密条件分析の動的意味論のバリエーションも含まれている。
厳密条件文
厳密条件文による分析は自然言語の反事実文を、様相論理式と同値であるものとして扱う。この式において、 は必然性を表現し、 は実質含意として理解される。このアプローチは、1912年にC・I・ルイスによってはじめて、彼の様相論理への公理的アプローチの一部として提案された[1]。現代の関係意味論では、このことは、厳密条件文がwで真であるのは対応する実質条件文がwから到達可能なすべての世界において真であるとき、かつそのときに限られる、ということを意味する。より形式的に言えば、
- モデルが与えられたとき、 iff であるようなすべてのについて
実質条件文とは異なり、厳密条件文はその前件が偽であるからといって空虚に真になるわけではない。なぜそうなるかを見るには、たとえ が で偽であっても、もし が真で が真ではないような到達可能世界が存在するならば、 は で偽であるということを確認せよ。 厳密条件文もまた、少なくとも関係意味論やそれに類する理論を前提にするときには文脈依存的である。関係意味論の枠組みでは、到達可能性関係は、文脈において「生きた(live)」ものとして扱われる可能性の範囲をコード化する評価のパラメータである。厳密条件文の真理値が、それを評価するために用いられる到達可能性関係に依存するがゆえに、この厳密条件文の特徴は文脈依存性を捉えるために用いられうる。
厳密条件文による分析は、多くのよく知られた問題に直面する。なかでも重要なのは単調性の問題である。古典的な関係的フレームワークにおいては、帰結(entailment)の標準的な概念を用いるとき、厳密条件文は単調的であり、言い換えれば前件強化が妥当になる。なぜなら、もし がから到達可能なすべての世界で成立するなら、実質条件文の単調性は も同様に成立するということを保証するからである。したがって、が成立する。しかし、上で見たように自然言語の反事実文では単調性が成立しない。
この事実は、とりわけルイスの可変的厳密による分析がより支持されるなかで、厳密条件文による分析が広範に放棄されるという結果を招いた。しかし、後続の研究は文脈依存性に訴えることによって厳密条件文を蘇らせている。このアプローチはWarmbrōd (1981)によって開拓された。Warmbrōdはソベル列が非単調論理を要求することはなく、実際にはむしろ、話者が列の進行に伴ってより寛容な到達可能性関係へと切り替えることによって説明されることができる、と主張した。彼の体系によれば、「もしハンナがコーヒーを飲んでいたら、彼女はいま幸せだっただろう」のような反事実文は、すべての到達可能世界でハンナのコーヒーにガソリンが混ざっていないようなモデルによって通常は評価されることになる。 もしこの同じモデルが次の後続する発話「もしハンナがコーヒーを飲んでいて、かつそのコーヒーにガソリンが混ざっていたとしたら......」の評価に用いられたとしたら、この二番目の条件文はトリヴィアルに真になってしまう。というのも、その前件が成立するような可能世界は存在しないからである。Warmbrōdのアイデアは、話者がこの自明性を回避するために、より寛容な到達可能性関係を持つモデルへと切り替えるというものである。
Kai von Fintel (2001)、Thony Gillies (2007)、そしてMalte Willer (2019)によるその後の研究は、動的意味論の枠組みでこのアイデアを形式化しており、さらにそれを支持する言語学的論拠を提示している。ひとつの論拠は、条件文の前件が、下方単調な環境でのみ認可されると考えられている否定極性項目(NPI)を認可することである。
- If Hannah had drunk any coffee, she would be happy. (もしハンナが少しでもコーヒーを飲んでいたら、彼女はいま幸せだっただろう: "any"「少しでも」が否定極性項目)
否定極性項目(NPI)は下方含意(下方単調)の環境で認可される。たとえば、肯定文「ハンナはコーヒーを飲んだ」は、「コーヒー」の上位概念である「飲み物」を含む肯定文「ハンナは飲み物を飲んだ」を含意する。これは上方含意である。一方で、否定文「ハンナはコーヒーを飲んでいない」は「ハンナは飲み物を飲んでいない」を含意しないが、「コーヒー」の下位概念「エスプレッソ」を含む否定文「ハンナはエスプレッソを飲んでいない」を含意する。これは下方含意である。下方含意の文脈では含意方向が逆転し、上位概念を含む文から下位概念を含む文への含意、つまりより弱い概念から強い概念への含意が成立する。 を後件とする条件文の前件位置を文脈 とする。 であるから、この文脈が下方含意的であるならば、が成立する。すなわち、であり、これは前件強化に相当する。NPI が条件文の前件で認可されるという事実は、したがって、条件文の前件位置が下方含意的であることを示唆する。
