皇位継承問題

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天皇旗。
皇居。

皇位継承問題(こういけいしょうもんだい)とは、日本の皇室において、天皇の位(皇位)を継承する(皇位継承)資格を持つ人物が、不足または不在になる可能性があることの問題を言う。本記事では特に、平成期から令和にかけて発生した問題に関して取り扱う。皇室典範問題(こうしつてんぱんもんだい)、旧宮家の皇籍復帰問題(きゅうみやけのこうせきふっきもんだい)、女系天皇問題(じょけいてんのうもんだい)ともいわれる。

概要

初代の神武天皇から第126代の今上天皇に至るまで、一貫して男系による皇位継承が行われてきた。 初代の神武天皇から第126代の今上天皇に至るまで、一貫して男系による皇位継承が行われてきた。
初代の神武天皇から第126代の今上天皇に至るまで、一貫して男系による皇位継承が行われてきた[1][4]。

皇室の成員(皇族の地位および皇位の継承権者)は、古来、男系により継承されるという慣習が存在し、これが事実上の不文法(自然法)として規定されていた(後述)。この規定は明治時代に皇室典範として成文化されてからも、戦後の新しい皇室典範に至るまで守られてきた。しかし、昭和後期以降、この規定をそのまま維持すると皇室が存続できなくなる可能性が生じた。この危機を回避するための方策が議論されている。

皇位継承の規定

皇位継承における男系と女系の違い。歴代の天皇は「男系男子」または「男系女子」である[1]。

皇族の地位は、男系の血筋により継承されるという不文法が確立している。

男系の血筋とは、ある人物とその父親との血縁関係(父子関係)を指す。この血縁関係を先祖へと繋げてゆくと、男性の祖先のみで構成される血筋があらわれる。この男性のみで構成される血筋を「男系」という。また、皇室をはじめとする王室や貴族は男系を重要視しており、特定の人物から見た男系の子孫に受け継がれた血筋をまとめて、「血統」と呼んでいる。

皇室では、初代・神武天皇以来、その男系の子孫、すなわち神武天皇の血統の継承者を成員としてきた[注釈 1]。この不文法は世界でも類を見ないほど長期にわたって継続してきたため、神武天皇の血統のことを「皇統」、これを維持してきた事実を「万世一系」と表現されている。

平成期の問題に至る経緯

男系継承によって皇室が存続し続けるためには、「男性皇族(親王および王)が配偶者女性との間に、男児を出産すること」が必要条件である。言い換えると、男児が一人も誕生しない状況が数十年続き、出産に適した(もしくはそれ以下の)年齢の男性皇族とその配偶者女性が不在になれば、将来的には皇位継承者は不在になり、皇室が自然消滅(皇統断絶)することになる。

実際にこの事態が平成前後に発生したのが、本問題である。まず、昭和22年(1947年)10月24日、皇族の大半が皇籍を離脱したことによって皇室の成員が大幅に減少した。更に、昭和40年(1965年)に礼宮文仁親王が誕生して以降、昭和後期から平成中期にかけて、皇室に男児が一人も誕生しなかったことにより、上述の皇統断絶の危険性が発生した[注釈 2]。政府内で議論が始まった後の平成18年(2006年)に悠仁親王が誕生したことにより皇統断絶の危機は一世代分の余裕が生まれたが、皇統を継承しうるのは悠仁親王ひとりであるため、皇統の持続性は不安定なままであり、以降も議論が継続して行われている。

本問題の主な解決策

この問題が発生したときの解消策として、論理的には次の①②の2つの主な対策が考えられうる。実際に、平成中期以降の皇統断絶の危機の際にもこの両案が議論の俎上に上がっている。最近は③についても、一部の少数派から議論されている。

  • ①皇族の地位を有する資格を、「皇統に属する者により皇族の地位を継承する」従来の原則は維持しつつ、皇室外にある有資格者を新たに皇族に迎え入れる案(男系維持論)。具体的には、過去に皇籍離脱した男性およびその男系子孫(いわゆる「旧皇族」やその男系子孫)を皇籍復帰(ないし皇籍取得)させる。
  • ②皇族の地位を有する資格を、「皇統に属する者により皇族の地位を継承する」従来の原則から「現皇室成員の子孫(男女問わず)」へ変更する案(女系天皇論)。具体的には、皇統に属さない民間人男性の皇族入り及びその子孫の皇族化を解禁し、 歴史上前例のない男系(父系)以外の皇位継承(いわゆる女系天皇・母系天皇)を認める。
  • ③「皇位継承の原則」(皇統・万世一系)にこだわらず、時代を反映させた民主主義に適合するよう、「現在の国民の総意を得られた者を天皇」とする。

以下、この上記3案の概要について記述する。

男系維持論

戦前から戦後まで存在した旧皇族(伏見宮系11宮家)
昭和天皇と旧宮家の面々

歴史的には、天皇と遠縁の男性皇族が皇籍を離脱(臣籍降下)して臣下(民間人)となった例は多い。彼ら(離脱した本人及びその男系子孫、一般的に「旧皇族」または「旧宮家」と呼称される)は、初代天皇の男系の血筋を有している(皇統に属する)ことから、「(彼らが)皇籍復帰することにより、皇位継承者の将来的な不足が回避される」という案がある。実際に明治の皇室典範制定時にも検討対象になっており、起草者の井上毅は、「継体天皇の時のようなことがあれば[注釈 3]、5世・6世は言うまでもなく、百世にまでさかのぼって御裔孫に皇族となっていただく」という主旨の発言をしている(『皇室典範皇族令草案談話要録』)[6]。

臣籍降下による旧皇族の誕生は歴史的には不断に行われてきたが、皇位継承問題の議論にあたって言われている旧皇族とは、現行憲法・皇室典範施行後の昭和22年(1947年)10月14日に皇籍離脱した11の宮家の成員を指すことが多い。特にこれらの旧皇族が重要視される理由は、以下の点である。

  • 該当の11宮家の本家である伏見宮は、世襲親王家の初例であって、後花園天皇の勅許により永世「伏見殿」と称することを許され、以来永代にわたって皇族であり続け、時の天皇の近親者による皇位継承が絶えた時にはこれに替わって皇位を継ぐこととされていため。
  • 天皇の直系と伏見宮歴代は、猶子の制度や婚姻によって常に近親であり続けたほか、明治以降も婚姻を複数結んでおり、現時点でも近親関係を保っているため。
  • 歴代の旧皇族の中でも、皇籍離脱したのが一番最近であるため。また、この皇籍離脱の際、昭和天皇は「万が一にも皇位を継ぐときが来るかもしれないとの御自覚の下で、身をお慎みになっていただきたい」との考えを伝えるなど、皇籍復帰の可能性が当初から考えられており[7][8][9]、皇族との間での親睦団体である「菊栄親睦会」を創設して交流を続ける、園遊会をはじめとする皇室行事では内閣総理大臣よりも上位の席次で遇されるなど、皇族に准ずる待遇を受け続けているため[10]。

なお、旧皇族の臣籍降下前に公布された現行皇室典範第2条2項で、皇位継承権者の資格に含まれていた「最近親の系統の皇族」とは旧皇族のことを指しており、法的経緯を踏まえると、旧宮家の男性を皇位継承の「特別な有資格者」とみなすことができるという見解もある[11]。政府の国会答弁においても、旧皇族は現行憲法・現行皇室典範の下で皇位継承資格を有していた人たちであり、その子孫男子の皇族復帰は門地による差別を禁じた憲法14条に抵触しないことの見解が確認されている[注釈 4]。

一方、現在の皇室とは男系での共通の祖先が約600年遡る遠縁である[13]ことを問題とする意見もある。ただし、旧皇族は女系を介すと現皇室とは姻戚関係を結んでおり[13]、また上述のように皇族に准ずる待遇を受けることで繋がりを維持してきた。

このように、皇室の成員、天皇の属性について、従来の原理原則(男系継承・万世一系)を守ったうえで、現皇族の外の者の潜在的な皇位継承資格を復活させようというのが、旧皇族復帰論の論旨である。

参考:皇別摂家の復帰案

上述の旧11宮家以外に皇籍離脱した男系男子による皇籍復帰・皇位継承の可能性も言及されている。特に、いわゆる皇別摂家は、旧11宮家よりも男系の血統では現皇室に近い[14]。しかし、以下の理由により、旧皇族と較べると皇別摂家の注目度や優先度は下がると考えられるのが通例である。

  • 皇別摂家の祖たる男性皇族が臣籍降下したのは江戸時代(200年以上昔)である、旧皇族と較べると、臣籍降下してからの世代が大きい。
  • 嗣子のない摂家の養子となったのだから、藤原氏の子孫であって皇別とは言えない。藤原氏および中臣氏は神別(始祖をたどると、皇室から分かれた家ではない)であり、藤原氏には皇位継承資格はない。皇族となるには、生物学的に皇胤であるのみならず、家柄、家格も必要であるが、摂家や清華家は臣下の家柄である。
  • 旧宮家とは異なり、末裔の宮中祭祀への参列資格を確認できない。近衛信尋の男系子孫である旧華族は、招待を受けたことはないと回答している[15]。
  • 皇別摂家が皇位継承権を有したことは、歴史上一度もない。[要出典]

女系天皇論

女系天皇(じょけいてんのう)または母系天皇(ぼけいてんのう)とは、初代天皇の男系血統(皇統)に属さない人物が天皇となることを指し、過去および現在における男系男子の伝統とは異なる皇位継承を想定して使用されている言葉である[16][17]。初代天皇から女系で繋がる天皇のことではないことに注意が必要である。

