| 栃木シティFC | |||
|---|---|---|---|
| 原語表記 | 栃木シティフットボールクラブ | ||
| 呼称 | 栃木シティ[1] | ||
| クラブカラー |
紺 白[2] | ||
| 創設年 | 1947年 | ||
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
| 所属ディビジョン | J3リーグ | ||
| クラブライセンス | J3 | ||
| ホームタウン | 栃木県栃木市、下都賀郡壬生町、足利市 | ||
| ホームスタジアム |
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| 収容人数 | 5,129 | ||
| 運営法人 | 株式会社 THE TOCHIGI CITY UNITED[2] | ||
| 代表者 | 大栗崇司 | ||
| 監督 |
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| 公式サイト | 公式サイト | ||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |||
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本社外観 | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場 |
| 本社所在地 |
〒329-4307 栃木県栃木市岩舟町静1219-2 北緯36度19分10秒 東経139度39分54秒 / 北緯36.31944度 東経139.66500度座標: 北緯36度19分10秒 東経139度39分54秒 / 北緯36.31944度 東経139.66500度 |
| 設立 | 2014年2月3日 |
| 業種 | サービス業 |
| 法人番号 | 6060001025687 |
| 事業内容 | スポーツクラブの運営 |
| 代表者 | 大栗崇司(代表取締役社長) |
| 主要株主 | 日本理化工業所 |
| 外部リンク | https://tochigi-city.com/club/ |
| 特記事項:2018年12月、株式会社栃木ウーヴァから名称変更。 | |
栃木シティフットボールクラブ(とちぎシティフットボールクラブ、英: TOCHIGI CITY FOOTBALL CLUB)は、日本の栃木県栃木市、下都賀郡壬生町、足利市をホームタウンとする[3]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。呼称は栃木シティFCあるいは栃木シティ。Jリーグなどでは栃木サッカークラブ(栃木SC)との区別のために「栃木C」と表記されることがある。
1947年、当時の下都賀郡大平町(現在の栃木市大平町)に所在した日立製作所栃木事業所(現・ 日立グローバルライフソリューションズ 栃木事業所)の実業団チーム「日立栃木サッカー部」として創部。2006年、ジュニアチームを運営していたウーヴァスポーツクラブと統合し、日立栃木ウーヴァスポーツクラブに名称変更した。ウーヴァ(UVA)とはポルトガル語でブドウの意味(ブドウは旧・大平町の特産品である)。2009年に第33回全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、2010年からの日本フットボールリーグ(JFL)への昇格が決定した。
2010年、NPO法人栃木アミスタスポーツクラブに運営を移管、栃木ウーヴァフットボールクラブに名称を変更[4]。
2012年はJFLで最下位に終わり、第36回全国地域サッカーリーグ決勝大会3位のクラブフィールズ・ノルブリッツ北海道との入替戦に回ったが、PK戦で勝利してJFL残留を決めた。
2013年6月、Jリーグ準加盟を申請したが、見送られた[5]。2014年、トップチームの運営を株式会社栃木ウーヴァに移管[6]。5月20日、Jリーグ百年構想クラブとして承認された[7]。
2015年は自動降格圏内の最下位に終わったが、レギュレーション変更によりJFLへの残留が決まった(詳細は第17回日本フットボールリーグ#地域リーグとの入れ替えを参照)。
2016年、サウルコス福井元ヘッドコーチの堺陽二が監督に就任。年間順位は自動降格圏内の15位に終わったが、レギュレーション変更によりJFLへの残留が決まった(詳細は第18回日本フットボールリーグ#地域リーグとの入れ替えを参照)。
2017年、リーグ戦で2年ぶりに自動降格圏内の最下位に終わり、2009年以来となる関東リーグ1部への降格が決まった(詳細は第19回日本フットボールリーグ#地域リーグとの入れ替えを参照)。