厳密条件文を支持するもうひとつの論拠は、ソベル列は逆順にすると一般に語用論的に不適切である(つまり不自然に聞こえる)というイレーネ・ハイムの観察に由来する。
- If Hannah had drunk coffee with gasoline in it, she would not be happy. But if she had drunk coffee, she would be happy. (もしハンナがガソリンの混じったコーヒーを飲んでいたとしたら、彼女はいま幸せではなかっただろう。しかし、もしハンナがコーヒーを飲んでいたとしたら、彼女はいま幸せだっただろう)
Sarah Moss(2012)とKaren Lewis(2018)はこれらの議論に応答し、可変厳密分析のあるバージョンはこれらのパターンを説明できるということを示して、可変厳密分析による説明の方が、見かけ上の例外事例についても説明を与えられるがゆえに、より好ましいと主張した。2020年現在もこの論争は文献上で継続中である。厳密条件文による説明もそのような例外事例をカバーすることができると主張するWiller(2019)のような説明もそこに含まれる[1]。
可変的厳密条件文
可変的厳密アプローチにおいて、条件文A > B の意味論は、一方ではAとBが共に真である世界、他方ではAが真でBが偽であるような世界について、それらの世界の相対的な近接性に基づくなんらかの関数によって与えられる。
ルイスの説明では、 A > C は(a)Aが真である世界が存在しないとき、かつそのときに限り、空虚に真であり(例えば、Aが論理的ないし形而上学的に不可能であるとき)、(b)Aが真である世界のうち、Cが真であるような世界のいくつかがCが真ではないようないかなる世界よりも現実世界に近接しているとき、かつそのときに限り、 空虚ではない仕方で真であり、もしくは(c)それ以外の場合には偽である。ルイスの『反事実的条件法』(Counterfactuals)では、彼が「近接性」によって何を意味しているのかは明らかではなかったが、後の著作においてルイスは、この「近接性」の尺度をたんに全体的類似性(overall similarity)についての私たちの日常的な概念として意図していたわけではないということを明確にした。
例:
- If he had eaten more at breakfast, he would not have been hungry at 11 am. (もし彼が朝食をもっとたくさん食べていたとしたら、彼が午前11時にお腹を空かせることもなかっただろう)
ルイスの説明では、この言明が真であるということは、彼が朝食をもっとたくさん食べていた可能世界の中で、彼が午前11時に空腹ではなく、かつ、彼がもっとたくさん朝食を食べていたにもかかわらず午前11時に空腹であるようないかなる世界よりも私たちの世界に近いような世界が、少なくとも一つ存在するという事実によって構成される。
スタルネイカーの説明がルイスの説明と最も顕著に異なる点は、極限仮定(limit assumption)と一意性仮定(uniqueness assumption)を受け入れていることである。一意性仮定とは、任意の前件Aについて、Aが真である可能世界のうち、現実世界に最も近接した世界が一つだけ存在するというテーゼである。極限仮定は、与えられた前件Aについて、Aが真である可能世界の連鎖が存在し、その各世界が直前の世界よりも現実世界に近いならば、その列には極限、すなわち、その列に含まれるすべての世界よりも現実世界に近い、Aが真である可能世界が存在する、というテーゼである(一意性仮定は極限仮定を含意するが、極限仮定は一意性仮定を含意しない)。スタルネイカーの説明によれば、A > C が空虚でない仕方で真であるのは、Aが真である最近接世界においてCが真であるとき、かつそのときに限る。したがって、上の例が真であるのは、彼が朝食をもっとたくさん食べた、現実世界に最も近い唯一の世界において、彼が午前11時に空腹を感じていないとき、かつそのときに限る。議論の余地はあるものの、ルイスは極限仮定を拒絶した(したがって一意性仮定も拒絶した)。というのも、極限仮定を採用すると、現実世界に際限なく接近していく世界が存在する可能性が排除されるからである。例えば、コーヒーカップの位置が、現実の位置よりもn分の1インチだけ左にずれている世界の無限列というものが存在しうる(nが大きくなればなるほどその可能世界は現実に接近していく)が、そのうちのどの世界も唯一的に最も近接した世界ではない(Lewis 1973: 20.を見よ)。