具体的には、現状では女性皇族(内親王および女王)が民間の男性と結婚した場合、従来ならばその時点で女性皇族は皇籍離脱、相手の男性も皇族にはならず、間に生まれた子供およびその子孫も民間人のままである。これを改め、女性皇族は引き続き皇族となり、子供およびその子孫も皇族であり、場合によっては皇位も継承する、というものである。

この時、女系皇族と婚姻した民間人男性が初代天皇の男系子孫でなければ、「皇統に属さない男性皇族」が初めて誕生することになる。その子供(あるいはその子孫)も同様で、新しい血統の皇族(いわゆる「女系皇族」)の地位が世襲されるようになる。更に、将来的に皇位を継承した場合は、史上初めて、「皇統に属さない天皇」(女系天皇)が誕生することになる。

皇位継承の国民総意論

令和8年(2026年)7月、 女性皇族婚姻後の皇族身分保持、旧宮家男系男子との養子縁組を可能とする改正皇室典範が成立した。

現在、国民の一部は女性天皇と女系天皇について議論するよう求めている[18]。さらに女性皇族の配偶者と子供にも皇族としての身分を与えるよう主張している場合もある[19]。そして、ジェンダー平等の観点や法の下の平等に鑑み[20]、国民の支持で皇室典範を改正すれば、初代天皇の皇統(父系)でない人物が天皇となることも、憲法上は可能とする意見である[21]。

6月30日、皇室典範の改正をめぐり、一部の野党は、政府が提示した皇族数確保に向けた女性皇族の身分保持や旧宮家の養子制度を盛り込んだ改正案について、これらが「立法府の総意」を逸脱しているとして強く反発する事態となっている[22]。彼らの言い分は、女性皇族の夫や子どもを皇族とするかどうかついて、立法府の総意の段階では明記していなかったが、政府の改正案では、皇族にはならないと明記された。これについて、立法府の総意と違うと主張している。旧宮家の男系男子の子孫を養子にする案について、政府案の、養子自身は皇位継承権を持たないが、養子に迎えた男系男子の養子の子が男性なら皇位を継承する資格を持つことについても反対している。彼らは、「国民の7割程度は女性天皇や女系天皇を認める方向で、むしろ政府の保守派の方が世論からは乖離している」と主張しているが、これに対して明確な根拠はなく、憶測の域を脱し得ない。逆に、共同通信の世論調査では、養子の子が皇位継承権を持つことに対して、賛成が反対を上回っている。

女系天皇が皇統を断絶させる意味の左派からの提示

平成17年(2005年)、悠仁親王誕生の前年に当たり、女系天皇論が政府によって検討され始めた時期、東京大学教授で左派の理論的支柱であった奥平康弘は、雑誌『世界』に女系天皇に関する論文[23]を発表している。その中で奥平は、「近代以降の天皇制が万世一系というフィクションによって成り立っている」とし、「もし女系天皇を容認した場合、”男系による万世一系”というフィクションを自ら手放し、天皇制は内側から崩壊(終焉)する」としている。奥平の主張は図らずも、女系天皇が実現された場合の皇統が消滅していくロジック(論理)を保守派に示すことになった[24]。 翌年の平成18年(2006年)、日本共産党は「皇室典範に関する有識者会議」の報告書を受け、女系天皇を容認する方向に舵を切った[25][26]。 詳細については『奥平康弘#女系天皇が皇統を断絶させる意味の提示』を参照のこと。

議論の推移

この議論が公に行われるようになったのは、平成16年(2004年)であり、当時、悠仁親王は誕生前、男性皇族の最年少の文仁親王は39歳、配偶者の紀子妃は38歳であった。

平成16年(2004年)12月31日時点での皇室系図(男系/父系)

※名前右の()内に当時の年齢、名前下に当時の皇位継承順位併記。

 
 
 
 
第123代天皇
大正天皇(故)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第124代天皇
昭和天皇(故)
 
秩父宮
雍仁親王
(故)
 
高松宮
宣仁親王
(故)
 
三笠宮
崇仁親王
(89)
(第4位)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
男児なし
 
男児なし
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第125代天皇
明仁(71)
 
常陸宮
正仁親王
(69)
(第3位)
 
 
 
 
 
(三笠宮)
寬仁親王(58)
(第5位)
 
桂宮
宜仁親王
(56)
(第6位)
 
高円宮
憲仁親王
(故)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
男児なし
 
 
 
 
 
男児なし
 
男児なし
 
男児なし
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇太子
徳仁親王
(44)
(第1位)
 
秋篠宮
文仁親王
(39)
(第2位)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
男児なし
 
男児なし

政府の議論

女系天皇へ向けた有識者会議の議論

愛子内親王誕生後、悠仁親王誕生前の時点であった平成16年(2004年)12月27日、政府は皇位継承問題について、皇室典範の改正(女性天皇及び女系天皇を認めること)までを視野に入れて検討するための有識者による懇談会の設置を決める。翌平成17年(2005年)1月26日、小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(以下、「有識者会議」)を設置し議論を開始(吉川弘之座長)した。この時の有識者会議の報告書では、女系天皇への道を拓くことが提唱された。

この年の11月30日、男性皇族で最年少の文仁親王が40歳になり、30代以下の男性皇族が不在になった。

翌平成18年(2006年)の通常国会において、有識者会議での議論を基に、女系天皇への道を開くことになる皇室典範の改正が議論される予定であった。しかし、同年2月、紀子妃の第3子懐妊が発表され、皇位継承問題についての議論は先送りされる。同年9月6日、悠仁親王が誕生。これにより、皇位継承問題についての大前提が変わることとなった。同時期、小泉首相は自由民主党総裁の任期満了とともに退任し、後任の安倍晋三首相は「静かに慎重に論議していくことが大切だ」と述べ、有識者会議の報告書を基にした女系天皇の議論は完全に白紙撤回された。

女性宮家の検討

平成24年(2012年)、野田内閣(野田佳彦首相)は女性宮家の制度についての検討を行った。これは、皇族の減少により皇室の活動(公務など)に支障が発生するのを回避するため、一般人と結婚した女性皇族が皇籍を離脱せず、皇族の立場で引き続き公務を行えるようにするものである。この議論は、同年末の衆議院議員総選挙で政権交代が起こり野田内閣が総辞職、後任の安倍首相は平成25年(2013年)1月に女性宮家創設を白紙に戻すことを表明したことにより、議論は終了した[27]。

皇族数の確保に向けた検討

平成29年(2017年)、明仁天皇から皇太子徳仁親王への生前の皇位継承を可能とする天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立する。この法律の附帯決議として、皇位継承問題に関する議論を行うことが求められた[28] 。

令和元年(2019年)5月1日に皇位継承が行われ、文仁親王が皇嗣[注釈 5]となる。翌令和2年(2020年)11月8日、立皇嗣の礼をもって皇嗣の地位が内外に宣明され、確定する。

令和3年(2021年)3月、菅内閣において附帯決議に関する議論を行うための有識者会議「「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議」が組織され、10回を超える会議での議論を経て、内親王、女王の身分保持や旧皇族男子の養子縁組などの3案を示した報告書のとりまとめが行われ、令和3年12月22日に岸田文雄首相に提出[29]、翌令和4年(2022年)1月12日に国会に報告された[28]。この報告書の概要は以下の通り。

報告書では、皇室における問題として

  • 皇位継承の問題
  • 皇族数の減少の問題

の二つを挙げて、その内、後者の問題を喫緊の課題として優先して考えるべきであるとした。その理由として、以下のように論じている。

  • 現状、天皇から皇嗣となった秋篠宮文仁親王を経て悠仁親王までの皇位継承は確定しており、ここまでの継承をゆるがせにしてはならないことでは意見は一致している。悠仁親王は若年(当時15歳)であり、そこから次代以降への皇位継承については、本人の年齢や結婚等の状況を踏まえた上で議論を深めてゆくべきで、現状は具体的な議論を行うには機が熟していない(却って皇位継承を不安定化させうる)ため。
  • 一方で、皇族数は、女性皇族の婚姻に伴う皇籍離脱などにより減少しており、このままでは悠仁親王の皇位継承のころには皇族が不在になる恐れがある。この場合、国事行為臨時代行、皇室会議議員、摂政などの法制上の役割や、皇族としての公的活動の遂行、天皇を身近な親族として支える、等、皇族として果たすべき役割を担えなくなってしまうため。

次に、皇族数確保の具体的方策として、以下の3つの方策を挙げている。

①内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持するとすること
現行の皇室典範では、皇室に生まれた女性が皇室外の男性と婚姻した場合は皇籍を離脱する。これを改め、婚姻後も皇籍に留まり、皇族として引き続き公務に臨むことを提唱する。婚姻後も皇籍に留まる事例は、先例として存在する。
ただし、婚姻相手の夫やその子に皇籍や皇位継承権を与えると、「皇統に属しない男性を皇族とする」ことが不文法に反すること、更には女系天皇への道を拓くことにつながりうることから、夫や子供は一般国民であり続けることが考えられるとする。
②皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とすること
皇室典範では養子は禁じられているが、これを可能にすることにより、若年の男性皇族を増やし、皇族を存続させてゆくために直系の男子を得なければならないというプレッシャーを緩和することにつながるとする。この場合、皇族は男系による継承を積み重ねてきたことから、養子になりうる者も、皇統に属する男系の男子(旧皇族)に限るのが適切とする。
なお、旧皇族の皇籍復帰は、離脱して一般国民となってから長期間が過ぎており、現在の皇室と男系の血統が離れていることから、国民の理解と支持を得るのは難しいという懸念に触れているが、復帰後に皇族としての公務に臨むことを通じて、国民の理解と共感が形成されてゆくことが期待されるとしている。また、養子によって皇族となった本人は皇位継承資格を持たないことを提唱している[注釈 6]。
③皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とすること
旧皇族の皇籍復帰という点では②と同じであるが、現皇族との間に家族関係を持たないまま復帰する点で異なる。現皇族の意思によらないという特徴はあるが、国民の理解と支持という観点からは②と較べて困難であると論じられている。

