桃化
桃化(とうか、元禄9年(1696年)- 延享元年4月23日(1744年6月3日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧である。瑞泉寺の第12代住持で、第11代住持常照の実子。法名は真照で、諱は性寛。院号は応現院。父の常照は俳人の「浪化」として著名であり、真照もまた「桃化」の俳号で広く知られたことから、本稿では「桃化」で表記を統一する。
生涯

桃化は瑞泉寺第11代浪化の長男として生まれたものの、6歳の時には母親が、8歳の時には父親が死去してしまい、幼くして孤児となった[1]。そこで東本願寺の真如が一時これを養子として引き取り、宝永6年(1709年)に14歳で得度した上で、正徳元年(1711年)にようやく瑞泉寺住持の地位を継承するに至った[1]。
桃化が成人したころは松尾芭蕉の門下である各務支考が俳壇で有力であり、「桃化」の号も「芭蕉庵桃青」と「浪化」から一字ずつ取って支考が命名したものであった[1]。桃化もまた多くの俳句を残しており、現在まで続く五ケ山の大牧温泉で月を詠んだ俳句などが残されている[2]。また、支考が芭蕉33回忌追悼のため編纂した『三千花』でも、桃化の俳句が収録されている[3]。
また桃化の事績として特筆されるのは、毎年6月22日より28日に行われていた虫干しにあわせて太子絵伝の絵解きを始めたことである[4]。これが「太子伝絵」として定着し、現在に至るまで瑞泉寺を代表する行事(いなみ太子伝観光祭)として知られている[4]。このほかにも、「瑞泉寺」の名称の由来となった「臼浪水」の整備等も行っている[5]。
延享元年(1744年)4月23日に50歳で死去した。桃化には後継者がいなかったため、没後に瑞泉寺の門徒が本山に連枝の下向を願い出て、寛延3年(1750年)5月10日に大和国教行寺より真恵が瑞泉寺に入って13代住持となった[6]。
脚注
参考文献
- 井波町史編纂委員会 編『井波町史 上巻』井波町、1970年。
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