2018年、選手契約を原則プロ契約とすることを発表[8]。クラブ代表を務めていた岩原克彦が代表権のない取締役会長に退き、後任に日本理化工業所代表取締役社長・日本理化グループ代表の大栗崇司が就任。戦略統括責任者(CSO)に鳥栖や横浜FCなどで監督を務めた岸野靖之、ヘッドコーチに鳥取元監督の松田岳夫が就任した。GK安藤淳也が現役引退しGKコーチとなったほか大半の選手との契約を満了した一方で、引き続き在籍する8選手とはプロ契約を締結。さらに群馬からMF村田翔、水戸からFW山村佑樹、盛岡からDF守田創、甲府からDF津田琢磨とMF若杉好輝、徳島からMF井澤惇、栃木SCからFW竹中公基、金沢から7年ぶりの復帰となるGK原田欽庸、東京V(前シーズンは長野に期限付き移籍)からDF大木暁、横浜FCからMF野崎陽介と、Jリーグクラブから選手を補強。JFL・テゲバジャーロ宮崎から元JリーガーのMF髙地系治とFW森島康仁、JFL・FCマルヤス岡崎からFWレオジーニョが加入したほか、MF岩渕裕人(松本大学)、DF鯉沼晃(関西大学)、GK田中大貴(大阪学院大学)が新加入。関東リーグ1部で初優勝したが、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2018はグループリーグ3位に終わり、1年でのJFL復帰はならなかった。
2019年からチーム名称を「栃木シティフットボールクラブ」に、運営法人の商号を「株式会社THE TOCHIGI CITY UNITED」に変更した[9] 。監督に北九州でコーチを務めていた鄭容臺が就任したが、シーズン途中の5月14日付で鄭との契約を解除し、戦略統括責任者 (CSO) の岸野靖之が監督を兼任した[10]。最終的にVONDS市原FC・東京ユナイテッドFCに次ぐ3位でリーグ戦終了。
2020年シーズンは岸野が監督兼任を外れてCSO専任となり、後任の監督に奈良クラブ元監督の中村敦を招聘[11]。関東リーグ1部は2年ぶりに優勝し全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2020に出場、一次ラウンドでは3戦全勝でグループを首位通過したものの、決勝ラウンドでは1勝2分・勝点5で3チームが並び、得失点差で3位に終わったためJFL昇格を逃した。
2021年シーズンはクラブ所有のCITY FOOTBALL STATIONが落成し、開幕戦から使用することとなった。しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、リーグ指針に伴い、有観客試合は主催11試合中3試合しか開催出来なかった[12]。リーグでは、開幕戦で昇格組のエスペランサSCに1-2で敗戦を喫するものの、その後は9試合負けなしを記録、8勝1分2敗の首位で前半戦を折り返した。後半戦も5勝1敗と上々のスタートを切ったが、9月からのJFL昇格を争うライバルであるVONDS市原FC、ブリオベッカ浦安、東京ユナイテッドFC、Criacao Shinjukuとの4試合では、東京ユナイテッドFCとの引き分けによる勝ち点1しか積み上げることが出来ず急失速、延期されていた後期第6節(事実上の最終節)流経大ドラゴンズ龍ケ崎戦を前に中村を監督から解任した。結局、リーグ戦は4位に終わった。
2022年シーズンは関東リーグで優勝。第58回全国社会人サッカー選手権では同じ関東リーグ勢でリーグ6位だったブリオベッカ浦安に3回戦で敗退、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2022決勝1次ラウンドではグループAでFC刈谷と勝ち点7で並び、得失点差で2位に終わるもワイルドカードで決勝ラウンド進出。決勝ラウンドは3位に終わり、JFL昇格を逃した[13]。
2023年は関東リーグで2位。第59回全国社会人サッカー選手権大会1回戦で敗退した。Jリーグ百年構想クラブ枠を活用して出場となった全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2023はグループAを3戦全勝(勝ち点9)でグループ1位で決勝ラウンドに進出。決勝ラウンドは2勝1敗の勝点6であったが、得失点差でV市原を上回って優勝した。12月5日のJFL理事会で2024年度からのJFL入会が承認された[14]。2017年シーズン以来7年ぶりの復帰となった。 12月19日、Jリーグ百年構想クラブから脱退した[15]。これは、2022年12月の制度改定により、Jリーグ入会要件からJリーグ百年構想クラブであることが要件から外れ、これまで必須であった百年構想クラブでなくともJ3ライセンスの取得に支障がない状況となったことによるもので、クラブは引き続きJリーグ加盟を目指すとしている。