以上を総合して、女性皇族の減少を防ぐ①、旧皇族を新たに皇族に加える②を優先して検討して、この両案で十分な皇族数を確保できなかった場合に限り③を検討するよう主張している。

この報告書を受けて政府は、国家の重要事であることから幅広い党派の合意を得るべく、国会内の会派への意見聴取を実施。衆参両院の正副議長が主宰する全会派代表の合同会議において、2年にわたり断続的に意見聴取と討議が行われた。

令和8年(2026年)6月10日の合同会議において、正副議長より以下の「立法府の総意のとりまとめ」(以下、「とりまとめ」)案が提示された[30]。概要は以下の通り。

  • 文仁親王、悠仁親王への皇位継承の流れをゆるがせにしないという大原則には同意する。
  • 政府報告書の①案、②案はいずれも了とし、これをもとに法制化することを求める。
  • ①案への補足:現時点の女性皇族は、従来の制度(皇室外の男性と婚姻した際は皇籍を離脱する)を前提に過ごしてきたことを鑑み、経過措置として離脱の有無は本人の意向を尊重する。
  • ②案への補足:養子の対象となるのは、旧皇族の男系男子の子孫であるとする。また、国民の理解や歴史・伝統を踏まえ、
  • 養子の年齢および養親の範囲について慎重に制度設計を行うこと
  • 養子となって皇族となった本人は皇位継承資格を持たないこと

この内、皇籍復帰する者の皇位継承権については、上述の不文法の規定により、皇統に属しかつ皇族であることから原則的に付与されるものであるが、復帰した本人については、「国民の理解」という観点から継承権は特別に割り当てられないこととされた。養子の子孫の男子については「とりまとめ」には直接言及はないが、「とりまとめ」発表時の記者会見において森英介衆議院議長が「養子となった男子に男の子が皇位継承権を持つことになる」と回答。10日の全体会議においても「私の発言の趣旨は、現行の皇室典範を前提とすれば、皇族である皇統に属する男系男子から生まれた男子は皇位継承資格を有する皇族になるということであり、現行法の解釈を述べたものであります」と説明を行い[31]、養子の子孫の取り扱いについては今回の皇室典範改正で変更を加えず、典範の現行の規定に基づいて継承権が発生することを前提とする旨が共有された。全体会議に参加した会派の多くは「とりまとめ」案に賛成し、議長は原案通りの答申を行った[32]。

6月30日の閣議において、皇室典範改正案が決定[33]。この中では、旧皇族の皇籍復帰に関しては以下の内容が示された。

  • 養子となるのは、旧皇族に属し、15歳以上の独身の男子であること。
  • 養親となるのは、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王(ただし皇嗣と皇嗣妃を除く)であること
  • 養子となった本人及びその子孫の皇族としての地位は、(養親の実子扱いとはならずに)実方の系統(養子の生家である旧宮家の地位)によること

皇室典範改正案はその後、衆議院に提出された。衆議院では日本共産党を除く全ての会派が賛成し(中道改革連合は一時態度を留保していたが、最終的に賛成へ回った)、圧倒的多数で可決された。参議院では立憲民主党など一部野党が反対したものの、76%を超える賛成多数で可決。7月17日、改正皇室典範が成立[34]。7月21日、政府は改正皇室典範の公布を閣議決定。7月24日に公布[35]。公布から3ヶ月後の10月24日に施行された[36]。

宮内庁の議論

小泉純一郎内閣時代の有識者会議と同時期、宮内庁においても皇位継承問題について議論が行われていた。

宮内庁案では、「男系男子をもって継承することを原則とするが、やむを得ない場合のみ女性天皇・女系天皇を容認する」という内容であった。

令和8年(2026年)7月2日、皇室典範改正案が閣議決定された直後の定例会見において、黒田武一郎宮内庁長官は、「どのような結論を出されるかは国会の判断」とした上で、「何らかの形になると、これまでの経緯からすると大変ありがたい」とコメントした[37]。

論点・備考

以下、皇位継承を巡る議論について記載する。

憲法2条との整合性

皇位継承を定めた日本国憲法第2条

第二条
  1. 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

皇位継承について、皇室典範を起草した高尾亮一(当時は宮内省参事官)は、制定された日本国憲法第二条の「皇位の世襲」は第十四条に優先し、かつ「天皇の皇位」は第十四条の例外規定であると説明し、「世襲」という概念は様々であるが「皇位の世襲」についてはその伝統は男系であるとの説明を行い[38]、現行の皇室典範第一条の「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」という条文が定められた[39]。皇位継承は日本国憲法第2条とそれを受けた皇室典範に規定されており、『皇位の世襲』については政府見解においても学説においても『男系』であると解する見解が多数派である[40]。皇室典範第一条が男系男子の継承を規定しているのはそれを確認するものであると解されている[41]。また、憲法第2条は憲法第14条の特別規定であり、皇室典範によって女性天皇が認められていないことは憲法違反ではないと解されている[42]。

憲法14条との整合性

法の下の平等を定めた日本国憲法第14条

第十四条
  1. すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
  2. 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
  3. 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

の内、第1項は、「門地」(家系)による差別を禁じている。皇位継承問題の解決法の一つである旧皇族の皇籍復帰は、日本国民の中で、旧皇族の血統に属する者だけを復帰の対象とするため、「門地による差別」に当たるのではないか、との指摘がある。

この問題についての直接の学説は少ないが[43]、内閣法制局は、現行憲法・現行皇室典範の下で皇位継承権を有していたことや関連する分野の学説から、門地による差別には当たらない旨を答弁している[44]。すなわち、天皇および皇室は、文面上は憲法14条の「法の下の平等」と両立しえないが、学説の多数派は、天皇および皇室は、憲法14条の特則(例外規定)として、この存在をみとめている。そして、憲法で規定された天皇および皇室の運用を円滑に行うには、一定数の皇族を確保する必要があり[注釈 7]、これが皇室の範囲内で不足した場合は、何らかの方法で皇室外の人間を新たに皇族に加えることも、憲法は許容している。皇室外の人間を皇族とする基準は、第2条から皇室典範に委ねられており、皇室典範第1条では皇位継承資格を「男系男子」に限っているが、これは伝統(いわゆる実質的憲法、不文法)に基づいて合理的な基準である。よって、皇籍復帰の対象を男系男子に限るのは、憲法14条の「門地による差別」の禁止規定の特則として、許容範囲内である、とする[45]。

立法事実の確認

皇位継承問題に関する立法事実の確認(法改正の内容にかかわる事実確認や社会状況の分析を行い、法改正の正当性を確認すること)については、以下のような議論が行われている。

  • まず、昭和22年(1947年)の11宮家の臣籍降下に際しての立法事実の確認としては、当時、皇籍にとどまる皇族の内、若年の男性皇族としては、明仁親王、正仁親王、崇仁親王、寛仁親王の4名がいたため、11宮家(皇位継承者26名)が全員皇籍離脱をしても、皇位継承権者の確保の点では問題ないとの考えのもと、臣籍降下に踏み切った。そのため、その後皇室内での皇位継承権者が不足した際には、11宮家の子孫の復帰によって補うのが、可能性としてありうる、とする[46]。
  • 旧皇族の現皇族との養子縁組によるの皇籍復帰に関する立法事実の確認として、対象者の存在および復帰の意思を、立法前に確認すべきではないか、との意見がなされたことがある[47]。これに対して政府は、皇籍復帰に関する制度は恒久的なものになるため、現在の存命者に対象を限った調査はなじまないこと、現時点で養子縁組は法的に不可能なので事前に公的な調査をすることは法的にできないこと、現実問題として事前の接触を行った際のマスメディアの動きや、法律上は一般人である当人のプライバシーを考慮せざるを得ないこと、を挙げ、公的な当人への接触の形での立法事実の確認に消極的な見解を述べている[48]。

男系継承の起源について

  • やまと言葉の「父」(チチ)とは「血統が続く」ことを意味しており父系(男系)継承を表している[49]。
  • 男系継承が定められた古例としては、3世紀の崇神天皇(稲荷山古墳鉄剣銘文より)[50]や5世紀の「倭の五王」の時代[51]にさかのぼる可能性が指摘されているが、現在の通説では、確実に『万世一系』の皇統が確立されたのは6世紀の欽明天皇以降とされている[52]。
  • 皇學館大学の荊木美行氏は『日本書紀』において応神天皇五世孫の継体天皇より先に仲哀天皇五世孫の倭彦王の方が先に皇位継承候補者になったのは男系でより始祖である神武天皇の血を濃く受け継いでいるという判断が群臣にあったのではないかと推測しているという[53]。
  • 奈良時代以降、即位の際の宣命に表れてきたいわゆる「不改常典」が男系継承を指していた可能性がある。
  • 『禁中並公家諸法度』本文第六条にも「女縁其家家督相續、古今一切無之事」と女系継承を禁止した条文が認められる[54]。また、同法度の注釈書『慶長公家諸法度』にも、皇統は男系(の男子)によって紡がれることが「古からの定め」と記されている[55][56]。