スタルネイカーが一意性仮定を受け入れることの一つの帰結は、排中律が真であるとき、式 (A > C) ∨ (A > ¬C) のすべての例化が真であるということである。排中律は、すべての命題pについて、p ∨ ¬p が真であるとするテーゼである。一意性仮定が真であるなら、そのときすべての前件Aについて、Aが真である最近接世界は一つだけ存在する。排中律が真であれば、任意の後件CはAが真であるその最近接世界で真であるか偽であるかのどちらか一方である。したがってすべての反事実文A > Cについて A > C か A > ¬C のどちらか一方だけが真である。これは条件文排中律(conditional excluded middle, CEM)と呼ばれる。例えば、
- (1) If the fair coin had been flipped, it would have landed heads. (もし公正なコインがはねあげられていたら、それは表を上にして着地していただろう)
- (2) If the fair coin had been flipped, it would have landed tails (i.e. not heads). (もし公正なコインがはねあげられていたら、それは裏を上にして着地していただろう(つまり表を上にして着地していなかっただろう))
スタルネイカーの説明では、(1)と(2)で言及されている公正なコインがその世界で投げられ、表か裏の一方を出して着地するような最近接世界が存在する。したがって(1)が真であって(2)は偽であるか、あるいは(1)が偽であって(2)は真であるかのいずれか一方である。しかし、ルイスの説明によれば(1)も(2)も偽である。というのも、公正なコインが表を出す世界は、それが裏を出す世界よりも、近くも遠くもないからである。ルイスにとっては、「もしコインがはねあげられていたとしたら、それは表か裏を上にして着地していただろう」は真であるが、しかしこれは「もしコインがはねあげられていたら、それは表を出していただろう、もしくは、もしコインがはねあげられていたら、それは裏を出していただろう」を含意するわけではない(前者は A > (H ∨ T) だが、後者は (A > H) ∨ (A > T)。一意性仮定を採らないことにおいて、前件Aの成り立つ最近接世界は一つではなく、表になる A-世界と裏になる A-世界のいずれか一方が他方より近いとは限らない。A世界でコインが表か裏のどちらかを出すことは真であるが、「A世界で裏しか出ない」もしくは「表しか出ない」はその両方が同時に偽でありうる)。
他の説明
因果モデル
因果モデルフレームワークは(causal models framework)は反事実文を構造方程式の体系によって分析する。方程式の体系においては、それぞれの変数には、体系内の他の変数の明示的関数である値が割り当てられる。そのようなモデルが与えられたとき、「もし X が x であったなら、Y は y であっただろう」(形式的には X=x>Y=y)という文は、次のような主張として定義される。すなわち、現在 X の値を決定している方程式を定数式 X=x に置き換え、その方程式系を変数 Y について解いたとき、得られる解が Y=y になる、という主張である。この定義は、可能世界意味論の公理と両立することが示されており、自然科学および社会科学における因果推論の基礎をなしている。というのも、これらの領域では、それぞれの構造方程式が、研究者によって意味のある仕方で推論の対象とすることのできる、よく知られた因果メカニズムに対応しているからである。このアプローチは、他の提案された体系では捉えることの難しい、因果関係についてのきめ細かな直観を符号化する手段として、ジューディア・パール(2000)によって発展させられた[17]。
信念改訂
信念改訂のフレームワークにおいて、反事実文はラムジーテストの形式的実装を用いて扱われる。この体系においては、反事実文 A > B が成立するのは、現在の知識の集まりに対するAの追加がBを帰結として持つとき、かつそのときに限る。この条件は、反事実的条件文を信念改訂に関係づける。というのも、A > B の評価が、まずAによって現在の知識を改訂し、そしてその結果においてBが真であるかどうかを確かめることによって、為されうるからである。Aが現在の信念と整合的であるときには改訂は容易であるが、そうでない場合は難しくなりうる。信念改訂についてのどの意味論も条件文の言明を評価するために用いられうる。逆に、条件文を評価するどんな方法も、改訂を実行する一つの方法と見なされうる。
ギンズバーグ
