石田京子

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石田 京子
Kyoko Ishida
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1960-07-12) 1960年7月12日(64歳)
出身地 大阪府大阪市
ラテン文字 Kyoko Ishida
身長 177cm
体重 65kg
血液型 A型
選手情報
愛称 キッコ
ポジション センター
指高 225cm
利き手 右
スパイク 295cm
獲得メダル
女子 バレーボール
オリンピック
銅1984バレーボール
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石田 京子(いしだ きょうこ、現姓:野口、1960年7月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現指導者。

来歴

大阪府大阪市出身。薫英高校を経て、日本リーグの日立(当時)に入部。

1984年度の第18回日本リーグでは、江上由美や三屋裕子らが抜けた日立を主将として率い、21戦全勝の完全優勝を遂げ、自らもスパイク賞とベスト6に輝いた[1]。このあともリーグ連勝記録を前人未踏の88まで伸ばした殊勲者のひとりである。

一方、1982年に全日本に招集され、1984年ロサンゼルスオリンピックに出場、銅メダルを獲得した。

1987年に現役引退し、元日立コーチの野口剛彦と結婚[2][3]。

1999年、信州大学教育学部生涯スポーツ課程[4]に入学[5]。卒業後、同大学経営大学院イノベーション・マネジメント専攻に進学し2006年に修了[4][5]。同大学非常勤講師などを経て[4]、2009年から長野大学に着任し、社会福祉学部教授[4]、同大学女子バレーボール部監督[6]、長野県バレーボール協会強化委員[7]、ルートインホテルズ Brilliant Aries(V2リーグ・長野県)アドバイザー[8]を務めた。

2024年、松本大学に非常勤講師として着任し、女子バレーボール部監督に就任した[9][10]。

エピソード

1992年、妊娠中にサイパンから帰国する際に飛行機内で体調を崩す。この時搬送を手伝ったのは幕内初優勝直後の貴乃花光司であった。盲腸の破裂と腹膜炎により流産となったが、のちに男児を出産した際には貴乃花の「貴」の字を入れた名を付けた[11][12]。

球歴

受賞歴

所属チーム

出演

脚注

  1. ↑ 日本バレーボール協会. “バレーリーグ40年 - 歴史を力に”. 2011年12月1日閲覧。
  2. ↑ “人・かお・トーク:学生の居場所、大切に 松本大女子バレー部監督 野口京子さん(64) /長野”. 毎日新聞. 2024年11月29日閲覧。
  3. ↑ “24jo.volley.pdf”. 2024年11月29日閲覧。
  4. 1 2 3 4 “長野大学 - 教員紹介”. 2023年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月29日閲覧。
  5. 1 2 “【松本大学 女子バレーボール部】松本大学に「バレーの王国」を 新監督を招いて強化部へ | スポカラ”. spocolor.com. 2024年11月29日閲覧。
  6. ↑ 2011年度第30回東日本バレーボール大学選手権大会 公式プログラム31ページ(閲覧日:2011-12-1)
  7. ↑ 長野県バレーボール協会役員
  8. ↑ “選手・スタッフ”. ルートインホテルズ Brilliant Aries. 2021年7月1日閲覧。
  9. ↑ “女子バレーボール部が、2024年度より強化部として始動!|松本大学/松本大学松商短期大学部”. www.matsumoto-u.ac.jp. 2024年11月29日閲覧。
  10. ↑ “【松本大学 女子バレーボール部】松本大学に「バレーの王国」を 新監督を招いて強化部へ | スポカラ”. spocolor.com. 2024年11月29日閲覧。
  11. ↑ “貴乃花光司氏 28年前に“救助”した女性は五輪メダリストだった、再会果たし「光栄です」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年11月29日閲覧。
  12. ↑ “貴乃花光司氏、現役時代に飛行機で救助した女性は元バレーボール五輪メダリストだった”. スポーツ報知 (2020年1月29日). 2024年11月29日閲覧。

参考文献

  • 月刊バレーボール 1986年1月号臨時増刊 101ページ

外部リンク