小松バス

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小松バス株式会社
KOMATSU BUS Co., Ltd.
小松バス本社(2004年1月)
小松バス本社(2004年1月)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
〒923-0992
石川県小松市鶴ケ島町8番地1[1]
設立 1929年(昭和4年)6月22日[2]
(尾小屋鉄道株式会社)
廃止 2021年(令和3年)7月1日[3]
(加賀温泉バスと合併し解散)
業種 陸運業
法人番号 1220001011980
事業内容 乗合バスの運行
貸切バスの運行
旅行業[1]
代表者 代表取締役社長 新谷良二[4]
資本金 5000万円
純利益 417万3000円(2020年03月31日時点)[4]
総資産 8億6689万2000円(2020年03月31日時点)[4]
従業員数 70人(2021年7月1日時点)[5]
主要株主 北陸鉄道
外部リンク http://www.komatsubus.jp/ - ウェイバックマシン(2020年2月2日アーカイブ分)
テンプレートを表示

尾小屋鉄道株式会社(おごやてつどう)は、かつて石川県小松市で軽便鉄道を運営していた鉄道事業者である。1977年以降の社名は小松バス株式会社(こまつバス)。

本項では、同社が運営していた鉄道路線についても記す。

概要

尾小屋鉱山の経営母体であった横山鉱業部が所有していた、小松駅と鉱山を結ぶ鉄道の運営を目的に設立された。そのため当初は日本鉱業(後のジャパンエナジー)系列に属していたが、同社が尾小屋鉱山から手を引くと名古屋鉄道の傘下に入った。

1977年に経営不振のため鉄道を廃止、以降は社名を小松バスに変更しバス事業専業となる。その後第二種旅行業登録を受け、バスツアー「エクセルツアー」の企画・催行や旅行代理店事業も行っていた。また、一時期はニッポンレンタカーのフランチャイズ店舗も展開していた。

2021年に加賀温泉バスと合併し、同社を存続法人として北鉄加賀バスが発足したことで消滅した。ただし、北鉄加賀バスの本社は旧・小松バスの建屋を利用しているほか、社長も小松バスの社長が続投している。

沿革

バス事業

事業所

本社
  • 石川県小松市鶴ケ島町8番地1
小松駅前営業所・旅行センター
  • 石川県小松市日の出町1丁目145番地

所有路線

2019年10月1日時点[16]。

空港連絡線
  • 小松駅 - 西町 - 浮柳 - 小松空港 - 安宅住吉神社
  • ホテルビナリオKOMATSUセントレ前 - 小松駅 - 西町 - 浮柳 - 小松空港 - 安宅住吉神社:2020年のダイヤ改正により廃止。
安宅線
  • 小松市民病院 - 小松駅 - 浮柳 - 安宅 - 長崎
  • 小松市民病院 - 小松駅 - 浮柳 - 安宅 - 安宅漁港
粟津A線
月津線
  • 小松駅 - 上本折 - 串 - 矢田
佐美線
  • 小松駅 - 上本折 - 串 - 佐美
麦口線
尾小屋線
  • 小松駅 - 小松工業高校前 - 市立高校前 - 西軽海 - やわたメディカルセンター - 金野町 - 観音下 - 尾小屋
  • 小松駅 - 小松工業高校前 - 八幡温泉温泉 - やわたメディカルセンター - 金野町 - 観音下 - 尾小屋
大杉線
  • 小松市民病院 - 小松駅 - 小松工業高校前 - 北吉竹 - 江指 - せせらぎの郷
  • 小松市民病院 - 小松駅 - 小松工業高校前 - 北吉竹 - 江指 - 赤瀬名殿口 - 大杉上町
ハニベ線
  • 小松駅 - 小松工業高校前 - 市立高校前 - 軽海団地前 - ハニベ前
国府線
  • 小松駅 - 京町 - 南加賀福祉保健センター前 - 河田 - 国府台
小杉線
  • 小松駅 - 京町 - 南加賀福祉保健センター前 - 小杉 - 大長野 - 寺井庁舎前 - 寺井史跡公園前
寺井線
EVバス
小松市コミュニティバス#宇宙バスこまち⭐︎を参照。

