|
| |
| 人物情報 | |
|---|---|
| 全名 |
竹田 恒泰 (たけだ つねやす) |
| 生誕 |
1975年10月24日(49歳) |
| 出身校 | 慶應義塾大学法学部法律学科卒業 |
| 両親 | 竹田恆和(父) |
| 学問 | |
| 活動地域 |
|
| 研究分野 |
法学 憲法学 |
| 学位 | 法学士 |
| 特筆すべき概念 | 教育勅語万能論 |
| 主要な作品 | 「著書」の節を参照 |
| 影響を受けた人物 |
寬仁親王 小林節 |
| 影響を与えた人物 | 吉木誉絵 |
| 主な受賞歴 |
山本七平賞 『語られなかった皇族たちの真実』 正論新風賞 『日本はいつ建国したか』 |
竹田 恒泰(たけだ つねやす、1975年〈昭和50年〉10月24日[1] - )は、日本の政治評論家、作家、実業家[2]。皇學館大学非常勤講師[3]。株式会社エクスチェンジャーズ、株式会社前方後円墳代表取締役[4][5]。利尻昆布ラーメン「くろおび」オーナー[6][7]。「令和書籍」社長。
旧皇族の竹田家(旧:竹田宮家)出身[8][9][注 1]。竹田宮恒久王と昌子内親王の曾孫であり、男系では北朝第3代崇光天皇の19世[10]、竹田宮恒徳王3世。女系では明治天皇の玄孫[11]で、今上天皇(徳仁)の三従兄弟にあたる。
東京都港区にて出生。日本オリンピック委員会 (JOC) 前会長の竹田恆和[12][13]の子。
松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高校(英語会に所属)を経て、エスカレーター式で慶應義塾大学法学部法律学科で環境学[14]を専攻して卒業する。
イラク戦争前の2003年(平成15年)1月、一水会代表の木村三浩らとともに「ブッシュ政権のイラク攻撃を止めさせる緊急アピール」発起人となり[15]、一水会のイラク訪問団(団長は木村三浩)に鈴木邦男、塩見孝也、平野悠、PANTA、沢口友美、雨宮処凛、大川豊らとともに参加した[16][17]。
2006年(平成18年)に著書『語られなかった皇族たちの真実』で山本七平賞を受賞した[8]。
2007年(平成19年)から2014年(平成26年)3月まで慶應義塾大学大学院で非常勤講師として勤務した。大学院では通年の講座「憲法特殊講義(天皇と憲法)」を憲法学者の小林節と共同で担当し、のちに単独で「憲法特殊講義I(公政)」、「憲法特殊講義II(公政)」を半期ず つ[18][19]受け持った。
2008年(平成20年)12月に「天皇は本当に主権者から象徴に転落したのか?[20]」でアパグループが主宰する第2回「真の近現代史観」懸賞論文で“最優秀藤誠志賞”を受賞した[21]。
2009年12月に旧統一教会系の『世界日報』の読者でつくる「世日クラブ」で「皇室の弥栄」と題した講演を行う。日本の主権のあり方について、君民一体の上に主権は存在し発動されると分析。「天皇主権が国民主権に移った」とする考え方に異論を唱えた[22][23]。
2012年(平成24年)10月29日YouTubeに開設した竹田恒泰チャンネルで、特番を除いて週に一度配信している。後に同チャンネル放送の中国、韓国報道に焦点を置いた本『面白いけど笑えない中国の話』や『笑えるほどたちが悪い韓国の話』などが発売された[24][25]。
2015年(平成27年)度から皇學館大学・現代日本社会学部で非常勤講師として、春学期は現代人権論、秋学期は日本国家論[26]を講義する。
2015年(平成27年)4月19日、「一般女性と結婚した」と発表した[27]。
2016年(平成28年)7月1日、外貨両替業を行う株式会社エクスチェンジャーズを創業[28]。
2016年(平成28年)8月31日、世界日報社『ビューポイント』に「天皇陛下「お気持ち」表明に思う」を寄稿、翌月にも皇室についての記事「祈る存在が象徴の本質」を寄稿した[29]。
2016年(平成28年)10月に第1子となる長女が誕生[30]。
2018年(平成30年)2月14日、暗号通貨を取り扱う株式会社エクスコインを創業[31]。
2024年(令和6年)自身が代表を務める令和書籍の中学の歴史教科書が文部科学省の教科書検定に合格した。同教科書はこれまで過去3回不合格となっていた[32]。