Ginsberg(1986)は条件文についての次のような意味論を提案している。この意味論は、現在の諸信念が命題論理式の集合を成していることを仮定し、Aと整合的なこれらの論理式の極大集合を考え、それぞれにAを付け加える。 その考え方の根拠は、こうして得られる各極大集合が、A が真であり、なおかつ元の信念状態に可能な限り類似した信念状態を表している、という点にある。したがって、条件文 A > B が成り立つのは、そのようにして得られるすべての集合において B が真である場合、かつその場合に限る[18]。
反事実性の文法
諸言語は反事実性を表現するために様々な戦略を用いている。いくつかの言語が反事実的な形態素を用いる一方で、他のいくつかの言語は、通常は時制、アスペクト、叙法あるいはそれらのコンビネーションを表現する形態素を用いて反事実性を表現する。2000年代初頭から、言語学者、言語哲学者、哲学的論理学者はこの文法的標識の性質について研究してきており、いまもアクティブな研究領域となり続けている。
偽時制(fake tense)
説明
多くの言語で、反事実性は過去時制の形態によって標示されている[19]。これらの過去時制の使用は、その典型的な時制的意味を伝達していないため、偽過去(fake past)や偽時制(fake tense)と呼ばれる[20][21][22]。以下のミニマル・ペアで示されるように、英語は反事実性を標示するために偽時制を用いる言語のひとつである。直説法の例では、太字で強調された語は現在時制の形式である。反事実文の例では、太字で強調された語はどちらもその過去時制の形式をとる。この過去時制の使用は、矛盾なく副詞 "tomorrow" (「明日」)とともに用いられることができるがゆえに、その通常の時制的な意味を持つことができない[19][20][21][22]。
- 直説法: If Natalia leaves tomorrow, she will arrive on time. (もしナタリアが明日出発するなら、彼女は時間通りつくだろう)
- 反事実文: If Natalia left tomorrow, she would arrive on time. (もしナタリアが明日出発したならば、彼女は時間通りについただろうに)
現代ヘブライ語は、反事実性が偽過去の形態素で標示されるもうひとつの言語である[23]。
im
if
もし
Dani
Dani
ダニ
haya
be.PST.3S.M
いる.PST.3SG.M
ba-bayit
in-home
家に
maχa ɾ
tomorrow
明日
hayinu
be.PST.1PL
いる.PST.1PL
mevakRim
visit.PTCP.PL
訪れる.PTCP.PL
oto
he.ACC
彼.ACC
"If Dani had been home tomorrow, we would've visited him." 「もしダニが明日家にいたのなら、私たちは彼のところを訪れたのだろうに」
アラビア語パレスチナ方言もそのもうひとつである[23]。
iza
if
もし
kaan
be.PST.3S.M
いる.PST.3S.M
fi
in
に
l-bet
the-house
家
bukra
tomorrow
明日
kunna
be.PST.1PL
いる.PST.1PL
zurna-a
visit.PST.PFV.1PL-him
訪れる.PST.PFV.1PL-彼
"If he had been home tomorrow, we would've visited him." 「もし彼が明日家にいたのなら、私たちは彼のところを訪れたのだろうに」
偽過去は、単体の使用でも、あるいは他の形態素とのコンビネーションでも、言語横断的に極端に普及している。さらに理論言語学者と言語哲学者は、反事実性を標示するための他の言語の戦略は実際のところ、別の形態素を伴う偽時制の実現であると主張している。この理由から、偽時制はしばしば反事実的意味の位置そのものとして扱われる[20][24]。
形式的分析
形式意味論と哲学的論理学においては偽過去は謎と見なされている。というのも、なぜこんなにも多くの互いに関連しない諸言語が反事実性を標示するために時制の形態素を転用するのかは明らかではないからである。この謎に対して提案されている解決は大きく二つの派閥に分かれる。「様相としての過去」(past as modal)と「過去としての過去」(past as past)である。これらのアプローチは、過去時制のコアの意味が時間についてのものであると捉えるかどうかについて異なっている[25][26]。
「様相としての過去」アプローチにおいては、過去時制の表示(denotation)は根本的に時間についてのものではない。むしろ、それは様相的内容と時間的内容のどちらにも適用できる十分に特定されていない骨格である[20][25][27]。例として、 Iatridou (2000)の、様相としての過去の特定の提案では、過去時制のコアの意味は以下で図式的に示されるものである。