天皇・皇族による本問題への言及

日本国憲法第3条、第4条には「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とあり、天皇が政治的案件に対する具体的発言を公にすることは控えられるようになっている。皇族(皇族とは皇室に属する者の内、天皇および上皇以外の者を指す)が発言することについて規定している法律はないが、憲法第4条の規定は皇族にも及ぶとの解釈が一般であり、皇族自身も戦後は政治へ介入することを極力避けてきた。そのため、皇族、ましてや天皇が皇位継承問題について具体的な意見を述べることは、極めて少なく、一部の皇族を除いては、具体的な解決方法にまで踏み込んで言及することは避けることが多い。主な発言について、時系列順に記載する。

  • 昭和21年(1946年)、三笠宮崇仁親王は皇室典範制定時、旧典範と同様、天皇の生前退位を認めない点について「自由意志による譲位を認めていない、つまり天皇は死なれなければその地位を去ることができないわけだが、たとえ百年に一度ぐらいとしても真にやむをえない事情が起きることを予想すれば必要最小限の基本的人権としての譲位を考えた方がよいと思っている」と異議を唱えた。また、同年11月3日にまとめた私案「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」で、「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第十八條の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」と疑問を呈している[57]。さらに、女性天皇についても「女帝を認めないことと新憲法にある「法の下の平等」との関係であらう。純粋に「法の下の平等」を解釈すればどうしても女帝を認めねばならぬ」と提言している[58][59]。
  • 平成13年(2001年)、宣仁親王妃喜久子は愛子内親王誕生の折、女性天皇の即位を「不自然な事ではない」と容認する意見を雑誌『婦人公論』に寄稿した。しかし、女系天皇については明言しなかった。
  • 平成17年(2005年)、寬仁親王は、自身が会長を務める福祉団体「柏朋会」の会報で、「プライヴェート」な形式と断った上で「歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と女系天皇への反対姿勢を表明した[60]。
寬仁親王は「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張し、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んで、女系天皇容認の動きにこれまでの歴史と伝統を尊重しないとする強い懸念を表明した。
また、男系継承を維持するための方法として、歴史上実際に取られたことのある以下の4つを挙げている[61]。
  1. 皇籍離脱した旧皇族を皇籍に復帰させる。
  2. 皇族女子(内親王および女王)に旧皇族の男系男子から養子を取れるようにし、その方に皇位継承資格を与える。
  3. 廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀を、伏見宮家の子孫である旧皇族の男系男子が継承し、宮家を再興する。これは、明治時代に現皇室の祖先である光格天皇の実家である閑院宮家が絶えた際、伏見宮家から養子を迎え継承した先例があり、何も問題がなく、最も順当な方法である。
  4. 昔のように「側室」を置く。自分(寬仁親王)としては大賛成だが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思う。
また、寬仁親王は皇位継承問題について「三笠宮一族は、同じ考え方であるといえる」と、父・三笠宮崇仁親王と母の百合子妃も歴史と伝統に反する皇室典範改正に反対していることを初めて明らかにした[62]。また、寬仁親王は、崇仁親王が平成17年(2005年)10月、宮内庁の風岡典之次長を呼んで、皇室典範改正に向けた拙速な動きに強く抗議したことを紹介した[62]。また、皇室典範改正は「郵政民営化や財政改革などといった政治問題をはるかに超えた重要な問題だ」と指摘するとともに、自身の発言に対して宮内庁の羽毛田信吾長官らが「正直、困ったな」「皇族の立場を改めて説明する」などと重ねて憂慮を表明していることに関しては、「私がこういうインタビューに応じたり、かなり積極的に発言しているのは国家の未曾有の大事件と思うので、あえて火中の栗を拾いに行っているような嫌いがあります」と述べ、女系天皇容認の動きに対抗する意思を明確にした。
  • 平成17年(2005年)12月19日、天皇明仁は、天皇誕生日に際して行われた記者会見において、記者から「これまで皇室の中で女性が果たしてきた役割を含め、皇室の伝統とその将来」について事前質問があり、「皇室の中で女性が果たしてきた役割については私は有形無形に大きなものがあったのではないかと思います」と述べたが、「皇室典範との関係で皇室の伝統とその将来」については回答を控えた[63]。
このように、天皇は皇位継承問題について一切態度を明らかにしていない。なお、記者の質問に対し天皇は「国会の議論に委ねることになる」のあとに、必ず逆接的表現で、「意見を聞いてもらいたい」と付け加えられている。これに対して、プライベートで付き合いがある人物など(いわゆる「ご学友」)たちが、週刊誌上やワイドショーに登場し、「学生時代から開明だった陛下は女性・女系天皇にも賛成しているだろう」などのコメントをしているが、いずれもあくまで部外者による推測の域を出ない。
なお、この記者会見では事前質問の後に記者からの関連質問が予定されていたが、宮内庁は「時間の都合」を理由に会見を打ち切った。これに対して記者会は22日に抗議文を提出し、宮内庁は「思い違い」で会見を打ち切ってしまったことを謝罪する一幕があった。宮内庁総務課報道室は「天皇陛下におかれては、記者会見で、皇位継承制度は法律に基づく制度の問題で、国会で議論されることであり、発言を控えたいとお答えになっています」と発表している。
  • 平成18年(2006年)2月21日、皇太子徳仁親王は誕生日に際しての記者会見にて、記者からの「皇室典範に関する有識者会議が最終報告書を提出し、女性・女系天皇を容認する方針が示されました。今後の皇室のあるべき姿に関する考えや敬宮愛子様の将来について、父親としてのお気持ちをお聞かせください」という質問に対して、「皇室典範に関する有識者会議が最終報告書を提出したこと、そしてその内容については、私も承知しています。親としていろいろと考えることもありますが、それ以上の発言は控えたいと思います」と述べた。
  • 平成18年(2006年)10月20日、皇后美智子は誕生日に際して宮内記者会から文書でインタビューを受けた。「次々代を担う女性皇族にどのような役割や位置付けを期待するか」という質問を寄せたが、皇后は文書による回答で「皇室典範をめぐり、様々に論議が行われている時であり、この問に答えることは、むずかしいことです」と述べ、回答を控えた[64]。
  • 平成22年(2010年)、彬子女王は季刊誌『皇室 Our Imperial Family』第48号(平成22年秋号)インタビューにおいて、「男系継承の伝統を大事にしていかねばならない」という意見を表した。
  • 平成26年(2014年)、典子女王は婚約における記者会見で女性宮家の質問が出た際には「女性宮家の話題について何かを申し上げるという立場にはおりません」と答えている[65]。
  • 平成30年(2018年)、絢子女王は婚約における記者会見で皇族の減少に関する質問が出た際には「皇族の減少は、事実として起こっていることではございますが、その先の制度を含め、私がコメントする立場にはありませんので、発言を差し控えたいと存じます」と答えている[66]。

旧皇族の動向

旧皇族の多くは、皇位継承問題が議論されるようになった頃から、メディア等の取材に対しても、ノーコメントを通している。

なお、旧皇族が皇位継承問題について言及した例がある。

  • 竹田恒泰は、旧皇族間での相談、許可の下で個人の資格において活動しているが、「一般論として」と前置きした上で「その〔皇統断絶の危機に皇位を継承するという〕お役目の歴史的な重さに比べたら、個人的な欲望や野望など、取るに足らないちっぽけなものにすぎないと思っています」と述べている[67]。
  • 伏見博明は、著書『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』(2022年1月出版)の中で「天皇陛下に(皇族に)復帰しろと言われ、国から復帰してくれと言われれば、これはもう従わなきゃいけない」と述べている[68]。またその出版記念パーティーにおいても「もし(皇室に)何かあればまた行きます」と重ねて皇族復帰の覚悟を語った。(読売テレビ、ウェークアップ 2022年6月11日放送)
  • 令和5年(2023年)3月には週刊誌で愛子内親王の婿候補に旧宮家・賀陽宮の人物が挙がっていることが相次いで報道された。(『週刊女性』(3月7日号)、 『女性セブン』(3月16日号)、 『週刊新潮』(3月16日号)、 『女性自身』(3月28日・4月4日合併号)、 「FRIDAYデジタル」(3月16日公開)、 『週刊新潮』(3月30日号)、「FRIDAYデジタル」(3月28日公開)、 『週刊ポスト』(4月7日・14日合併号))

旧皇族と南北朝正閏問題

旧皇族(旧宮家)の宗家である伏見宮は、明治44年(1911年)に非正統・歴代外とした北朝の天皇に由来している(伏見宮の祖は、北朝3代〈江戸時代までは98代〉崇光天皇の皇子伏見宮栄仁親王。その成立・存続は北朝初代〈江戸時代までは96代〉光厳天皇の配慮によるところが大きい[注釈 8])ため、しばしば問題視される。

この問題に関して日本近世史学者である野村玄は、現実的に北朝の皇統を戴き、旧皇族・女性皇族のいずれにせよ皇室制度維持は北朝の子孫の活用無くしては不可能であり、南朝正統論による皇統理論は論理的に困難であるとした[72]。そして、南朝正統が歴史的事実と大きく乖離していることを挙げた上で[注釈 9]、明治天皇の南朝正統の勅裁が天皇自身によって敢えて曖昧な形でなされていることを指摘し、それであれば歴史的事実に即した系譜の整理は可能であると、皇位継承問題における北朝天皇の歴代天皇復帰の必要性を示唆している[72]。(→南北朝正閏論)

