節分
挙行者 日本
種類 雑節
日付 毎年2月2日 - 4 日頃
2025年 2025年2月2日[注釈 1]
2026年 2026年2月3日
テンプレートを表示
葛飾北斎画:『北斎漫画』
『節分の鬼』豆撒き
『吉田神社追儺』 - 都年中行事画(1928年)

節分(せつぶん、せちぶん)は雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと[1]。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(現代日本のグレゴリオ暦においては変動するが毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。

太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていた。したがって、旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、ともに年越しの日と意識されていたことになる[2]。今も節分を「年越し」「年取り」と呼ぶ地域があるのはこの名残である。

本項目では、立春の前日、節分に行われる伝統的な行事について述べる。

一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(煎り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。また、玄関などに邪気除けの柊鰯などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる(後述)。

概要

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われていた。

宮中での年中行事であり、『延喜式』では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていた。

「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去された。『延喜式』によれば、土偶(土人形の意)も土牛も、各門での大きさは同じで、土偶は高さ2尺で、方1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。土牛は高さ2尺・長さ3尺で、長さ3尺5寸・広さ1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。陽明門および待賢門には、青色のものを、美福門朱雀門には、赤色のものを、郁芳門、皇嘉門、殷富門および達智門には、黄色のものを、藻壁門および談天門には、白色のものを、安嘉門および偉鑒門には、黒色のを、立てる。『公事根源』十二月には、「青色は春の色ひんかしにたつ赤色は夏のいろ南にたつ白色は秋のいろ西にたつ黒色は冬の色北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土のいろなり木火金水は土ははなれぬ理有」とある。

これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれた[3]。元中国から伝わったこの行事は日本に定着していき、現在の節分の元となった [4]。

『続日本紀』慶雲三年十二月の条によると706年にこの追儺が始まっている(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」(この年、天下諸国に疫病あり。多くの民が死に、はじめて土牛を造り大儺(だいだ)す)[5]。これが室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。

近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった[3]。

日付

節分の日付
年年を4で割った余り
1230
1873年 - 1884年3日3日3日3日
1885年 - 1900年2日3日3日3日
1901年 - 1917年3日4日4日4日
1918年 - 1954年3日3日4日4日
1955年 - 1987年3日3日3日4日
1988年 - 2020年3日3日3日3日
2021年 - 2057年2日3日3日3日
2058年 - 2090年2日2日3日3日
2091年 - 2100年2日2日2日3日
2101年 - 2123年3日3日3日4日

節分の日付は一般には2月3日であるが常にそうではなく、1984年までは4年に1度の閏年の節分は2月4日だった。また、1985年から2020年までは毎年2月3日だった。2021年から2057年までは閏年の翌年の節分は2月2日になる。グレゴリオ暦での最初の節分となった1873年から22世紀初頭までの具体的な日付は表のようになる。数十年のスケールで徐々に前倒しになってくるが、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年…の翌年に1日遅れて帳消しとなる。

立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日である。このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。なお厳密には、基準とする標準時によっても異なるが、日本以外では祝う風習がないので、旧正月のように国による日付の違いが話題となることはない。

年内節分

太陰太陽暦では、年末に立春を迎えることがある。それに伴い節分も年内となる。これを年内節分という。

九星

暦注において、年の九星は立春をもって切り替わるので、節分までは前年の九星となる。

歴史

節分とは立春・立夏・立秋・立冬の前日を意味し、その中でも立春の前日としての節分に行われる風習としてはいくつかあるが、最も一般的といえる鬼払いの風習は、中国の風習を由来とする平安時代の追儺(ついな)、鬼遣(おにやらい)と呼ばれた宮中行事を元としているとされる。

行事の由来とされる中国の歳事は、元々太陰太陽暦(旧暦)で十二月の歳事だった。この頃は一年の変わり目、冬から春に転じるときで変化が大きく、疫鬼が民に病や災禍をもたらすとされた。そこで疫鬼を駆逐し、古い年を送り、新たな年、春の陽気、吉福を内に迎えた(「後漢書」礼儀志中などに記載)[5]。

「周礼(しゅらい)」夏官(かかん)に書かれた歳事は以下のようなものである[5]。

方相氏は熊の皮をかぶり、黄金四目(しもく)、黒い上衣に朱色の裳の姿で、戈(ほこ)を執り、楯(たて)を掲げ、多くの部下をひきい、儺(だ)の儀を行い、そうして室内を捜索して、疫を祓うことを掌(つかさど)る

また、元々は疫鬼を追い払う役であった方相氏が、次第に追い払われる鬼役になったという説がある[6][7]。

中国から伝わった追儺(ついな)や鬼遣(おにやらい)は当初、年越しの儀式だった。やがて季節の分かれ目である節分の中でも、立春の前日に行われるようになったが、この時期はまだまだ寒い。そして季節が移ろう時期は体調を崩しやすい。ちょっとした風邪から大病につながったり、深刻な病をもたらすこともある。そんな病魔を、人々は鬼、あるいは疫鬼として恐れた。

