戸次親家

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戸次親家
時代 戦国時代
生誕 文明10年(1478年)
死没 大永6年4月19日(1526年5月30日)[1]
改名 幼名:孫次郎
戒名 恵徳院殿高節親家大居士
墓所 福岡県柳川市の西方寺
官位 常陸介
氏族 戸次氏
父母 父:戸次親宣[注釈 4]
兄弟 親家、女[注釈 5](由布惟克室)、戸次親久[注釈 6]、戸次親永[注釈 7]、戸次親範[注釈 8]、戸次親兼[注釈 9]
妻 正光院(由布惟常の娘)
養孝院(臼杵長景の娘)[注釈 10]
子 女(清田鑑綱[注釈 11]室)、女(一万田親泰室[注釈 12])、女(安東家忠室)[注釈 13]、某(早世)、鑑連 (道雪)、女(立花鑑高[注釈 14]室)[注釈 15]、女(戸次親方[注釈 16]室)[注釈 17]、女(利光鑑教室)[注釈 18]、女(戸次親繁室)[注釈 19]、鑑方、親行、女(戸次親行室)[注釈 20]
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戸次 親家(べっき ちかいえ)は、戦国時代の武将。豊後国の戦国大名・大友氏の家臣。大友氏の支流・戸次氏の第14代当主。官位は常陸介。豊後国鎧ケ岳城主。

父は戸次親宣、妻は由布惟常の女・正光院、継室は臼杵長景の女・養孝院。

正光院との間の子に清田鑑綱室、一万田親泰室、安東家忠室、某(早世)、戸次鑑連(立花道雪)。

養孝院との間の子に立花鑑高室、戸次親方室、利光鑑教室、戸次親繁室と考えられる。

ほか戸次鑑方[注釈 21]、戸次親行[注釈 22]や娘[注釈 23]がいたが、いずれ親家の実子ではなく、彼の継室・養孝院が戸次一族興盛のため、他家より引き連れの子と考えられる[要出典]。

伯父に戸次親続[注釈 24]、叔父に戸次親光[注釈 25]、戸次親延[注釈 26]、戸次親就[注釈 27]。

略歴

大友氏庶流の戸次親宣の子として生まれた。大友氏の一門であったが、家運は大きく衰えており、本貫地の戸次庄も失って没落していた。親家の代でもその衰運を覆すことはできなかった。また、親家自身病弱で臥せがちだったため、出仕すらままならない状態も多かったという[要出典]。

1526年、大内氏が佐野親基[注釈 28]・間田重安[注釈 29]を豊前国に侵入させ、豊前国の要衝馬ヶ岳城を占拠した際には、病に臥せっていたため、嫡男の戸次鑑連を出陣させた。鑑連は若年でありながらも奮戦し、勲功を挙げた。息子の成長に安堵した親家は、同年に死去。家督は鑑連が継いだ。

脚注

注釈

  1. ↑ 戸次五郎、刑部大輔。
  2. ↑ 藤北戸次氏初代当主、戸次親正、五郎、藤北孫十郎、右馬助、治部太夫、治部少輔、修理亮。法名は玄清義山。藤北松尾城主。戸次親貞の五男。
  3. ↑ 戸次孫十郎、刑部少輔、但馬守、駒木根右近。戸次親延の弟。
  4. ↑ 戸次氏第13代当主、藤北孫次郎、戸次蔵人、五郎、大蔵大輔。藤北城主。
  5. ↑ 戸次親家の妹
  6. ↑ 片賀瀬戸次氏第2代当主、新太郎、右京亮、伊予守、三河守、加賀守、宗心。
  7. ↑ 戸次新介、近江守、親俊。
    • 子に戸次鑑比(戶次兵部少輔鑑方。道雪の従弟。休松の戦いに戦死。)
  8. ↑ 戸次遠江守
  9. ↑ 高山新兵衛。始めは光音寺住持、号は玉泉。
  10. ↑ 養孝院殿如栄妙忠大姉[2]
  11. ↑ 清田氏第11代当主、兵庫頭。10代治仙の嫡男。
  12. ↑ 『北九州市史』によると、高橋鑑種の母は道雪の姉、すなわち鑑種の父・一万田親泰室。
  13. ↑ 菊姬。繁林宗昌大姉[3]
  14. ↑ 立花若狹守。筑前西大友・立花氏の庶流。子に立花(戸次、山本)勘右衛門鎮行。
  15. ↑ 卒守院殿貞林松壽大姉[4]
  16. ↑ 片賀瀬戸次氏第3代当主、山城守、親善、紹草、紹花(一説に立花鑑載の嗣子・立花親善(鶴千代丸、新五郎、左近将監、山城守、一如)と同一人物とも)。
  17. ↑ 華岳院殿覚志芳心大姉[5]
  18. ↑ 月窓院殿貞梅法香大姉[6]
  19. ↑ 臼杵鑑速養女
  20. ↑ 道雪の養母・養孝院の養女で戸次親行の妻となったと考えられる。
  21. ↑ 『立花遺香』によると、実は田原親賢の弟であるとされる。戸次中務の母が懐妊した時、正光院(由布惟常の娘、道雪の生母)が女子ならば母と共に暮らすようにと命じたが、果たして女子が生まれた。ちょうど同じ頃に紹忍の親の妻も男子を出産したが、民間信仰で「嫌年の子」とされる不吉な時期に生まれたので養子出す必要があり、交換したのだという。
    話の出所は、紹運の家臣・有馬伊賀(立花宗茂初陣の後見役)の姉で紹忍の妻いそと、宗茂の生母・宋雲院との会話であるが、正光院は道雪を産出した翌年の1514年に病歿したので、原文でも「しかと承り得ず」として人物は不明とする。養孝院(臼杵長景の娘、道雪の継母)の間違いかもしれない。紹忍の親の妻が、実父奈多鑑基の室なのか、養父田原親輔の室なのかは言及されていない[7]。
  22. ↑ 戸次道雪の異母弟の戸次親行は恐らく、養孝院が他家より引き連れ、養女と結婚した婿養子であるが、1565年に19歳の若さで病死したと伝えられる。戸次親家は1526年に病歿したので、1547年生まれの親行は親家の実子とは考えにくい[要出典]。 しかし、旧柳河藩主立花家文書-〔御亡者様御名幷御寺等書上[8]によると天文4年(1535年)8月14日没。この説によると生年は不明ですが、19歳で病歿の記載が確実なら生年は1517年頃になり、親家の実子の可能性はある。
  23. ↑ 戸次親行室。
  24. ↑ 片賀瀬戸次氏初代当主・新六郎、新三郎、丹後守、山城守。
  25. ↑ 戸次五郎、刑部大輔。
  26. ↑ 藤北戸次氏初代当主、五郎、右馬助、治部大輔親正、藤北松尾城主。子に戸次親繁、戸次親宗(二人とも道雪の従叔父として休松の戦いに戦死)ともに弟・親就の養子。
  27. ↑ 孫十郎、刑部少輔、但馬守、駒木根右近。
  28. ↑ 佐野弾正
  29. ↑ 間田豊前守

出典

関連項目