過去の路線

粟津B線
新道寺井線
  • 小松駅 - 平面 - 小長野 - 寺井庁舎前
現在は加賀白山バスが佐野線の一部として運行している。
粟津温泉観光周遊BUS
北陸鉄道の城下まち金沢周遊で使用されたボンネットバス(三菱ふそう・ローザの改造車)を、2017年7月21日から粟津温泉の周遊バスで使用していたが、2019年3月の運行で終了した[17]。
小松市コミュニティバス
系統については当該項目を参照。開設以来運行を委託されていたが、2020年4月1日をもって委託先が日本海観光バスに変更された。

使用車両

一般路線車、貸切車ともに三菱ふそうおよび日野自動車の2社体制[10]となっていた。

カラーリングは白色をベースに赤色のラインの入った名鉄カラーに近いデザインだったが[10]、2001年から銀色をベースに赤色のラインを用いたデザインを採用していた[10]。また、新しいデザインからはアルファベットの「K」を形取ったロゴマークを使用していた。

自社発注車両のほか名鉄グループ(北陸鉄道、名鉄バス、岐阜乗合自動車など)からの移籍車も存在した。

このほか、小松市コミュニティバスの車両も小松バスが所有していた。

鉄道事業

尾小屋鉄道
廃止直前の尾小屋駅
廃止直前の尾小屋駅
基本情報
現況 廃止
起点 尾小屋駅
終点 新小松駅
駅数 16駅
開業 1919年11月26日 (1919-11-26)
廃止 1977年3月20日 (1977-3-20)
所有者 尾小屋鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線距離 16.8 km
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
線路数 単線
最大勾配 25 ‰
最小曲線半径 100 m
最高速度 35 km/h (22 mph)
路線図
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
(廃止当時)
exKBHFa
0.0 尾小屋駅
exBHF
0.9 長原駅
exWBRÜCKE1
郷谷川
exTUNNEL2
倉谷口トンネル 46 m
exBHF
2.0 倉谷口駅
exTUNNEL2
観音下トンネル 47 m
exBHF
4.0 観音下駅
exBHF
4.7 波佐羅駅
exBHF
5.6 塩原駅
exBHF
6.1 沢駅
exWBRÜCKE1
exBHF
7.8 金平駅
exBHF
9.1 金野町駅
exhKRZWae
梯川
exBHF
9.6 大杉谷口駅
exBHF
10.4 西大野駅
exBHF
11.4 花坂駅
exBHF
12.7 遊園地前駅
exBHF
13.7 吉竹駅
exBHF
14.1 西吉竹駅
exSTR STR+l
国鉄:北陸本線
STR
16.8 新小松駅
小松駅
exSTRr STR
北鉄:小松線

経路図の出典:[18][19][20]

尾小屋鉄道は、尾小屋鉱山の鉱山長であった正田 順太郎(しょうだ じゅんたろう、1859年 - 1936年〈昭和11年〉8月26日[21])[注 1]によって鉱山鉄道として建設された。

尾小屋鉱山は、17世紀末 - 18世紀初頭に金山として開発された鉱山だが、その後廃鉱となっていた。明治時代になってから銅山として改めて注目され、細々とした採掘の末、1886年(明治19年)の新鉱脈の発見から大きく発展した。

尾小屋鉄道は、この尾小屋鉱山の鉱山鉄道として1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけて開通した。全線非電化で762mm軌間を採用した軽便鉄道であった。太平洋戦争中の陸運統制令による石川県内の鉄道路線統合からも外れ鉱山鉄道として独立を保った。年間利用者数のピークは、1961年(昭和36年)の113万人[22]。

その後、1971年(昭和46年)に尾小屋鉱山が閉山したことも影響し、最末期には収入の3倍もの経費がかかる膨大な赤字状態となり[22]、1977年(昭和52年)に廃止。遊覧用に作られた西武山口線を除くと、旅客営業を行う非電化の軽便鉄道としては日本国内で最後まで残った路線であり、廃止の際には注目を集めた。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):16.8km
  • 軌間:762mm
  • 駅数:16駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:なし(全線非電化)
  • 閉塞方式:票券閉塞式(末期の尾小屋 - 金平間はスタフ閉塞式)