- The topic x is not the contextually provided x (トピックxは文脈的に与えられたxではない)
この表示がどのように合成されるかによって、xは時間の間隔か可能世界になりうる。xが時間である場合、過去時制は文が非-現在(non-current)の時点、つまり過去について語っているということを伝達しうる。xが世界である場合、それは文が潜在的に非-現実(non-actual)の可能性について語っているということを伝達しうる。後者は、反事実的な意味を考慮するものである。
「過去としての過去」アプローチは、過去時制を本質的な時間的な表示を持つものとして扱う。このアプローチでは、いわゆる偽時制は実際には偽ではない。それはどのようなスコープを取るか、つまり、文の意味のどの構成要素が先行する時点へとシフトするのかという点においてのみ、「本物の」時制と異なるだけである。文が「本物の」過去標示を持つ場合、それは先行するある時点において起きた何事かについて論じている。しかし、文がいわゆる偽過去標示を持つ場合、その文は、先行する時点では到達可能であったが今ではもはや到達可能ではないかもしれないような可能性について論じているのである[28][29][30]。
偽アスペクト
アスペクトを標示する言語では、偽アスペクト(相)はしばしば偽時制を伴って現れる。いくつかの言語(例、現代ギリシア語、ズールー語、ロマンス諸語)では、 この偽アスペクトは未完結相であり、他の言語(例、アラビア語パレスチナ方言)では完結相である。しかし、ロシア語やポーランド語を含むその他の言語では、反事実文は完結相と未完結相のどちらも取りうる[24]。
偽の未完結相は以下の現代ギリシア語の二文によって示される。これらの例はミニマル・ペアを成す。というのも、一文目が過去・未完結相の標示を用いている一方で二文目が過去・完結相の標示を用いている、という点を除いて両者は同一だからである。この形態論的差異の結果として、一文目は反事実的意味を持つが、二文目は持たない[20]。
An
if
もし
eperne
take.PST.IPFV
飲む.PST.IPFV
afto
this
この
to
siropi
syrup
シロップ
θa
FUT
FUT
γinotan
become.PST.IPFV
なる.PST.IPFV
kala
well
よく
'If he took this syrup, he would get better' 「もし彼がこのシロップを飲んでいたなら、よくなっていただろう」
An
if
もし
ipχe
take.PST.PFV
飲む.PST.PFV
afto
this
この
to
siropi
syrup
シロップ
θa
FUT
FUT
eγine
become.PST.PFV
なる.PST.PFV
kala
well
よく
"If he took this syrup, he must be better." 「もし彼がこのシロップを飲んだのなら、具合はよくなっているだろう」
この未完結相の標示は、 "in one month"(「ひと月で」)のような完結副詞類(completive adverbials)と両立するという事実に基づいて、フェイクであると主張されてきた[20]。
An
if
もし
eχtizes
build.IPFV
建てる.IPFV
to
the
その
spiti
house
家
(mesa)
se
in
で
ena
one
1
mina
month
か月
θa
FUT
FUT
prolavenes
have-time-enough.IPFV
十分な時間がある.IPFV
na
to
ために
to
it
それを
pulisis
sell
売る
prin
before
前に
to
the
その
kalokeri
summer
夏
"If you built this house in a month, you would be able to sell it before the summer." 「もしその家を1か月で建てるのなら、夏までにそれを売る十分な時間があるだろう」
通常の非条件文では、そのような副詞類は完結相と両立するが、しかし未完結相とは両立しない[20]。
Eχtise
build.PFV
afto
this
to
spiti
house
(mesa)
in
se
ena
one
mina
month
"She built this house in one month." 「彼女はこの家を一か月で建てた」
*
Eχtize
build.IPFV
afto
this
to
spiti
house
(mesa)
in
se
ena
one
mina
month