側室制度(一夫多妻制)について

皇室では長らく、日本独自の一夫多妻制であった側室制度(非嫡出男子の皇位継承権)が認められており、旧皇室典範の下でも規定があった。しかし、大正天皇は側室を持たずに皇后との間で男子に恵まれ、昭和天皇も同様であった。そして、戦後制定された皇室典範では庶子については規定を置かないことになり、非嫡出男子の皇位継承権は認められないこととなった(皇室典範第2条)。

そして、このかつての側室制度を復活させることにより、皇位継承問題についての問題が緩和されるのではないか、との議論が一部存在するが、現在の日本では側室制度や一夫多妻制が制度化されておらず、さらに婚外の恋愛(いわゆる不倫)そのものに対する世論の反感が大きいことから、賛同者は少ない。

側室制の復活に対する反対論
  • 離婚すれば良いだけの問題である。ただし、跡継ぎを産めなければ離婚、さらに跡継ぎのために新しい女性と再婚という制度は側室と同じように現代社会の価値観から逆行するとも言える。
  • 現在の日本、及び他の先進国の倫理観から見て、問題がある。
  • 国民の間では一夫一婦制が定着しており、天皇・皇族のみが国民から更に乖離することになる。
  • 側室制度が復活した場合、現代において側室になろうという女性がいるかどうか、また将来側室をとることになっている男性のもとに正妃として嫁ごうという女性がいるかどうか、という点まで視野を広げれば、側室制度を復活させたがために肝心の正妃をも得ることができなくなる危険性をはらんでいる。
  • 全ての先進国で一夫一婦制が採用されている現在の国際社会において、側室を復活させれば、一部の国を除いて日本の近代文明国としての品位が疑われかねない。
  • 現在では、医学の進歩によって乳幼児の死亡率は下がっており、側室制を復活させずとも、一夫一婦制でも男系による皇位継承は十分に可能である[注釈 10]。
  • 男性皇族本人が不妊症を患っていたり、性的指向が女性を対象としていないなどの要因で、たとえ側室を娶っても子に恵まれない場合もある。

ただし、側室復活の論議に関わらず、今日に至るまで日本の皇室において「非嫡出子の相続」そのものが認められていない。この制度は明治以降に導入されたものではなく、戦後に初めて導入されたものである。そもそも側室制度は明治以降の皇室典範に明記されたものではなく、非嫡出の男子においても皇位継承権を認めることにより間接的に許容されたものであった。

一方で民間においては、平成25年(2013年)12月の民法一部改正(平成25年12月11日法律第94号)までは非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1とする規定(旧・900条4号)が設けられていた。しかし、この規定については平成25年(2013年)9月4日に最高裁大法廷によって違憲判断が下された[75][76] ことにより、相続差別は違憲として法改正が成されている。

しかしながら、皇室においては側室制度と切り離せない非嫡出子の相続規定においては議論が進んですらいないのが現状である。

本問題についての主な論者

男系維持派
女系容認派(五十音順)
  • 田中卓(歴史学者)
  • 所功(歴史学者)ただし、近年は旧宮家の復帰についても賛同している。(関連文献)を参照
  • 西修(憲法学者)
  • 西村博之(実業家、著作家、匿名掲示板管理人)
  • 野田聖子(衆議院議員、元総務相、元内閣府特命担当相)
  • 野田佳彦(衆議院議員、中道改革連合顧問、第95代首相)
  • 橋本明(皇室ジャーナリスト、上皇明仁の学友)
  • 大石眞(法学者、京都大学名誉教授)
  • 本郷恵子(日本中世史研究者、東京大学史料編纂所長)
  • 松本健一(歴史家)
  • 三浦瑠麗(国際政治学者)
  • 山下晋司(皇室ジャーナリスト)
  • 平成22年(2010年)10月から平成23年(2011年)9月まで菅直人内閣の内閣官房参与を務めた松本健一は、有識者会議などのあり方に疑問を投げかけた上で、現代的男女平等の考えとは違った立場の上で女系天皇を容認すべきと説いた。松本によれば古来より日本の天皇は「女性格」で人間の生物学的な性、男女が対になるという概念を超越した存在であるとし、男系男子重視は儒教、仏教、西洋近代の皇帝制度を模倣した男性重視主義にすぎず日本の伝統的な天皇概念とは全く別の思考の上にあるとした。よって生物学的概念で男性によるY染色体の継承を重視する男系男子派の主張は意味をなさず、生物学的根拠によって正当化をなそうとすれば、唯物史観派から天皇御陵を開いてDNA鑑定をするよう逆手を取られるだけであるとしている。そして日本民族が皇室を必要とし守りたいと考える限り、男系女性天皇であろうが女系天皇であろうが存続は図られるとしている[79][80]。

輿論調査

この数年間、皇位継承問題についての世論調査は全国紙や通信社、テレビ局等のマスメディアによるものに限定しても計10回以上実施されている。

日本テレビ世論調査(2006年1、2月)
  1月 2月
天皇制は、伝統として父方の天皇の血筋を継ぐ「男系」が維持されてきました。政府の有識者会議では、女性が天皇になるのみでなく、女性天皇の子どもが天皇になる「女系天皇」を認めています。あなたは、「女性天皇」と「女系天皇」の違いについてご存知ですか、ご存知ではありませんか?(1、2月に共通)
知っている 36.7% 41.7%
知らない 53.2% 52.1%
わからない、答えない 10.2% 6.2%

有識者会議の報告書提出を受けて、『毎日新聞』が平成17年(2005年)12月10日、11日の両日に行なった全国世論調査(電話)でも、皇位継承原理について「女系も認めるべし」が「男系を維持すべし」を大きく上回っている。

しかし「女性皇族は結婚後も皇族にとどまるべしと思いますか、自分の意思で皇族から離れられるようにすべしと思いますか」との質問については「自分の意思で離れられるようにすべし」が、「皇族にとどまるべし」を大きく上回り、賛否の割合がほぼ逆転している。

毎日新聞全国世論調査(2005年12月10、11日)
  全体 男性 女性
これまで天皇は、父方が天皇の血筋を継ぐ「男系」で維持されてきました。皇室典範に関する有識者会議の報告書は、母方天皇の血筋を継ぐ「女系天皇」も認めており、歴史的な転換となります。「男系を維持すべし」と思いますか、「女系を認めるべし」と思いますか。
男系を維持すべし 22% 26% 19%
女系も認めるべし 71% 68% 74%
「女性皇族は結婚後も皇族にとどまるべし」と思いますか、「自分の意思で皇族から離れられるようにすべし」と思いますか。
皇族にとどまるべし 15% 16% 14%
自分の意思で離れられるようにすべし 80% 78% 81%
JNN世論調査(2005年1月15、16日)
天皇や皇族は一般的に政治的発言をしませんが、女性天皇を認めるには、皇室典範の改正が必要です。「改正にあたって、天皇や皇族の意見を聞くべし」と思いますか?
聞くべしと思う 76%
聞くべしとは思わない 19%
答えない・わからない 5%
JNN世論調査(2006年1月14、15日)
天皇や皇族は一般的に政治的発言をしませんが、この問題について皇族が、意見を表明することにあなたは賛成ですか、反対ですか?
賛成 48%
反対 45%
答えない・わからない 7%

平成22年(2010年)、第125代天皇明仁の即位20年に当たってNHKが実施した皇室に関する意識調査(2009年10月30日 - 11月1日電話調査)では、2043人の回答者のうち、女性天皇に賛成77%、反対14%で、平成18年(2006年)2月の調査に比べて賛成がやや増加した[81]。

年齢別では若年層ほど賛成の比率が多かった。また「女系天皇の意味を知っているか」という質問に対しては「よく知っている」8%、「ある程度知っている」43%、「あまり知らない」33%、「全く知らない」12%で、このうち「よく/ある程度知っている」人を対象に女系天皇を認めることの賛否を質問したところ賛成81%、反対14%であった。

平成30年(2018年)4月の時事通信の世論調査では、「男系男子に限られている現在の皇位継承資格を、女系・女性皇族にも広げるべきか」を尋ねたところ、「広げるべし」が69.8%だった。「広げるべくはない」は11.2%、「どちらとも言えない・分からない」は19.0%だった。また、同年5月1、2日に共同通信社が実施した全国緊急電話世論調査によると、女性天皇を認めることに賛成は79.6%で、反対の13.3%を上回った。

令和4年(2022年)における最新のNHKの世論調査では「旧皇族の男系男子を養子に迎える」という案について、賛成が41%、反対が37%と、男系による皇位継承の案が女系容認を上回った[82]。また、年代別で見ると18〜39歳までの若い世代の賛成が57%で一番多かった[83]。

令和8年(2026年)6月のFNNの世論調査で、旧宮家の男系男子を養子として皇族へ迎える案への賛否を聞いたところ、賛成が57%で反対を上回った[84]。

同調査では、女系天皇に繋がる「女性皇族の夫や子は皇族にすべきでない」が51.1%で最多となり、「夫や子も皇族にすべき」の39.4%を上回った。「わからない、言えない」は9.5%だった。夫や子が皇族にならなければ「女系天皇」には繋がらないので、過半数は女系天皇を望んでいないこととなる。一方、これまでの各メディアの調査では「女系天皇」「女性天皇」への賛否を問うと、7割から8割の高い数字で「賛成」が多かった。 しかし、「女系」と「女性」の違いについては半数が「あまり」または「まったく」理解しておらず、「よく理解している」は1割程度だった(2019年のFNN世論調査)[85]。

