
人口4,281人、面積397.72km²、人口密度10.8人/km²。(2024年8月31日、住民基本台帳人口)
以下の1町を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に標津郡標津町の一部(崎無異・薫別・古多糠・忠類)を加えた区域にあたる。
アイヌ語に由来する。由来となったアイヌ語の「メナㇱ(menas)」には「東」「東風」の2つの意があり、そのどちらであるかははっきりしていない。アイヌ語研究者の山田秀三は「東(の土地)」の意と解釈するにとどめている[1]。
江戸時代の目梨郡域は、松前藩によって開かれたネモロ場所に含まれた。松前藩の「新羅之記録」によると、元和元年から元和7年頃、メナシ地方の蝦夷(アイヌ)が、100隻近い舟に鷲の羽やラッコの毛皮などを積み、松前で交易したと記録されている。寛政元年、蝦夷の人々が蜂起したクナシリ・メナシの戦い(寛政蝦夷蜂起)が勃発、メナシ地方でも多数の和人が殺害される。同年、羅臼温泉が発見された。
江戸時代後期、目梨郡域は東蝦夷地に属していた。南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え寛政11年目梨郡域は天領とされた。文政4年に一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり会津藩が警固をおこなった。また、羅臼神社の創立は安政年間と伝わる。安政3 - 4年ころ知床半島硫黄山の噴火があった。安政6年の6藩分領以降は会津藩領となった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して目梨郡が置かれた。
特記なき場合『根室・千島歴史人名事典』による[2]。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 和田正苗 | 明治13年(1880年)7月15日 | 明治18年(1885年) | 花咲郡の一部から色丹郡が分立 |
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 松下兼清 | 明治18年(1885年) | 明治19年(1886年) | |
| 2 | 広田千秋 | 明治19年(1886年)12月 | 明治22年(1889年) | |
| 3 | 細川碧 | 明治22年(1889年)7月 | 明治23年(1890年)7月 | |
| 4 | 高岡直吉 | 明治23年(1890年)8月11日 | 明治28年(1895年)12月3日 | |
| 5 | 林悦郎 | 明治28年(1895年)12月18日 | 明治30年(1897年)11月5日 | 根室郡外九郡役所を廃し根室支庁を置く。 |
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