平安時代の女流作家・藤原道綱母(ふじわらの みちつなのはは)が著した『蜻蛉(かげろう)日記』には、900年代の人々が鬼遣に興ずる様子が描かれている。室町時代には形を変えて豆をまくようになったが、これは「魔滅」(まめ)に由来する。鬼の目である「魔目」(まめ)を滅ぼす力を持つ「魔滅」すなわち「豆」なのだ。なんだか駄洒落のようだが、日本人は古来言霊の存在を信じ、言葉に霊力と意味を与えてきたのだ。それに豆は「五穀」(米、麦、ひえ、あわ、豆)のひとつであり、農耕民族である日本人の生活に欠かせないもので、力が宿るとされてきた。これを穀霊信仰という。だからこれら五穀は神事にも使われ、中でも豆と米は神聖な存在として、鬼を払う力を持っていると信じられていたのだ[8]。

室町時代後期成立とされる『貴船の本地』(貴船神社縁起)では、娘が人間と恋をしたために、鬼が日本人を食おうとし更に軍勢で襲撃しようとしたが、その鬼封じの為に明法道の博士が導入した儀式であるとされている[9][10]。

豆まき

神社における豆撒きの様子
家庭の豆撒きで使用する豆とお面

節分に豆まきを行った文献が見られるようになるのは南北朝時代以降のこと(『看聞御記』や『花営三代記』など)である[11]。中国の『漢旧儀』によると漢代に厄除けや魔祓いのために小豆や五穀を撒く風習があったとしているが、日本の追儺(鬼やらい)の行事に豆を撒いていたかは文献からははっきりしない[11]。ただ、平安時代には散米と称して米を撒く風習が広くみられた[11]。

節分の豆まきに関して、文献に現れる最も古い記録は、室町時代の応永32年正月8日(1425年1月27日)(節分)を記した2文書である。宮中の『看聞日記』には「抑鬼大豆打事、近年重有朝臣無何打之」とあり[12]、室町幕府の記録『花営三代記』には「天晴。節分大豆打役。昭心カチグリ打。アキノ方申ト酉ノアイ也。アキノ方ヨリウチテアキノ方ニテ止」とある[13]ことから、この頃既に都の公家や武家で豆まきが習わしになっていたことがわかる。

その20年後に編纂された辞典『壒嚢鈔』(1445年または1446年成立)巻一の八十三「節分夜打大豆事」には、宇多天皇の時代(867年 - 931年)、鞍馬山の僧正が谷と美曽路池(深泥池)の端にある石穴から鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷し、鬼の穴を封じて三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたとする由来伝説が記されている[14]。

豆は、「穀物は生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある[3]。

寺院で行われる豆まきには、多くの人々が殺到するようになったが、第二次世界大戦直前の1941年2月の時点では既に食糧事情が悪化しており、「豆」を大量に入手することは困難になっていた。東京の回向院や増上寺では豆まき行事は中止された。浅草寺では堂内だけで縮小して行われた。池上本門寺では小さな紙袋に少量の豆を入れて豆まきが行われた[15]。

節分を初めて英文で紹介したのはエドワード・グリー(Edward Greey)とされている[16]。小泉八雲も「知られぬ日本の面影」で節分を「主に悪魔払いの儀式として有名」と紹介している[16]。

なお、各地の伝承としては、豆まきは必ずしも節分のみに行われたわけではなく、煤払い(煤掃き)の日、大晦日、七日正月などに行う地域もあった[11]。岩手県西根町や釜石市の一部では煤はき(煤払い)の日などにも豆まきが行われた[17]。

方法

大國魂神社節分祭 新横綱稀勢の里関の豆まき(2017年2月3日撮影)

歴史的には節分に米、麦、搗栗、炭など撒く例もあるが、一般的には大豆が用いられる[11]。大豆は五穀の中で最も安価で手近にあり、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説もあるが定かではない[11]。一般的に煎り豆が使用されるが、多くの地域に豆から芽が出ることを恐れる伝承が残っており、邪悪なものが再び蘇らないようにする意味があったと考えられている[11]。炒り豆を神社や寺社に備える風習が各地にみられる[16]。

スーパーマーケットなどの特設コーナーで、炒った豆をパックにし、福豆(ふくまめ)などの名称で販売される。鬼のお面(お多福の面が入っている商品もある)がおまけとしてついているものもあり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。しかし、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものであった[3]。

小学校では6年生が年男・年女にあたるため、6年生が中心となって豆まきの行事を行っているところもあり、神社仏閣と幼稚園・保育園が連携している所では園児が巫女や稚児として出る所もある。相撲力士を招いて(醜・しこ・四股を踏む事により、凶悪な鬼を踏みつけ鎮める悪魔祓いをする)豆撒きをする社寺もある。

豆が幼児の鼻や耳に入ってけがをする危険やアレルギーなどを考慮して、豆の代わりに新聞紙を丸めたもので豆まきを行う乳幼児施設もある[18]。

北海道・東北・北陸・南九州の家庭では 落花生を撒き、寺社や地域によっては餅や菓子、みかん等を投げる場合もあるが、これは「落花生は大豆より拾い易く地面に落ちても実が汚れない」という合理性から独自の豆撒きとなった[19]。

大豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる風習もみられる[11]。

豆をまく際には掛け声をかける。室町時代の相国寺の僧侶、瑞渓周鳳の日記である『臥雲日件録』の文安4年12月22日(1449年1月16日)の記述には「散熬豆因唱鬼外福内」とある[20]ように、掛け声は通常「鬼は外、福は内」である。

しかし、地域や神社によって異なる場合がある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている[3]。奈良県吉野町の金峯山寺で行われる節分会では役行者が鬼を改心させて弟子にした故事から「福は内、鬼も内」としている[21]。また新宗教の大本は鬼神を「艮の金神(国常立尊)」と解釈しているので、同じく「鬼は内」とする[22]。「鬼」の付く姓(比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。山形市の鳥海月山両所宮でも鬼の字が姓に含まれる世帯もあることから、掛け声を「鬼は外、福は内」だけでなく「福は内、鬼も内」としている [23]。渡辺の名字の人は、平安期に源頼光に仕えた四天王の一人である渡辺綱が丹波・大江山にいた鬼の「酒呑童子(しゅてんどうじ)」を退治した為、豆まきをしない[24]。大名九鬼家の領地でも、藩主に敬意を表して「鬼は内」としている[25]。千葉県成田市の成田山新勝寺では「不動明王の前では鬼さえ改心する」というので「福は内」のみ叫ぶ。また、丹羽氏が藩主であった旧二本松藩領内の一部では「鬼は外」と言うと「おにわそと」転じて「お丹羽、外」となるため、それを避けるために「鬼、外」と言う所がある[26]。

ごもっとも

豆をまく後ろで、すりこ木や杓文字、すり鉢などを持ち、「鬼は外、福は内」の掛け声に合わせて「ごもっとも、ごもっとも」などと相槌を打つ風習が存在するが、ほとんどは家族ごとの伝統として受け継がれていてあまり知られていない[27]。北海道[28]、長野県[29]、石川県、福井県[30]、京都市[31]、長崎県などの一部で地域的な伝承が見られるほか、深志神社(長野県松本市)[32]、重蔵神社(石川県輪島市)[33]、正覚院(石川県羽咋市)[34]、知恩院(京都府京都市)[35]、興福寺(長崎県長崎市)[36]、有川神社(長崎県南松浦郡新上五島町)[37]などの社寺でも行われている。

この風習に関連して以下のような行事もある。

その他の民俗

邪気・魔物・妖怪

魔除け

柊鰯

門口に挿した「やいかがし」

柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。

「虫の口焼き」といって、鰯を焼くときに唾を吐きかけ、作物の害虫を退治する呪文を唱える地域が各地にある[42]。

鬼ぐい

愛媛県では、タラノキにトベラやヒイラギの葉と煮干しを括り付けた「鬼ぐ(喰)い」を戸口につるす風習がある[43]。「鬼バラ」という地域もある。山口県の瀬戸内地域にもタラノキや山椒の枝にトベラやすすきを挿す同様の習慣がある[44]。

目籠

  • 千葉県では目籠を逆さまにして竹竿に吊るし、鰯の頭を大豆の枝に刺したものとヒイラギ・グミの枝を束ねて門口に刺し、鬼が近づかないようにする[45]。
  • 静岡県の中西部では、目籠にハナノキとビンカを結び付けて竹竿に吊るし、軒先高くに掲げて鬼を払う「鬼おどし」と呼ばれる習慣がある[46]。
  • 山梨県では、目籠とネズの枝をしばり付けた長い竹竿を庭先に立て、籠の目を鬼の目として豆を投げてこの目をたくさんつぶすと一年の災いや不幸が減少するという信仰があり、昭和30年代まで盛んに行われていた[47][48]。
  • 岐阜県恵那地方では、割り箸に刺したイワシの頭としっぽ、柊または馬酔木の枝を目籠に挿して、玄関に置く。鬼が玄関前で立ち止まり、籠の目を数え始めるとされる[49]。

護符

  • かにかや・蟹柊・蟹柊鰯 - 長野県上伊那には、5cm角程度の紙片に「かにかや」などと書いて家や便所・土蔵・納屋等の出入口の戸に貼りつける習慣があった[50]。これを読んだ鬼は意味が分からず迷っているうちに夜が明けてしまうとされる。
  • 鬼めくり - 岐阜県東部(下呂市、中津川市加子母、加茂郡東白川村)には、短冊に鬼の顔と13個の点(閏年には12個)、五芒星を描いた「鬼札」を、黄楊や馬酔木の枝などと家の戸口に挿す風習がある。鬼は、点の数と1年の月数が違うため何度も数え直し、一筆書きの星の書き始めを探すうちに夜が明けて逃げていくと伝えられる。短冊には菓子やお金を付けることもあり、子供たちがめくって持ち帰る事で鬼が退散した事になるとされる。子供たちは友達と枚数を競い、盗られた家の人たちも厄払いになると喜ぶ。昔は割板に描き、それを畑にさしておくともぐらが来ないといわれた[51][52][53]。
  • 十三月 - 岐阜県美濃加茂市周辺には、「十三月」と書いて柊鰯とともに門口に貼る習慣がある[54]。
  • 角大師・豆大師 - 元三大師の護符を節分に頒布する寺院がある[55][56]。
  • 鬼面札 - 熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)では、赤鬼と青鬼をしめ縄の中に封じた鬼面札が配られ、災難除けとして門口に貼られる[57]。

