戸次親延
戸次親延(べっきちかのぶ、明応4年(1495年)?-天文20年(1551年[注釈 1])は戦国武将。
豊後国の戦国大名大友氏家臣である戸次氏の一族。藤北戸次氏初代。諱は親延、親正。通称は五郎、藤北孫十郎、右馬助、治部太夫、治部少輔、修理亮。法名は玄清義山。藤北戸次氏初代当主。藤北松尾城主。
戸次親貞(丹後守)の五男にあたる。兄に戸次親続[注釈 2]、戸次親宣[注釈 3]、光音寺、普済寺、弟に永方侍者、戸次親就[注釈 4]。子は戸次親繁、戸次親宗(治部少輔)、小野鎮幸の妻(立花道雪養女)、沓掛平左衛門鎮昌の妻。戸次親家の叔父で立花道雪の大叔父にあたる。
『戸次系図』によると、永正8年8月23日(1511年9月25日)17歳の時、室町幕府将軍足利義稙に属す、船岡山の戦いに先鋒として細川政賢の軍陣を破ると功を上げ、感状や刀など恩賞を貰った。
天文20年(1551年)に肥前国小坂の戦いで戦死する。親延の家督は弟の戸次親就が継ぎ、実子の親繁と親宗は親就の養子となった[注釈 5]。
脚注
注釈
出典
参考文献