歴史

  • 1916年(大正5年)8月17日:免許取得[23]。
  • 1917年(大正6年)6月22日:工事着工。
  • 1919年(大正8年)11月26日:営業開始(旅客および手小荷物)[24]。当時の駅は尾小屋駅、倉谷口駅、倉谷口駅、波佐羅駅、沢駅、金平駅、六橋駅(のち金野町駅)、五国寺(のち西大野駅)、花坂駅、吉竹駅、新小松駅。
  • 1920年(大正9年)
  • 1929年(昭和4年)7月2日:横山鉱業部が鉄道敷設権を尾小屋鉄道に譲渡[7]。
  • 1937年(昭和12年)2月:内燃動力併用認可。
  • 1954年(昭和29年)9月5日:長原駅、大杉谷口駅、西吉竹駅を開設。
  • 1958年(昭和33年)9月30日:遊園地前駅を開設。
  • 1960年(昭和35年)7月8日:塩原駅を開設。
  • 1977年(昭和52年)3月20日:全線廃止。
    • 当時、当地は大豪雪に襲われており、最終運行日のこの日は列車は全て倉谷口駅で折り返し。尾小屋 - 倉谷口間は不通のまま廃止となった[22]。

運行形態

1973年5月の時点で、旅客列車1日16往復、貨物列車および混合列車の設定はなかった(1974年9月1日のダイヤ改正で、8往復に減便された[22])。交換設備は、観音下駅・金平駅・西大野駅・吉竹駅にあったが、吉竹駅のそれは側線扱いで同駅での閉塞取り扱いは行われず、臨時列車や工事列車の運行で必要のある時にのみ臨時扱いで交換が行われた[注 3]。

なお、通常は尾小屋 - 金平間と金平 - 新小松間の2区間に閉塞が併合されており、また1966年頃には西大野・観音下の両駅は駅員無配置となっていた。ただし、朝の通勤時に運転される尾小屋発の第4列車が両駅での交換を必要とするので、係員を派遣して閉塞を取り扱った。1971年3月以降には閉塞が尾小屋 - 金平間と金平 - 新小松間の2区間に統合され、列車の交換が行われるのは金平駅のみとなった。さらに1974年9月になると金平駅も昼間の列車交換がなくなり、それに伴って無人化され、朝夕の列車交換時にはOBの嘱託職員がポイントの切り替えを行った。

駅一覧

  • 駅名および所在地は廃止時点のもの。全駅石川県小松市に所在。
  • 線路 … ◇・Λ:列車交換可、|:列車交換不可
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路
尾小屋駅 - 0.0   |
長原駅 0.9 0.9   |
倉谷口駅 1.1 2.0   |
観音下駅 2.0 4.0   ◇
波佐羅駅 0.7 4.7   |
塩原駅 0.9 5.6   |
沢駅 0.5 6.1   |
金平駅 1.7 7.8   ◇
金野町駅 1.3 9.1   |
大杉谷口駅 0.5 9.6   |
西大野駅 0.9 10.4   ◇
花坂駅 0.9 11.4   |
遊園地前駅 1.3 12.7   |
吉竹駅 1.0 13.7   |
西吉竹駅 0.4 14.1   |
新小松駅 2.7 16.8 国鉄:北陸本線
北陸鉄道:小松線(小松駅)
Λ