諸外国の王位継承

各国の君主の王位継承
  絶対的長子継承制
  選挙制および男系男子継承制
  男系男子継承制
  選挙制
  男子優先長子継承制

東南アジア

  • タイではかつては王位継承は男子だけに認められていたが、1974年の憲法で女子にも認められた。王室典範では、現国王が男子王族の中から次の王を任命することとされている。しかし国王が王位継承者を指名しないまま王位が空位になった場合、枢密院が王位継承者の名前を内閣に提出し、内閣は承認を求めるために国会に提出する。この場合、王女の名前を提出することもできる[86]。

南アジア

  • ブータンは、女性も王位継承権を持つが、男性優先[87]。

中東

  • 女性はオマーン国王、クウェート首長、ヨルダン国王になることができない。

欧州

  • ルクセンブルクでは、 1783年オランダとの同君連合を解消して以来、大公位を直系男子に長子相続していたが、女子しかいない状況が生じたため、 1907年大公室法により女子にも大公位継承を認めることとなった[89]。
  • デンマークの王位継承は男子にのみ認められていたが、1953年、憲法と王位継承法の改定で、男子の継承者がいない場合に限り、女子にも継承権が認められるようになった。このとき、法改正のための国民投票が行われ、賛成票が78.8%、反対票が21.2%という結果だった[90]。
  • スウェーデンでは、1980年、王位継承法の改正により、それまでの男子継承から、男女の区別のない長子継承に変更された。その時点で、国王カール16世グスタフの長女のヴィクトリア王女が王位継承者となった[91]。
  • オランダでは、1983年、王位継承法の改正により長子継承になり、ウィレム=アレクサンダー国王の長女カタリナ・アマリア王女が王位継承者となった[91]。
  • ノルウェーでは、王位継承について男系主義が採られていたが、1990年の憲法改正により男女平等主義に変更された[92](「ノルウェー王位継承順位」を参照)。
  • ベルギーは1991年に憲法を改正し、女性も王位を継承できるようになった。当時の国王ボードゥアン1世に子供がなかったことから、直系男子継承が途絶えることは確定していた[93]。
  • モナコにおいては、 2002年に憲法を改正し、 男子優先で女子にも公爵位継承権を認めた[89]。
  • スペインの王位継承法は男子優先長子相続制。2005年誕生のレオノール王女が王位継承権第1位である(2024年現在)が、将来弟が生まれた場合は継承順位が下がることになる[94]。
  • リヒテンシュタインでは、男子のみに王位継承権を認めていたが、2026年の家法改正により長子優先が今後生まれる世代に適用される[95]。

アフリカ

  • モロッコでは、王位継承者は男性に限られている。憲法では、直系の男子が存在しない場合、王位継承権は最も近い傍系の男子に委譲される、としている[96]。

資料

令和8年(2026年)現在の皇位継承権者および継承順位
日本の皇位継承順位:令和元年(2019年)5月1日 -
順位 画像 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日 現年齢 今上天皇から見た続柄 摂政就任順位
  
第1位 秋篠宮文仁親王 あきしののみや ふみひと 男性 1965年11月30日
(昭和40年)
60歳 親等2/弟 / 上皇明仁第2皇男子 第1位
第2位 悠仁親王 ひさひと 男性 2006年09月06日
(平成18年)
20歳 親等3/甥 / 秋篠宮文仁親王第1男子 第2位
第3位 常陸宮正仁親王 ひたちのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
90歳 親等3/叔父 / 昭和天皇第2皇男子 第3位
旧宮家一覧

昭和22年(1947年)に皇籍離脱した11宮家。このうち、令和8年(2026年)現在では6宮家で男系子孫が存在している。

宮家 読み 創始年 初代当主 初代の続柄 初代の
世数[注釈 11]
離脱時
の当主
備考
(伏見宮) ふしみ 1456年[注釈 12] 栄仁親王 崇光天皇第1皇子 1世 博明王 世襲親王家
男系断絶見込
(閑院宮) かんいん 1718年 直仁親王 東山天皇第6皇子 1世 春仁王 世襲親王家
男系断絶
(山階宮) やましな 1864年 晃親王 伏見宮邦家親王第1王子 15世 武彦王 男系断絶
(北白川宮) きたしらかわ 1870年[注釈 13] 智成親王 伏見宮邦家親王第13王子 15世 道久王 男系断絶
(梨本宮) なしもと 1871年[注釈 14] 守脩親王 伏見宮貞敬親王第9王子 14世 守正王 男系断絶
久邇宮 くに 1875年 朝彦親王 伏見宮邦家親王第4王子 15世 朝融王
賀陽宮 かや 1892年 邦憲王 久邇宮朝彦親王第2王子 16世 恒憲王
(東伏見宮) ひがしふしみ 1903年 依仁親王 伏見宮邦家親王第17王子 15世 [注釈 15] 男系断絶
竹田宮 たけだ 1906年 恒久王 北白川宮能久親王第1王子[注釈 16] 16世 恒徳王
朝香宮 あさか 1906年 鳩彦王 久邇宮朝彦親王第8王子 16世 鳩彦王
東久邇宮 ひがしくに 1906年 稔彦王 久邇宮朝彦親王第9王子 16世 稔彦王
旧皇族の系譜(男系/父系)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
93代天皇
後伏見天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北朝初代天皇
光厳天皇
 
北朝2代天皇
光明天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北朝3代天皇
崇光天皇
 
北朝4代天皇
後光厳天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伏見宮
栄仁親王
 
北朝5代天皇
後円融天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伏見宮
治仁王
 
伏見宮
貞成親王
 
100代天皇
後小松天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
101代天皇
称光天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
102代天皇
後花園天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伏見宮
貞常親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔現皇室〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伏見宮
邦家親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山階宮
晃親王
 
 
 
 
 
久邇宮
朝彦親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北白川宮
能久親王
 
伏見宮
貞愛親王
 
閑院宮
載仁親王
 
東伏見宮
依仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山階宮
菊麿王
 
賀陽宮
邦憲王
 
久邇宮
邦彦王
 
梨本宮
守正王

(73)
(第20位)
 
朝香宮
鳩彦王

(59)
(第21位)
 
東久邇宮
稔彦王

(59)
(第24位)
 
竹田宮
恒久王
 
北白川宮
成久王
 
伏見宮
博恭王
 
閑院宮
春仁王

(45)
(第32位)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山階宮
武彦王

(49)
(第8位)
 
賀陽宮
恒憲王

(47)
(第9位)
 
久邇宮
朝融王

(46)
(第16位)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竹田宮
恒徳王

(38)
(第29位)
 
北白川宮
永久王
 
(伏見宮)
博義王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北白川宮
道久王

(10)
(第28位)
 
伏見宮
博明王

(15)
(第7位)
  • 青色背景は、皇籍離脱時の当主。名前下の()内に、年齢および皇籍離脱前の皇位継承順位併記。
  • ※東伏見宮家は依仁親王がすでに薨去しており、継嗣となる男児はおらず未亡人の同妃周子が当主となり、その死没により(男系としては)断絶・廃家。
  • 以下、太字の( )内の数字は、昭和22年(1947年)10月14日の旧皇族11宮家51名の皇籍離脱前の皇位継承順位。
11宮家の26名(第7位から第32位まで)

[98] [99] [100] [101]

昭和22年(1947年)10月14日の旧皇族11宮家51名の皇籍離脱前の皇位継承順位
順位 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日/当時の年齢 続柄
 