選択的夫婦別姓制度導入に反対している。自身のTwitterで「夫婦別姓の問題点は①婚外子が増える、②表札があげられなくなる、③墓が守られなくなる、そしてひいては、④日本の伝統的家族制度が崩壊することにつながる」[35]「夫婦別姓論者が『女性の人権』を口にする。だが平等とは機会が平等という意味である。夫婦の合意があれば妻の姓を名乗ることも自由であるから、夫婦同姓は女性の人権侵害に当たらない。社会の一員である前に家族の一員であり、不自由があるのはむしろ当然。夫婦同姓を合憲とする最高裁の判断は正しい」[36]「選択的夫婦別姓では、子供の姓をどうするかで夫婦で意見が割れた場合、大きな問題となる。子供のことを考えたら、夫婦同姓ならその問題は起き得ない」と述べている[37]。
最高裁判所大法廷が、2013年(平成25年)9月4日に婚外子を相続において差別する民法の規定が違憲であると判断を下し[38]、それに従い民法が近く改正されることに関して「平等っていうのは、あくまでも原則。合理的な理由があれば原則はなくしていい」と述べ、反対を表明している[39]。
高校生の時の英語ディベートを契機に[40]、長年保守の立場から脱原発を主張している。既に2011年(平成23年)の福島第一原子力発電所事故以前から、脱原発を求める記事を新聞に発表してきたが、事故後は脱原発の立場の発言をTwitterへ投稿し、2011年(平成23年)に、脱原発を主張する著書を出版するなど[41]、その姿勢を一層鮮明にしている。とりわけ「原発を推進する人たちは、戦争が起きた場合に原発こそが最初に攻撃目標になることを知っているだろうか」「もし原発がミサイル攻撃を受けたら、通常兵器であっても核兵器を使用されたのと同じだけのダメージを受ける。すなわち、原発を保持することは、自国向けの核兵器を配備しているのと同じことである」と述べるなど[42]、国土に原発を置くことに対する国防・安全保障上のリスクをたびたび主張している。一方で、雁屋哲の『美味しんぼ』騒動に対しては「脱原発派を貶める行為」と批判的な見解を取っている[43]。
「どんな路線で政策を進めるにせよ、情報は国民が正しく判断するために欠かせないもの」という考えから、「いつまでも秘密指定を続けられること」と、「秘密指定の妥当性を調べる第三者機関の実効性がはっきりしないこと」を理由に、「特定秘密の保護に関する法律」案に対しては慎重姿勢を取った。また法案成立後は「その点を修正するための改正が必要である」としている[44]。
憲法9条は政府解釈によるなし崩し的な拡大解釈を止めるために見直し、自衛隊の活動原則を明記すべき、憲法1条の象徴天皇や憲法13条の幸福追求権は大切なこと、と唱えている。愛国心や道徳観念を憲法に盛り込むことには疑問を呈している。護憲について、憲法護持と声を上げているだけでは、考える力を削ぐと批判している。憲法は、国民ひとり一人が幸せになるための道具であり、常に批判的な目で見ることが大切としている[45]。
2017年、森友学園の幼稚園児らが暗唱して注目された教育勅語に関して、AbemaTVで「教育勅語は道徳の根本規範」「教育勅語を廃止決議して、教育現場から追い出したツケが出てきている」[46]と擁護論を主張。また連続動画で「教育勅語さえ実践すればそれでいい」と教育勅語擁護論を力説している[47]。
竹田は「日本学術会議はほとんど何の仕事もしていない。稀にする仕事はミスリードばかり。政府が毎年10億を丸抱えする意味なし。50人の事務職員の平均年収が800万円っておかしいだろ」と指摘しており、日本学術会議の「解体」を主張している[48]。
香港の中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法に関連し、日本など海外でも適用されることを述べ宇宙でも中国共産党批判が許されないとし、今日の香港、明日の台湾、明後日の沖縄であると述べた[49]。
竹田恒泰は北朝第3代崇光天皇の男系19世子孫であり、竹田宮恒久王と昌子内親王の曾孫であるため明治天皇の玄孫である。
1920年(大正9年)5月19日に制定された内規「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」では、「皇玄孫(註:4世王)ノ子孫タル王」のうち「長子孫ノ系統4世以内(註:5~8世王)」を除く全ての王は、請願なき場合も華族に降下することが定められている。また、同附則により伏見宮系皇族については、その共通の祖である伏見宮邦家親王を起点とすることとされている。竹田宮家の場合、竹田宮恒久王が附則2世王、離脱した竹田宮恒徳王が附則3世王、同じく離脱した竹田宮恒正王(竹田恒泰の伯父)が附則4世王であり、竹田恒泰自身は附則5世王に相当する世代である。ただし、恒泰の父である恆和は、父の恒徳王の第3男子として、皇籍離脱した約2週間後に出生しており、生涯で一度も皇族であったことはない。