"She was building this house in one month."「彼女はこの家を一か月で建てている途中だった」
心理学
理解
反事実的思考についてのある実験の例(Fillenbaum, 1974)は以下のようなものである。実験の参加者は、例えば"If Mark had left home early, he would have caught the train"「もしマークが早く家を出ていたとしたら、彼は列車に間に合っただろう」のような反事実的条件文を含む文を読むように頼まれた。そのあとで、参加者はどの文を見せられたかを同定するように求められた。彼らはしばしば、実際に魅せられた文の中で前提されている事実に対応する文、例えば、"Mark did not leave home early"「マークは早くに家を出なかった」"Mark did not catch the train"「マークは列車に乗れなかった」のような文を見せられたのだと誤って信じた。[31]他の実験では、参加者は"If there had been roses in the flower shop then there would have been lilies"「もしも花屋にバラがあったとしたら、百合もあっただろう」のような反事実的条件文を含む短い物語を読むように頼まれた。物語が先に進むと、参加者は前提された事実に対応する文、例えば、「バラも百合もなかった」のような文を読んだ。反事実条件文は、参加者に、前提された事実に対応する文をとても速く読ませるような効果(プライミング)を与えた。直説法条件文ではそのようなプライミング効果は発生しなかった[32]。参加者は、反事実的条件文を含む物語を「更新」する際に、事実的情報を含む物語の場合とは異なる時間を費やし[33] 、また反事実的条件文の異なる部分に注意を向けた[34]。
推論
実験では、人々が反事実的条件文から作る推論と、直説法条件文から作る推論が比較された。反事実的条件文、例えば、"If there had been a circle on the blackboard then there would have been a triangle"「もし黒板に円があったとしたら、そのとき三角形もあっただろう」のような文と、それに後続する情報 "in fact there was no triangle"「実際そこには三角形はなかった」が与えられたとき、参加者はモーダス・トレンス推論 "there was no circle"「そこに円はなかった」を、直説法条件文が与えられたときよりも頻繁に行った[35](P→Q, ¬Q, ¬P)。反事実条件文とそれに後続する情報 "in fact there was a circle" 「実際そこには円があった」が与えられたとき、参加者はモーダス・ポネンス推論を直説法が与えられたときと同じくらいの頻度で行った(P→Q, P, Q)。
心理学的説明
ルース・M・J・バーンは、人々が反事実的条件文を理解し、そこから推論するときは、 二つの可能性を含む心的表象を構築していると主張する。例えば、反事実文 "if Oswald had not shot Kennedy, then someone else would have"(「もしオズワルドがケネディを銃撃していなかったら、そのときは他の誰かが銃撃しただろう」)については、人々は連言"Oswald did not shoot Kennedy and someone else did" (「オズワルドはケネディを銃撃していない、かつ、他の人がケネディを銃撃した」)を想像し、そして同時に前提されている事実"Oswald did shoot Kenndy and someone else did not"(「オズワルドはケネディを銃撃した、かつ、他の人は銃撃しなかった」)[36]について考える。推論についてのメンタルモデル理論によれば、彼らは他の可能性のメンタルモデルを構築している[37]。
因果性の分析
因果の本性の哲学的分析のひとつに、因果的言明は反事実的条件文に還元可能であるとする立場が存在する[38][39.1]。因果の反事実的条件説(Counterfactual Theories of Causation)は、因果関係を「原因Cによって結果Eが異なるものとなる」という関係としてとらえる差異形成説(difference-making theory)を定式化する方法のひとつである[40][41][42]。反事実的条件説の基本的アイデアは、「出来事aは出来事bの原因である」という単称因果の言明を、「もしaが起こらなければ、bも起こらなかっただろう」という反事実的条件文が真であるとき、かつそのときに限って真になるものと見なすことにある[39.2]。因果関係が本質的に反事実的条件文によって表されるものであるという考えは、古くはヒュームの『人間知性研究』の中に見出されるが[40][43]、現代的な定式化を与えたのはデイヴィド・ルイスであるとされている[40]。ルイスのアプローチでは、反事実的条件文の意味論は可能世界の近さ(closeness)、類似性(relativity)の関係から与えられるため、因果言明を反事実的条件文に還元することは、因果の概念を可能世界意味論の中の概念に帰着させ還元することができる。反事実的条件文 § 論理学と意味論を参照。
