晋寧郡

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晋寧郡(晉寧郡、しんねい-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。魏晋南北朝時代に2カ所の晋寧郡が設置された。

寧州の晋寧郡

本節では、現在の雲南省中北部に設置された晋寧郡について述べる。308年(西晋の永嘉2年)、益州郡が晋寧郡と改名された[1]。晋寧郡は寧州に属し、郡治は建伶県に置かれた。

南朝宋のとき、晋寧郡は建伶・連然・滇池・穀昌・秦臧・兪元・双柏の7県を管轄した[2]。

南朝斉のとき、晋寧郡は建伶・連然・滇池・兪元・穀昌・秦臧・双柏の7県を管轄した[3]。

徐州の晋寧郡

本節では、現在の江蘇省宿遷市一帯に設置された晋寧郡について述べる。南朝梁のとき、晋寧郡が置かれた。

侯景の乱の混乱に乗じて東魏が晋寧郡を奪った。東魏の晋寧郡は東楚州に属し、臨清・魏興・富城・招農の4県を管轄した[4]。

北斉のとき、晋寧郡は廃止された[5]。

脚注

  1. ↑ 『晋書』地理志上および王遜伝
  2. ↑ 『宋書』州郡志四
  3. ↑ 『南斉書』州郡志下
  4. ↑ 『魏書』地形志二中
  5. ↑ 『隋書』地理志下