附則3世王が臣籍降下した場合、宮家の嗣子ではない次男・三男は侯爵に、四男・五男は伯爵に叙されていた(皇籍離脱#大正時代・臣籍降下#竹田宮を参照、多嘉王の子を除く)。これを基にすれば、恆和(附則4世王に相当、三男)は侯爵に相当し、恒泰はその嗣子にあたる。
2013年10月20日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』にて、「在特会(在日特権を許さない市民の会)が活動したおかげで在日の特権の問題が明らかになった」「例えば、通名というのがあって、日本人の名前に変えることによって、犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ、また新たな犯罪ができる」と発言。大阪の「コリアNGOセンター」から放送局である読売テレビへ「通称名の使用や変更で犯罪歴や経歴の抹消はできず、事実に反する」「在日コリアンが犯罪集団で危険な存在であるというゆがんだ偏見を助長する」との抗議申し入れがなされ、放送倫理・番組向上機構へ審理申し立てがなされた[50][51]。番組は11月3日、放送冒頭で「一部不正確で誤解を生む表現があった」と謝罪した[52]。
上記の番組内での発言に対して池田信夫が「この自称皇族は頭がおかしいですよ。マスコミが相手にするのはやめるべき」とTwitter上で発言。竹田も「理由なく『頭おかしい』とは、およそまともな学者の作法ではないです」「私がいつ皇族を自称したのか、その根拠を示してほしいです」などと反論し、応酬となった[53]。
日本への原子爆弾投下で長崎の被爆者の語り部に生徒が「死に損ない」と言った事件に関し、2014年、Twitterで「年寄りに暴言は良くない」としながらも「被爆者と自称して1時間1万円で生徒に被爆体験を語るふりをし、実際は反日思想を植えつける話をしていた模様。そういうことするぐらいなら、平和教育はもうやめたほうがよい」[54]などと投稿した[55]。小林よしのりは被爆者を偽物と呼んだ竹田に「我慢がならない」と手厳しく批判した[56]。
小林節は竹田に対して、「慶應義塾大学講師の肩書を営業の看板として使われ、そのことについて注意しても無視された」という主張をし、竹田を講師に招いてこのような状況の原因を作ったことを恥じている、と述べた[57]。
2018年5月24日、竹田が新聞を論評する動画を毎日投稿していたYouTubeのアカウント「竹田恒泰チャンネル」が、ガイドライン違反により凍結された。竹田は夕刊フジの取材に対し、「外部による組織的な妨害工作の可能性がある」と述べ[58]、「不当な動画など上げていない、気に入らないのならば見なければいい、言論で対抗しろ」と反論し[59]、新しいチャンネルで活動を再開した[60]。
2019年(平成31年)4月3日、外務省が西暦統一の指針を出したことに関し、夕刊フジZakZakの記事が、「元号は大宝律令により定められ元号を使うことが決まりである、聖徳太子も中国の皇帝とやり取りする時も年号を使ったので聖徳太子も泣いている」とする竹田のコメントを掲載した[61]。しかし、(1)聖徳太子(厩戸皇子)は622年に死去しているが、日本最古の元号である大化は645年から使用されていること(2)「『法興』と呼ばれる私年号が使われた」とする説があるが中国の皇帝と文書交換をした遣隋使に使用されたという証拠は見つかっていないこと[62]などから、竹田の主張を誤りとする主張がある。
近代皇族の研究家である小田部雄次は、2010年(平成22年)に底本が発行された自著で、「近年の竹田は芸能界になじみ醜聞が増えた」と記している[63]。
2019年(令和元年)11月13日に富山県下新川郡朝日町の教育委員会主催で中学生・高校生連携授業として計画されていた「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」という講演会が、11月7日に市民からの抗議を受けて中止[64]となり、さらに、講演会場を変更して行うことになっていた一般参加者のための講演会も、「11月10日に脅迫電話[65]があった」として、中止となった。これらの件は、竹田が「ツイッターでの山崎雅弘と一般ユーザーのツイートが原因である」として、両者を提訴した。