輸送・収支実績

年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1920132,35817,96457,39835,66421,734財産償却金21,000
1921201,41546,906127,79775,75052,047
1922146,96329,23081,97450,58931,385
1923174,01627,47484,39255,09529,297155,408
1924190,12524,37281,14557,60723,538
1925199,98622,58680,87053,75227,118
1926190,26621,15773,76959,18114,588
1927191,49222,69577,33556,81820,517
1928191,42218,81371,73457,44814,286
192965,8805,91020,29515,8804,415
100,1709,18038,29921,99716,302償却金2,679
1930181,30815,99467,72952,43915,290
1931130,3769,71945,78344,1541,629
193299,91211,50643,89944,308▲ 409雑損16,209418
1933102,17516,66650,02538,87411,151雑損4,745140
1934109,43216,27851,10343,0208,083
1935121,48712,82948,81945,1343,685減資差益金250,000償却金252,592
1936186,57623,46471,43767,0574,380雑損8
1937238,07032,75769,04064,9574,083
1939299,39224,462
1941417,52740,553
1945615,72515,380
1952579,47018,430
1958930千1,047
1963959千392
1966905千322
1970496千246
  • 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版
  • 1929年度横山鉱業部、尾小屋鉄道併記

車両

主な車両は以下の通り。

機関車

機関車5号(2代目)
1号
1917年12月大日本軌道製[27]の飽和式タンク式蒸気機関車。下回りの一部をDC121に流用したとされる[28]が、実質的には下取りであり、部品が実際に流用されたかどうかは不明。
2号
1917年12月大日本軌道製[27]の飽和式蒸気機関車。DC122の増備により1958年(昭和33年)に廃車された[29]。
3号
1941年8月本江機械製作所製14t C型飽和式タンク式蒸気機関車[27]。
無車籍車
戦時中の1943年(昭和18年)頃、日本鉱業千歳鉱山軌道[注 4]から転用されたB型テンダー蒸気機関車。戦局が悪化した混乱期の移動でもあり、運輸通信省への申請はもとより、両社の間でも譲渡・転籍の正式な手続きが行われなかった模様。入線後は非力なためほとんど使用されず、戦後は新小松構内に放置された後、1948年(昭和23年) - 1949年(昭和24年)頃に解体された[30][31]。
5号
公式には1949年3月立山重工業製[注 5][31]14.5t C型飽和式タンク式蒸気機関車(制動装置:蒸気制動・手用)[32]。C155とも。地方鉄道向けのものとしては最後の日本製蒸気機関車となった。末期にはファン・トリップで走る程度ではあったが、車籍は路線廃止時まで残されていた。1972年には三重県の長島温泉遊園地の「長島温泉SLランド」にハフ1・2とともに貸し出されて走行したこともある。廃線後は石川県立尾小屋鉱山資料館改め小松市立ポッポ汽車展示館で保存されている。
DC121
1952年10月協三工業製[33]。丸みを帯びたボディを持つ12t C型機械式ディーゼル機関車。エンジンとして三菱ふそうDF2Lディーゼルエンジン(定格出力117HP/1,000rpm、最大出力140HP/1,300rpm)を搭載し、機械式変速機を経て第3動軸へギアボックス経由で伝達された動力を、第1・2動軸へサイドロッドを用いて伝達するロッド式の駆動システムを備える。廃線後はいしかわ子ども交流センター小松館にある「なかよし鉄道」で動態保存されている。
DC122
1958年10月協三工業製[33]。角ばったボディを持つ12t C型機械式ディーゼル機関車。エンジンと駆動システムはDC121のそれを踏襲し、DF2L + ロッド式となっている。廃線後は東京大学鉄道研究会の出身者らでつくる赤門軽便鉄道保存会の会員有志の所有(後述のキハ2・ホハフ7とは異なり同会自体の所有ではない)となり[34]、保存を開始した1978年(昭和53年)頃は旧尾小屋駅跡の同会保有地で運転も行われたが[34]、その後は40年近く放置され荒廃していた。2014年10月に栃木県那須烏山市の那珂川清流鉄道保存会に譲渡されている[35]。
内燃機関車 主要諸元[36][37]
車両番号 全長 全幅 全高 重量 出力 最高速度 補足・備考
PS kw
DC121 5,790mm 2,008mm 2,886mm 12.0t 115PS 84.58kw 35km/h 数値は1969年時点のもの
DC122 5,840mm 2,118mm 2,902mm 12.0t 117PS 86.05kw 35km/h