開幕から5試合終えた時点では2勝3敗、首位と勝点差9で最下位と勝点差3の11位と出遅れ、そこから6試合負けなしと持ち直すも第12節アトレチコ鈴鹿クラブに1-5と大敗し、同節終了時点で6勝2分4敗の勝点20で3位、首位高知ユナイテッドSCとの勝点差は10に開き、15試合終了時点では2位とはなっていたもの首位高知との勝点差は10のままだった。しかし後半戦に入り長期の連勝こそないものの負けなしを続け首位高知を追撃。その間9月24日にJ3クラブライセンスが初交付された[16]。第23節高知との直接対決に勝利し勝点差を1とすると、第24節ミネベアミツミFC戦に勝利、高知が敗れたためシーズン初の首位浮上。その後も負けなしは続き高知を引き離すと、11月17日の第29節、前期は大敗した鈴鹿との対戦に6-0で勝利し、JFL復帰初年度にして初優勝を飾るとともに、J3の昇格に必要な観客動員要件の1試合平均2000人以上を満たすことが確定したため、2025年のJ3リーグへの昇格が正式に決定した[17][18]。結局先述の前期鈴鹿戦での敗戦後最終節までリーグ戦18戦無敗でシーズンを終えた。
今矢体制4年目。クラブ史上同一監督が4シーズン連続指揮を執るのは栃木ウーヴァ時代含めて初。
いわてグルージャ盛岡からFW都倉賢、ギラヴァンツ北九州からDF乾貴哉、ブリスベン・ロアーFCからMF加藤カレッティ丈、栃木SCからMF森俊貴、仁川ユナイテッドFCからDFマテイ・ヨニッチらが加入。
凡例
| リーグ、カップ戦優勝 | リーグ、カップ戦準優勝 | リーグ、カップ戦3位 |
この節の加筆が望まれています。 |
| 年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 |
| 1967 | 栃木県1部 | 優勝 | |||||||||
| 1968 | 優勝 | ||||||||||
| 1969 | |||||||||||
| 1970 | |||||||||||
| 1971 | 優勝 | ||||||||||
| 1972 | 関東 | 8位 | 1 | 14 | 0 | 1 | 13 | 14 | 56 | -42 | |
| 1973 | 栃木県1部 | 優勝 | |||||||||
| 1974 | 優勝 | ||||||||||
| 1975 | |||||||||||
| 1976 | 優勝 | ||||||||||
| 1977 | |||||||||||
| 1978 | 2位 | 14 | 9 | 7 | 0 | 2 | 地区予選敗退 | ||||
| 1979 | 2位 | 9 | 6 | 4 | 1 | 1 | |||||
| 1980 | 優勝 | 17 | 9 | 8 | 1 | 0 | |||||
| 1981 | 関東 | 9位 | 12 | 18 | 4 | 4 | 10 | 11 | 28 | -17 | |
| 1982 | 10位 | 9 | 18 | 4 | 1 | 13 | 20 | 46 | -26 | ||
| 1983 | 栃木県1部 | 優勝 | 14 | 8 | 6 | 2 | 0 | ||||
| 1984 | 3位 | 12 | 9 | ||||||||
| 1985 | 7位 | 7 | 8 | 2 | 3 | 3 | |||||
| 1986 | 3位 | 10 | 8 | 4 | 2 | 2 | |||||
| 1987 | 4位 | 10 | 9 | 4 | 2 | 3 | |||||
| 1988 | 9位 | 6 | 9 | 3 | 0 | 6 | |||||
| 1989 | 栃木県2部A | 優勝 | 14 | 7 | 7 | 0 | 0 | ||||
| 1990 | 優勝 | 19 | 7 | 6 | 1 | 0 | |||||
| 1991 | 栃木県2部 | 優勝 | |||||||||
| 1992 | 栃木県1部 | 3位 | 19 | 12 | 6 | 1 | 5 | ||||
| 1993 | 7位 | 18 | 12 | 6 | 0 | 6 | |||||
| 1994 | 7位 | 11 | 11 | 4 | 3 | 4 | |||||
| 1995 | 9位 | 12 | 11 | 4 | 0 | 7 | |||||
| 1996 | 8位 | 16 | 11 | 5 | 1 | 5 | 県予選敗退 | ||||
| 1997 | 8位 | 13 | 11 | 4 | 1 | 6 | |||||
| 1998 | 6位 | 10 | 9 | 3 | 1 | 5 | |||||
