ひぐち さとる
樋口 覚
誕生 (1948-01-20) 1948年1月20日
日本の旗 日本・長野県長野市
死没 (2022-11-24) 2022年11月24日(74歳没)
日本の旗 日本・埼玉県所沢市
職業 歌人、文芸評論家
最終学歴 一橋大学社会学部卒業
主な受賞歴

1994年 第22回平林たい子文学賞受賞 (『一九四六年の大岡昇平』)
1997年 第10回三島由紀夫賞受賞 (『三絃の誘惑 近代日本精神史覚え書』)

2005年 芸術選奨文部科学大臣賞受賞 (『書物合戦』)
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樋口 覚(ひぐち さとる、1948年1月20日 - 2022年11月24日)は、日本の文芸評論家。2005年に芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

祖父の樋口長衛は開成学園で斎藤茂吉と、東京帝国大学で岩波茂雄と同級生だった信州の教育者で長野県立長野中学校長を務めており、祖母の樋口志保子は島木赤彦門下のアララギ歌人。父の樋口寛は国文学者で、安曇野に疎開して以降長野在住だった斎藤史と交流があり、幼少期の覚は史に可愛がられていた[1]。

人物

長野県長野市出身[2]。長野で過ごしていた頃はバロック音楽に心酔していた[3]。長野県長野高等学校を経て、一橋大学社会学部卒業。大学時代には短歌に目覚め、斎藤史に歌を学んだ[4]。株式会社医学書院編集部で編集者として活動するかたわら、歌人として活動を開始し、後に文芸評論の道に進む。大岡昇平、中原中也、富永太郎ら昭和の詩人・文学者のほか、古典文芸への論及も多い。

2008年、財団法人日本近代文学館専務理事就任。

2022年11月24日、肺炎のため埼玉県所沢市の高齢者福祉施設において死去した[2][5][6]。74歳没。

評価

作品

単著以外

翻訳

脚注

  1. ↑ “迷路彷徨談(2)清水房雄氏に聞く | 塔短歌会”. 2023年12月31日閲覧。
  2. 1 2 「樋口覚氏死去 長野市出身の文芸評論家」『信濃毎日新聞デジタル』信濃毎日新聞社、2022年12月23日。オリジナルの2022年12月25日時点におけるアーカイブ。2022年12月25日閲覧。
  3. 1 2 「三島賞受賞の樋口覚さんに聞く 三味線の音で近代文学俯瞰」『朝日新聞』1997年6月26日、夕刊、5面。
  4. ↑ 「「太陽沈んだ…」 女流歌人の斎藤さん死去 追悼の声続々と=長野」『読売新聞』2002年4月27日、東京朝刊長野、30面。
  5. 1 2 「樋口覚さん死去」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2022年12月25日。オリジナルの2022年12月25日時点におけるアーカイブ。2022年12月25日閲覧。
  6. 1 2 3 「樋口覚氏が死去 文芸評論家 歌人」『日本経済新聞』日本経済新聞社(共同通信)、2022年12月23日。オリジナルの2022年12月24日時点におけるアーカイブ。2022年12月23日閲覧。
  7. ↑ 富岡多惠子「考えつづけた歌の型 詩を放棄せぬ道分析「中原中也」」『朝日新聞』1996年3月17日、朝刊、15面。


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