ルイスによる説明
ルイスは、以下の仕方で与えられる因果的依存関係の推移的閉包として因果関係を与えた。出来事eが起きることをO(e)と表すこととする。ルイスは、命題Aと命題Bについて、反事実的条件文A > B と ¬A > ¬Bがともに真であるとき、命題Bが命題Aに対して反事実的に依存するという関係に立つとしたうえで、出来事eが出来事cに因果的に依存するという関係を、O(e)がO(c)に反事実的に依存するという関係として定義する。そのうえで、「cがeの原因である」という因果関係は、cとeの間に因果的依存関係で繋がった出来事の列が存在することである。ルイスは因果関係を因果的依存関係から直接与えていない。「eがcに因果的に依存する」は「cがeの原因である」を含意するが、その逆は必ずしも成り立たない。これは、因果関係が推移的であるのに対して因果的依存は非推移的であるという考えを保持するためである[38]。次のような例を考えよ。人物Aが人物Cに向けて銃弾を撃つ。人物Bは、Aが銃弾を撃たなかった場合は、Aの代わりにCを銃撃することになっていたが、AがCを撃ったのを見て銃を撃たなかった。CはAの銃撃によって死亡した。ここで、「Aによる銃弾の発射」を出来事c、「Aの銃弾の飛行」をd、「Cの死亡」をeとする。dはcに、eはdに因果的に依存しているが、eはcに因果的に依存していない。なぜなら、cが起こらなかったとき、すなわちAが銃を撃たなかった場合は、Bが代わりにCのことを銃撃していたであろうから、「¬c > ¬e」 (cが起きなかったらeも起きなかった)は偽になるからである。したがって因果的依存は非推移的である。しかし、「Aによる銃弾の発射」はここで「Cの死亡」の原因であると言いたい。そのため、原因となる出来事cから結果となる出来事eの間に、一方が他方に因果的に依存するような中間的な出来事の列(ここではd)があるとき、eとcの間に因果関係が成立すると定義する。
- ルイスによる因果の定義:c, d, e, ...は、dがcに因果的に依存し、eがdに因果的に依存し、以下列全体を通じて同様に続くような、現実の個別的出来事の有限列であると仮定する。そのとき、この列は因果連鎖(a causal chain)である。ある出来事が別の出来事の原因であるのは、前者から後者へと至る因果連鎖が存在するとき、かつそのときに限る[44]
長所
反事実的条件説は他の説明に比して、「不在因果」(何らかの欠如や不足を原因としてある結果が起きたと見なすこと)を、欠如や不足を出来事として数える限りで因果として認めることができるという利点を持つ。また、反事実的条件説は、因果の規則性説(Aのタイプの出来事が起きたときには必ずBのタイプの出来事が近接してそれに引き続いて起こる、という関係として因果を捉える)が誤って因果関係を認めてしまう事例を排除できる[39.3]。規則性説の立場では、たんに偶然に一緒に起こっている二つの出来事の間に因果関係が認められてしまうが、反事実的条件説では近接する世界から因果関係を評価するので偶然の規則性を排除できる。たとえば、これまで「雨乞い」に引き続いて「降雨」がたまたま必ず起きてきたし、これからも起きるような世界を考えよう。ここで「降雨」が「雨乞い」に因果的に依存していると言うためには、「雨乞いをしなかったし、雨が降らなかった」(¬雨乞い > ¬降雨)世界が、「雨乞いをしなかったが、雨が降った」(¬雨乞い > 降雨)世界よりも現実世界に近接している必要がある。雨が降った現実世界では、実際には雨が降るための自然条件が揃っていたと考えられるため、そのような「雨乞い」以外の条件は変わらない近接する世界では、雨が降ったと考えられる。そのため、この事例では「雨乞い」と「降雨」の間に因果的依存関係を認めることはできない。
短所