| 1999 | 優勝 | 28 | 14 | 9 | 1 | 4 | |||||
| 2000 | 2位 | 30 | 14 | 10 | 0 | 4 | |||||
| 2001 | 2位 | 37 | 14 | 12 | 1 | 1 | |||||
| 2002 | 優勝 | 14 | |||||||||
| 2003 | 関東2部 | 6位 | 12 | 14 | 4 | 0 | 10 | 25 | 55 | -30 | |
| 2004 | 4位 | 21 | 14 | 6 | 3 | 5 | 24 | 19 | 5 | ||
| 2005 | 3位 | 25 | 14 | 7 | 4 | 3 | 28 | 18 | 10 | 1回戦敗退 | |
| 年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 |
| 2006 | 関東2部 | 2位 | 30 | 14 | 9 | 3 | 2 | 35 | 18 | 17 | 県予選敗退 | |
| 2007 | 関東1部 | 2位 | 27 | 14 | 9 | 0 | 5 | 33 | 17 | 16 | ||
| 2008 | 2位 | 26 | 14 | 8 | 2 | 4 | 24 | 19 | 5 | 3回戦敗退 | ||
| 2009 | 2位 | 31 | 14 | 10 | 1 | 3 | 30 | 16 | 14 | 県予選敗退 | ||
| 年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 |
| 2010 | JFL | 15位 | 31 | 34 | 7 | 10 | 17 | 41 | 75 | -34 | 1回戦敗退 | |
| 2011 | 10位 | 45 | 33 | 12 | 9 | 12 | 40 | 43 | -3 | 2回戦敗退 | ||
| 2012 | 17位 | 22 | 32 | 4 | 10 | 18 | 36 | 70 | -34 | 県予選敗退 | ||
| 2013 | 17位 | 30 | 34 | 9 | 3 | 22 | 34 | 66 | -32 | 2回戦敗退 | ||
| 2014 | 13位 | 19 | 26 | 4 | 7 | 15 | 16 | 37 | -21 | 1回戦敗退 | ||
| 2015 | 16位 | 19 | 30 | 5 | 4 | 21 | 29 | 61 | -32 | 1回戦敗退 | ||
| 2016 | 15位 | 16 | 30 | 5 | 1 | 24 | 34 | 77 | -43 | 1回戦敗退 | ||
| 2017 | 16位 | 24 | 30 | 5 | 9 | 16 | 22 | 56 | -34 | 2回戦敗退 | ||
| 2018 | 関東1部 | 優勝 | 52 | 18 | 17 | 1 | 0 | 55 | 14 | 41 | 県予選敗退 |
| 年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | Jリーグ杯 | 天皇杯 | 他公式戦 | 監督 | 備考 |
| 2019 | 関東1部 | 3位 | 32 | 18 | 9 | 5 | 4 | 30 | 15 | 15 | - | 1回戦敗退 | - | 全社2回戦敗退 | |
| 2020 | 優勝 | 23 | 9[※ 1] | 7 | 2 | 0 | 25 | 6 | 19 | 1回戦敗退 | 地域CL3位 | ||||
| 2021 | 4位 | 44 | 22 | 14 | 2 | 6 | 45 | 26 | 19 | 2回戦敗退 | - | ||||
| 2022 | 優勝 | 37 | 18 | 11 | 4 | 3 | 33 | 14 | 19 | 県予選敗退 | 全社ベスト8 地域CL3位 | ||||
| 2023 | 2位 | 36 | 18 | 11 | 3 | 4 | 54 | 24 | 30 | 2回戦敗退 | 地域CL優勝 | ||||
| 2024 | JFL | 優勝 | 64 | 30 | 19 | 7 | 4 | 66 | 35 | 31 | 2回戦敗退 | JFL優勝、J3昇格 | |||
| 2025 | J3 | 位 | 38 | TBD | 回戦 | - |
栃木市岩舟地区の岩舟総合運動公園を建設候補地として民設民営によるサッカー専用スタジアム建設を計画して[21][22]、2021年3月に新スタジアムCITY FOOTBALL STATIONが完成した[23]。
| 年度 | 栃木市陸 | 足利市陸 | その他 |
