能登内親王

ウィキペディアから、無料の百科事典
能登内親王
時代 奈良時代
生誕 天平5年(733年)
薨去 天応元年2月17日(781年3月16日)
位階 三品、贈一品
父母 父:光仁天皇、母:高野新笠
兄弟 能登内親王、開成、桓武天皇、早良親王、薭田親王、酒人内親王、他戸親王、弥努摩内親王、広根諸勝
夫 市原王
子 五百井女王、春原五百枝
テンプレートを表示

能登内親王(のとのひめみこ、のとないしんのう)は、光仁天皇第一皇女。母は高野新笠。桓武天皇と早良親王の同母姉にあたる。

生涯

天平5年(733年)、白壁王(後の光仁天皇)の王女として平城京に誕生。母は百済渡来系氏族の高野新笠(『続日本紀』延暦9年(790)正月15日条による。『本朝皇胤紹運録』では母を井上内親王と記しているが誤伝)。

天智天皇の女系の玄孫であり自身の従甥にあたる市原王(いちはらのおおきみ、いちはらおう)に嫁し、五百井女王、五百枝王(のち春原五百枝)を生む[1]。

その後、市原王と死別。宝亀元年(770年)、父・白壁王が即位すると、内親王となり四品に叙せられる[2]。宝亀7年(776年)、三品に昇叙[3]。

天応元年(781年)2月17日、薨去。一品の位を贈られる。内親王の薨去を悲しんだ光仁天皇は、孫の五百井女王・五百枝王を二世王として優遇する詔を発した(本来は五世王であるが、天皇の外孫のため格別に二世王(皇孫)として処遇することにした)[4]。なお、その死後に父の光仁天皇も俄かに病気がちとなり、同年4月に譲位、12月に崩御した。

脚注

  1. ↑ 『続日本紀』天応元年(781)2月17日条
  2. ↑ 『続日本紀』宝亀元年(770)11月6日条
  3. ↑ 『続日本紀』宝亀7年(776)正月7日条
  4. ↑ 『続日本紀』天応元年(781)2月17日条