2021年(令和3年)2月、山崎との一審裁判において竹田(原告)が全面敗訴した[66]。原告が請求した損害賠償550万円の支払い、ツイートの削除、謝罪広告の掲示のいずれについても「原告の請求を棄却する」「訴訟費用は原告の負担とする」が主文[67]。
竹田は自分の発言は韓国や中国の国民ではなく政治体制を批判したものだと主張したが、判決文は、竹田が著書で「(中華民族は)民度の低い哀れむべき方々」と記したこと[68]や、「笑えるほどたちが悪い韓国の話」と題する著書などを出したり[69]、「韓国は、ゆすりたかりの名人」[68]「韓国が慰安婦の像を作るなら、日本は嘘をつく老婆の像でも作ったらどうだ」などと投稿したことに触れ[69]、「原告が元従軍慰安婦に攻撃的・侮辱的な発言を繰り返し、在日韓国人・朝鮮人を排除する発言を繰り返していることに照らせば、発言を人権侵害の点で捉える相応の根拠がある」[69]「原告の思想を『自国優越思想』と表現することは論評の域を脱するものとは言えない」「原告自身も他国や他民族、原告と意見を異にする活動者等に対する批判的意見を加える際に、あえて攻撃的で侮蔑的ともとれる表現を多数使用し、読者が感得する当該批判的意見の対象への否定的評価を一層高める手法を少なくない頻度で用いており、このような表現の内容様態に鑑みると、原告としても一定の批判は甘受すべきであったと言える」[70]「国の政治体制又はその指導者等に対する批判にとどまらず、中国人及び韓国人全体を対象として、その国籍又は民族に伴う属性を指摘し、その『民度』の低さを主張したものというほかない」「自国を優越的に捉えた上で、他国民・他民族を劣位に置き、『笑い』の対象とする意識が看取されるものというほかない」「韓国につきあえて攻撃的で侮蔑的ともとれる表現を多数、少なくない頻度で用い」「単に韓国の国家体制や政治に関する報道を受け、これらを批判するのみに止まらず、読者に対し、韓国や韓国人を劣位に置く意識を与えるもの」などと指摘し、「偏見や差別を助長するものというほかない」「まさに『差別主義的』との評価を受ける余地があるものというほかない」とした[71]。
同年8月、二審東京高裁でも竹田の全面敗訴が確定[72]。「差別主義者は公的な場に立ったり、公教育に関与する資格がない」という山崎の発言は「合理的な論評」であると判断された[73]。
2021年9月30日、ツイッターで実名を公表され精神的苦痛を受けたとして、大阪府の自営業男性が竹田に対し60万円の損害賠償などを求め提訴した[75]。
兄弟は弟と妹がいる。弟・恒俊の家系は、現在1947年に臣籍降下した(1947年以前の臣籍降下を除く)旧宮家の男系子孫の中では、男系で最も傍流の家系となっている。
崇光天皇の19世男系子孫であり、女系では明治天皇の玄孫にあたる[10]。系譜は「伏見宮#系図」を参照のこと。
| 93代天皇 後伏見天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 北朝初代天皇 光厳天皇 | 北朝2代天皇 光明天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 北朝3代天皇 崇光天皇 | 北朝4代天皇 後光厳天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 初代伏見宮 栄仁親王 | 北朝5代天皇 後円融天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2代伏見宮 治仁王 | 3代伏見宮 貞成親王 | 100代天皇 後小松天皇 | {{{100代天皇 後小松天皇}}} | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 101代天皇 称光天皇 | {{{101代天皇 称光天皇}}} | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 102代天皇 後花園天皇 | 4代伏見宮 貞常親王 | {{{102代天皇 後花園天皇}}} | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 5代伏見宮 邦高親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 6代伏見宮 