厄祓い

四つ辻

節分の夜に炒り豆を年の数だけ紙に包み、人知れず家に近い四つ辻の真ん中に捨てて、振り返らずに家まで戻り、厄を落とす風習が各地にある[58]。豆ではなく、餅[59]、金銭[60]、火吹竹、炮烙、ふんどし[61]、履物[62]などのこともある。

かわらけ割り

神酒を飲んだり息を吹きかけたりして厄をうつした「かわらけ(土器)」を、形代とみなして砕き割る厄祓いが、大杉神社(茨城県稲敷市)[63][64]、壬生寺(京都市中京区)[65][66]、皇大神社(京都府福知山市)[67]、尼崎えびす神社(兵庫県尼崎市)[68]、海神社(神戸市垂水区)[69]、香積寺(愛媛県東温市)[70]、宝輪寺(長崎県長崎市)[71]など、各地の社寺で行われる。

鬼の豆

  • 香川県さぬき市志度には、子供たちが袋を提げて商店をまわり、「鬼の豆ください」と豆やお菓子をねだりに来る「鬼の豆もらい」という風習が残っている。幼い平賀源内が厄払いの豆まきを見て「子供が鬼に成り代わって豆をもらえば、掃除もいらず、食べ物も粗末にならない」と言うのに、商家の人が感心して行事となったといういわれがある[72]。
  • 広島県三原市には、子供たちが民家や店などを訪ね「鬼の豆ちょうだい」と言ってお菓子をもらう「鬼の豆」という風習がある[73]。

節分お化け

厄払いのために、普段と違う服装で社寺参拝を行う。いつもと違う扮装をすれば、魔を追い払うことが出来ると信じられたことから始まったもので[3]、単に「お化け」と呼ばれる事もある。一説では、当初は子供の様な格好をしたことから「お坊髪」と呼ばれ、それが「お化け」になったともされている[74]東京の浅草、四ツ谷、京都の花街、大阪の北新地などでは、芸者(舞妓、芸妓)やホステスが、通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をする。

小豆

ぜんざいやまんじゅう、赤飯など小豆を使った食べ物を近隣や親しい人に配って、厄落としを節分にする地域が関西に広がっている。小豆の赤色は邪気を払い厄を除け福をもたらす陽の色であるとされる。小豆を108人に食べてもらうと厄落としになると言われるところもある[75]。

参詣

櫛田神社の大お多福面

占い

豆占

豆を並べて焼き、焦げ具合からその年の作柄や月ごとの天候を占う[78]。

初夢

文献での初夢の初出は、鎌倉時代に西行が著した『山家集』巻上(1首目)の「年くれぬ 春くべしとは 思ひ寝に まさしく見えて かなふ初夢」である。その題に「立春の朝よみける」とあり、この時代には暦上の新年とは無関係に節分から立春の夜に見る夢を初夢としている[79]。

行事食

炒り豆と恵方巻
太巻き寿司
節分福引せんべい

節分祭・節分会

神社では節分祭(せつぶんさい)、寺院では節分会(せちぶんえ・せつぶんえ)の呼称が一般的である。

神社

春日大社節分万灯籠

寺院

宝光院節分会はだか祭り
金峯山寺節分会

その他

関連作品

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ↑ 国立天文台サイトより。将来の日付はあくまで計算に基づく予測であり、将来の天文学的観測により変わる事がありえる。
  2. ↑ 長崎紅大根 (ながさきあかだいこん)は、「節分大根」「鬼の手大根」とも呼ばれる長崎在来の赤カブである[95]。
  3. ↑ 徳川家康が祈願所とし武運長久を祈っていた