気動車

キハ1
気動車キハ1
1937年3月日本車輌製造本店製のガソリン動車[38]。当初の形式称号はキロ1[39]。ウォーケシャ6MLガソリンエンジン(連続定格出力47.3kW、縦型6気筒)を搭載する機械式ガソリンカーで、動台車の心皿と揺れ枕位置を車両内側に偏奇させて内側の動軸の粘着力を増大させる、偏心台車を装着し、また前後非対称の車体を持つ。1953年にエンジンをセントラルKE5ディーゼルエンジンに換装し、さらにその後民生デイゼル(現:UDトラックス)UD3(連続定格出力110HP/2,000rpm、縦型直列3気筒2サイクルユニフロー掃気ディーゼルエンジン)に再換装した[40]。廃線後はいしかわ子ども交流センター小松館にある「なかよし鉄道」で動態保存されている。なお、保存された後に遭った雪害のため破損した屋根は修復が行われたが、その際に妻板と屋根板の接合部の形状が変更された。また、変速機も本来は機械式変速機を搭載していたが、補修部品の調達が困難になったので液体変速機に換装された。
キハ2
1938年3月日立製作所笠戸工場製[31]の機械式ディーゼル動車。戦前の日本内地向け762mm軌間用気動車では唯一のディーゼル動車であり、また日立製作所が第二次世界大戦前に製造した唯一の内燃動車でもあった。エンジンとして日立430RO(連続定格出力51.5kW/1,500rpm」を搭載し、前後に荷物台(デッキ)を持つ[31]。戦後、1953年にエンジンを民生デイゼルKD3(3シリンダー上下対向6ピストン構成の2サイクルディーゼルエンジン)に換装、併せて台車の心皿間距離を拡大し[40]、さらにその後1957年にエンジンを民生デイゼルUD3に再換装した[41]。廃線後は東京大学鉄道研究会の出身者らでつくる赤門軽便鉄道保存会が譲り受け、尾小屋駅跡で整備保存されていた[42]。しかし、2022年8月の大雨で車輪の半分の高さまで浸水したため、地元団体「NPO法人きたぐに鉄道管理局」の代表理事のもとに一時避難することになり同年10月14日に移設された[43]。赤門軽便鉄道保存会が補修と利活用を検討している[42]。
キハ3
気動車キハ3
1954年6月汽車製造会社東京製作所製の機械式ディーゼル動車[44][45]。汽車製造製としては戦後唯一の私鉄向け762mm軌間用気動車である。エンジンとしていすゞDA45を搭載し、1台車2軸駆動で、第1動軸と第2動軸はチェーンで結ばれている[46]。前身は遠州鉄道奥山線のキハ1803で、1964年11月1日の同線廃止後譲受し、塗装を変更の上で切抜文字の車番の上3桁に当たる「180」の部分を塗りつぶし、そのすぐ上に「キハ」の文字を書き込んだ。またヘッドライトを自動車用の小型の物に換装、連結器も奥山線時代の自動連結器から朝顔形連結器に換装した。尾小屋での竣工後しばらくはDA45搭載のままで使用されていたが、これも床中央部を大きく持ち上げて民生デイゼルUD3に機関を換装している[47]。これに伴い、前面下部両側にあったラジエーターを床下のエンジンの隣に移設している。廃線後は石川県立尾小屋鉱山資料館改め小松市立ポッポ汽車展示館で動態保存されており、車番は片側の前面と側面のみ遠鉄時代の1803に戻されている。2012年には、遠州鉄道発足70周年記念事業として2年間限定で塗装を奥山線時代のマルーン1色に変更しており、前面はヘッドライトを大型の物に交換し自動連結器の解放てこやラジエーターのグリルを復元。車内も塗装を晩年のクリーム色から奥山線時代の青緑色に変更、青いビニールの座席モケットを外し奥山線時代の緑のビロード地のモケットに復元した[48]。2015年には再度塗装が変更され、屋根上のベンチレーターやヘッドライトステーは残し、運転台上の「キハ3」の表記がない1970年ごろの状態を再現している。この塗装も1年間限定で、その後はベンチレーターやヘッドライトステーを撤去して尾小屋鉄道時代末期の姿へ復元する予定である。
気動車 主要諸元[37][49]
車両番号 全長 全幅 全高 重量 定員 出力 最高速度 補足・備考
着席 合計 PS kw
キハ1 9,240mm 2,120mm 3,047mm 10.3t 24人 50人 71PS 52.22kw 51.0km/h 数値は1967年時点のもの
キハ2 10,700mm 2,120mm 3,100mm 11.8t 21人 52人 44.7km/h
キハ3 10,590mm 2,100mm 3,185mm 11.0t 24人 60人 ?

