安井金比羅宮

ウィキペディアから、無料の百科事典
安井金比羅宮

拝殿
所在地 京都府京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70
位置 北緯34度59分59.7秒 東経135度46分32.8秒 / 北緯34.999917度 東経135.775778度 / 34.999917; 135.775778 (安井金比羅宮)座標: 北緯34度59分59.7秒 東経135度46分32.8秒 / 北緯34.999917度 東経135.775778度 / 34.999917; 135.775778 (安井金比羅宮)
主祭神 崇徳天皇
大物主神
源頼政
社格等 旧郷社
創建 元禄8年(1695年)
別名 縁切り神社
札所等 洛陽天満宮二十五社順拝第17番(梅丸天満宮)
例祭 秋季金比羅大祭(10月1日 - 10日)
地図
安井金比羅宮の位置(京都市市街内)
安井金比羅宮
安井金比羅宮
安井金比羅宮の位置(京都市内)
安井金比羅宮
安井金比羅宮
テンプレートを表示
本殿
縁切り縁結び碑
久志塚

安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は、京都市東山区にある神社。旧社格は郷社。「縁切り神社」の別称で知られる[1]。

祭神

主祭神は次の3柱。

歴史

当社の直接の前身は、江戸時代に当地に移転された蓮華光院(安井門跡)であるが、その旧跡にあたるのが崇徳院御影堂である[注釈 1]。

『愚管抄』によると、崇徳上皇の寵愛を受けた烏丸局という女性が、上皇の菩提を弔うために綾小路河原の自邸に建てた御影堂が始まりであるという[4]。綾小路河原とは建仁寺の北西一帯を指すが、現在は建仁寺の東に「崇徳天皇御廟」が残るのみである[4]。

『華頂要略』によると、阿波内侍(烏丸局)[注釈 2]とその姪の大納言局が、東山雙林寺の辺りに半丈六の阿弥陀如来と崇徳上皇の御影図画を掲げた草庵を構えたという[5]。この私的に祀られた草庵を、後白河上皇が御願寺としたのが崇徳院御影堂であり[5]、検校職は青蓮院門跡が兼帯したとする。また、治承4年(1180年)4月15日に源頼朝によって御影堂が建立されたとあるが、この時点で頼朝はまだ挙兵しておらず、関与は認められない。頼朝は崇徳院法華堂の建立に熱心であったため、このように伝えられていったと考えられる[5]。

亀山天皇の時代[注釈 3] 、御影堂は光明院(光堂)の鎮守となり、しばらくその管理下にあった[7]。なお、通説では東岩蔵寺・真性院・観勝寺・光明院は混同されてきたが、細川武稔の説では光明院は東岩蔵寺の末寺であるとする[8]。応仁の乱により光明院は荒廃したが、明応6年(1497年)に後土御門天皇の命により住持幸盛が光明院を再興し、新醍醐寺と改称された[7][9]。

永正7年(1510年)の新醍醐寺の勧進状に、阿波内侍の旧跡に禅海が創建して、亀山上皇から光明院の号を賜って寺院となり、大日如来を本尊としたことが記されている[6][10]。『山州名跡志』では、禅海が創建した光明院を大円[注釈 4]が中興したとする[6]。

応仁・文明の乱により東岩蔵寺・観勝寺が消失し、光明院にその拠点を移したため、明応年間(1492年-1501年)には三つの寺院が合併される[12]。その後、御影堂は東岩蔵寺院家の真性院が管理していたが、享禄3年(1530年)に六波羅蜜寺普門院の管理下に移った[13][14]。また、下河原には阿波内侍の旧跡と伝わり、崇徳上皇を祀る蓮乗院という寺院があった[15]。江戸時代を通して六波羅蜜寺が蓮乗院も兼帯したが、明治元年(1868年)には廃絶した[13]。

元禄8年(1695年)、太秦安井(現・京都市右京区太秦安井)の蓮華光院(安井門跡)が道恕によって当地に移転され、光明院を兼帯するという形をとった[16]。その際、讃岐国金刀比羅宮から金毘羅権現を勧請して、蓮華光院の鎮守としたものが、現在の当社に連なる直接の前身であるという[17]。

『都名所図会』巻之三「安井光明院観勝寺」によれば、真言宗の僧侶の大円法師が参籠した際に崇徳上皇の尊霊が現れて往時の趣を示したので、後白河法皇に奏達したところ、詔が下って崇徳上皇の尊霊の鎮魂のために堂塔を建立して、仏堂に准胝観音を本尊として祀った。奥の社には崇徳上皇を祀るとともに、金毘羅権現・源三位頼政を合祀し、安井の金毘羅と称したとあり、「崇徳帝・金毘羅は一体にして和光の塵は同じうして擁護の明眸を…利生霊験いちじるし」と記されている[18][19]。

源頼政が合祀されたのは、蓮華光院(安井門跡)の初代道尊僧正が、平氏政権打倒のため頼政に補佐されて挙兵した高倉宮以仁王の遺児であったためと考えられている。

明治維新による神仏分離(神仏判然令)により蓮華光院(安井門跡)は廃されると、新たに改組して安井神社と名を改めた[19]。併せて祭神の金毘羅権現は大物主に改められた。明治6年(1873年)には村社に列し、更には明治15年(1882年)に郷社へ昇格した。