出典

  1. ↑ 「節分」『精選版 日本国語大辞典』小学館。コトバンクより2025年1月27日閲覧。
  2. ↑ 『「節分と年越し」暦のこぼれ話』 2022年3月9日閲覧。
  3. 1 2 3 4 5 6 鈴木昶「くすりと民俗2:疫病追い出す節分」『月刊漢方療法』第12巻第11号、2009年2月、p.p.74-76。
  4. ↑ 故郷の村人たちと酒を飲み交わした時には、お年寄りより先に部屋を出てはならない。村人たちが儺(おにやらい:旧暦の大晦日に鬼や邪気を祓う儀式)をする時には朝服を着て東側の階段に立って出迎えねばならない。《論語 郷党第十 現代語訳》
  5. 1 2 3 水野杏紀『易、風水、暦、養生、処世 東アジアの宇宙観』講談社選書メチエ、2016年2月10日、32頁。ISBN 978-4-06-258621-4。
  6. ↑ 本の万華鏡 第21回 大豆 第1章 節分と豆まき 国立国会図書館
  7. ↑ Gras, Alexandre (2007-06-08). “追儺における呪文の名称と方相氏の役割の変化について”. 言葉と文化 5: 35-53. doi:10.18999/isslc.5.35 2021年6月14日閲覧。.
  8. ↑ 火田、博文 (2019). 本当は怖い日本のしきたり オーディオブック. Pan roringu (Hatsubai). ISBN 978-4-7759-8631-8. OCLC 1108314699
  9. ↑ 小林美和, 冨安郁子「中世における粽伝承と年中行事:室町期食文化の周辺」『帝塚山大学現代生活学部紀要』第5号、帝塚山大学、2009年2月、23-32頁、ISSN 1349-7073、NAID 110007059251、=2022-03-10閲覧。
  10. ↑ 新編御伽草子 第10編 萩野由之 輯 誠之堂書店(1901)国立国会図書館
  11. 1 2 3 4 5 6 7 8 飯島吉晴「節分と節供の民俗」『古事 : 天理大学考古学・民俗学研究室紀要』第15巻、天理大学文学部歴史文化学科考古学・民俗学専攻、2011年3月、53-64頁、ISSN 1346-8847、CRID 1050845763360498304。
  12. ↑ 『看聞日記:乾坤.54』 宮内省図書寮、1931年(昭和6年) - 1935年(昭和10年) 3頁。
  13. ↑ 塙保己一 編 『群書類従.第十六輯』 経済雑誌社、1898-1902年 2版、815頁。
  14. ↑ 行誉『壒嚢鈔』国文学研究資料館、1445年。
  15. ↑ 豆ぬき節分、袋入りで撒いた寺も(『朝日新聞』昭和16年2月4日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p324 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  16. 1 2 3 “本の万華鏡 第21回 大豆 -粒よりマメ知識- 第1章 節分と豆まき”. 国立国会図書館. 2023年1月25日閲覧。
  17. ↑ 工藤紘一「「聞き書き 岩手の年中行事」から思うこと」『岩手県立博物館研究報告』第31巻、岩手県文化振興事業団、2014年3月、37-56頁、doi:10.24484/sitereports.117712-35908、ISSN 02886308、CRID 1390291932644224256。
  18. ↑ 区立保育園「節分の会」で乳幼児が豆まき体験、品川区HP、2016年プレスリリース、閲覧年月日2017年1月6日
  19. ↑ 節分に落花生をまくって、有りですか?(2/3)(All About)
  20. ↑ 瑞渓周鳳『臥雲日件録抜尤』国文学研究資料館 鵜飼文庫、1448年。(『臥雲日件録抜尤』は1562年に相国寺の僧、惟高妙安が抄出したもの)
  21. ↑ “奈良・金峯山寺は「鬼も内」 蔵王堂で節分会”. 岐阜新聞. (2016年2月3日). オリジナルの2016年2月3日時点におけるアーカイブ。 2016年2月3日閲覧。
  22. ↑ 金光と大本122頁
  23. ↑ “「福は内、鬼も内」豪快豆まき 山形・鳥海月山両所宮で節分祭”. 山形新聞. (2016年2月3日). オリジナルの2016年2月4日時点におけるアーカイブ。 2016年2月3日閲覧。
  24. ↑ “「渡辺さんは豆まきしない? 最後に「鬼は内~」 阪神間の多彩な「鬼事情」”. 神戸新聞. (2022年2月3日) 2025年2月8日閲覧。
  25. ↑ 金光と大本123頁
  26. ↑ 本宮町史 第9巻 民俗篇 「年中行事」より
  27. ↑ 宮坂宏樹 「“我が家の節分の風習『ごもっとも、ごもっとも』”. 2018年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。」『神戸新聞』2002年5月27日付、文芸欄掲載。
  28. ↑ 北の生活文庫企画編集会議 『北海道の年中行事』 1996年。『“札幌日和下駄”. 2018年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月28日閲覧。』 2018年2月28日閲覧。
  29. ↑ 鬼無里村教育委員会 「節分」『“鬼無里の年中行事”. 2018年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月28日閲覧。』 2018年2月28日閲覧。
  30. ↑ 「“べにや節分会”. 2018年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月28日閲覧。」『芦原温泉 旅館 べにや』 2018年2月28日閲覧。
  31. ↑ 「“京都・俵屋旅館で節分祭 『暁翠庵』の鬼祓い、そして豆まき”. 2018年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。」『リヴァロ家の幸運な時間』 2018年2月28日閲覧。
  32. ↑ 深志神社 「“節分祭のおしらせ”. 2018年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月28日閲覧。」『信州松本 天神 深志神社』2018年3月1日閲覧。
  33. ↑ 「“行事・神事”. 2018年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月28日閲覧。」『能登國・輪島 重蔵神社』 2018年2月28日閲覧。
  34. ↑ 「“福はうち!鬼はそと!!正覚院豆まき(節分会)”. 2018年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。」『とし坊のお祭り三昧』 2018年3月1日閲覧。
