戸次親行

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戸次親行
時代 戦国時代
生誕 天文16年(1547年)[1]
死没 永禄8年(1565年)[2]または天文4年(1535年)8月14日[注釈 1]
別名 通称:孫五郎
戒名 勇岳院殿哲心宗義大居士
氏族 戸次氏
父母 父:戸次親家、母:養孝院[注釈 2]
兄弟

異母姉:女(清田鑑綱[注釈 3]室)、女(一万田親泰室[注釈 4])、女(安東家忠室)[注釈 5]、
異母兄:某(早世)、鑑連 (道雪)、鑑方、

姉または妹:女(立花鑑高[注釈 6]室)[注釈 7]、女(戸次親方[注釈 8]室)[注釈 9]、女(利光鑑教室)[注釈 10]、女(戸次親繁室)[注釈 11]、
親行、
異母妹:女(戸次親行室)[注釈 12]
子 統春
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戸次 親行(べっき ちかゆき、天文16年(1547年) - 永禄8年(1565年))は、戦国時代の武将。豊後国の大名大友氏、その重臣戸次氏の家臣。大友氏庶流の戸次氏の一族。父は大友氏重臣の戸次親家、母は親家の継室の養孝院。[注釈 13]異母兄に戸次鑑連(のちの立花道雪)と戸次鑑方、子に立花統春がいる。

略歴

天文16年(1547年)、戸次親家の四男[注釈 14]として生まれる。異母兄の鑑連と鑑方と異なり大友義鑑から偏諱を賜った形跡は見られない。永禄8年(1565年)19歳で病没した[注釈 15]。ため、具体的な事績は明らかにされていない。死後当時2歳だった子の次郎兵衛(後の立花統春)は異母兄の鑑連の下で養育される。統春は立花氏の家督を継いだ鑑連より立花姓を賜り、親行の家系は立花氏嫡流の一門として鑑連・宗茂に側近として重用される。

脚注

注釈

  1. ↑ 旧柳河藩主立花家文書-〔御亡者様御名幷御寺等書上[3][4]によると天文4年(1535年)8月14日没。
    • この説によると生年は不明。19歳で病歿の記載が確実なら生年は1517年頃。
  2. ↑ 臼杵長景の娘、臼杵鑑速の姉・養孝院殿如栄妙忠大姉[5]
  3. ↑ 清田氏第11代当主、兵庫頭。10代治仙の嫡男。
  4. ↑ 『北九州市史』によると、高橋鑑種の母は道雪の姉、すなわち鑑種の父・一万田親泰室。
  5. ↑ 菊姬。繁林宗昌大姉[6]
  6. ↑ 立花若狹守。筑前西大友・立花氏の庶流。子に立花(戸次、山本)勘右衛門鎮行。
  7. ↑ 卒守院殿貞林松壽大姉[7]
  8. ↑ 片賀瀬戸次氏第3代当主、山城守、親善、紹草、紹花(一説に立花鑑載の嗣子・立花親善(鶴千代丸、新五郎、左近将監、山城守、一如)と同一人物とも)。
  9. ↑ 華岳院殿覚志芳心大姉[8]
  10. ↑ 月窓院殿貞梅法香大姉[9]
  11. ↑ 臼杵鑑速養女
  12. ↑ 道雪の養母・養孝院の養女で戸次親行の妻となったと考えられる。
  13. ↑ 戸次道雪の異母弟の戸次親行は恐らく、養孝院が他家より引き連れ、養女と結婚した婿養子であるが、1565年に19歳の若さで病死したと伝えられる。戸次親家は1526年に病歿したので、1547年生まれの親行は親家の実子とは考えにくい[要出典]。 しかし、旧柳河藩主立花家文書-〔御亡者様御名幷御寺等書上[10][11]によると天文4年(1535年)8月14日没。この説によると生年は不明ですが、19歳で病歿の記載が確実なら生年は1517年頃になり、親家の実子の可能性はある。
  14. ↑ 早世した長兄を除けば、三男とされる。
  15. ↑ 『戸次系図』によれば、早世・18歳[12]。

出典


関連項目