客車

尾小屋鉄道の客車列車
尾小屋鉄道の客車列車
ハフ1型
1918年名古屋電車製作所製の木造2軸客車。ハフ1 - 3の3両が在籍していたが、ハフ3は1967年に車軸が折れたため先行して廃車された。廃線まで残存したハフ1は廃線後も石川県立尾小屋鉱山資料館で保存されている。
ホハフ1型ホハフ1
1912年日本車輌製造本店製の木造ボギー客車。前身は三重交通サ331←三重鉄道ホハ7←三重鉄道ホハ1。デッキつきモニタルーフの古典的客車であった。側板に鋼板を打ち付けてニセスチール車として使用されていたが、廃線前に解体された模様。
ホハフ1型ホハフ2
1913年名古屋電車製作所製の木造ボギー客車。前身は三重交通サ342←三重鉄道ホハ6←四日市鉄道ホハ6。デッキつきシングルルーフ車。老朽化により、ガソリンをかけて燃やすという乱暴な方法で処分された。
ホハフ1型ホハフ3
1921年梅鉢鉄工所製の木造ボギー客車。前身は三重交通サ321←三重鉄道ホハ12←中勢鉄道ハニ2←中勢鉄道ボコ2。前後非対象の特徴的な車体を持っていた。外板に鉄板を打ち付けた際に妻面が平妻化されていたが、その後車体更新を受け、最後まで多用された。廃線後はいしかわ子ども交流センター小松館にある「なかよし鉄道」で動態保存されている。
ホハフ1型ホハフ5
1921年梅鉢鉄工所製の木造ボギー客車。前身は三重交通サ322←三重鉄道ホハ13←中勢鉄道ハニ3←中勢鉄道ボコ3。元々はホハフ3と同型車であり、同様に前後非対称の特徴的な車体を持っていたが、こちらは妻面が緩く曲面を描いており、原形を保っていた。
ホハフ1型ホハフ6
1913年名古屋電車製作所製の木造ボギー客車。前身は三重交通サ352←三重鉄道ホハ2←四日市鉄道ホハ2。
ホハフ1型ホハフ7
1925年日本車輌製造本店製の木造ボギー客車。前身は三重交通サニ403←北勢電気鉄道ハフ11←北勢鉄道ハフ11。オリジナルは2tの荷物室を持つ合造車で、その後車体更新を受け、最後まで多用された。気動車キハ2と同じく廃線後は東京大学鉄道研究会の出身者らでつくる赤門軽便鉄道保存会が譲り受け、尾小屋駅構内で整備保存されていた[42]。しかし、2022年8月の大雨で車輪の半分の高さまで浸水したため、地元団体「NPO法人きたぐに鉄道管理局」の代表理事のもとに一時避難することになり同年10月14日に移設された[43]。赤門軽便鉄道保存会が補修と利活用を検討している[42]。
ホハフ1型ホハフ8
1924年日本車輌製造本店製の木造ボギー客車。前身は三重交通サニ401←北勢電気鉄道ハフ9←北勢鉄道ハフ9。オリジナルはホハフ7と同型で、その後車体更新を受け、最後まで多用された。廃線後はいしかわ子ども交流センター小松館にある「なかよし鉄道」で動態保存されている。
客車 主要諸元[37][49]
車両番号 全長 全幅 全高 重量 定員 補足・備考
着席 合計
ハフ1 6,908mm 2,032mm 3,073mm 3.6t 22人 35人 数値は1967年時点のもの
ハフ2
ハフ3
ホハフ1 8,890mm 1,956mm 2,819mm 3.8t 24人 40人
ホハフ2 8,890mm 1,956mm 2,816mm 4.8t 30人 45人
ホハフ3 8,660mm 2,180mm 2,979mm 5.5t 28人 54人
ホハフ5 8,787mm 2,108mm 2,976mm 5.6t 30人 54人
ホハフ6 8,891mm 1,956mm 2,851mm 3.9t 20人 50人
ホハフ7 9,068mm 2,128mm 3,118mm 5.8t 24人 38人 荷重2t
数値は1967年時点のもの
ホハフ8