  35. ↑ 「“知恩院 追儺式(ついなしき)”. 2016年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月21日閲覧。」『DigiStyle 京都』 2018年2月28日閲覧。
  36. ↑ 「“節分豆”. 2018年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。」『東明山 興福寺』 2018年3月1日閲覧。
  37. ↑ 「“福は内鬼は外! 還暦バンザーイ\(^o^)/その壱”. 2018年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。」『おもしろ島ののんばあ』 2018年2月28日閲覧。
  38. ↑ 「“節分会(平成30年1月26日)”. 2018年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月28日閲覧。」『曹洞宗・長泉寺』 2018年2月28日閲覧。
  39. ↑ 「“秩父市内の節分行事”. 2018年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。」『秩父市公式ウェブサイト』 2018年2月28日閲覧。
  40. ↑ 「“浅草寺節分会”. 2018年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月28日閲覧。」『伝統の日本紀行』 2018年2月28日閲覧。
  41. ↑ 文化庁 「“手熊・柿泊のモットモ”. 2018年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月28日閲覧。」『文化遺産オンライン』 2018年2月28日閲覧。
  42. ↑ 「“節分と鰯の頭”. 2018年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月19日閲覧。」]『こよみのページ 』 2018年3月20日閲覧。
  43. ↑ NPO 森からつづく道 「“鬼ぐい”. 2018年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月23日閲覧。」『もりみちブログ』 2018年2月24日閲覧。
  44. ↑ 「“節分の前にオニグイ採り”. 2018年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。」『民宿 鯛の里オフィシャルブログ』 2018年3月20日閲覧。
  45. ↑ 体験博物館 千葉県立房総のむら 「“節分”. 2018年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月23日閲覧。」『房総のむらの年中行事』 2018年2月24日閲覧。
  46. ↑ 「“家庭で続ける昔懐かしい民俗行事③〜節分の鬼おどし〜”. 2018年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月20日閲覧。」『さきがけミュージアム 文化財ブログ』 2018年2月20日閲覧。
  47. ↑ 「『目かご』の鬼に親子90人 中央でイベント」 『毎日新聞』2018年1月30日 山梨版。
  48. ↑ 「“目駕籠に向かって豆をぶっつけよう!”. 2018年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月20日閲覧。」『豊富郷土資料館のブログ』2016年1月19日。
  49. ↑ NPO法人えなここ 「“節分は、玄関に○○を飾る?!鬼は〜そと・・・の続きとは?”. 2018年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月20日閲覧。」『おへマガ』 2018年2月20日閲覧。
  50. ↑ 『長野県上伊那誌』民俗篇上 上伊那誌刊行会 昭和55年 696-698頁 。
  51. ↑ 「“節分!下呂市の『鬼めくり』”. 2018年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月27日閲覧。」『下呂スタイル魅力発信プロジェクト POKAPOKA』 2018年2月27日閲覧。
  52. ↑ 加子母総合事務所 「“加子母の節分『鬼めくり』展 開催中”. 2018年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月27日閲覧。」『岐阜県中津川市公式ウェブサイト』 2018年2月27日閲覧。
  53. ↑ 東白川村役場 「“節分”. 2018年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。」『東白川村 アーカイブス』 2018年2月27日閲覧。
  54. ↑ 「“イワシノアタマ(鰯の頭)”. 2018年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月19日閲覧。」美濃加茂市民ミュージアム、2018年2月20日閲覧。
  55. 1 2 3 けいたろう 「“鬼が邪気を払い、鬼がおどる? 京都・廬山寺の節分祭!”. 2018年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月17日閲覧。」『JTRIP Smart Magazine 関西観光情報』 2018年3月18日閲覧。
  56. ↑ 西郊民俗談話会 「“角大師・豆大師を出す寺院一覧表”. 2015年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月19日閲覧。」 2018年2月20日閲覧。
  57. ↑ 「“鬼面札、祝升作り進む”. 2018年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月17日閲覧。」『紀南新聞ONLINE』 2018年1月15日。
  58. ↑ 五来重『宗教歳時記』角川選書、1982年4月。
  59. 1 2 公益社団法人全国学校栄養士協議会 「“節分 なたもち”. 2018年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月15日閲覧。」『伝えたい行事食』。
  60. ↑ 「年銭(としせん)」『デジタル大辞泉』小学館。
  61. ↑ 『子規全集』第11巻(随筆1)講談社、1975年4月。
  62. ↑ 「愛南 節分の夜の怪 交差点に履物散乱 地域伝統『厄よけ』の習慣」『愛媛新聞』 2011年2月6日付。
  63. ↑ 「土器割り厄はらう 稲敷・大杉神社」『茨城新聞』 2017年2月5日。
  64. ↑ 「“大杉神社の節分追儺祭”. 2018年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月16日閲覧。」『蝙蝠の瞳』 2018年3月17日閲覧。
