和漢混淆文

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京都大学所蔵の鈴鹿本『今昔物語集』巻5。

和漢混淆文(わかんこんこうぶん)は、日本語の文語体の一種である。和漢混交文ともいう。[1]一般には漢字仮名交じり文で表記され、漢文訓読体・変体漢文の語彙・語法と、仮名日記や物語などの和文の語彙・語法を併用する。[2]

「和漢混淆文」は語彙や文法の特徴による文体上の分類であり、用いる文字種やその配列規則による表記上の分類である「漢字仮名交じり文」とは区別される。[3]ただし、その定義や範囲は研究者によって異なる。[4]

文体の特徴

和漢混淆文には漢語や対句が多く用いられる。語法では、漢文訓読で常用される「……の如し」(……のようだ)などの表現が見られる。[5][6]漢文訓読体の要素には変体漢文的なものが、和文の要素には雅語と俗語の双方が含まれる。[4]

一つの作品の中でも文体は一様ではない。例えば『平家物語』では、旅路を叙情的に描く道行の部分に和文の要素が多く残り、7拍と5拍を繰り返す七五調が用いられる。一方、漢文の訓読に近い叙述もあり、合戦の描写には擬声語・擬態語が交じる。[5][7]

歴史

和漢混淆文は平安時代末から盛行し、明治時代まで用いられた。[2]『今昔物語集』は平安時代末の和漢混淆文の作品である。[8]:740–741鎌倉時代以降の代表例には、『平家物語』『保元物語』『平治物語』『太平記』などの軍記物語がある。[9][4]『海道記』『方丈記』などの紀行・随筆、謡曲や幸若舞の詞章にも見られる。[4]『徒然草』の文章も一様ではなく、和漢混淆文のほか、漢文脈や和文脈の表現を含む。[10]

江戸時代にも広く用いられたが、明治期に言文一致体が成立・流行すると衰退した。[4]ただし、山田俊雄は、明治の普通文も和漢混淆の要素を持ち、言文一致体への移行後も、すでに定着していた要素は受け継がれたと指摘している。[5]

例文

『方丈記』

鴨長明の『方丈記』は和漢混淆文で書かれ、対句や比喩が用いられている。冒頭では、流れ続けながらも同じ水にとどまらない川の様子によって、無常が表される。[11]

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

『今昔物語集』

『今昔物語集』では、原拠となった文献の文体を反映し、漢文訓読調の強い部分と和文調の強い部分が混在する。[12]巻12は漢文訓読文、巻27は和文の傾向が強い。[13]:324田中牧郎は両巻の語彙を比較し、物を人に与える場面では、巻12で「与ふ」(歴史的仮名遣いで「あたふ」)、[14]巻27で「取らす」(とらす)が多く用いられることを示した。[15][13]:326–327田中は、ほぼ同じ意味を表しながら異なる文体で多く用いられる語を「文体対立語」と呼んでいる。[13]:326

『今昔物語集』における授与の表現[13]:326
出典 原文 現代語訳
巻12第24話正則此ノ牛ヲ聖人ニ与へツ。正則はこの牛を聖人に与えた。
巻27第21話此ノ箱ヲバ女ニ取セムトテこの箱を女に与えようとして……

第2例の「取セ」(とらせ)は「与える」という意味である。田中の集計では、「与ふ」は巻12に20例、巻27に2例あり、「取らす」はそれぞれ0例と12例であった。[13]:326–327

名称の歴史

見坊豪紀の考証によれば、「和漢混淆文」の命名者は小中村清矩である。小中村は明治11年(1878年)の講演草稿「國文ノ性質並沿革」で、日本の文章をおおむね仮字文、漢文、和漢混淆文の3種に分けた。[16]:304–307

この草稿で小中村が和漢混淆文と呼んだのは、漢文に和語を挿入した文体であり、『平家物語』などの軍記物語は仮字文のうちの俗文に分類していた。これに対し、『古事類苑』刊本では、仮名文に多くの漢語を交えた軍記物語が和漢混淆文に含められた。見坊は1959年の論文で、こうした軍記物語の文体が和漢混淆文の典型とみなされていることを指摘した。[16]:309–311

脚注

  1. ↑ 「和漢混淆文・和漢混交文」『精選版 日本国語大辞典』小学館。2026年9月10日閲覧。
  2. 1 2 「和漢混淆文」『百科事典マイペディア』平凡社。2026年8月22日閲覧。
  3. ↑ 矢田勉 (2024年3月30日). “明治期日本語表記の革新性と限界”. 出版・報道文化の近代化2――視覚表現、言語表現、編集手法. 東京大学東アジア藝文書院. pp. 1–2. 2026年8月22日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 「和漢混淆文」『山川 日本史小辞典 改訂新版』山川出版社、2016年。2026年8月22日閲覧。
  5. 1 2 3 山田俊雄「和漢混淆文」『改訂新版 世界大百科事典』平凡社。2026年9月10日閲覧。
  6. ↑ 「如し」『デジタル大辞泉』小学館。2026年9月10日閲覧。
  7. ↑ 佐佐木幸綱「七五調」『日本大百科全書』小学館。2026年9月10日閲覧。
  8. ↑ 小木曽智信・小町守・松本裕治「歴史的日本語資料を対象とした形態素解析」『自然言語処理』第20巻第5号、2013年、727–748頁、doi:10.5715/jnlp.20.727。
  9. ↑ “日本語歴史コーパス 鎌倉時代編Ⅲ軍記”. 国立国語研究所. 2026年9月10日閲覧。
  10. ↑ 佐賀県立図書館 (2024年7月31日). “『徒然草』について調べている。文体が「和漢混淆文(和漢混交文)」だと説明された本はないか。”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2026年8月22日閲覧。
  11. ↑ “方丈記”. ジャパンサーチ. 国立国会図書館 (2023年12月22日). 2026年9月10日閲覧。
  12. ↑ “世界大百科事典「今昔物語集」”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2026年8月22日閲覧。
  13. 1 2 3 4 5 田中牧郎「『今昔物語集』における文体対立語―巻12と巻27の語彙比較による―」『第5回コーパス日本語学ワークショップ予稿集』、国立国語研究所、2014年3月、323–330頁、2026年9月10日閲覧。
  14. ↑ 「与ふ」『デジタル大辞泉』小学館。2026年10月13日閲覧。 “凡例《デジタル大辞泉》”. コトバンク. 小学館. 2026年10月13日閲覧。
  15. ↑ 「取らす」『デジタル大辞泉』小学館。2026年10月13日閲覧。
  16. 1 2 見坊豪紀「「和漢混淆文」という名称の起原」『ことばの研究』第1巻、国立国語研究所、1959年、303–314頁、doi:10.15084/00001719。

関連文献

関連項目