貨車・事業用車両

ト型
2軸の無蓋貨車。トフ1 - 3・ツ1 - 9・ト8 - 9・ト10 - 19・ト20 - 22のグループに分かれ、このうちト10 - 19は魚沼鉄道からの譲受車、ト20 - 22は自社工場製であった。
ワフ型
2軸の有蓋貨車。ワフ1 - 5があった。ワフ1は第二次世界大戦後、代用客車のハフ4として改造され、1962年まで使われた。
タボ1200
ボギーの長物車で車籍はなかった。
ロータリー車
自社製造の除雪車。こちらも保線機械扱いで車籍はなかった。

車両数の推移

年度機関車内燃動車客車貨車
蒸気内燃 有蓋無蓋
1920-192423512
1925-193423522
193533522
193633522
1937313522
1946323522
1950424519
1953324519
19571127422
1960123923
  • 鉄道統計資料、鉄道統計各年度版、『軽便追想』に基づく。

動態保存・その他

以下の施設は全て石川県小松市に所在。

脚注

注釈

  1. ↑ 小説家の徳田秋声と異母兄弟の関係にあり、徳田秋声の次兄だった。
  2. ↑ 正田が起業者となったのは、尾小屋鉱山の現場最高責任者という彼の地位が起業上便利であるからという理由で、実質的には初めから横山鉱業部の経営だった。
  3. ↑ 同様の側線は倉谷口駅と沢駅にもあったが、後に撤去されている。
  4. ↑ 支笏湖西岸の美笛川とその支流であるモシルン美笛川の沢沿いに一部複線で線路を伸ばし、金鉱石を河口の桟橋まで輸送していた。貨物船を介して東岸のモラップへ渡った金鉱石は、王子軽便鉄道の通称「山線」を経由して苫小牧へと運ばれていた。
  5. ↑ 設計認可申請書類には1946年12月7日製造と記載されていたという。