第1位 継宮明仁親王
(皇太子明仁親王)
つぐのみや あきひと 男性 1933年12月23日
(昭和8年)
13歳 昭和天皇第1皇男子
第2位 義宮正仁親王 よしのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
11歳 昭和天皇第2皇男子
第3位 秩父宮雍仁親王 ちちぶのみや やすひと 男性 1902年6月25日
(明治35年)
45歳 皇弟 / 大正天皇第2皇男子
第4位 高松宮宣仁親王 たかまつのみや のぶひと 男性 1905年1月3日
(明治38年)
42歳 皇弟 / 大正天皇第3皇男子
第5位 三笠宮崇仁親王 みかさのみや たかひと 男性 1915年12月2日
(大正4年)
31歳 皇弟 / 大正天皇第4皇男子
第6位 寬仁親王 ともひと 男性 1946年1月5日
(昭和21年)
1歳 皇甥 / 三笠宮崇仁親王第1男子
第7位 伏見宮博明王 ふしみのみや ひろあき 男性 1932年1月26日
(昭和7年)
15歳 伏見宮博義王第1男子
第8位 山階宮武彦王 やましなのみや たけひこ 男性 1898年2月13日
(明治31年)
49歳 山階宮菊麿王第1男子
第9位 賀陽宮恒憲王 かやのみや つねのり 男性 1900年1月27日
(明治33年)
47歳 賀陽宮邦憲王第1男子
第10位 邦寿王 くになが 男性 1922年4月21日
(大正11年)
25歳 賀陽宮恒憲王第1男子
第11位 治憲王 はるのり 男性 1926年7月3日
(大正15年)
21歳 賀陽宮恒憲王第2男子
第12位 章憲王 あきのり 男性 1929年8月17日
(昭和4年)
18歳 賀陽宮恒憲王第3男子
第13位 文憲王 ふみのり 男性 1931年7月12日
(昭和6年)
16歳 賀陽宮恒憲王第4男子
第14位 宗憲王 むねのり 男性 1935年11月24日
(昭和10年)
11歳 賀陽宮恒憲王第5男子
第15位 健憲王 たけのり 男性 1942年8月5日
(昭和17年)
5歳 賀陽宮恒憲王第6男子
第16位 久邇宮朝融王 くにのみや あさあきら 男性 1901年2月2日
(明治34年)
46歳 久邇宮邦彦王第1男子
第17位 邦昭王 くにあき 男性 1929年3月25日
(昭和4年)
18歳 久邇宮朝融王第1男子
第18位 朝建王 あさたけ 男性 1940年5月11日
(昭和15年)
7歳 久邇宮朝融王第2男子
第19位 朝宏王 あさひろ 男性 1944年10月7日
(昭和19年)
3歳 久邇宮朝融王第3男子
第20位 梨本宮守正王 なしもとのみや もりまさ 男性 1874年3月9日
(明治7年)
73歳 久邇宮朝彦親王第4男子
第21位 朝香宮鳩彦王 あさかのみや やすひこ 男性 1887年10月20日
(明治20年)
59歳 久邇宮朝彦親王第8男子
第22位 孚彦王 たかひこ 男性 1912年10月8日
(大正元年)
35歳 朝香宮鳩彦王第1男子
母:鳩彦王妃允子内親王(明治天皇第8皇女)
第23位 誠彦王 ともひこ 男性 1943年8月18日
(昭和18年)
4歳 孚彦王第1男子
第24位 東久邇宮稔彦王 ひがしくにのみや なるひこ 男性 1887年12月3日
(明治20年)
59歳 久邇宮朝彦親王第9男子
第25位 盛厚王 もりひろ 男性 1916年5月6日
(大正5年)
31歳 東久邇宮稔彦王第1男子
母:稔彦王妃聡子内親王(明治天皇第9皇女)
第26位 信彦王 のぶひこ 男性 1945年3月10日
(昭和20年)
2歳 盛厚王第1男子
母:盛厚王妃成子内親王(昭和天皇第1皇女)
第27位 俊彦王 としひこ 男性 1929年3月24日
(昭和4年)
18歳 東久邇宮稔彦王第4男子
母:稔彦王妃聡子内親王(明治天皇第9皇女)
第28位 北白川宮道久王 きたしらかわのみや みちひさ 男性 1937年5月2日
(昭和12年)
10歳 北白川宮永久王第1男子
第29位 竹田宮恒徳王 たけだのみや つねよし 男性 1909年3月4日
(明治42年)
38歳 竹田宮恒久王第1男子
母:恒久王妃昌子内親王(明治天皇第6皇女)
第30位 恒正王 つねただ 男性 1940年10月11日
(昭和15年)
7歳 竹田宮恒徳王第1男子
第31位 恒治王 つねはる 男性 1944年8月3日
(昭和19年)
3歳 竹田宮恒徳王第2男子
第32位 閑院宮春仁王 かんいんのみや はるひと 男性 1902年8月3日
(明治35年)
45歳 閑院宮載仁親王第2男子
現在存続している皇別摂家の血統

上述の皇別摂家の血統で、現在に至るまで存続しているものとしては以下のものがある。

皇別摂家系図(家祖)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
107代天皇
後陽成天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
108代天皇
後水尾天皇
 
近衛信尋
 
一条昭良
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
109代天皇
明正天皇
 
110代天皇
後光明天皇
 
111代天皇
後西天皇
 
112代天皇
霊元天皇
 
〔近衛系〕
 
〔一条系〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
113代天皇
東山天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
114代天皇
中御門天皇
 
閑院宮
直仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
115代天皇
桜町天皇
 
閑院宮
典仁親王
 
鷹司輔平
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
117代天皇
後桜町天皇
 
116代天皇
桃園天皇
 
119代天皇
光格天皇
 
〔鷹司系〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
118代天皇
後桃園天皇
 
120代天皇
仁孝天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
121代天皇
孝明天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
122代天皇
明治天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
123代天皇
大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
124代天皇
昭和天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
125代天皇
明仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
126代天皇
徳仁
 
皇嗣
文仁親王
皇別摂家系図(近衛・一条系)
 
 
 
 
 
 
 
107代天皇
後陽成天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
108代天皇
後水尾天皇
 
近衛信尋
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一条昭良
 
〔醍醐家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔現皇室〕
 
尚嗣
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
教輔
 
冬基
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
基煕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
兼輝
 
冬煕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
家煕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔男系断絶〕
 
経胤
 
〔四条家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
家久
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
輝久
 
隆生
 
 
 
 
 
〔四条分家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
内前
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
輝弘
 
隆謌
 
〔一条家〕
 
隆平
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
経煕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠順
 
隆愛
 
実輝
 
〔男系断絶〕
 
〔佐野家〕
 
〔南部家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
基前
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠敬
 
隆徳
 
〔男系断絶〕
 
 
 
 
 
常光
 
利英
 
〔大塚家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠煕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠重
 
〔男系断絶〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
常行
 
利久
 
利博
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠房
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔常磐井家〕
 
忠久
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
利文
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
篤麿
 
 
 
 
 
〔近衛分家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
堯猷
 
忠紀
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
文麿
 
 
 
 
 
秀麿
 
〔水谷川家〕
 
〔長井家〕
 
堯祺
 
忠明
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
文隆
 
〔東家〕
 
秀健
 
忠俊
 
雅樂
 
理
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔男系断絶〕
 
東隆明
 
 
 
 
 
〔男系断絶見込〕
 
 
 
 
 
亘
 
 : 註:原則として各家の本家の血統のみ記載し、分家は省いた。
皇別摂家系図(鷹司系)
 
 
 
 
 
 
 
閑院宮
直仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
閑院宮
典仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鷹司輔平
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔徳大寺家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
119代天皇
光格天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
政煕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔四辻/室町家〕
 
 
 
 
 
実堅
 
〔中院家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔現皇室〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
政通
 
〔華園家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公績
 
〔北河原家〕
 
〔男系断絶〕
 
通富
 
〔中院分家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔徳大寺家〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
輔煕
 
摂信
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公賀
 
公憲
 
 
 
 
 
〔男系断絶〕
 
富有
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公純
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔中院家〕
 
〔末弘家〕
 
〔住友家〕
 
輔政
 
澤称
 
〔大谷家〕
 
〔梶野家〕
 
〔日下家〕
 
 
 
 
 
公大
 
公海
 
〔千秋家〕
 
 
 
 
 
〔詳細不明〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
実則
 
〔高千穂家〕
 
〔徳大寺分家〕
 
通規
 
威麿
 
友純
 
〔男系断絶〕
 
真淳
 
称心
 
行康
 
称
 
〔山本家〕
 
公藤
 
公典
 
季孝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公弘
 
宣麿
 
則麿
 
武夫
 
〔詳細不明〕
 
寛市
 
 
 
 
 
真準
 
〔詳細不明〕
 
敏一
 
〔詳細不明〕
 
公慶
 
公範
 
公敬
 
季頼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
実厚
 
俊麿
 
長麿
 
泉
 
 
 
 
 
務
 
〔大場家〕
 
真暢
 
 
 
 
 
行淳
 
 
 
 
 
実裕
 
公康
 
公慈
 
季嗣
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公英
 
有孚
 
公忠
 
〔男系断絶見込〕
 
 
 
 
 
進
 
修
 
〔男系断絶〕
 
 
 
 
 
行良
 
 
 
 
 
公隆
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
実啓
 
宣比古
 
公仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔詳細不明〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公信
 
註:原則として各家の本家の血統のみ記載し、分家は省いた。

脚注

注釈

  1. ↑ 一例として、日本中世史を専門とする河内祥輔は『神皇正統記』に言及して「皇統の『正統』とは血統であり、男系主義である」と分析している[5]。
  2. ↑ この間に誕生した皇族は、昭和44年(1969年)生の紀宮清子内親王から平成13年(2001年)生の敬宮愛子内親王まで、9人連続で女性であった。
  3. ↑ 継体天皇が、先代の武烈天皇が後継者を得ないまま崩御した時、遠縁でありながら後継に迎え入れられた先例を指している。継体天皇は、男系では応神天皇から5世代離れた子孫であった。
  4. ↑ 2023年11月15日、衆議院内閣委員会にて木村陽一内閣法制局第一部長答弁「憲法第十四条第一項は、全て国民は法の下に平等である旨を定めております。お尋ねの一般国民である方々には、当然、その保障が及ぶということでございます。ただ、もっとも、一般国民であっても旧宮家に属する方々という、皇統に属する方々が皇族の身分を取得するような制度を念頭に置かれたお尋ねだといたしますれば、具体的な制度が明らかではございませんけれども、一般論としては、皇族という憲法第十四条の例外として認められた特殊の地位を取得するものでございますので、憲法第十四条の問題は生じないものと考えております。」「憲法は、第十四条の例外として、皇族という特殊な地位を認めております。その範囲は、法律の定めるところにより委ねられているというふうに考えております。したがいまして、法律の定めるところに従って皇族の地位を取得するということになりますので、一般論でございますけれども、憲法の認めるところであると考えております。」[12]
  5. ↑ 天皇が崩御した時に皇位を継ぐ皇族のこと。天皇の子や孫の場合は「皇太子」あるいは「皇太孫」とも呼ばれるが、文仁親王は天皇の弟であるため、いずれにも当てはまらず呼称は「皇嗣」である
  6. ↑ 上述の通り、将来の皇位継承については悠仁親王の家族構成などを踏まえてその次世代の継承者を議論することを想定しており、皇籍復帰した本人が直ちに皇位継承者となることを想定していないため。
  7. ↑ 具体的には、皇位の世襲(第2条)や、摂政(第5条)や国事行為臨時代行(第4条第2項)への就任などは、これを引き受ける皇族が継続的に存在することを前提としている。
  8. ↑ 具体的には、伏見宮は持明院統の正嫡として成立したが、崇光天皇の子孫にこの道を開いたのが光厳天皇(法皇)であり[69]、また、後小松天皇や足利義満から所領が没取された後に返却された「伏見御領」も、亡き光厳の命令に基づいて返却された[70]。この所領は伏見宮の断絶の危機を救い[71]、また「伏見宮」の名前の由来となったものである。委細は、『光厳天皇#伏見宮との関係』および『伏見宮』を参照。
  9. ↑ 具体的には、三種の神器に基づく南朝正統論など。歴史的事実との誤謬や、論理的問題、制度的問題が指摘されている。委細は「北朝 (日本)#北朝の三種の神器」を参照。
  10. ↑ 例として、旧オーストリア帝室・旧ハンガリー王室であるハプスブルク=ロートリンゲン家は、一夫一婦制のもとで男系継承を問題なく維持できており、約300年間で一門は500人を超えるほどに膨れ上がっている[73][74]。
  11. ↑ 直系尊属の天皇から数えた数。
  12. ↑ 貞常親王が後花園から後崇光の紋所を代々使用することと永世「伏見殿御所(伏見殿)」と称することを勅許された年。
  13. ↑ 照高院宮と称したのは1868年。
  14. ↑ 梶井宮と称したのは梶井宮。
  15. ↑ 当主東伏見宮依仁親王は離脱前の1922年に薨去。
  16. ↑ 庶長子。

