安勅内親王

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安勅内親王
時代 平安時代初期
生誕 不詳
薨去 斉衡2年9月17日(855年10月31日)
位階 四品
父母 父:桓武天皇、母:藤原河子
養母:酒人内親王
兄弟 平城天皇、朝原内親王、長岡岡成、伊予親王、良岑安世、嵯峨天皇、淳和天皇、葛原親王、大宅内親王、高津内親王、万多親王、高志内親王、明日香親王、仲野親王、佐味親王、坂本親王、賀陽親王、布勢内親王、葛井親王、安勅内親王、賀楽内親王、菅原内親王、甘南美内親王、伊都内親王、他
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安勅内親王(あてないしんのう)は、桓武天皇の第13皇女。母は宮人の従四位下・藤原河子(神祇伯・藤原大継娘)。

生涯

母・藤原河子は藤原京家の出身で、同母兄弟に仲野親王、大井内親王、紀内親王、善原内親王がいる。弘仁8年(817年)2月10日、後宮に奉献し、四品に叙品される[1]。嘉祥2年(849年)に出家し、品位を返還した[2]。文徳天皇(嵯峨天皇の孫)の治世下の斉衡2年(855年)9月17日に薨去[3]。

『性霊集』巻四「為酒人内公主遺言一首」(桓武天皇妃酒人内親王の遺言状)には、酒人内親王が式部卿、大蔵卿、安勅内親王の3親王を養子にし、死後の事を託した旨が書かれている。この遺言状には弘仁14年(823年)1月20日の日付があるため、安勅内親王と酒人内親王はこれより前から交流を深めていたのだろう。

脚注

  1. ↑ 『日本後紀』弘仁8年(817年)二月庚子条
  2. ↑ 『続日本後紀』嘉祥2年(849年)閏十二月庚午条
  3. ↑ 『日本文徳天皇実録』斉衡2年(855年)九月癸亥条

参考文献