出典

  1. 1 2 “会社案内”. 小松バス (2021年6月17日). 2018年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年10月14日閲覧。
  2. 1 2 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ↑ “小松バス株式会社の情報”. 法人番号公表サイト. 国税庁. 2026年10月14日閲覧。
  4. 1 2 3 “小松バス株式会社 第137期決算公告”. 官報決算データべース. 会社活動総合研究所. 2026年10月14日閲覧。
  5. 1 2 『北鉄グループ バス事業再編に伴う新会社の概要について』(PDF)(プレスリリース)北陸鉄道、2021年6月17日。
  6. ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第38回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. 1 2 『鉄道統計資料. 昭和4年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ↑ 寺田 2009, p. 12.
  9. ↑ 石川県 1984, p. 606.
  10. 1 2 3 4 バスマガジン 2015, p. 30.
  11. 1 2 寺田 2009, p. 53.
  12. ↑ “EVバス”. 小松市 (2018年12月4日). 2019年2月24日閲覧。
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  14. ↑ 「加賀地区のバス会社再編 7月、4社を2社に」『北國新聞』朝刊2021年2月27日、5面。
  15. ↑ 「北陸鉄道、貸し切りバス事業子会社を再編」『日本経済新聞』2021年3月2日。
  16. ↑ “路線系統図”. 小松バス. 2020年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年10月14日閲覧。
  17. ↑ “粟津温泉観光周遊BUS(平成30年度で運行終了しました。)”. 小松市 (2018年12月4日). 2020年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月10日閲覧。
  18. ↑ 『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越』、pp.16,28。
  19. ↑ 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』JTBパブリッシング〈キャンブックス〉、2008年、86,87頁。ISBN 978-4-533-07145-4。
  20. ↑ “地理院地図”. 国土地理院. 2024年8月6日閲覧。
  21. ↑ 野口冨士男『徳田秋声伝』筑摩書房、1965年。
  22. 1 2 3 4 鉄道ファン(交友社)2017年9月号 p.104 - 105
  23. ↑ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1916年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1919年12月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ↑ 「地方鉄道貨物運輸開始」『官報』1920年4月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ↑ 「鉄道敷設権譲渡」『官報』1920年6月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. 1 2 3 『尾鉄よ永遠なれ 新装版』p.82
  28. ↑ 『THEレイル No.46』p.38
  29. ↑ 『尾鉄よ永遠なれ 新装版』p.35
  30. ↑ 『鉄道ピクトリアル1978年(昭和43年)7月号臨時増刊:私鉄車両めぐり9』
  31. 1 2 3 4 『THEレイル No.46』p.37
  32. ↑ 『尾鉄よ永遠なれ 新装版』p.79
  33. 1 2 『尾鉄よ永遠なれ 新装版』p.83
  34. 1 2 藤澤英幸「尾小屋鉄道を買った話その後」『鉄道ピクトリアル』1986年3月臨時増刊号(No.461)、電気車研究会、pp.70-72。
  35. ↑ “尾小屋鉄道 DC122”. 汽車・電車1971~ 保存車のページ. 那珂川清流鉄道保存会. 2017年1月15日閲覧。
  36. ↑ “日本の私鉄会社専用鉄道内燃機関車諸元表”. 世界の鉄道 1970年版. 朝日新聞社. (1969). pp. 184-185. doi:10.11501/2520426
  37. 1 2 3 飯島巌 (1965-11-1). “尾小屋鉄道”. 鉄道ファン (交友社) 5 (11): 40-43.
  38. ↑ 『尾鉄よ永遠なれ 新装版』p.84
  39. ↑ 『自転車に抜かれたコッペルたち』p.107
  40. 1 2 『THEレイル No.46』pp.37-38
  41. ↑ 『世界の鉄道'74』pp.182-183
  42. 1 2 3 4 “旧尾小屋鉄道を産業遺産に 保存会、小松の車両状態を確認 クラファンで補修支援募る”. 北國新聞. 2024年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月4日閲覧。
  43. 1 2 “尾小屋鉄道の車両「避難」小松 大雨で車庫浸水 状態調査へ”. 中日新聞. 2024年8月4日閲覧。
  44. ↑ 『尾鉄よ永遠なれ 新装版』p.85
  45. ↑ “なつかしの尾小屋鉄道を守る会”. なつかしの尾小屋鉄道を守る会. 2020年3月29日閲覧。
  46. ↑ 『戦後生まれの機械式気動車(上)』pp.44-45
  47. ↑ 『戦後生まれの機械式気動車(上)』p.45
  48. ↑ 奥山線沿線を歩く(YouTube浜松市公式チャンネル)
  49. 1 2 “日本の私鉄気動車付随客車車両諸元表”. 世界の鉄道 昭和43年版. 朝日新聞社. (1967). pp. 172-173. doi:10.11501/2456142
  50. ↑ 堀田浩史「旧尾小屋鉄道キハ3が動態化」『鉄道ピクトリアル』第54巻第12号、電気車研究会、2004年12月1日、93頁、通巻755号。
  51. ↑ 月津郵便局-日本郵便の公式サイト
  52. ↑ 南正時 (2016年12月25日). “鉄道が登場する映画は今も昔も「名作揃い」だ”. 東洋経済ONLINE. 2020年12月12日閲覧.
  53. ↑ 『鉄道ジャーナル』2014年8月号「尾小屋鉄道 今も元気に走る最後の非電化ナロー」(89ページ)

参考文献

関連項目

外部リンク