太平洋戦争後、「安井金比羅宮」の名称となり現在に至る[19]。

2027年(令和9年)まで絵馬堂の改修工事が行われている[20]。

境内

  • 本殿
  • 拝殿
  • 久志塚(櫛塚)
  • 吉川観方の像
  • 金比羅絵馬館
  • 縁切り縁結び碑 - 悪縁を断ち切り、良縁と結ばれようとする人によって、石の表面にはたくさんのお札が貼られている[21]。
  • 金比羅会館
  • 社務所
  • 土蔵

摂末社

祭事

  • 1月1日:歳旦祭
  • 1月10日:初金比羅祭
  • 2月:節分祭
  • 5月10日:春季金比羅大祭
  • 6月30日:夏越大祓
  • 9月第4月曜:櫛まつり
  • 10月1日 – 10日:秋季金比羅大祭
  • 11月10日:秋季火焚祭
  • 12月10日:終い金比羅祭
  • 12月31日:年越大祓

櫛まつり

古くなったり傷んだりした櫛や簪を、境内北側の久志塚(櫛塚)で感謝を込めて供養する祭祀が行われ、拝殿で舞踊『黒髪』が奉納される。その後、日本の各時代の髪型に鬘を使わずに、全て地毛で結いあげて髪を結って装束をまとった時代風俗行列が、神社周辺の祇園界隈を練り歩く[22]。

その他

桂米朝上方落語研究会(桂米朝一門の勉強会)が1966年(昭和41年)以降[1]、偶数月の不定日に開催される。境内には、男女など人間関係のほか酒、ギャンブル、病気との悪縁を切りたいを願うお札や絵馬が多数奉納されており、「縁切り神社」とも呼ばれる[1]。田口ランディ著の短編小説『縁切り神社』の舞台になった。

前後の札所

洛陽天満宮二十五社順拝
16 天拝天満宮 - 17 梅丸天満宮 - 18 高台寺天満宮

所在地

  • 京都府京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70

アクセス

周辺

脚注

注釈

  1. ↑ なお、同じく後白河上皇によって春日河原に建立された崇徳院廟(粟田宮)とは別物である[2]。その位置は、古くは俗に「ヒトクヒ(崇徳院)」と称された地で、現・京都大学医学部附属病院構内の一部であるという[3]。
  2. ↑ 知足院入道藤原公種の娘
  3. ↑ 『京都坊目誌』には、文永12年(1275年)に亀山上皇が光明院を仏閣にしたとある[6]。
  4. ↑ 良胤、観勝寺・東岩蔵寺の僧[11]

出典

  1. 1 2 3 【京都 古都ものがたり】桂米朝「縁切り神社」の落語会/半世紀超す 一門の修行の場『朝日新聞』夕刊2019年1月10日(5面)2019年1月27日閲覧。
  2. ↑ 西田 1961, p. 286.
  3. ↑ 西田 1961, pp. 289–290.
  4. 1 2 山田 2001, p. 165.
  5. 1 2 3 山田 2001, p. 167.
  6. 1 2 3 細川 2010, p. 93.
  7. 1 2 村田 1985, p. 49.
  8. ↑ 細川 2010, p. 92.
  9. ↑ 西田 1961, pp. 285–286.
  10. ↑ 西田 1961, pp. 286–287.
  11. ↑ 細川 2010, p. 87.
  12. ↑ 細川 2010, p. 114.
  13. 1 2 村田 1985, p. 50.
  14. ↑ 西田 1961, pp. 287–288.
  15. ↑ 西田 1961, p. 289.
  16. ↑ 細川 2010, p. 116.
  17. ↑ 日本歴史地名体系.
  18. ↑ 『都名所図会』巻之三|安井光明院観勝寺
  19. 1 2 3 安井金比羅宮について.安井金比羅宮、2026年8月16日閲覧。
  20. ↑ 「縁切り神社」安井金比羅宮の絵馬館を曳家工事 令和9年春にリニューアルへ
  21. ↑ 縁切り縁結び碑について.安井金比羅宮、2026年8月16日閲覧。
  22. ↑ 安井金比羅宮|年中行事

参考文献

  • 「安井神社」『日本歴史地名大系』平凡社。 
  • 西田直二郎「崇徳天皇御廟所」『京都史蹟の研究』吉川弘文館、1961年。https://dl.ndl.go.jp/pid/2997356/1/156。 
  • 細川武稔「東岩蔵寺と室町幕府:尊氏像を安置した寺院の実態」『京都の寺社と室町幕府』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4-642-02887-5。 オンデマンド版 2026年 ISBN 9784642728874
  • 村田正志「粟田宮の創建」『村田正志著作集』 5巻、思文閣出版、1985年。 
  • 山田雄司「崇徳院怨霊の鎮魂」『崇徳院怨霊の研究』思文閣出版、2001年。ISBN 4-7842-1060-1。 オンデマンド版 2016年 ISBN 978-4-7842-7005-7

関連項目

外部リンク