出典

  1. 1 2 小学館 デジタル大辞泉『男系天皇』コトバンク。
  2. 共同通信社 共同通信ニュース用語解説『女性・女系天皇』コトバンク。
  3. 共同通信社 共同通信ニュース用語解説『女性・女系天皇』コトバンク。
  4. ↑ 共同通信社 共同通信ニュース用語解説『女性・女系天皇』コトバンク。
  5. ↑ 八木秀次 2013, p. 269-270.
  6. ↑ 八木秀次 2013, p. 269.
  7. ↑ 水間 2019, pp. 99–115
  8. ↑ 神道政治連盟「安定的な皇位継承」神道政治連盟国会議員懇談会 2019年6月10日 20‐22頁
  9. ↑ 皇室の伝統を守る国民の会 解説資料⑩加藤元宮内府次長の証言 - 離脱なさる宮様方は皇位継承権を持っておられる https://kdentou.com/archives/3037
  10. ↑ 勝岡, pp. 95–111.
  11. ↑ 百地章(インタビュアー:阿部博行)「〈代替わり考 皇位の安定継承〉(2) 旧宮家男子の皇籍取得を」『東京新聞』、2020年5月18日。オリジナルの2020年6月14日時点におけるアーカイブ。2020年5月18日閲覧。
  12. ↑ “第212回国会 内閣委員会 第4号”. 衆議院 (2023年11月15日). 2026年5月24日閲覧。
  13. 1 2 朝日新聞社 知恵蔵『旧皇族』コトバンク。
  14. ↑ 皇別摂家(衆議院議員 河野太郎公式サイト 2016.10.22)
  15. ↑ 中原鼎 (2026年7月3日). “「室町時代に枝分かれした遠縁」と強調されるが…知られざる「皇室と旧宮家」水魚の交わり”. 内外タイムス. 2026年7月23日閲覧。
  16. ↑ 水間 2019, pp. 27–33
  17. ↑ 小堀 2012, pp. 30–35
  18. ↑ “皇位の安定継承、課題残し 「女性・女系天皇」棚上げ 巨大与党、合意優先〔深層探訪〕(時事通信)”. Yahoo!ニュース. 2026年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年6月11日閲覧。
  19. ↑ “愛子天皇を望む民意を無視…皇室典範改正への「大きな疑問」と「皇室の危機」”. 現代ビジネス (2026年6月5日). 2026年6月11日閲覧。
  20. ↑ “このままでは手遅れになる「愛子天皇」。「男系男子」にこだわると皇統は行き詰まる!(山田順) - エキスパート”. Yahoo!ニュース. 2026年6月2日閲覧。
  21. ↑ “「女性宮家」でもない「旧宮家からの養子」でもない…皇室の継続的な継承を望むために本当に必要な議論”. 現代ビジネス (2026年6月2日). 2026年6月3日閲覧。
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  24. ↑ 「【216】“天皇打倒”の反日政党の意見が通るスキームの恐怖」『門田隆将チャンネル』2026-5-29(YouTube)
  25. ↑ 『しんぶん赤旗』2005-11-25
  26. ↑ “日本共産党は「天皇の制度」をこう考えます|日本共産党のホントを知ってください”. 日本共産党は「天皇の制度」をこう考えます|日本共産党のホントを知ってください. 2026年6月18日閲覧。
  27. ↑ 衆憲資第95号「「第一章(天皇)」に関する資料」平成29年6月、衆議院憲法審査会事務局、24頁
  28. 1 2 首相官邸 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する国会報告更新日:2022年1月12日
  29. ↑ 皇位継承に関する有識者会議の報告書要旨日本経済新聞 2021年12月22日
  30. ↑ 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議に基づく政府における検討結果の報告を受けた立法府の対応」に関する衆参正副議長による議論のとりまとめ2024年6月10日
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  34. ↑ 編集局, 時事通信 (2026年7月17日). “改正皇室典範が成立 制定79年で初、養子男性子孫に継承権―女性皇族、家族は一般国民:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2026年7月17日閲覧。
  35. ↑ “改正皇室典範が官報に掲載され公布 3か月後に施行へ”. 改正皇室典範が官報に掲載され公布 3か月後に施行へ. NHK (2026年7月24日). 2026年7月24日閲覧。
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  39. ↑ 高尾栄司 2019, p. 228‐229.
  40. ↑ 百地章 2024, pp. 4–14.
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  50. ↑ 吉村武彦『新版 古代天皇の誕生』 2019, pp. 40–42
  51. ↑ 吉村武彦『新版 古代天皇の誕生』 2019, pp. 71–72
  52. ↑ 「古代史講義」ちくま書店 2023‐9‐10
  53. ↑ 水谷千秋「継体天皇と朝鮮半島の謎」文春新書 2013年7月20日、54頁
  54. ↑ 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議(第6回)議事 p.16 松本久史論述
  55. ↑ “「皇統は愛子さまではなく、悠仁さまに継がしめよ」とする“古資料”『慶長公家諸法度注釈』を新発見”. 2020年9月27日閲覧。
  56. ↑ 以上の文を以て、養子は同姓の外その例無き事、古えよりの定なる事を知るべし。養子者連綿とは、子無き者は同姓の内その年歯相応なるものを取て養子とし、家系を連続にて綿々とし絶えざることを要と言い、しかるに妻を当の由縁あるものを取って家を継しむる事は今古一切無き事なり。邇是等の事を守るべしとの義なり。(慶長公家諸法度)
  57. ↑ “生前退位容認の意見=皇室典範制定時に-三笠宮さま” (2016年10月27日). 2016年10月31日閲覧。
  58. ↑ 愛子天皇待望論を無視して進む「皇室典範の改正」、約80年前の皇族も「女性天皇容認」を進言していた
  59. ↑ 三笠宮さまの意見書全文
  60. ↑ 自身が会長を務める福祉団体「柏朋会」の会報『ざ・とど』2005年(平成17年)9月30日号の「とどのおしゃべり」というコラム。同誌は会員向けの非売品であるが、『WiLL』2006年1月号がこのエッセイの全文を転載している。
  61. ↑ 同年11月3日讀賣新聞
  62. 1 2 「日本会議」(会長・三好達元最高裁長官)の機関誌『日本の息吹』2006年2月号に掲載された「皇室典範問題は歴史の一大事である―女系天皇導入を憂慮する私の真意」と題するインタビュー
  63. ↑ “天皇陛下お誕生日に際し(平成17年)”. 宮内庁. 2013年10月20日閲覧。
  64. ↑ “皇后陛下お誕生日に際し(平成18年)”. 宮内庁. 2013年10月20日閲覧。
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  66. ↑ “【絢子さま ご婚約内定】ご会見全文”. 産経新聞 (2018年7月2日). 2023年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月5日閲覧。
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  68. ↑ “ひと=旧皇族・伏見宮家の当主 半生を振り返る聞き書き本を出版 伏見博明さん(90)”. 朝日新聞. 2022年6月28日.
  69. ↑ 秦野裕介『乱世の天皇』 2020, p. 68
  70. ↑ 飯倉晴武『地獄を二度も見た天皇 光厳院』2015、pp.208,209。
  71. ↑ 秦野裕介『乱世の天皇』 2020, p. 75
  72. 1 2 野村玄「安定的な皇位継承と南北朝正閏問題 : 明治天皇による「御歴代ニ関スル件」の「聖裁」とその歴史的影響」『大阪大学大学院文学研究科紀要』第59巻、大阪大学大学院文学研究科、2019年3月、1-125頁、CRID 1390290699791306112、doi:10.18910/72105、hdl:11094/72105、ISSN 1345-3548。 p.28 より
  73. ↑ Horst Thoren (2018年10月18日). “Karl von Habsburg: "Die Monarchie ist nicht von gestern"”. Rheinische Post(英語版). 2019年10月5日閲覧.
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  76. ↑ 最大決H7.7.5民集49-7-1789
  77. 1 2 “「男系の皇位継承を」自民党“保守系有志”グループ発足 外国資本の土地買収阻止やスパイ防止法も議論へ - FNN.jpプライムオンライン” (2019年9月3日). 2019年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月4日閲覧。
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関連文献

関連項目

外部リンク