  65. ↑ 「“素焼きの土鍋・炮烙に厄除け託す 京都・壬生寺で受付”. 2018年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月21日閲覧。」『京都新聞』 2018年2月3日。
  66. ↑ 「“炮烙に込める想い 壬生寺”. 2018年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月16日閲覧。」『京都いいとこウェブ』 2018年3月17日閲覧。
  67. ↑ 「“福天各地で『鬼は外!』 2月3日に節分行事 厄除け祈願や福豆授与”. 2018年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月17日閲覧。」『両丹日日新聞 2004年節分のニュース』 2018年3月17日閲覧。
  68. ↑ 「“本日は尼えびすの節分祭”. 2018年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月16日閲覧。」『幸せ 尼崎えびす 巫女さん日記』 2018年3月17日閲覧。
  69. ↑ 「“節分に行う「かわらけ祈願神事」・海神社(3)、神戸市”. 2018年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月16日閲覧。」『ぶらりぶらり見て歩記』 2018年3月17日閲覧。
  70. ↑ 「“年間行事”. 2018年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月16日閲覧。」『瑠璃山 医王院 香積寺 隻手薬師』 2018年3月17日閲覧。
  71. ↑ 「“宝輪寺 節分星祭り祈祷会”. 2018年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月16日閲覧。」『真言宗 醍醐派 大福山 宝輪寺』 2018年3月17日閲覧。
  72. ↑ 「(ヒロシマ国の掟?!)節分は『鬼の豆』ねだる」『朝日新聞 広島版』 2013年2月3日朝刊。
  73. ↑ 「“三原のハロウィン!? 『鬼の豆』”. 2018年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月15日閲覧。」 『三原ふるさと情報』 2018年2月15日閲覧。
  74. 1 2 眞下美弥子、「節分おばけ」と結髪の習俗 『立教女学院短期大学紀要』 2015年 47巻 p.41-49、doi:10.20707/stmlib.47.0_41、NAID 110010041723。
  75. 1 2 「“節分の日の厄よけぜんざい”. 2023年1月12日閲覧。」『葛城市』 2018年3月19日閲覧。
  76. ↑ 京都の節分 京都観光情報 KYOTOdesign、2019年4月3日閲覧。
  77. ↑ 「“口に入り福授かる 櫛田神社に大お多福面”. 2023年1月12日閲覧。」『西日本新聞』 2018年1月25日。
  78. ↑ 「“野依白山神社 豆焼き(年間の天候予報)”. 2018年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月19日閲覧。」『奈良の風景と無形民俗文化財』 2018年2月20日閲覧。
  79. ↑ 西行(著)、佐佐木信綱(解説) 『山家集』 岩波文庫、1928年10月5日、ISBN 978-4003002315。
  80. ↑ 飯島吉晴、「節分と節供の民俗」 『古事:天理大学考古学・民俗学研究室紀要』 2011年 15巻 page.53-64、ISSN 1346-8847、NAID 120005858429。
  81. 1 2 冨岡典子 『大和の食文化』 奈良新聞社、2005年9月25日、22-24頁、ISBN 4-88856-054-4。
  82. ↑ 笠井俊彌 『蕎麦―江戸の食文化』 岩波書店、2001年12月12日、203頁、ISBN 978-4000237031。
  83. ↑ 村瀬忠太郎 『日本の食文化大系14そば通』 東京書房社、1982年1月1日、123頁。
  84. ↑ 植原路郎 『新装版 蕎麦辞典』 東京堂出版、1996年9月、ISBN 9784490104394。
  85. ↑ 新島繁 『蕎麦の事典』 柴田書店、1999年11月、ISBN 978-4388058525。
  86. 1 2 「“厄払い”. 2018年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。」『上方落語メモ 第3集』 2018年2月20日閲覧。
  87. ↑ 島崎とみ子、「京都商家のくらしと食 : 年中行事を例に」 『日本調理科学会誌』 2009年 42巻 4号 p.244-254、doi:10.11402/cookeryscience.42.244、NAID 110007340461。
  88. ↑ 斉藤武雄 『信州の年中行事』 信濃毎日新聞社、1981年、133頁。
  89. ↑ わぐりたかし 「“予約殺到のコンビニ「恵方巻」の意外な仕掛け人を発見! 商品化に至った理由とは?”. 2016年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月31日閲覧。」『日経トレンディネット』
  90. ↑ 車浮代 「“旬を楽しみ、身体が喜ぶ江戸料理【第16回】『蒟蒻』(こんにゃく)は江戸時代、“お腹の砂下ろし”と尊ばれた健康食材”. 2018年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月15日閲覧。」] 『DIAMOND online』 ダイヤモンド社、2012年3月2日。
  91. ↑ 「“隠岐の節分、ナマコで『砂おろし』 健康を願って”. 2018年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月23日閲覧。」『隠岐経済新聞』 2017年2月3日。
  92. ↑ 田中敏子 『大和の味 改訂版』 奈良新聞社、2001年10月10日、15頁
  93. ↑ 独立行政法人水産総合研究センター広報室『“おさかな瓦版 No.17”. 2018年3月2日閲覧。』 独立行政法人水産総合研究センター、2007年6月
  94. ↑ NHK福岡放送局 「“ダイコン食べて鬼退治!?長崎の紅大根(あかだいこん)”. 2018年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月2日閲覧。」『ブログ ロクいち!福岡』 2017年1月25日。
  95. ↑ 「“長崎紅大根 (ながさきあかだいこん)”. 2018年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月2日閲覧。」『地方特産食材図鑑』 2018年3月2日閲覧。