反事実的条件説の問題として、先取り因果(preemption)の説明がある[39][38]。先取り因果は、上の「AがCを銃撃する」事例のように、ある結果となる出来事(Cの死亡)に対して、その原因となる出来事(Aによる銃撃)が起きなかったときに、代わりにその原因となるバックアップの原因(Bによる銃撃)が存在するような事例である[45]。この場合、元の原因がなくとも結果は変わらないため、原因と出来事の間に直接的な因果的依存関係は成立しない。上の事例のように、元の原因となる出来事がバックアップとなる原因から連なる因果連鎖を中断させる場合については(早い先取り(early preemption)と呼ばれる)、ルイスの説明は因果関係を因果連鎖から説明することで応答できる。原因(Aによる銃撃)から結果(Cの死亡)に至る因果連鎖は存在する一方で、バックアップ原因(Bによる銃撃)から結果に至る現実の出来事列は存在しないからである。しかし、バックアップ因果からの因果連鎖が妨げられない、遅い先取り(late preemption)の事例は同様の仕方では説明できない。人物Aと人物Bが、人物Cに対してほぼ同時に銃弾を発射したが、Aの発射した銃弾がBの銃弾よりもわずかに早くCに到達し、Cを殺害した、という事例について考えよう。ここで「Aによる銃撃」は「Bによる銃撃」を中断させておらず、Bの銃弾はCがいた場所を通過した。「Aによる銃撃」が「Cの死亡」の原因であるためには、その間に因果的に依存する中間的出来事の列(「Aの銃弾の飛行」)が必要である。しかし、この事例ではその間のどの中間的な出来事をとっても、「Cの死亡」が因果的に依存する出来事が存在しない。Aの銃弾が飛行しなかったり、別の位置を飛行したりしても、直後にBの銃弾が「Cの死亡」という同じ結果を招いていたと考えられるためである。したがって推移的な因果連鎖が存在しないため、「Aによる銃撃」が原因であったということはできない[38]。
その後の展開
ルイスは1986年の論文“Postscripts to ‘Causation’”にて、「内在性アプローチ」を提示することで遅い先取りの問題に応答している[46]。このアプローチによれば、出来事の過程が因果的であるかどうかはその過程の内在的な特徴によって決まり、外在的な、つまり他の過程に関係する性質に左右されない。遅い先取りの例は、バックアップ原因(Bによる銃撃)から始まる過程が存在することによって、オリジナルの原因(Aによる銃撃)から始まる出来事列に因果的依存関係を認められないという事例だったが、そのような「Bの銃撃」から連なる出来事列がなければ「Aの銃撃」から「Cの死亡」に至る過程に因果関係を見出すことは容易である。内在的アプローチは、「Aの銃撃」の過程の評価の際、「Bの銃撃」から始まる出来事列を切り離して考えるというものである。具体的には、実際に起こっている出来事の系列g→hと同じ内在的特徴を持つ別の出来事の系列g'→h'の多くが因果的依存関係にあるとき、元の出来事の系列g→hは因果的な疑似依存(quasi-dependence)関係に立つとする。そして疑似依存関係で結びつけられた系列が中間に存在すれば因果も成り立つとする[47]。しかしこの提案も、打ち負かしの事例(同じ結果を引き起こす、内在的には因果的な2つの過程が同時に生じるが、そのうちの一方だけが原因となるような事例)や二重予防の事例(因果的依存関係が過程の外部の出来事に依存するような事例)なを説明できなかった。
2000年の論文''Causation as Influence''において、ルイスは1973年の分析を改訂した[48]。この分析では、ある出来事が生じなかった場合に別の出来事も生じなかったかどうかだけではなく、原因となる出来事の生起時刻や生起の仕方を変化させた場合に、結果となる出来事が生起する時刻や生起する仕方がどのように変化するかが考慮される。このように、ある出来事のさまざまな変化に別の出来事の変化が系統的に反事実的依存を示すとき、前者は後者に「影響」(''influence'')を与えるとされ、ルイスは因果をこの影響の連鎖によって分析した[49]。この修正は、とりわけ単純な出来事の発生・不発生の反事実的依存では扱うことが困難であった遅い先取りの事例に対応することを目的としていた。
その後、Galles and Pearl (1998) [50]や Pearl (2000)[51] らは、因果構造を表す構造方程式に対する介入によって反事実的条件文を評価する因果モデルの枠組みを発展させ、Woodward (2003) [52]もこれを介入主義的な因果理論へと展開した。この種の理論、とりわけ構造方程式を因果的メカニズムや因果的依存関係の表現とみなす立場では、因果構造が反事実的条件文に先立って与えられ、その構造への介入によって反事実文の真理条件が定められる。ルイスの理論が反事実的条件文の意味論によって因果的言明の意味論を与えるものであったのに対して、これらの因果モデルのアプローチでは、因果構造をより基礎的なものとして反事実文の意味論が与えられることになる。
関連項目
出典
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