達性
達性(たつせい、天明3年(1783年)- 寛政12年5月9日(1800年6月1日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧である。瑞泉寺の第15代住持で、東本願寺第19代住持法主乗如の第三子。童名は照君で、院号は接受院。
生涯
瑞泉寺14代従祐は「蘭台」の俳号で知られる俳人でもあったが、安永6年(1777年)に「御宗名騒動」という事件が起こり、本山に呼び出された従祐は連枝の資格と「誠心院」の院号が剥奪されてしまった[1]。この「御宗名騒動」の詳細は不明であるものの、従祐とその一族は瑞泉寺住持を継承できなくなってしまい、従祐の実子は高田本誓寺を継ぐこととなった[2]。
そこで新たな瑞泉寺住持の候補となったのが東本願寺第19代住持法主乗如の第三子である照君で、寛政10年(1798年)には瑞泉寺より東本願寺に下向の請願がなされた[3]。しかし照君の派遣の決定には時間がかかり、寛政12年(1800年)になってようやく聞き入れられ、瑞泉寺の竹部豊前が上京して迎えることとなった[3]。ところが同年5月初頭より照君は急病となり、結局瑞泉寺に入ることなく同月9日に死去した[3]。
実際には瑞泉寺に入っていないものの、達姓という法号と接受院という院号を与えられ、形式上瑞泉寺の15代住持に数えられている[4]。瑞泉寺の記録によると同年5月16日に御寿影のみが瑞泉寺に到着し、これをもって達姓は瑞泉寺住持と見なされるようになったという[3]。
脚注
参考文献
- 井波町史編纂委員会 編『井波町史 上巻』井波町、1970年。
- 富山県 編『富山県史 通史編3 (近世 上)』富山県、1982年。
- 宇野次四郎『井波誌』町立井波図書館館友会、1937年。
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