| 2010 | 14 | 3 | なし |
| 2011 | 12 | 4 | 小山1 |
| 2012 | 11 | 3 | 小山2 |
| 2013 | 8 | 7 | 栃木県陸1 小山1 |
| 2014 | 9 | 3 | 小山1 |
| 2015 | 10 | 3 | 小山2 |
| 2016 | 10 | 3 | 小山2 |
| 2017 | 10 | 3 | 小山2 |
2013年1月22日、足利市との間で同市をセカンドホームタウンとし、足利市総合運動公園陸上競技場をセカンドホームスタジアムとして使用することで合意した[26]。合意の際に、足利市長(当時)の大豆生田実は「名称を『両毛ウーヴァ』にしてはどうか」との提案もあった。
2013年4月に大豆生田を破って足利市長選挙に当選した和泉聡は、「ダブル本拠地に関する合意書」について2014年2月の更新時に更新しないと発表した[27][28]。
足利市とのホームタウン契約は基本1年で、期間満了の3か月前までに特に返事がない場合は契約を1年ごとに更新するものと見なされることになっていたが、和泉が「練習会場の確保など、合意事項を実行できない」と判断し、10月24日までに契約更新をしない旨を伝えたと報じられた[27]。
また足利市側は週1回程度夜間練習ができる会場を確保するとしていたが「サッカーのスパイクによって芝生が荒れて、頻繁に修復工事をしなければいけない」と、確保ができなかった理由を説明しており、また足利事務所の設置や資金調達のための情報提供も「市が個別の団体に対して行うのは好ましくない」とし、名称変更を含めた栃木市との交渉も事実上決裂した状態にある[28]。
Jリーグ入会後の2025年2月27日、Jリーグ理事会で承認を受けて栃木市、壬生町に加えて足利市が正式にホームタウンに追加された[3]。
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| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
| 胸 | 日本理化工業所 | NIPPONRIKA | 2017年4月 - | 2017年は背中上部 (1stは「NIPPONRIKA」 2ndは「vincent」表記) |
|---|---|---|---|---|
| 鎖骨 | なし | - | - | |
| 背中上部 | 深井製作所 | FUKAI | 2017年4月 - | 2017年は胸 2018年 - 2024年は背中下部 |
| 背中下部 | なし | - | - | |
| 袖 | 明盛宏産 | FUJISACO | 2023年 - | 2023年はパンツ背面 2024年はパンツ表面 |
| パンツ表面 | 大協建設 | 大協建設 | 2025年 - | |
| パンツ背面 | 銅市金属工業 | 銅市金属工業 | 2025年 - | |
| 年度 | 箇所 | サプライヤー | ||||||
| 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ表面 | パンツ背面 | ||
| 2010 | 日立エアコン・冷蔵庫 | 解禁前 | - | 解禁前 | 日本旅行 | 大坂屋 | - | asics |
| 2011 | アスワン | |||||||
| 2012 | 和洋レストラン いらっしゃれ | les cinq sens | ||||||
| 2013 | 丸和住宅 | |||||||
| 2014 | アスライブ | |||||||
| 2015 | エフアンドエフ | |||||||
| 2016 | - | mitre | ||||||
| 2017 | - / FUKAI | NIPPONRIKA (1st) vincent (2nd) | 栃木市医師会 | ニッコークリエート | ||||
| 2018 | NIPPONRIKA | - | MICAMATION | FUKAI | - | - | LUXPERIOR | |
| 2019 | ||||||||
| 2020 | ||||||||
| 2021 | - | |||||||
| 2022 | NIPPONRIKA (1st) 栃木製麺 (2nd) | |||||||
| 2023 | NIPPONRIKA | FUJISACO | ||||||
| 2024 | FUJISACO | - | ||||||
| 2025 | FUKAI | - | FUJISACO | 大協建設 | 銅市金属工業 | |||
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