  96. ↑ 「“八戸で蕪嶋神社節分祭 鮫生活館会場に60人集まる”. 2018年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月15日閲覧。」 『八戸経済新聞』 2018年2月6日。
  97. ↑ 「“島根県浜田市で節分に食べる『くじら飯』”. 2018年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月2日閲覧。」『ぼうずコンニャクのお魚三昧日記』 2018年3月2日閲覧。
  98. ↑ “くじらの竜田揚げ 山口県”. 農林水産省. 2024年1月19日閲覧。
  99. ↑ 「“ふるさとの味 おばいけ”. 2018年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月15日閲覧。」『Blue Signal』2014年1月号、JR西日本。
  100. ↑ 長崎歴史文化博物館 「“1月の講座&れきぶんの節分2018”. 2018年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月18日閲覧。」 『プレスリリースNews No.34』 2018年1月11日。
  101. ↑ 『ホテル日航奈良に新メニュー』 2012年7月28日 奈良新聞3面。
  102. ↑ 奈良の食文化研究会 「“元興寺の粕汁とかやくご飯”. 2018年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月5日閲覧。」 『出会い大和の味』] 奈良新聞社、2007年7月1日、96頁、ISBN 978-4-88856-065-8。
  103. ↑ 「“なにわの幸ふんだん『天王寺かぶら汁』のお味は…3日、四天王寺で限定300食”. 2018年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月21日閲覧。」『産経新聞』 2015年2月2日。
  104. ↑ 「“かぶら汁で無病息災 四天王寺”. 2018年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月21日閲覧。」『大阪日日新聞』 2018年2月4日。
  105. ↑ 「“東大阪の郷土食”. 2018年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月21日閲覧。」『東大阪市』 2018年3月20日閲覧。
  106. ↑ 八尾市立病院 栄養科 「“栄養だより2月号”. 2018年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月21日閲覧。」 2018年3月20日閲覧。
  107. ↑ 大阪府生菓子協同組合 「“和菓子と年中行事 2月”. 2018年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月19日閲覧。」『大阪の和菓子』 2018年3月19日閲覧。
  108. 1 2 「“大神さん名物『がらがら』”. 2015年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月15日閲覧。」]『こうふ取材日記』 2014年1月31日。
  109. ↑ 「“お菓子の中にはおもちゃが!甲府の節分の名物『がらがら』”. 2018年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月15日閲覧。」 2015年02月10日。
  110. ↑ 「“打ち出の小づちなど縁起物入り『福引せんべい』生産ピーク”. 2018年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月20日閲覧。」『産経新聞』 2018年1月22日。
  111. ↑ 「“小浜独特の風習、節分に小判菓子”. 2018年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月15日閲覧。」 福井新聞 2017年1月31日。
  112. ↑ 「節分に狐の嫁入り 三重・海山道稲荷神社」『毎日新聞』 2018年2月4日三重版。
  113. ↑ 「“アーカイブされたコピー”. 2018年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月21日閲覧。京都・須賀神社 節分に覆面男現る(謎解きクルーズ)」『日本経済新聞』 2015年1月24日。
  114. ↑ 京都・宇治 伊藤久右衛門 「“節分祭に授与される、良縁にご利益のある懸想文”. 2018年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月17日閲覧。」『ちょっと言いたくなる京都通』第294回、2018年3月18日閲覧。
  115. ↑ “節分会”. 浅草寺. 2022年2月9日閲覧。
  116. ↑ “芸能人ゲストが話題! 東京都内の豆まきイベント5選”. レッツエンジョイ東京. レッツエンジョイ東京 (2020年1月29日). 2022年2月9日閲覧。
  117. ↑ “川崎大師には鬼おらず 「福は内」連呼 福豆求めて1万人”. 神奈川新聞. 神奈川新聞社 (2014年2月3日). 2022年2月9日閲覧。
  118. ↑ 年中行事/大須観音(名古屋)
  119. ↑ 「“あびこ観音節分祭2019の日程! 屋台はいつでる?アクセス方法も!”. 2018年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月19日閲覧。」『ホッとな情報MEDIA』2018年3月19日閲覧。
  120. ↑ 独立行政法人日本芸術文化振興会 「福の神」『文化デジタルライブラリー』 2018年2月24日閲覧。
  121. ↑ 「三人吉三廓初買」『歌舞伎への誘い』 2018年2月24日閲覧。
  122. ↑ 「“吉三節分”. 2018年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月24日閲覧。」『東京小唄・清元・三味線教室』 2018年2月24日閲覧。
  123. ↑ 「“節分”. 2018年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月24日閲覧。」『落語散歩』 2018年2月24日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

⌬ Phoenix Mesh CID: 未登録 IPFS未登録 📡 0ピア N=1 CRITICAL PQS A91