萩原清

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萩原清
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県
生年月日 (1959-03-03) 1959年3月3日
死没 (2026-05-20) 2026年5月20日(67歳没)
所属団体 JRA
初免許年 1996年
引退日 2026年5月20日(死去)
通算勝利 6085戦743勝(中央)
重賞勝利 42勝(中央27勝、地方14勝、海外1勝)
G1級勝利 9勝(中央4勝、地方4勝、海外1勝)
経歴
所属 橋本輝雄(1982.10 - 1983.6)
今津福松(1983.7 - 1989.9)
鈴木康弘(1989.9 - 1990.2)
鈴木勝太郎(1990.3 - 1991.2)
鈴木康弘(1991.3 - 開業)
美浦T.C.(開業 - 2026.5)
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萩原 清(はぎわら きよし、1959年3月3日 - 2026年5月20日)は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。

経歴・人物

1982年7月に競馬学校厩務員課程に入学。同課程修了後の同年10月より橋本輝雄厩舎の厩務員となる。1983年に調教助手となり、橋本輝雄厩舎、今津福松厩舎、鈴木勝太郎厩舎、鈴木康弘厩舎で調教助手を務めた。

1996年に調教師試験に合格し、同年12月に厩舎開業。初出走は1996年12月21日の中山競馬第7競走のラインフィーバーで13着。 初勝利は、1997年3月15日の中山競馬第4競走のトーヨージェイド。 主に起用していた騎手は横山典弘、彼の子息になる横山武史、横山和生、戸崎圭太や三浦皇成。 東西問わず、トップクラスの日本人騎手に依頼をするケースが多く、クリストフ・ルメールやミルコ・デムーロ、ダミアン・レーンといった外国人騎手も積極的に起用。 また、後藤浩輝、藤田伸二、安藤勝己も同厩舎所属の馬で好成績を残していた。

1999年2月14日、東京競馬の共同通信杯4歳ステークスで勝浦正樹騎乗のヤマニンアクロが勝利し、重賞初勝利を挙げる。

2009年5月31日、第76回東京優駿(日本ダービー)を管理馬のロジユニヴァースが優勝し、厩舎開業14年目にしてJpn1競走初制覇をダービーで果たした。

2024年6月2日、東京競馬第5競走でミリオンローズが1着となり、中央競馬史上59人目、現役10人目となるJRA通算700勝を達成した[1]。

2026年5月20日、病気のため死去した[2][3]。67歳没。萩原の死去に伴い、第87回オークスの出走を直前に控えていたドリームコアを含む預託されていた管理馬44頭は、調教助手時代に萩原厩舎に所属していた大竹正博が翌21日付で馬房の臨時貸付(22馬房)を受ける形で一時転厩した[4][5]。同期間の満了時点で大竹厩舎に預託されていた28頭のうち、栗東・新谷功一厩舎へ移ったファビュラススターを除く27頭は7月21日付で新規開業となる美浦・古賀大生調教師の管理馬となった(美浦・田中博康厩舎へ転厩したドリームコアなどその他の馬は同日以前に転厩している)[6][7]。

調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1996年12月21日6回中山7日7R4歳上500万下ラインフィーバー14頭613着
初勝利1997年3月15日2回中山7日4R4歳新馬トーヨージェイド16頭21着
重賞初出走1997年4月5日3回中山5日11Rダービー卿CTサンポテント13頭1313着
重賞初勝利1999年2月14日1回東京6日11R共同通信杯4歳Sヤマニンアクロ14頭101着
GI初出走1999年4月18日3回中山8日11R皐月賞ヤマニンアクロ17頭1010着
GI初勝利2009年5月31日3回東京4日10R東京優駿ロジユニヴァース18頭21着

主な管理馬

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

主な厩舎スタッフ

肩書きは厩舎在籍時のもの。

厩舎スタッフを除く関係人物

  • 田中博康(技術調教師)- 田中が騎手デビュー当時所属していた高橋祥泰厩舎スタッフと大竹の縁で調教に騎乗。調教師転身前後にも調教騎乗等で研修の機会が多く、死の直前『最後の弟子』と関係馬主に語っていた[9]。

脚注

関連項目