貞敦親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 7代伏見宮 邦輔親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 8代伏見宮 貞康親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 9代伏見宮 邦房親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 10代伏見宮 貞清親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 11代伏見宮 邦尚親王 | 13代伏見宮 貞致親王 | 12代伏見宮 邦道親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 14代伏見宮 邦永親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 116代天皇 桃園天皇 | 15代伏見宮 貞建親王 | {{{116代天皇 桃園天皇}}} | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 118代天皇 後桃園天皇 | 17代伏見宮 貞行親王 | 16代伏見宮 邦忠親王 | 18代伏見宮 邦頼親王 | {{{118代天皇 後桃園天皇}}} | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 19代伏見宮 貞敬親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 20/23代伏見宮 邦家親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 晃親王 〔山階宮家〕 | 朝彦親王 〔久邇宮家〕 | 21代伏見宮 貞教親王 | 彰仁親王 〔小松宮家〕 | 能久親王 〔北白川宮家〕 | 博経親王 〔華頂宮家〕 | 22/24代伏見宮 貞愛親王 | 載仁親王 〔閑院宮家〕 | 依仁親王 〔東伏見宮家〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 3代華頂宮 25代伏見宮 博恭王 | 邦芳王 | 昭徳王 | 禎子女王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 博義王 | 恭子女王 | 華頂宮 博忠王 | 博信王 〔華頂侯爵家〕 | 敦子女王 | 知子女王 | 博英王 〔伏見伯爵家〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 光子女王 | 26代伏見宮 博明王 | 令子女王 | 章子女王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 朗子 | 宣子 | 雅子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
皇籍離脱後
| 竹田宮恒徳王 (竹田宮第2代) (皇籍離脱) →竹田恒徳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 恒正王 (皇籍離脱) →竹田恒正 | 素子女王 (皇籍離脱) →竹田素子 | 紀子女王 (皇籍離脱) →竹田紀子 | 恒治王 (皇籍離脱) →竹田恒治 | 竹田恆和 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 恒貴 | 浩子 | 恒昭 | 恒智 | 恒泰 | 恒俊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 竹田恒泰 | 父: 竹田恆和 |
祖父: 竹田恒徳 |
曾祖父: 竹田宮恒久王 |
| 曾祖母: 恒久王妃昌子内親王(明治天皇の第六皇女) | |||
| 祖母: 恒徳王妃光子 |
曾祖父: 三条公輝 | ||
| 曾祖母: 静子(正親町実正の娘) | |||
| 母: 竹田昌子 |
祖父: - |
曾祖父: - | |
| 曾祖母: - | |||
| 祖母: 松見郁 |
曾祖父: 松見達人 | ||
| 曾祖母: - |
未登録
IPFS未登録
📡 0ピア
N=1
CRITICAL
PQS A91